ラインハットの数ある部屋のうちの一つで男達が頭を寄せあって卓の上に置いてあるチェス盤を囲っていた。その部屋はラインハット国王が不思議な一団を食客として扱うからと与えた来賓室の一つでもあった。昼下がりの穏やかな陽気が窓から木漏れ、春風がそよそよとカーテンで遊ぶように揺らす。
しかし、窓辺の長閑な様子と違って男達の居る部屋の一角は陰鬱さに塗れていた。その一角とは、男達が集まっている場所でもあり彼らは卓を三角形に囲み椅子に腰深く座り込んでいる。男達の目は真剣そのもので触れたら身を切られるのではないかと錯覚しそうな程である。電流でも走っているのかと疑いそうなくらいに男達を取り巻く空気は張り詰めており、部屋には駒が動く音のみ響く。
「そろそろ、現状の話を致しましょうか」
しかし、そんな緊張張り詰めるこの部屋で声を発した男がいた。優雅に口元を羽扇で覆って、涼やかな目元をその男は眇めるように細める。
「ほう。現状の話ねぇ。一体、どの現状の話をお前さんはしようとしてるんだい?」
そう言って男のキングに迫るべく、ポーンを動かしたのは頭の輪郭すらも見えないような大きな帽子を被り、口元も布で覆っている見るからに怪しい男だ。服も己の体型を隠すような代物で、もしラインハットの関所にこの男が現れればすぐ様別室に連行されること間違い無しである。
「士元、そこに置くと十手先で苦戦しそうだ・・・・・・孔明は相変わらず飲み込みが早いな。異界の遊戯も直ぐにやり方を覚えてしまったみたいだ。その頭の良さが羨ましいよ」
「おっと。こりゃあ、油断したねぇ。いやはや、これだから歳は取りたくない」
「私達、あまり歳はそう変わりないはずですよ」
「諸葛亮は手厳しいねぇ。たまには冗談の一つでも言わないと面白くない上司だって若い子達に言われちまうよ」
楽しそうに外界に唯一晒されている目元を緩めて士元と呼ばれた男は、これまた孔明と呼ばれた男へとチェス盤に注いでいた視線を上げて向ける。この二人は士元、孔明と呼ばれているがこれは字であるために某世界の某大陸にいる皇帝か親しき仲の者しか呼ぶことが許されていない特別の呼称である。そのため此処では、士元を龐統、孔明を諸葛亮と記す。
諸葛亮は龐統のからかいを華麗に聞き流して黙々とチェスの駒を、龐徳の陣を崩すべく動かしていく。諸葛亮の陣営が他者から見てもすぐ分かるくらいに前進し攻めているのに対して、龐統の陣営は後退して守備を固めつつあった。蜀で名だたる賢人たちの対決を、感嘆の声すら出さず静かに見守っている徐庶も賢人と名高い男だ。諸葛亮と龐統のチェス対戦の審判を務めているその彼は諸葛亮の様にいつものことだと苦笑し、「それで」と話の流れを正した。
「現状の話をするのだろう? 孔明は一体何の話をするつもりだったんだ?」
「劉備殿が持ち込んだ案件のことです」
「ああ、王妃様のことかい」
諸葛亮が話を切り出したのだから、何か愉快な話だろうと検討をつけていた龐統が話を聞くや途端に興味を失ったように気の抜けた声を出す。龐統にとって、蜀の一団が身を寄せることになったラインハットの王妃はあまり興味の唆られない人であった。母親としての欲と己自身の欲の見分けもつかないような愚鈍な女である彼女がラインハット国王の知らない場所で暗躍していることはもう既にこの三人は把握済みである。
蜀の軍師として知勇を奮ってきた彼等にとって、王妃の策謀はあまりに稚拙で目を覆いたくなる。これ程の拙策を披露するくらいならば、まだ敵陣地の前で腹踊りを披露したほうがマシというものだと各々が思う程には彼女の暗躍はお粗末極まりないものであった。
「正直、王妃様の考えが上手くいったとしても疎通相手に取って代わられるのが目に見えてるんだけどねぇ」
