阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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008 非日常編

 人間の死体を見たことがない、と言えば嘘になるだろうか。

 それは不幸な事故だった。なんとも不憫(ふびん)で不運な終わり方だった。詳しいことは覚えていない──一体、何年前の話だろう。幼いながらにして両親を失うという経験をした私ではあるが、しかしその時よりも、バスルームで冷たくなっていた舞園の死の方が、今は衝撃的に思えていた。そう思う自分の心の内を俯瞰(ふかん)から見てみて、いくら衝撃的で、人生に深く関わっているものであっても、記憶というものは風化し色()せることがあるのだと改めて実感させられる。

 赤の他人とはいえ、昨日まで机を囲み話をしていた人が死んでいるというのだから──しかもさらにそれに付け加えてその亡骸を発見してしまったというのだから……複雑に、心の中で泥のように渦巻きスパークする感情は、両親の死を経て感じたものをも軽く凌駕している。顔もよく覚えていないような血の繋がった人間と、昨日まで笑い合っていた赤の他人。後者の方がより衝撃的だという感想を述べることは、薄情というものだろうか?

 

 まあ、あの頃の私の精神年齢があまりにも幼かったということも関与しているだろうが。

 

 両親をおじいちゃんおばあちゃんに置き換えてみるとどうだろうか。想像してみると、それはそれはなんとも泣きたくなるような心境になった。

 

 不謹慎不謹慎。

 世の中言葉狩りだのなんだの言われているが、個人的には震災があった日でもあえて明るく振舞って行きたいものだ。明るく、尊み、偲ぶことが必要だと思う。

 

 私はそこそこ図太い人間だと思う。精神的に強いというか、タフネスというか。並大抵のグロ画像を突然見せられたとしても、女々しい悲鳴なんて上げやしないんじゃないかって、思うのだ。そりゃまあ驚きはするけれど、一般常識的にいう(たくま)しい部類に入るのではないだろうか。先輩は淡白でもいい、わくましく育ってくれればとおばあちゃんによく言われたらしいが、私は逞しく生きる。

 その点、苗木は小動物のようなか弱さであった(体格的にも)。苗木は舞園の死体を見たその時から、精神的に参っているというか、グロッキーな雰囲気をどんよりと吐き出すようにして全身から醸し出していた。

 

 こういう時に慰めてやるのが、友達っていうものだろう。

 私はそう思いはしたけれど、しかし死に直面した人間に対してどう接すれば良いのかは、私の理解に及ぶ範囲内ではない。

 

 ……とりあえず、やってみるだけやってみよう。何事も挑戦なのだ。当たって砕けろ!

 

「……苗木、その、なんだ。きっと、次がある。その時頑張ればいい」

「次なんてないよ……」

 

 そうだった!

 

「ブ、ブレスレット! ブレスレットだぞ、苗木!」

「ブレスレット?」

「ああそうだ、ブレスレットだ! 色々辛いかもしれないが、ここで終わりってわけじゃないんだぞ。この先も、モノクマが体育館に呼び出したってことはまだ何かがあるんだ。それを乗り越えるためにもまずはブレスレットだ!」

 

 何が言いたいのか分からないといった目線を、苗木はこちらに向ける。えっ、なにか変なことを言っただろうか? ブレスレットって、深呼吸っていう意味じゃないのか?

 私がそう悩んでいる合間に全員が体育館に揃ったらしく、満を持して、覚束ない足取りでモノクマが舞台袖から登場した。

 

「いやぁ、デスクワークっていうのも辛いもんだね。腰のオイルが切れちゃって……」

 

 あのまん丸な寸胴ボディのどこらへんが腰なのかはよく分からないけど、知ったところでどうとでもないような情報である。

 

「さて! いやあもう、やっと始まったね……。ボクもう、このままコロシアイが始まらないんじゃないかって、PTAや教育委員会とかに教師失格とかなんとか言われて解雇されるんじゃないかって、 こんなんじゃ学級崩壊もあり得ちゃいそうだなあって、もう夜も眠れなかったから、殺人が起きて今夜はぐっすり眠れそうだよ」

 

