言い訳は活動報告で致します。申し訳ありませんでした……!
「ところで……また何か視えたの?」
咲夜が部屋を去り、レミリアと2人きりになったところでパチュリーは尋ねた。
咲夜にも言った通り、レミリアの突然の思い付きに周りが振り回されることは今までに数え切れないほどある。
今回もその数ある例の1つに過ぎないだろうし、それ自体には何の懸念も不安もない。
しかし––––このとき、レミィには何かが視えている。
パチュリーはそれを知っている。
伊達に100年近くこの吸血鬼と共に過ごしてきた訳ではない。
「はぁ……パチェに隠し事は出来ないか」
「咲夜だってきっと気づいてるわよ。敢えて聞かないだけで」
「……そうかな? 私ってそんなに隠し事が下手かしら?」
「下手よ。少なくとも家族の前では」
それで––––と、パチュリーは話を戻した。
「何が視えたの?」
「……夕暮れに咲夜が帰って来るのが視えたのよ。その顔は嬉しいとも悲しいとも違うものだったけど、悪い感じはなかったわね」
「へぇ……? 咲夜はどこへ行くのかしら?」
「知らないわ。でも、いつもとは違うところへ行きそうね」
「なら後は、それがあの子にとって良い経験であることを願うばかりね」
ああ、と小さく頷きながら、レミリアは咲夜の淹れた紅茶を軽く喉へ流す。
「ところで貴女––––咲夜には、いつ言うの?」
「言ったろう? 思い出すまで待つのよ。じゃないとゲームを始めた意味がない」
「……またそんなことを。貴女だって、本当は寂しいくせに」
「そんなことないさ。だって私はあの子を––––そして何より私を信じているから」
ニヤリと笑みを浮かべるレミリアに、パチュリーは少し不気味さを感じていた。
「まあ…………ヒントくらいは与えてやるかな」
◆◇◆
––––少し夜の散歩に行こうか。
お嬢様にそう言われ、月の光が照らす霧の湖の畔を共に歩いていた。
湖に浮かぶ月は大きく、そして輝いている。
「––––
あのとき……ああ、そうか。
きっとこの月は満月。
お嬢様と出会ったあのときも、そういえば満月の夜だった。
「覚えているか?」
「…………忘れませんよ」
「そうか………覚えているのか」
何故か、少し残念そうにお嬢様は言う。
まだあのときから一年も経ってない。
幻想郷に来てから驚くことばかりではあるが、あの日のことは忘れられるものではなかった。
初めて敵わないと感じた、あのときの屈辱は–––
「この月は満月じゃないよ」
「……え?」
「これは十六夜。少し欠けてしまった月」
「十六夜……?」
私の目には、ほとんど満月に見える。
しかしそれは満月ではないのだろう。
月に敏感な吸血鬼だからこそ分かるのだろうか。
「そう、十六夜。そんな夜に咲かせた出会いの花……」
「……ッ!?」
「それが貴女の名前の由来よ」
「いや、でも……」
あの時は満月だった。
だからこそお嬢様の力は最大限まで発揮されていた。
それに私の名前は十六夜の昨夜……つまり十五夜を表しているはずだ。
そう、確かにあのときは満月だったんだ。
「まあ、どうあがいても貴女は覚えていないでしょうね。たとえ全てを思い出しても」
「何を言って……?」
「だって、
「……………は?」
何を言っている?
––––ナニヲイッテイル?
いいや、私の記憶に間違いはないはずだ。
1年も経っていない最近のことの筈だ。
私は八雲紫にここへ連れてこられて、お嬢様と戦い、そして負けて名を貰った。
それは絶対に間違ってない事実だ。
事実だが…………
––––どうしてその名を、すんなり受け入れられたのだろうか?
今まで疑問にも思わなかった。
それを当然だと思っていた。
しかし……いや、やはりおかしい。
ずっと昔からその名前だったかのように、咲夜という響きは私に浸透している。
「––––咲夜」
「ッ!!」
お嬢様のその声で、私は正気に返る。
私の額は、少しだけ汗ばんでいた。
「そろそろ戻りましょうか。紅茶が飲みたいわ」
「…………かしこまりました」
––––私は何かを忘れている?