「あの方は恐らく、奴等を利用しているつもりなんだろう・・・・・・まさか飼い犬が魑魅魍魎の類であるとも知らずに」
龐統や徐庶が言うように、王妃が誼を通じた相手は胡散臭いことこの上ない連中であった。『光の教団』という宗教団体で、表面上は慎まやかで清貧を重んじる徳の高い教団にも見えるのだが、この三人は光の教団の実情を知っていた。その為に三人はこうも辛い口を叩いて見せるのである。
「劉備殿に話を持ちかけられなければ、私もあの方には触れるつもりがなかったのですが・・・。この国の宰相は人を見る目はお持ちのようで、私達を動かすために劉備殿に依頼を持ちかけたようなのです」
「劉備殿に頼まれちまったらあっしらは動く他無いからねぇ。ま、劉備殿のその人徳にあっしらは惹かれこうして三人集まっちまったんだからしょうがないよ」
「嗚呼。まさかこうして三人、また集まることになるとは俺も思わなかった」
羽扇の下で諸葛亮が宰相に対して何を考えているのかはともかく、龐統と徐庶は古馴染が蜀の下に集まってしまった数奇な運命に思いを馳せる。
諸葛亮、龐統、徐庶の三人は水鏡という同じ師につき、共に切磋琢磨してきた勉学の友であったことが彼等の始まりである。国を追われるようにして水鏡の門を叩いた諸葛亮、名族の生まれであり、家を背負って水鏡に師事した龐統、知人の仇討ちを手伝ったがために追われる身となりながらも勉学がしたいと水鏡を頼った徐庶。生まれも育ちもそれぞれ違う三人が、こうして軽口を叩き合う程に仲良くなれたのにはきっとそれぞれにない個性に惹かれてのことであったのだろう。
「多分、天帝が二人から学んでこいと俺に言っているのだろうな」
「元直、そろそろお前さんはその卑屈さを治したほうがいいさね」
何処にいても自虐的なのが徐庶だ。追われることに慣れてしまい、フードのついた外套を部屋の中でも着込んでいることも恐らく彼のこの性格を助長している。龐統も徐庶のことをとやかく言えない程に胡散臭い格好をしているが、己は明るい性分であるから良く、徐庶に関してはその根暗な部分を取り除くためにももう少し開放的な格好をするべきではないかと提言したくなることが時々ある。特にこの様な卑屈な台詞を聞くとすぐ様言ってやりたくなる。
しかし、徐庶に色々と申したいことがある龐統とは違って、何があっても自分を貫き通す諸葛亮が話題を強制的に戻した。
「なので、近日中に王妃と光の教団を差し押さえます。既に策の準備として姜維と法正殿を手配してあるので、今回は滞りなく終わるかと」
「なるほどねぇ。手加減無用でとっとと店仕舞いしてやろうって魂胆だ。どちらかと言うとやり過ぎを懸念しないといけない感じだねぇ」
諸葛亮の策の手駒としてあくせく働いているのは恐らく姜維だけだろうが、法正もその苛烈な性格から生み出される陰険な策を用いて王妃と光の教団を翻弄していることだろう。
妙に最近、姜維による「丞相ー!!」という元気極まりない叫び声がラインハットでは聞こえない訳だと龐統と徐庶はそれぞれ思った。諸葛亮の弟子を自負している姜維は、元々魏の将として辣腕を振るっていたのだが、龐統のヘッドハンティングを受けたこともあって蜀に降ることになった。降るまでは流石、麒麟児と名高いだけあって龐統の手も煩わされたのだが、蜀に降るやいつの間にやら諸葛亮に躾けられており、すっかり丞相丞相と懐いている始末である。
「法正殿も劉備殿から頼まれていると知っているだろうし、あまり無茶はしないんじゃないか。結局は、彼の手綱は劉備殿が握っている訳だし」
徐庶のその言い分には諸葛亮も同意見であった。法正は恩も仇も倍返しにすると言う傍迷惑な信念を持っているのだが、今の所蜀に対してーーー特に劉備には並ならぬ恩を感じているようなのでその信念は良い方に作用している。
