阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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歩物語が終盤で驚き。


004

 知ってのとおり、僕が通っている私立希望ヶ峰学園は日本だけでなく世界をリードする政府公認の特権的な高等教育機関だ。

 

 入学するだけで将来の成功が約束される……なんていう、まるで冗談みたいな謳い文句が世間で囁かれているほどに名門で──そして卒業生の多くは各業界で成功を収めているというのだから、その謳い文句に偽りはない。

 ただ本科生徒は毎年十数人ほどしか選ばれておらず、また志願制ではなく完全推薦制のためこの学園に入学できる者は極めて限られている──

 

 ──そんな学校にどうして僕が入学できたのかは今でもまるで見当がつかないが、当時まだ純粋だったころの僕は希望ヶ峰に入学できることをとても喜んでいた。

 学歴に固執していたわけじゃなくって、かといって望んでいた未来があったわけでもなくって──単に希望ヶ峰に憧れていたんだろうなと、今になって思う。

 その憧れは一年次の冬に砕けてしまったけれど。

 

 あの冬は、忘れられるはずがない──ただ、考えたことは、一度もなかった。

 なにも解決しないままに、ただ時だけが過ぎている。

 あれは終わった話なのだ──僕の中ではもう、いろんな意味で終わった話だった。

 

 そんな冬から二年と少しの二月。

 茶話会開催まで残すところあと十数日となり、茶話会の準備のため放課後暗くなっても本科校舎は賑わっていた。

 

 僕はというと、そんな準備をしている彼らのもとを訪れては、進行具合をチェックしたりだとか、あれが足りないだのなんだのと注文をつけられたりしていた。

 これもまた、学級委員長の仕事である。

 ちなみに七海とは別行動だ。

 

 なので、今はチェック用紙が挟まれたバインダーを片手に三年生の進み具合をチェックしていたところである。

 

 本校舎、仮校舎、研究棟、体育館、校庭などなど。いろんな場所でいろんな奴がいろんな練習をしているから、いくら二人で分担しているとはいえ骨が折れる。しかし弱音は吐けない。

 僕と七海は三年生の分だけだからまだしも、羽川や先生たちの苦労は計り知れないのだから。

 

 慣れないながらもこの役割に落ち着いているところがあるので、とりあえずは歩を進める。

 

 まずは調理室から。

 

「よう、うまくやってるか?」

「もちろんだよ! なんなら一口、味見していくかい? 僕お手製の娼婦風スパゲッティを!」

「おい花村。何か勘違いしているようだから一つ言っておくが、そのスパゲッティにはお前の思っているほどの深い意味……いや、浅はかな意味はきっと無いぞ」

「ンフフ、夢のないことを言うね、阿良々木くん。きっとあれだろう、君はナイチンゲールの伝記本で遊んでいる小学生を見ると無性に腹が立つタイプなんじゃないかな?」

「うるさい! 進捗はどうなんだっ?」

「そんなにせっかちだとモテないよ」

「うるせえ!」

「まあそうだね、創作料理は満足いくのができたから、それはまた明日にでもレシピにして渡すよ。だからまあ、食材さえあれば大丈夫かな」

「……最初からそう言えば良かったのに」

「ところで阿良々木くん、食事の時間中になんだけど、『にんげんっていいな』っていう曲を流したいんだ」

「? どうしてだ?」

「歌詞が好きなんだよ。特にあの『おしりを出した子一等賞』っていうところがさ。……あっ! どうだろう、みんなでおしりを──」

「却下! 曲もおしりも却下だ!」

 

 これだから花村は。

 どういうものを食べれば、『にんげんっていいな』からそんな発想ができるんだろう。

 ……ああ、あいつは自分が作った料理を食べてるんだな。それなら仕方ない。

 

「なんつーか、ブレないよな、お前は」

「そういう君はだいぶ変わったよね」

「……まあ、色々あったんだよ」

「ずるいなあ! ずるいなあ! きっと、大人なおねーさんとかと色々あったんだろうなあ!」

「ない! 断じてない! だからなんでそういう方向にしか話を持っていけないんだお前は!」

 

 人には良いところと悪いところがあるというけれど、花村のこれは悪いところに違いない。

 悪癖であり、性癖でもあるのだろう。

 

「あ、そうだ。ちょうど良かった、阿良々木くん、この試作した料理僕一人じゃ食べ切れないからさ、君も食べてよ! ね! ね!」

 

 そう言って花村は、大皿に乗せられた肉料理をずいっと僕の方に寄せてきた。

 焼けたてというには程遠い冷たさであったけれど、それでも肉特有の食欲をそそる野性的な匂いが鼻腔に広がる。

 ぐっ……! こいつの料理はとにかく美味そうなんだ、そして味も期待を裏切らないほどに美味しい!

