「……お目覚め?」
紅い天井。
グレーに近い白の壁紙。
1人で使うには少し広めの部屋。
いつも見ている、私の自室だった。
「気分はどうかしら?」
私のベッドに横たわるのは、もちろん私。
だけど……本当に私なのだろうか?
なんだか分からない、違和感が––––
「––––お姉様……?」
記憶も意識も覚束ないが、手を握られた感覚だけがあった。
そうか、先程から横で声を掛けてくれていたのはお姉様だったのか。
なんとも懐かしい感覚だった。
いつもこうして、お姉様には手を引いてもらっ––––
––––"お姉様"って、誰のこと?
「ふふっ……そう呼ばれるのは何年振りかしら?」
「お嬢様……ッ!」
「怖がらないで。今の貴女を襲う気なんてないわよ」
お嬢様は微笑む。
そして言葉を続けた。
「貴女の記憶の扉は開かれた。そして同時に散らばってしまった。貴女にはそれを整理する時間が必要ね」
「な、何を言って……?」
「とりあえず、もう少し寝ていなさい。今日のティータイムは、妖精メイドの紅茶で我慢するわ」
◆◇◆
「どう、咲夜の調子は?」
「まだ意識がハッキリしてない感じね。まあ……もう少し休めば、いつも通りになるでしょ」
「その"いつも"ってのはどっち? 最近のこと? それとも5年前?」
「ふふっ、どっちかしらね」
悪戯な笑みを浮かべ、レミリアは紅茶を喉に流す。
「はぁ、そろそろ咲夜の紅茶が恋しいよ」
「あの子が眠って3日……意外と時間が掛かったわね」
「ああ。だが、タイミングは抜群だよ」
レミリアは窓から空を見上げる。
つい先程太陽が沈んだ空だが……
そこには、大きな大きな月が浮かんでいた。
それはもう––––本当に大きな。
「ふふっ……今夜"も"満月か」
◆◇◆
「やはり……おかしいわ」
「んー? 何がだ?」
「貴女が私の家に居ることも、今日も月が丸いことも」
「まあまあ、そう硬いこと言うなって」
そのとき魔理沙は、アリスの家にいた。
窓から空を眺めるアリスに、魔理沙は菓子を頬張りながら笑う。
アリスお手製の菓子は、疲れた頭に染みる甘さがあった。
「でももう月が出る時間なのか……そろそろお
「勝手に私の家の魔道書を読み漁り、勝手に私の作ったお菓子を食べて……貴女はお礼の言葉もないのかしら?」
「ありがとうな、アリス。また来るぜ!」
「はぁ……待ちなさい」
「お? どうした?」
魔理沙を睨みつけていたアリスだが、再び視線を窓の外に戻した。
「貴女はおかしいと思わないの?」
「……何の話だ? 私がお前のところに来るって話なら––––」
「貴女も気付いてるんでしょ? だから今日は、こんなにも早く帰るよ」
「……異変解決は人間の仕事だ。妖怪はすっこんでな」
「手伝うなんて誰も言ってないじゃない」
アリスは再度、魔理沙に視線を移す。
魔理沙は鋭い視線をアリスに向けていた。
「じゃ、私は帰るぜ」
「……貴女はこの異変の恐ろしさを理解してない」
「なんだと……?」
魔理沙の視線は、さらに鋭くなった。
その視線を何とも思わず、アリスは冷たく言い放つ。
「この異変。貴女だけじゃ解決なんて無理よ」
「てめぇ……私を怒らせるのも良い加減にしろよ」
「事実を言ったまでよ」
「今ここで、お前を退治しても良いんだぜ?」
「やめて。私は良いけど、家が壊れるわ」
はぁ……と、深いため息を吐いてからアリスは言葉を続けた。
「連日満月のせいで、妖怪達が力を持て余して狂ってるわ」
「そんなの、退治するだけだぜ」
「貴女1人で、どうにかなるものじゃないわ。霊夢ならともかく……」
「……霊夢に出来るなら、私にだって出来るぜ」
「出来るわけない。そもそも貴女と霊夢では––––「そんなの私が一番分かってるぜッ!!!」