「ってことは、もうそっちもこっちも詰めってことかい」
龐統の投げやりな声にはつい徐庶も微笑んでしまった。諸葛亮もいつものように穏やかな笑みを携えているが、何処か楽しそうな色がその笑みには混じっている。
諸葛亮対龐統のチェス対決もいよいよ佳境を迎え、二人の陣地は見事に対極を描いていた。優勢と劣勢をお手本のように配置してみせたチェスの駒には龐統と言えども苦々しげな目を向けてしまう。こうまでの劣勢は久しぶりに体験する龐統である。ある戦で奇襲を受けそうになったことがあったが、龐統が劣勢に回ったのはそれ以来のことであった。
諸葛亮が鮮やかな手並みでビショップを動かす。キングがビショップに取られてしまい、龐統の陣地は総大将を奪われてしまった。これでとうとう勝敗が決したのである。どの戦にでも言えることだが、総大将を奪われてしまえば戦は続けようにもない。
「こっちは早々に蹴りがついちまったよ」
「向こうも着々とキングを取る用意は整っています。チェックメイトまであともう少しです」
龐統のキングを革手袋で覆われた手で弄んで、少し意地悪く笑う諸葛亮。諸葛亮がこうも感情を顕にすることは珍しくよっぽど龐統に優勢で勝てたことが嬉しいのだろう。諸葛亮や龐統よりも年上である徐庶は、二人の勝った負けたをのんびりと眺めてこの穏やかな一時こそ自分が求めていたものだったのだと思う。
あの世界では長く彼方此方を放浪し、我が身を隠して生きてきた。あの時、軍師を求める劉備に自分ではなく、諸葛亮を推薦したことは間違っていなかったと徐庶は今でも思う。諸葛亮は徐庶よりもずっと才媛で、知謀に優れ、あの世界にいた誰よりも賢人だと強く思う。きっと、この世界でだって誰よりも諸葛亮は賢人であるのだろう。
その才を羨むことは何度もあった。嫉妬することも幾度もあった。己にあの才があれば、もっと上手く立ちまわることが出来、あんな逃亡生活を送ることにはならなかったのではと思うことも多々あった。
けれども、その才は恐らく徐庶では宝の持ち腐れにしてしまうことも分かってはいた。その才は諸葛亮で無ければ使うことの出来ない代物なのだ。徐庶でも龐統でも上手く扱うことは出来ない使い手を選ぶ孤高の才。
「よし。じゃあ今度は俺とやらないか、孔明。俺は君程賢くないけれど、もしかしたら異界の遊戯であれば対等であれるかもしれない」
卑屈な物言いであるが、徐庶の顔には明るさに満ちた笑顔が浮かんでいた。龐統が徐庶のその笑顔にやれやれと両手を天に向けて苦笑し、諸葛亮が弄んでいたキングを暫し見詰めてから、徐庶へと差し向ける。諸葛亮の涼やかな目には徐庶を下と侮るような見下した色はなく、彼を強敵と認め警戒する色が仄かにチラついているのだが、徐庶はそれを諸葛亮は誰であっても油断しないからの一言で一蹴する。
諸葛亮の持っていたキングが徐庶に手渡された瞬間に、諸葛亮から徐庶に向けて言葉が発せられた。
「元直。私が貴方と対等でなかったことは今迄一度もありません。貴方が私よりも先に水鏡先生の下に居ようとも、私が先に劉備殿の下に居ようとも。貴方と私はいつ如何なる時も対等でした」
諸葛亮の発言をいつものよりも何倍に膨れ上がった世辞だと思うには、それは真剣味に塗れており、只管に諸葛亮の徐庶を射抜く眼差しは真摯であった。だから、この時ばかりは徐庶もいつもの保身に走る事が出来ずに、諸葛亮の言葉をしっかりと受け止めてしまう。
ーーー俺はいつだって・・・・・・。
お守りのように呟いてきた言葉が、何故か脳裏で反芻しそれが漣になって徐庶の中で消えた。なんだか、己が誇らしくなって、らしくないくらいに口元が緩んで笑顔が更に深まってしまう。
