男が起きると、辺り一面には鹿の胴程ある茨が四方八方に伸びており、人気観光スポットとして名を馳せる程に優美であった城の景観はその面影を僅かにも残さずに闇色に染められていた。空を仰げば、超自然的な曇天が城の上空を覆い、太陽の光が一筋もその雲を割って城に届きそうにもない。
男はこの城の近衛兵であった。齢十八にして王族の身辺を守る為に存在する近衛に抜擢された彼の実力は申し分なく、しかしだからといってその年若い大出世にやっかみが降りかかることもあり、年不相応の苦労もその短い人生で数多く経験してきた。
男は分厚い曇天を鋭く睨み上げ、次いで現状を理解しようと辺りを見回した。茨以外に何かないかと血眼になって辺りを伺う男を嘲笑うように周辺は茨ばかりが蔓延っていた。途方も無い歴史を体現してきた城の壁や床を容赦無く貫く茨は男の行く手を阻み、時には男の足を引っ掛けるように床を行く筋にも走っていた。
しかし、そんな茨の巧妙な罠も脱して男は己以外の生存者を探すために城をあてもなく流離う。何処かに自分以外の息遣いが聞こえないか。誰かの啜り泣く声が聞こえないか。この理不尽な状況に憤る怒声が聞こえやしないか。
男はいつの間にか玉座の間にまでやってきていた。二階のテラスに最初は居たはずなのだが、男は無意識化で己の主君達の安否を知るために玉座の間に降りてきていたのだ。
玉座は空ではなかった。でっぷりと突き出た腹が特徴的な立派な口髭を蓄えた男が玉座にふんぞり返って深く腰掛けている。ただ、その男の体は普通ではなかった。人間としてのあるべき姿は失っており、皮膚が茨に全て成り代わっている。植物らしい肌を持つその男は生すらも茨に明け渡してしまったのか不用意に近づく男に声の一つも掛けない。普段ならば、「卑しい孤児が私に近づいてくるでない」と言葉を選ぶことなく言い放つ男であるのに、今日は男の接近を容易に許しているのだ。
「陛下と姫様がいない・・・」
男は己の忠誠を捧ぐこの城の王族の所在不明に戸惑った。無機質な声が「陛下、姫様」と幾度も繰り返し、まるで迷子になった犬が飼い主を探すように辺りをぐるぐるとまわり始める。
「まさか、陛下と姫様もこの様なお姿に・・・」
なんて不吉な想像なのだろう。身の毛が怖気立つような恐ろしいもしもに男は心臓が不穏な音を奏でるのをその身のうちから聞いた。宛もない孤児であった自分を見つけ、一緒にいようと笑いかけてくれた姫様。身分証も戸籍もない自分を嫌がることなく寛容に受け入れてくれた陛下。男にとって彼等親子は自分の全てであり、彼等親子が自分のアイデンティティの証明といっても過言ではなかった。
ーーーお二方が、もし、茨になってしまわれたのならば。
男は探さなければならない。茨の呪いを解く方法を。少し前まではきっと、世界中にあるどの城よりも美しく気高かったこの城を元の姿に戻す方法を。
ーーー絶対に探しだしてみせる。どんな手段を使っても。
不意に男の耳を馬の嘶きが掠った。何故か城の外からではなく、玉座の間の上から聞こえてくる馬の嘶きは男の頭で木霊した。それは、不思議なことであったが男が敬愛してやまない姫様の歌声のようにも聞こえたのだ。
男は考える間もなく玉座の間を駆け出していた。男の頭に理性は少ししか残っていない。姫様の居場所が判明するのであれば、たとえどんなにこの茨が男の行く末を遮ろうとも男はこの身を犠牲にして姫様の下へと馳せ参じるつもりだ。
何故ならば、それが男の使命なのだから。
***
突然だが、陳宮の心の支えは己が野心である。神様? 女神様? 天帝? そんなものを心の支えにして一体どんな良いことがあるのか。その神様とやらがもし己の危機を救ってくれたとしても、そもそも危機に陥った時点で講じた策に不備があったことは明白。