 ……けれども十中八九なにかしら怪しげな薬が入っているので、迂闊に食べられないのが残念なところだったりする。

 

 花村が作った料理をクラスの女子が食べたがらないのも(また毒味させるのも)こいつの普段の行動が災いしていることは明らかだ。

 そして花村はストライクゾーンが驚くほど広い……これがなにを意味しているかというと、つまり、僕だってそういった目で見ることかできるのが花村なのだ。

 

 つまりまずい! いろんな意味でまずい!

 これだと深夜帯の放送だったとしてもアニメ化できなくなってしまう!

 

「おっと、すまない。時間がもうないみたいだ!」

「ええ?」

 

 言うが早いか、かなり無理をした姿勢で肉の乗った大皿を避け、勢いそのままに調理室から脱出する。

 

 後ろの方から声が聞こえてきたが、その音に追いつかれないほど速く走るようなイメージで廊下を抜け、階段を駆け下りた。

 

 一階から外に出て、後ろに花村の姿がないことを確認してからほっと息をつく。

 

 撒いたか?

 

 ……と言ってしまうと撒けてないことが多いというのは知り合いから聞いたことがある。その言葉を飲み込んでから、またもう一度息をついた。

 とにかくこの棟からは離れよう。もう用だってないんだし、早く立ち去ろう。

 

 ……それから一時間ほどして、ようやく仕事にひと段落がついた僕は、校内にある自販機で飲み物を買った後に中庭にあるベンチに腰を落とした。

 ここはよく昼食をとる場所だ。一人の時もあれば二人や三人でベンチに詰めて並ぶこともあったけど──うむ、もうここに来ることもないんだなと思うと、いつもは視界に入れてすらいなかった風景がどうも愛おしく見えて仕方がない。

 

 愛着なんてものはないだろうが、代わりに思い出のような何かが、ふと、心の中で湧いてきた。

 らしくないなと思う。

 こう思えるようになったのもまた、七海のおかげなんだろう。

 

 ──そういえば、最後に日向に分かれたのはここだったような気がする。あの夏、戦刃との帰省を終えた後に出会ったのが日向じゃないとするのなら、ここで一緒に昼食を食べたのが日向との最後の思い出だったはずだ。

 

 ……七海はああ言っていたけれど、本当に、あの得体の知れない男──カムクライズルから日向を取り返すことはできるのだろうか。

 

 僕からすれば、到底できそうにない夢物語のように感じてしまう。

 努力だとか、勇気だとか──そんなものじゃどうにもできないような。言うなれば、既にあれは手遅れなのだと、誰かが叫んでいるように感じて仕方がない。

 けれども七海なら──それもまたどうにかして、解決してしまうのだろうか。

 

 七海には特別な力があるわけではなく、また怪異に憑かれているわけでもない──けれども、彼女は今まで不可能を可能にしてきた。

 それは七海が自分だけの力ではなく他の誰かの力に頼って共に困難へと立ち向かっているからこその結果だろう。

 個の力ではなく、群の力を七海は持っている。

 孤独な僕からすれば、それは吸血鬼としての異常性と比べるまでもなく手に入れがたい力であった。

 

 今となっては吸血鬼としてのスキルも失い、せいぜい残っているのは後遺症ともいえるような微々たるものだけれど。

 

 今回ばかりは七海にもどうしようもないんじゃないのか。

 

 ──でも、七海が誰かの力に頼って立ち向かうのなら、僕は頼られたいと思う。

 七海の隣に立って、共に困難へと歩んでいきたい。

 

 ……しかしそんな思いとは裏腹に、僕は七海に頼られちゃいけない人物なのかもしれないとも思う。

 人が怪異と交わることにより、その後の人生において怪異と共に生きる人生を送らなければならなくなってしまうように。

 七海にもそんな咎を負わせ、深い傷を負わせてしまうのではないかと懸念しているからだ。

 

 今更何を言う、もう既に一年間友達として付き合ってきたじゃないか──と言われてしまえばそれまでなのだが、ただ一緒に日常を過ごしているうちは問題はないんじゃないかと思う。

 ただ、同じクラスで学んでいる分には。

 ただ、共に放課後を過ごしている分には。

 問題はないのではないか。

 