この二人はいつも徐庶を認めてくれた。徐庶に才があると言い続け、卑屈になるなと叱咤し続ける彼等はただ同門の出だからと徐庶には甘過ぎるのだ。
住む世界が違う。見ているものも違う。目指すべき場所もーーー本当ならば違っていたはずなのに。
「俺、直ぐ頼みごとを安請け合いしてしまって、その頼みごとが厄になってまとわりついてばかりの人生だった。だけど、そんな人生だったけど今は幸せだと言い切ることが出来る」
「珍しく明るくなったと思ったらこっ恥ずかしいことを言い始めたね、元直。だけど、いつもの卑屈よりも何十倍もそっちの方がいいよ。諸葛亮もそう思うだろう?」
「ええ、そうも思いますよ。才あるものが策ではなく素で己を卑下することは見ていても良い気持ちではありませんから」
チェスボードが速やかに整えられていき、諸葛亮と徐庶のチェス対決がそう時間をかけずに始まる。三人にとって、王妃の策略などよりもこのチェス対決の方が大切であることは火を見るよりも明らかだ。
別に王妃の策略が上手く行ったからといって蜀に危険が及ぶことはない。寧ろ、王妃が政権を握った暁には蜀の一団を追いだそうとするのだろうから、そのどさくさ紛れにこちら側が大義を握って、このラインハットを占拠するのも悪くはない。
劉備は恩があるからと言って最初は拒否するだろうが、王妃が政権を握ると恐らく同時にラインハット国王は亡き者となるだろう。たとえ王妃が邪魔だと思っているのがヘンリーだけであっても、誼を通じている相手がラインハット国王を排斥することは想定済みだ。匿ってくれたラインハット国王が陰謀によって殺されたと知れば、あの穏健な劉備であっても黙ってはいまい。
どちらに転んでも蜀には利点がある。その行く末を劉備が決めるのであれば、諸葛亮達は主君である劉備の御心のままに成すまでだ。
おわり
三國無双を知らない方へ
諸葛亮
字は孔明。きっと三国志を知らない人でも名前だけは知ってい方も多い超有名人。実は一番最初に軍師の位に就いたのはこの人が初めて。弟子のような嫁と犬のように忠実な弟子がいる。晋ではライバルモドキの司馬懿がいて、呉ではなんやかんやと慕ってくれる陸遜などがいる。隙がなく、劣勢に陥っても計算通りと仰る鬼才。結構毒舌家。身内以外、否身内でも容赦無く毒を吐くしツンケンもしている。だけど、嫁と劉備、たまに姜維には優しい。
龐統
字は士元。生まれは名家で、役人としても結構いい位に就いていた実はキャリア組な人。気の良い人で、殺伐とした空気も一言で和ませることのできるツンケンしている人の側には無くてはならない存在。諸葛亮に対抗して張り切ることもある。徐庶の卑屈さを見兼ねて何度か提言するも効果はないようだ。
徐庶
字は元直。撃剣の使い手で、若い頃は結構ヤンチャしており、その折に友人の仇の手伝いをして指名手配された人。母親を人質に取られて、魏に降ることもあったが今は蜀に所属している。魏でも蜀でも結構楽しくやっていたが、同門がいると肩の力が抜けているようにも感じられる。根が真面目すぎる故に卑屈さが段々とエスカレートしていく。あと黒い面も持ち合わせる。
ドラクエを知らない方へ
王妃
ラインハットの王妃様。二番目の王妃様で、第二王子デールの産みの親。なので、デールをどうにかして王様にしたいと願い、ヘンリーを排除すべく暗闇で暗躍している。誼を通じている光の教団の正体には気付いておらず、下賤の者と関わってやった程度にしか思っていない。寧ろ、会話してやったのだから有りがたく思えくらいに思っている節もある。
ドラクエヒーローズをプレイしていて思ったのですが、裏ボスにもし呂布が友情出演していたらどうなっていたんでしょうね。張遼と組ませば、兵器がなくても二人でギガンテスを倒せそうな気がします。