陳宮はその様な愚鈍な輩にはなりたくない。必然ならば良いが、偶然に助けられる策など二流三流もいい所。寧ろ、そんな稚拙な策を立てる輩に軍師を名乗ってほしくないのが本音である。
「これが、マイエラ修道院ですか。なんとも洒落た建物ですな」
しかし、人間の信仰というものは侮れない。黄巾党の一件でも十分に実感した事柄であったが、この人間の信仰心の集合体とも言えるマイエラ修道院は更にそんな思いを加速させるほどに豪奢な建築物であった。
中洲に建てられたマイエラ修道院に入ることができるのは入り口にある橋だけ。その修道院の奥には更に離れのようなものが建設されておりなかなかに面積のある建物であった。天へと真っ直ぐに聳える三角塔は神々しく、窓に嵌められたステンドグラスは色とりどりで太陽光に煌めく様は見事としか言いようがない。
「攻め入るとすれば、小舟が必要になりますな。橋の幅もそうありませぬし、兵の勢いも修道院の玄関に着くまでに削がれてしまいます。なるほど、この建物を建築した人物は戦上手ですな」
口上に生やした八の字の髭を撫でながら、張遼が言ってのけたのは武人の観点から見たマイエラ修道院についてだ。この建物を見た第一声がそれなのだから、彼の脳内はやはり武で占められているのだろう。
「ふん。これくらいの規模の建物にそう兵も要らぬわ。俺達だけで十分攻略出来る」
しかも、この一団の指揮を取る呂布の方がもっと野蛮であった。呂玲輝も父親の言うことは尤もだと言うようにウンウン頷いており、陳宮の懸念がますます加速していくばかりである。
ーーー類は友を呼ぶとは言いますが、何故、何故、呂布殿のような武人ばかりが集まっているのでしょうか。
陳宮は文明人であるからして、本当ならばあと一人か二人かこの場には文明人が居ても良いはずなのである。それなのに、この場では見事に武人しかいない。己の武を如何に多く振るえるかと考えてばかりの野蛮人しか存在していないのである。
ーーーこれは元の世界に戻ったとしても先が思いやられますな。この世界にいる間に、呂布殿が智謀を繰ることの大切さを知っていただければ良いのですが。
呂布軍に入ってから、もうかれこれ長い年月が経つが陳宮の策が初っ端から受け入れられることは先ず無かった。戦前の最終確認の際になんとか押し通すか、劣勢に立たされてから急いで策を実行するかの二択で忙しないことこの上ない。それもこれも己の武しか信用しない呂布のせいであるのだが、なまじその武のゴリ押しが罷り通ってしまうから嫌になる。
陳宮の策略と呂布の武が合わせれば向かうところ敵無しになる予定であったのだが。一体、何処でどうこの隙のない計画は狂わされてしまったのか。分かっていてもつい知らぬふりをしたくなる陳宮の複雑な策士心を知らず、呂布と張遼はズカズカとマイエラ修道院へと入っていく。玄関口にいた修道士の説法も無視して、マイエラ修道院の中へとマイペースに入っていく二人の背につい陳宮は嘆息を吐いてしまうのであった。
「陳宮、行かないのか?」
自分を慮って残ってくれた呂玲綺の優しさが身にしみるようであった。あの呂布と血の繋がった娘であることが未だに不思議なほどにこの娘は優しい。
「大丈夫ですぞ、呂玲綺殿。さ、私達も参りましょう」
陳宮は大仰に両手を振り上げると、己を鼓舞するようにそう言ってマイエラ修道院へと踏み込んだ。呂玲綺はいきなり元気になった陳宮の様子に不思議そうであったが、この人は元々掴み所の無い人であったと思い直し陳宮の後を呂玲綺も追う。
「ようこそ。マイエラ修道院へ。此処は三大巡礼地の一つでもあるマイエラ修道院です。何卒、静粛に女神様に祈りを捧げてくださりますようお願い申し上げます」
玄関口にいた頭部の周辺だけ髪を残し、頭頂部は綺麗に剃っているという奇抜な髪型の修道士はマイエラ修道院の中へと入ろうとする陳宮と呂玲綺にそんな不穏な言葉を放った。
陳宮の回転の早い頭がフル稼働で回り、一秒とかからずに結論を出した。