 ただ、七海と出会ったばかりの頃、日向と共に二人は予備学科の生徒に襲われた──

 そのことから、僕は誰かにとってのターニングポイントに僕が関わることで、その分岐先の未来を壊してしまっているのではないかと思うようになった。

 

 この一年間、良かったことはたくさんあったけど、悪いこともたくさんあった。

 色んな人を助けようとしたが、それだって満足にできた試しがない。

 助ける人間が自分じゃなくったって良かったはずだ──あれはきっと、僕以外の人間でもできたはずなのだ。

 きっと、あの場にいたのが僕ではなく七海ならきっと、全てうまくやっただろう。

 助けようとしたのに、彼らが報われないのはきっと、僕のせいだ。

 きっと七海なら、ハッピーエンドを迎えることができたはずだ。

 

 自販機で買った缶ジュースはプルタブを開けたままで、飲もうという気にはなれなかった。

 

 手から伝わる冷たい感覚をぼうっとした意識で味わっていると、急に頰にも同じ感情を覚えた。

 驚きで缶の中身をこぼしかける。

 考え事をしていたからか、頬に何かを当てられるまで気がつかなかったようだ──、一体誰がこんなことを、と後ろを振り返ってみると、どうやら下校途中らしかった戦場ヶ原と羽川の二人が立っていた。

 

「驚かせちゃったかしら」

「こんばんは……って言うには、ちょっとまだ早いかな? 阿良々木くん」

 

 戦場ヶ原は両手にペットボトルを、それと相なすように羽川は両手に学生鞄を持っていた。

 

「羽川は、もう仕事は片付いたのか?」

「ううん。まだ残ってるけどもう暗いからね、部屋に戻ってからやろうかなって」

「ふうん、無理するんじゃないぜ」

「この男、少しも手伝おうという気を見せないわね……」

「僕だってさっきまで仕事だったんだよ!」

「仕事……? まるでリストラされたことを家族に打ち明けられずに悩んでいるお父さんのようにベンチでうなだれていることが?」

「違う!」

「ああ、そうよね。あなたには悩みを打ち明けるような家族はいなかったわよね、生涯独身だもの」

「なっ……! いやっ、できるかもしれないだろうっ。僕だって結婚できるはずだ!」

「できないわよ。私見てきたもの」

「見てきた!? 未来を!?」

「は? なに言ってるの? 未来なんて分かるわけないじゃない」

 

 なんだこの女は……。

 多重人格者か……?

 一時期は毒が抜けたようだったけれど、そんなことまるでなかったかのように罵詈雑言を吐いてくるぞ……。

 

 

「ところで阿良々木くん、こんなところでどうしたの? 軽犯罪の帰り?」

「どこをどう見たら僕が軽犯罪を犯した帰りに見えるんだよ」

「……服装?」

「今僕が着てるのは制服だよ! 希望ヶ峰の!」

 

 それも特に着崩したりしていない、普通の着こなしだ。

 首筋にある傷跡を隠すために襟足が伸びてはいるけれど、でもだからといって、それで軽犯罪を犯した帰りには見えないだろう。

 

 っつーかなんだよ、軽犯罪を犯した帰りに見える服装って。

 ペイントボールが服に着いてるとか、頭に下着を被っているとかか?

 

 さすがに見ていられなかったのか、羽川はあくまで中立的な立場で僕と戦場ヶ原の間に入った。

 

「まあまあ。立ち話もなんだし移動しようよ、ね?」

 

 行き先を知らされないままに、僕は戦場ヶ原と羽川の二人組に着いて行くことになった。どうやら僕の登場は予想外だったらしく、羽川と二人で……というシチュエーションを邪魔されたと戦場ヶ原がぼやいていたが、僕としては悲しいことにそういった言葉はもはや聞き慣れていた。

 

 ……先にちょっかいを出してきたのは戦場ヶ原だというのに。自業自得だと、思わないでもない。

 しかし、冷たいペットボトルを頬に当てるというのは……なんつーか、季節外れっていうか。

 

「そういえば行き先を聞いてなかったな。どこに行くんだ?」

「喫茶店だよ、喫茶店。阿良々木くんも一回くらいは行ったことがあるんじゃないかな……? ほら、希望ヶ峰学園の近くにあるお店」

「……? あったっけか、喫茶店なんて」

「あったよ? それも結構前から」

「ふうん……いやでも僕、喫茶店って柄じゃないからなあ」

「行かないの? いや、来なさいよ」

 

 さっきまで愚痴を言っていた人間の言葉とは思えない強引な誘い方だ。

 