 満足げな表情でそう言うと、モノクマは教壇に置かれた大きな椅子に悠然と腰を下ろす(下ろす腰がどこにあるのかは前述の通り知らないが)。

 そんな明るいロボットの態度とは対照的に、私たち人間の間に流れている雰囲気というものはとてもとても緊張に満ちていた。咳をすることすらも憚られるような、そんな静寂に満ちている。

 そんな重苦しい雰囲気を鋭利なナイフで切り裂くようにして発言したのは、私の隣にいる苗木であった。

 

「……お前が、舞園さんを、殺したんだろ──モノクマッ!」

 

 怒りからか、苗木の小さく華奢な肩は震えていた。声色も普段とは違っている。

 

「やだなあ、苗木クン。ボクが可愛い可愛いオマエラを殺すわけないじゃん。舞園さんを殺したのは、オマエラ十五人の中の誰かだよ」

 

 私たちの誰か──そんな言葉がモノクマの口から飛び出したとき、皆一様にお互いの顔を見合わせていた。不安な表情を浮かべる者もいれば、冷然とした態度をとる者もいる。全体的に見てみれば、まさに疑心暗鬼と形容するにふさわしい状態だ。

 

「ふざけるなッ!」

「やめろ苗木!」

 

 苗木は、今にもモノクマに飛びかかり喉笛をかっ切らんといった剣幕で足を一歩前へと踏み込んだ。それを食い止めるべく私は苗木のパーカーのフードを引っ張り力付くで彼の行進を止めた。

 後方からの急な衝撃で我を取り戻したのか、苗木はふとこちらを向いて、申し訳なさそうに目を下に落とした後、再度モノクマの方へと顔を向けた。そんな私達のやり取りから何も生まれやしなかったことを残念に思ったからだろうか、モノクマは嘆くように息を吐いてから、再度話を始める。

 

「今頃舞園さんを殺したクロは、やったやった! 卒業だ! って、ホッとしてるんじゃないかってボクは思うんだけど。流石に殺して終わり、殺されて終わりってだけじゃあ、色々とツマンナイよね! 格闘漫画なら始まりのゴングが鳴って終了、ラブコメなら目と目が合いトキめいたところで終了! 打ち切り漫画じゃないんだしさぁ」

 

 不快な笑い声を声高らかに叫びながら、モノクマは話を続ける。

 

「……と、いうことで。オマエラも同級生を殺される──ってだけじゃあ消化不良だろうから、生徒のことを第一に考える学園長の鑑であるボクが、犯人を糾弾する場を設けてあげようじゃない! その名も、学級裁判! まあ詳しいことは新しく追加された校則を見たら分かるんだけど、簡単に口頭で説明するとね、よくある推理ゲームと同じだよ。一定時間の間証拠を集めて──」

 

 モノクマの話なんてどうせロクでもないだろう。そう思った私は、懐から取り出した電子生徒手帳を開く。校則の所を確認してみると、確かに新たな校則が追加されていた。

 

『生徒内で殺人が起きた場合は、その一定時間後に、生徒全員参加が義務付けられる学級裁判が行われます。 』

『学級裁判で正しいクロを指摘した場合は、クロだけが処刑されます。』

『学級裁判で正しいクロを指摘できなかった場合は、クロだけが卒業となり、残りの生徒は全員処刑です。』

 

「なあ、モノクマ。この処刑っていうのは……」

「なに? 神原さん……ああ、それはね、そのまんまの意味だよ。最近はちょおっと手を出しただけで、やれ体罰だ、やれセクハラだなんてPTAとか保護者がうーるさいけど、モノクマ先生は熱血教師だから容赦はしないんだ」

 

 要は人を殺したのなら、死で償ってもらうってことだよ。

 

 そんなことを、モノクマは言った。

 ということは、残りの生徒は全員処刑ということは──それはつまり、そういうことなのだろう。考えてみなくても分かる話だが(なんせ処刑なんて言い方をしている。マリー・アントワネットよろしく十三階段を登った先にそそり立つギロチンが瞼の裏に浮かぶというものだ)、人というのは現実から目を背ける生き物のようで、見るからにわかるであろうその言葉の意味を理解してか──はたまたそのおどろおどろしさからか、騒めきの波紋が広がった。