◆◇◆
何故か、今まで気に留めることさえ無かったが……
私には知らない過去がある。
いや……正確にはある"はず"だ。
今思い出せる最古の記憶は、5年前のこと。
寒さに身を震わせながら、大きな樹の下で私は目を覚ました。
目の前には男がいた。
「ここは……どこ?」
「大丈夫かい、お嬢ちゃん?」
心配そうに近づく男。
「お腹……空いた」
私はどうすべきか、直感的に感じていた。
この時は、自分が何をしているかを理解していなかった。
ただ私は当たり前のように時を止め、ポケットに入っていた一本のナイフを男の喉元へ当てる。
そして時を動かすと同時に掻き切った。
その一連の流れに滞りはなく、男は何も理解できぬまま死に至った。
そして私はもう一度時を止め、金を奪いその場を去った。
––––それが私の生きる術だと、何故か分かっていたのだ。
それ以前の記憶はない。
知りたいと思うことさえなかった。
––––レミリアが幻想郷に来たのが、ちょうど5年くらい前の話なのよね。
霊夢の言葉を、不意に思い出す。
もし本当に……私の過去にお嬢様が関わっているのなら。
私は一体、何を忘れている?
知りたくて、堪らない。
思い出したくて、堪らなかった。
◆◇◆
「おかえり、慧音」
里での仕事を終え、私が自宅の扉を開けると、そこにいたのは長い
白いブラウスに赤いモンペのようなズボンを履いている彼女の名は、
「……ただいま、妹紅」
「食事はもう少しかかる。先に汗を流してきな」
「いつもすみません」
「好きでやってるの。謝らないでよ」
「……ありがとう」
普段から、妹紅にこういった家事をしてもらっているわけではない。
今宵は十六夜。昨晩は満月だった。
妹紅は十六夜の日に、私の家へやってきてこうして家事をしてくれる。
それが習慣になってしまったことに、私は申し訳なさを感じつつも、そんな妹紅に甘えてしまっていた。
––––満月の夜、私は"力"を使う。
そして同時にエネルギーの消費が激しく、かなり体への負担が大きい。
いつだったか、十六夜の日に倒れたことがある。
あのときは偶々、食事を蔑ろにしてしまった。
さらに偶々、それを妹紅に見られてしまったのだ。
それから、毎月この日の食事は妹紅が支度してくれるようになった。
「いい湯でしたよ」
「ああ、ちょうどよかった。たった今支度が終わったところなの」
「おお、これは美味しそうですね」
2人で向かい合って卓を囲み、いただきますの掛け声で食事を始める。
思った通り妹紅の料理はとても美味で、頑張った昨日の自分を少し褒めてやった。
もちろん、妹紅への感謝は忘れない。
「今日は少し帰りが遅かったね」
だし巻き卵に大根おろしを乗せ、醤油を垂らしたところで妹紅が言った。
「里でちょっとした事件があったので」
「事件?」
私は卵を口に含み味わってから、ビールを喉へ流し込む。
程良い苦みと炭酸が、口の中をさっぱりさせる感覚が何とも変えがたい幸福だった。
「まあ、ただの食い逃げですが」
「ふぅん。大した事件じゃなさそうだけど」
「事件があることが問題なんですよ。里の治安が悪くなっちゃあ困るので」
「正義感の強いところは、慧音の良いところであり欠点でもあるんだよ」
「欠点ですか……はは、そうかもしれないですね」
頭が硬い、融通が利かない……なんて言われ慣れている。
自分でも分かっていることだが、許せないことは許せないのだ。
「もっと気楽に生きなよ。慧音は頑張りすぎだ」
「……はぁ、貴女には助けてもらってばかりですね」
「いいんだよ。私は好きでやってるんだ」
「ほんとに、物好きな人だ。どうして私なんかに?」
「あんただって物好きだろう? 半妖のくせに、人間が大好きなんて」
「ええ、大好きですよ。貴女も含めてね」
「…………そういうところさ。あんたは––––慧音"だけ"は私を人間として見てくれる」
「ッ!」
「だから私は、あんたを助けたいと思うだけ」
妹紅は食事の手を止めるわけでも、私の目を見るわけでもなく、当たり前のように淡々と語った。
しかしその頰は少し赤らんでおり、私はそれが何より愛おしかった。
「……とても美味しいです、妹紅」
「そうかい。そりゃ良かった」
◆◇◆
「…………そういえば」
食事を終え、食器を洗う妹紅の背に、私は思い出したように言う。
「今日は、貴女によく似た人に出会いました」
「へぇ……? そりゃあ、さぞかし美人だったろ?」
「ええ、とても。しかし、似ているのは容姿じゃなくて……正体、ですかね?」
「どう言う意味?」
「貴女のように、限りなく人間に近い別の何か……と言ったところでしょうか? 本人は人間だと言っていましたが」
「まさか、私と同じ不老不死とか?」
「そこまでは分かりませんが……でも、人間とは少し違うような気がしましたね」