「どうせ仕事だって、もう終わってるんでしょう? 付き合いなさいよ」

「いやいや、戦場ヶ原さん? さっき僕がいなければいいだの死ねばいいだのと言っていませんでしたか?」

「死ねとは言ったわね」

「聞きたくなかった!」

「もういいのよ、もういいの。羽川さんとはまた今度喫茶店よりも素敵なところに行くもの、その口実ができたと思えば万々歳だわ。感謝感激雨あられ」

「棒読みで言われてもな……」

「棒読み? あらあなた、ただの文字列から感情が入っているかいないかを区別できるというの?」

「いや、できないけど、お前が感情を込めて誰かに感謝の言葉を伝える場面がどうしても想像できないもんでさ」

「私だって感謝するときはあるわよ、それも毎朝。ああ、今日一日を生きることができるのは羽川さんあなたのおかげです、って」

「そんなことしてたの!? やめてくれない戦場ヶ原さん!」

「おっと羽川、いたんだな」

「いたよ。さっきからいたよ? 私。なんだか会話に入れてなくって疎外感は感じていたけれど、それでも私はいたよ?」

 

 うっ! 羽川は表情こそ笑顔のそれだが、しかし言葉を喋る勢いというものに怒りが篭っていることがよく分かる。

 その様子を察知したのか、戦場ヶ原は慌て気味に言った。

 

「それで阿良々木くん、行くの? 行かないの?」

 

 そう言いながら、戦場ヶ原は手に持つペットボトルの中身を一気に飲み干し、それを近くにあったゴミ箱に投げ入れようとする。……がしかしそれは入らず、需要があるかどうか分からないようなお茶目機能を発動させていた。

 しかしそれでも冷静な面持ちで「行くの?」と聞いてくるあたり、戦場ヶ原らしいなと変な懐古心を抱いてしまった。意味が分からない。分かりたいとは思わない。

 

「行くよ、行く行く」

 

 プルタブを開けたまま置いてあった缶ジュースを飲み干して、それをくしゃりと握り潰してから僕も戦場ヶ原に(なら)ってゴミ箱に投げ入れた。

 

「ねえ知ってる阿良々木くん? 缶って潰さないほうがいいらしいわよ」

「それ、潰す前に言ってくれよ」

 

 羽川はどうやら飲みきれなかったらしく、ペットボトルを鞄の中にしまっていた。

 

 その喫茶店とやらがある場所を僕は知らないので、先頭を戦場ヶ原の羽川の二人が歩き、その後ろについていくようにして僕が歩いていた。

 不幸にも僕の背は彼女たちと同じくらいだったので、歩幅も相応に同じくらいであった。

 こうして一緒に歩くのには便利だけれども、背が高いことに越したことはないのだから、あと十センチくらいは伸びたっていいはずなんだ。

 まだ、まだそれくらいは伸びるはず……僕の成長期は終わっていない……!

 

 希望ヶ峰学園の校門を出たあたりで、ふと思ったことを口に出す。

 

「そういえばさ、希望ヶ峰学園って門限とかなかったっけ。羽川は大丈夫なのか? 時間的にそろそろだろう?」

「あー、門限はね。ほら、生徒会長の特権ってやつ?」

「それただの悪用だよ、悪用」

「人聞きが悪いな阿良々木くん。一応、名目上は学園周りの治安調査……っていうことになってるんだから。そういった意味でも、うん、男性の阿良々木くんと一緒に行動するっていうのは報告書にも書きやすいし、結果的には良かったのかな?」

「学園周りの治安か……別にそこまで悪いようにも思わないけどな。スラム街じゃあるまいし」

「だとしてもだよ。確かにいつもなにかが起きてるってわけじゃないにしても、それでも毎年一件か二件は大きな事件が起きてるんだから」

「……そうだったっけか?」

「阿良々木くんは世間話に疎いからね……いやでも、去年の三月にあったアレ、阿良々木くんも大きく関わってたんじゃなかったっけ……? ほら、七海さんと日向くんが予備学科生徒に襲われたやつだよ」

「……ああ、そんなこともあったな。結局あれはどうなったんだっけか」

「……まあ、希望ヶ峰学園は大きな学校だからねー……怖い怖い、私も変なことしないようにしないと」

「それなら今行っている学園周りの治安調査とやらもやめておいたほうがいいんじゃないのか?」

「それはそれ、これはこれ」

 