魔理沙は声を荒げた。
「でも! それでも私は!!! …………霊夢に負けたくないッ」
「ちょっと魔理沙ッ! ……はぁ、本当に仕方ないやつね」
飛び出して行った魔理沙を、アリスは上海を連れて追いかけた。
◆◇◆
「幽々子様、どうかされましたか?」
「今日も月が綺麗だと思ってねぇ」
「…………告白のつもりですか?」
「妖夢、大好きよ」
「随分と軽い告白ですね」
「あら、妖夢は私が嫌い?」
「嫌いなわけないじゃないですか、幽々子様」
口元を扇子で覆い、空に浮かぶ月を見つめる幽々子の表情を確認することは出来なかった。
妖夢は少し頰を赤らめ、幽々子に倣って月を見上げる。
それは綺麗な満月だった。
「あの月に誓える?」
「月に……ですか?」
「そう。私への愛を、月に誓えるかしら?」
「そんなの–––––」
妖夢の目は鋭くなる。
「––––誓えるわけないじゃないですか」
幽々子は扇子の下で、ニヤリと笑みを浮かべていた。
「あの月は、偽物ですから」
◆◇◆
「紫! 出て来なさい!!!」
神社の境内。
いつもの巫女服、手にはお祓い棒。
戦闘準備を整えた霊夢は、虚空に向かって叫ぶ。
「呼ばれて飛び出て何とやら〜〜」
そんな何もなかった空間に亀裂が走る。
それがパックリと開いて、中から出てきたのは八雲紫だった。
「お呼びかしら?」
「あの月、何とかしなさいよ」
「あらあら泣き言かしら?」
「…………悔しいけど、私1人じゃ何も出来ないから」
ここ数日の連続した十五夜。
その異変に、霊夢は迅速に対応していた。
辺りを見回り、妖怪を退治し、異変の主犯を探す。
––––しかし今回は、勘が働かなかった。
いつもいつも、探しているうちに夜が明けてしまう。
そもそも満月のせいで妖怪の力も上がっている為、無駄に時間が掛かる。
霊夢のイライラが募るばかりだった。
「あんたなら、なんか知ってるんじゃないの?」
「うーん…………」
八雲紫は悩んでいた。
もちろん手段がないわけではないのだが……その"手段"が良くない。
八雲紫は幻想郷の管理者であり、守護者とも言える立場にある。
そんな立場を侵しかねないその"手段"は……八雲紫を悩ませていた。
しかし、それ以外に方法がないのも事実。
さて、どうしたものか––––
「黙ってないで何とか言いなさいよ」
「……霊夢、貴女はこの異変の本質を理解しているの?」
「本質……? 満月が終わらない、それだけでしょ?」
「やはり……貴女にはアレが月に見えるのね」
「は……? あれが月以外のなんだって言うのよ?」
「ふむ……まあ、確かに月よ。でも、違う」
「はぁ?」
八雲紫は霊夢を見下ろすと、冷たく言い放つ。
「貴女に、自らの手を汚す覚悟はある?」
「……なんの話?」
「あの月は、おそらく太古の月。今の月よりも魔力が強く、だからこそ妖怪達は狂い始めている」
「太古の月……? じゃあ、今存在してるはずの月はどこに行ったのよ?」
「さあね、すり替えたか上書きしたか……今ここからは確認できないわ」
「……それが、本質だとでも言うの?」
「ただ"十五夜が続いている"程度に考えていたら、この異変は解決できないわ」
「へぇ……それで? 覚悟とやらが出来てるかどうかなんて、聞く意味ある?」
「この異変は、今までの異変とは訳が違う。並みの覚悟じゃ、返り討ちどころか手も足も出せない」
紫は口元を覆っていた扇子をピシャリと閉じると、霊夢に向けて不敵な笑みを浮かべた。
霊夢の背筋には悪寒が走る。
なんだか彼女が、いつもの紫ではないように見えて……
「…………あんた、何するつもり?」
しかし紛れもなく、彼女は幻想郷の管理者であり––––
「さあ霊夢、異変を起こすわよ」
––––幻想郷の守護者である。