「妖怪じゃないのか? それこそ、慧音みたいな半妖とか」
「いえ……どちらかといえば、あの人に––––「慧音」
妹紅が私の言葉を遮る。
その声色は、とても恐ろしい物だった。
「あのクソに似てるんなら、私には似てない。そうだろ?」
「……ええ、そうですね。失礼しました」
私は妹紅の背に少しの畏怖を感じ、口を噤んだ。
「はぁ……でもまさか、月人だなんて言う気じゃないよな?」
「いえ、そんなことはないですが……ただ、なんとなく似ているような気がして。特に容姿は、あの人の側近に似ていましたね」
「へぇ……あのヤブに?」
「はい。まあ、あくまで私の主観ですが……」
「それでも少し興味が湧いたよ。一体どんな奴だったの?」
「たしか、普段は吸血鬼の館でメイドをしていると言っていましたね」
「吸血鬼の館……? って、あの紅魔館かな?」
「きっとそうでしょう。少し前の紅霧異変を起こした連中の1人でしょうね」
「そんな奴が人里に……?」
「まあ、見たところ問題を起こしそうな人でもなかったですし、寧ろ問題を解決してくれていましたから」
「へぇ……」
「そして名前が、十六夜咲夜と––––「サクヤだと!?」
妹紅が声を荒げて振り返る。
突然のことに驚いたが、妹紅の顔を見て、驚き以上に恐怖が募る。
普段の妹紅とは違う、怒りが込められた表情だった。
「も、妹紅……?」
恐る恐る私は口を開く。
少し息をゆっくり吐いて、妹紅は答えた。
「……すまない。取り乱したよ。懐かしくて嫌な名前を聞いたもんだからね」
「嫌な名前……?」
「ああ。とても嫌な名前だよ」
「咲夜……サクヤ…………ッ!」
「慧音には、話したことあったろ?」
「ええ……なるほど。木花咲耶姫ですか……」
「ああ、あのドグサレ外道さ。思い出したくもなかったけどね」
「すみません……」
「慧音が謝ることじゃないさ。全く、嫌な運命だとでも言えばいいのかね?」
「ええ、全くです」
「だけどまあ……やっぱり興味はあるね、その咲夜とか言う奴」
「会いに行ってみますか?」
「……いいや、それはいいよ」
妹紅は濡れた食器を拭きながら、呟くように言った。
「なんだか、そのうち会うような気がするから」
◆◇◆
「紅茶をお持ちしました、パチュリー様」
「あら……? 今日は小悪魔じゃないのね」
そう言うパチュリー様に、驚いた様子はなかった。
無論、私の歩くヒールの音で予想が付いていたのだろう。
「少し聞きたいことがありまして」
「ッ……何かしら?」
なんだか、パチュリー様はいつもと様子が違った。
目線が安定していない。
私の顔や、私の持ってきた紅茶、自身の持っている魔道書を行ったり来たりしている。
しかし私はそこに触れることなく、本題に入った。
「パチュリー様は、私をいつからご存知で?」
「いつから……とは?」
「きっと貴女方は、私がこの館に来る前から私のことを知っていた。でなければ、八雲紫と組んで私をここに送り込むなんてことはしなかったでしょうし」
「何が言いたいのかしら?」
「私の過去を、貴女はどれだけ知っているのですか?」
「…………それを聞くのは、貴女が自分の過去を知りたいから?」
パチュリー様の目線が、私の瞳に集中した。
だがやはりその目線は不安げで、どこか落ち着きがない。
しかし、私にはそんなことはどうでもいい。
その通り、私は過去が知りたいのだ。
「––––ええ。私には、知らない過去があるので」
「そう……ふふっ」
「パチュリー様……?」
「ここまで、本当に長かったわ」
パチュリー様の目から不安の色が消えた。
安心した目で、そして温かな笑顔で私を見つめる。
「やっと、貴女を取り戻せる」
「……はッ!?」
気づくと、私は身動きが取れなくなっていた。
足元には魔法陣。
トラップが仕掛けられていたのだ。
それも今回は全身に痺れが回るタイプのようで、私はナイフを投げることさえできなかった。
––––どうして忘れてしまっていたのか?
私は一度、この人にナイフを向けているのだ。
いつ反撃されても、おかしくない状況だったのだ。
完全に油断していた。
もうこの人からは……この人たちからは攻撃されないだろうと考えてしまっていた。
ここの生活にも、だいぶ順応してしまっていた。
当たり前の日常だと思ってしまっていた。
でも、そんなことは決してなかった。
1年前の自分が見たら、きっと笑われるだろう。
腑抜けたものだと、罵倒されるかもしれない。
でも何も言えない。
手足が痺れて動かなくなった私は、溢れる涙を拭うことさえ出来なかった。
その涙の原因は悔しさなのか、悲しさなのか。
私には判断が付かなかった。
「おかえり、咲夜」
パチュリー様のその言葉を最後に、私は意識を失った。