不味い、こんな場所で呂布と張遼を放っておいたらトラブルメーカーなあの二人のことだ。即座に厄介事を拵えてくるに違いない。しかも、非は必ず彼等にあるのだ。
陳宮はマイエラ修道院の扉を無駄の無い動きで開け切ると、トラブルメーカー達を回収すべく、いつもは悠然と動くのに今この時ばかりは働き蟻も吃驚な機敏さで動くのであった。
***
幸いにも、呂布と張遼は『土足で祭壇に踏み込んだ』という厄介事だけしか引き起こさなかった。マイエラ修道院は入ってすぐに礼拝堂になっているらしく、赤いカーペットが敷かれた祭壇の上に信仰対象である女神様の像が据え置かれていた。その横では、玄関口にいた修道士よりも偉そうな法衣に身を包んだ修道士が聖書を片手に立っており、いつもならばその聖書を開いて滔々と信者達に説法を説いている所であるのだが、今日ばかりは不埒な侵入者相手に声を荒げていた。
流石に此処で呂布がブチ切れて暴れ回るのは良くないと張遼も理解しているようで、今にも方天戟片手に振り回しそうな呂布を体を張って押さえ込んでいた。陳宮はすぐ様呂布を宥め、張遼と呂玲綺の二人がかりで外へと激高する呂布を連れだしてもらった。
信者達が武人達の騒動に巻き込まれないよう壁際で避難する中、陳宮は曹操の下で学んだ処世術を今この時に発揮すべしと、祭壇にいた修道士に和睦を持ちかけた。
呂布軍の財政管理は陳宮に全て一任されている。もし、あの武人達に財布の紐を握らせているとあっという間もなく、素寒貧にされてしまうからだ。これだけは譲れないと呂布からその財政管理職を剥ぎ取り、陳宮は今日まで守銭奴よろしく財布の紐を固く結んできたのだが、必要なときはその紐も緩めなければならない。
修道士を信者の目が届かない別部屋に続く一角へと連れ込み、陳宮は自分の豊富な語彙を使ってマイエラ修道院を賛辞し、これは少ないが寄付金だと修道士の手に金を握らせる。勿論、修道士の有り難い説法にも胸打たれたと彼個人にも寄付をする。
修道士は本当に雀の涙程しかない金を陳宮から贈られた訳だが、陳宮の口車に見事に乗せられて鼻を高くしていた。そうだろうそうだろうとふんぞり返る修道士を十分ほどヨイショして陳宮はマイエラ修道院を出る。勿論、呂布がしでかした失態は双方の間で闇へと葬ることが決まった。
陳宮がマイエラ修道院の外に出ると、この地方で出る鈴の魔物リンリンやドラゴンの魔物であるデンデン竜を八つ当たりするように屠している呂布がすぐに目についた。一薙でリンリンの群れを打倒したり、デンデン竜を一発で仕留める呂布に張遼が拍手喝采している。
ーーー誰か、誰か呂布殿を打ち負かせるものは居ないのでしょうか。
元の世界でも呂布と一対一で勝てた強者は居らず、この妙ちきりんな世界の魑魅魍魎も呂布を相手にすると塵のように薙ぎ払われていく。呂布を最強の鬼神と見込んだ己の人を見る目を賞賛したいが、今はどうもそんな気分になれない。
「陳宮、大丈夫か?」
げっそりと両肩を落として黄昏れる陳宮を見つけた呂玲綺が心配そうな声を掛けてくる。陳宮は呂玲綺に片手を上げて見せ、不気味な笑顔を浮かべて大丈夫だと言うように頷いてみせた。
「勿論ですぞ。この陳広台、あの様な愚鈍者を扱うことなど慣れていますぞ。少しばかり懐が寒くなりましたが、まぁこれくらい呂布殿が魔物を狩れば直ぐに補填できますな」
「そうか。そなたにはいつも苦労ばかり掛けるな」
「いえ。これが私の役目ゆえ、お気になさることなどありませんぞ」
「そうだ、玲綺。陳宮がこの手のことで下手を打つことはない」
陳宮と呂玲綺が和やかに話していると、呂玲綺の背後にはいつの間にやら一暴れし終わった呂布が突っ立っていた。眉間の間に刻まれた深い皺はもう、生涯取れることはないのだろう。その荒い気性が天変地異でも起こって反転しない限りは。