 そして今更ではあるが──これが一つの嘘もない、ドッキリなんてそんなに甘くないコロシアイなのだと、心で思い知ったように感じる。初日の爆発(しか)り、今朝の舞園然り──どれもこれも、人の命に関わる問題ではあるが、頭でそれらを理解しているつもりであっても、幾日かの些細な平凡な日常要素が脳内を掻き乱し今自分が置かれている状況を必死にへいこらと誤魔化そうとしていたのではないだろうかと思う。

 愚かにも、目の前の事実から逃避する。一体私はいつから逃げるなんて手段を使う人間になってしまったのだろうか。自然と左拳に力がこもった。

 

「ともかく、御託を並べるのもいい加減にして──」

「待ってよ!」

 

 そう発言したのは、江ノ島盾子だった(ふふん、覚えてる覚えてる)。アバンギャルドな格好をしている彼女は、大きな膨らみを持つツインテールを後ろで揺らしながら、ズカズカと砂利道を進むようにモノクマの方へと一歩一歩近づいて行った。やがて目と鼻の先とも言える距離にまで近付くと、江ノ島はブレーン・クローをモノクマに決め込み、丁度水平に目線が届く位置まで持ち上げてから(握力あるなあ)、食い入るようにモノクマを睨み付け、言葉を繋げた。

 

「アタシさ、関係なくない? コロシアイとか、学級裁判とか、そんなかったるいことはもう飽き飽きだし、ウンザリなんだけど」

「ええ……でもね、江ノ島サンも大切な生徒の一人だから、参加してもらわないと」

「嫌だって、言ってんの」

「……、そうだねえ。じゃあ──」

 

 モノクマは若干口角を上げ、身を大きく動かし江ノ島の腕を振りほどく。地面へ足をつけるのと同時に、くわっと目を細めたかと思えば、両の腕を大きく広げてこう叫んだ。

 

「だったらボクを倒してからにするんだね!」

 

 幼稚園児のように拙い歩みで江ノ島に向かって行くモノクマに対し、呆れて物も言えないと言った風に溜息を吐く江ノ島。モノクマの動きはハエが止まってしまうのではないかと思えるほどに鈍く、そして捉えやすいものだった。

 

「これでいい?」

「ぎゃふん!」

 

 ハイヒールで地面に張り付けられたモノクマは、取っ組み合いで組み伏せられた小学生のように両手足をジタバタと動かしていた。いやまあ、そうなるだろうな……。と、今の私は思っていた。きっとその場にいる誰もが、そう思っていただろうが、しかし同時に、それだけで終わるはずがないとも思っていた。

 

「……江ノ島さん、確かにボクは倒されちゃったかもしれないけどね、世の中には暴力よりも強いものがあるんだよ。ペンは剣よりも強し、しかり、ね」

「は?」

「君を引き裂くのは簡単だが、ケバいギャルの血でみんなの体育館を汚すこともあるまいと思ってね」

「……はあ?」

「学園長に対する暴力行為は校則違反だよ! トラップカード発動! 『落とし穴』!」

 

 言うより早いか。唐突にモノクマが反応を示さなくなったかと思いきや、音もなく江ノ島が立っている位置の床が消え失せる。

 人という生き物は、大抵の場合、重力に縛られて生きている。己の自重を支えるものがなければそのまま下に落ちて行くもの。それは超高校級という肩書きを与えられている江ノ島盾子も例外ではない。

 江ノ島は、前触れもなく唐突に、ひゅうすとんといった軽快な擬音がつきそうなほどに脱力した雰囲気で、底知れぬ何処かへと落とされて行った。

 

「……っ!」

 

 彼女のものと思える悲鳴も段々と遠ざかって行き、落とし穴が素早く閉じられる頃にはなにも聞こえることはなかった。

 そんな様子を目の当たりにして、なんの感情も抱かないわけもなく、一部の女子からは恐怖に震えているような声が漏れ出していた。無理もない……私だって、それなりに性格の図太さを自負している私だって、絶句したのだから。

 

「ふう……」

 

 達成感を感じているのだろうか。モノクマはどこからともなく取り出した手ぬぐいでさっと額を拭うと、何事もなかったかのように話を続けた。

 

「えーっと……、なんだっけ? 昨年度の鮭の漁獲量の話だっけ?」

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