 そういえば、最初に七海とまともな会話をしたのも喫茶店だったような気がする。

 あのときは喫茶店というものをよく分かっていなかったから、何かを注文するときは七海の言葉を九官鳥のように繰り返していたけれど、今ならあの喫茶店特有の雰囲気に飲まれることもなくまともにメニュー表を見ることができるような気がする。

 

「七海さんと言えば……ああいや、なんでもないなんでもない」

「? どうしたんだよ、七海がどうかしたか?」

「いや、えっとね。……そう、今から行く喫茶店って、前に阿良々木くんと七海さんが一緒に行っていた場所だったんじゃないかな? そのとき確か七海さんが寝ちゃってて、阿良々木くんがおんぶして寄宿舎の方まで届けてくれたんだよねー……いやあ、あのときは危なかった」

「そんなこともあったな。……って、そうなのか、あのときの喫茶店か。そう考えるとなんだか懐かしく感じてくる」

「まだ店についてもいないのに? ……というか、おんぶって。あなたなにか下心があってやったんじゃないの? 色情狂」

「もっとオブラートに包んで呼べよ! せめてムララギとかさ! あったろう? そういうの!」

「なかったわよ、あいにく私は八九寺先生とは違うのよ。そんなに噛まないの」

 

 そういえばあの先生、生徒のことをムララギとかありゃりゃぎなんていう風に呼んで、コンプライアンス的に問題はないのだろうか?

 

「ねえ阿良々木くん、コンプライアンスっていう言葉の意味、ちゃあんと知ってて使ってる?」

「なんだよ突然」

「あなたって、マーケティングとかエビデンスとかコミットとか、意味も知らないのに使ってそうだから」

「ひどい偏見だな……それを言うなら、ほら、神原のことを心配してやれよ。あいつ結構最近までブレスレットのことを深呼吸っていう意味の言葉だと勘違いしてたんだろ?」

「うわっ……私他人の失敗を楽しそうに話す人、嫌いなのよ。引くわ、ドン引き」

「心配してやってんだよ! っつーか、それならお前はどうなんだ? 戦場ヶ原。お前だって僕が失敗したとき楽しそうにアレコレ文句を言ってくるじゃないか」

「愛の鞭よ」

「愛の鞭!? あれが!?」

「けれど愛はない」

「ただの鞭だよ! それ!」

 

 校門を抜けるとすぐに大通りへと出る。都内の更にど真ん中に希望ヶ峰学園が位置しているということもあり、交通の便はとても良い。

 周りには高層ビルが鬱蒼と生い茂っていて、近くには新幹線が通るような大きな駅も存在している。ちなみに駅まで走るバスの路線も希望ヶ峰学園前には通っていて、校門の隣にはバス停も存在しているから驚きだ。そもそもバスに乗る機会があまりない僕だから(移動手段は大体自転車を使っていた)このバスが駅以外のどこに止まるのかは知っていない。

 

 今向かっている喫茶店は徒歩で行ける範囲内なので、バスには乗らなかった。

 

「なあ羽川」

「んん、なにかな?」

「いや、今更なんだけど、お前らってなにやってるんだ? 羽川は生徒会長の仕事だっていうのは知ってたけど、戦場ヶ原は違うだろう?」

「あー……内緒だね」

「そうね、内緒よ。茶話会までのお楽しみ」

 

 しかいそれでも気になってしまうのが人間のサガというもので、内緒のことについて詳しく聞き出そうとすると、男なら荷物くらい持ちなさいと二人の学生鞄を押しつけられた。羽川は持たなくていいと言うのだが、戦場ヶ原の鞄はともかく羽川の荷物を持たない選択肢はなかったため──というか、むしろ持ちたかったので戦場ヶ原の鞄も持たなければならないのは不服極まりなかったが、それを上回る幸福を得た気がした。

 

 それにしても喫茶店か……さっきの中庭にあったベンチといい、喫茶店といい。偶然ではあるが先ほどから懐かしい場所を訪れているような気がする。

 懐かしいと言うにはまだ早い時期かもしれないし、お涙頂戴な思い出があったわけでもなかったが、それでもなんだか懐かしく感じてしまうのだった。

 三年生が始まる前の一、二年間は空虚な生活を送っていたから、そのぶん濃い記憶になっているのだろうか。

 

 ただ、そんな記憶も、いずれは忘れてしまうのだろうか──

 いや、きっと忘れないだろう。

 

 三人でこうして隣り合って歩くのは、いったいいつぶりだろう──そして、次はいつになるのだろう。

 ともかく僕らは喫茶店へと向かった。

 

 実に学生らしい放課後の過ごし方だと、不似合いながらも思う。

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