「此処は虫唾が走る。あの糞坊主、俺を下賎者と言いやがって。俺よりも弱いくせに威張りくさってるのが許せん」
「それは私も少し引っかかりましたな。女神と人に上下の差があるのは分かるが、何故同じ人である修道士と我らの間にも差があるのでしょうか。生まれや育ちとはまた別の理があの方々にはあるように見えますな」
ただでさえ強面なのに、怒りで顔を顰める呂布の形相が悪鬼のようになっている。しかし、呂布軍の誰もがそんな呂布に触れるような命知らずなことはせず、修道士のあの態度の訳を各々で考え始めた。
「恐らくは、あの忌々しい黄巾党の連中と同じなのでしょうぞ。選ばれた人間であるという根拠のない理屈が彼等の根底にあり、それを信者達も受け入れているのでしょうな」
「俺にそれを奴等は押し付けたわけか」
超実力主義の呂布軍にとってその理は決して相容れるものではない。人の上に立ちたければ、誰よりも強いことを示せ。誰よりも優秀であることを示さなければ、絶対に人よりも上には立てない。
「さて、ここで少しこれからの方針について私から提案が、提案が御座いますぞ」
不毛なことばかりを考えていても仕方ないと陳宮が戯けた仕草で両手を振り仰いだ。いつもの陳宮の道化た行動を見慣れている他三人は陳宮の次の発言を待つべく口を閉ざしている。
「確か、船着場ではマイエラ修道院の橋を超えた先にドニの町という宿場町があるとか。そこで、私以外の三人方にはドニの町でドルマゲスの行方を追って欲しいのです。私はこのマイエラ修道院で情報を集めますぞ」
「陳宮、私も此処で情報を集めるのを手伝う」
「呂玲綺殿・・・? しかし、此処はーーー」
「私は別に大丈夫だ。私より弱い奴等の声など聞こえもしないからな」
流石、鬼神の娘。呂布よりも痛烈な発言につい陳宮も口元が弧を描いてしまった。ドニの町に興味がいっているらしい呂布と張遼はその町で自分達が情報を集めることには意義がないらしい。
但し、自分から離れる娘が気になってしょうがない呂布が鬱陶しい程に気忙しいくらいだ。
「玲綺、こんな所は陳宮に任せておけば良い」
「いえ、父上。私も少し此処には気になることがありますので」
悲しいかな、親御心は一方通行であることが世の常であり、それは例え天下無双と名高い鬼神呂布にも適応されてしまうのだ。娘にそうまで言われてしまえば、それ以上言葉を続けられず呂布は張遼を引き連れて陳宮と呂玲綺に背を見せる。
「行くぞ、張遼」
「はい、呂布殿。陳宮殿と呂玲綺殿、ご武運を!」
そして、遠くに見える魔物目指して二人は疾風の如く駆けていく。鬼神呂布、泣く子も黙る張文遠と言われるその二人に狙われた魔物にとって今日は厄日であるのだろう。陳宮と呂玲綺はずっと二人を見送っていても仕方がないと取り敢えずマイエラ修道院の橋まで歩いて戻ってきた。
「呂玲綺殿。気になることとは一体何でしょうか?」
「大したことじゃない。だから、そう気にするな」
何処かそわそわと落ち着かない様子の呂玲綺の視線は頻りにマイエラ修道院へと向かっている。陳宮ははて?と首を傾げたが、呂玲綺の気を引くようなものが修道院の中にあったかは全く思い出せなかった。
また舞い戻ってきた陳宮と呂玲綺に玄関口にいる修道士は不審げな視線を送ってくるが、陳宮はその視線に答えて微笑むことでスルーする。マイエラ修道院の玄関を今度はゆっくりと押し開いて、扉のその先に見える光景に変わりないことに陳宮は感慨も抱かず、ようやっと穏やかな心持ちでマイエラ修道院の中へと踏み込むことができたのである。
「呂玲綺殿、私は少し辺りを散策してきますので、貴女もーーーん?」
マイエラ修道院での行動方針はしっかり取り決めるのではなく、各々の判断に任せて動くものにしようと思っていた陳宮はそれを告げるために隣りにいた呂玲綺に話しかけた。しかし、そこでまたもや陳宮の想定外が起こる。
呂玲綺は修道院の壁に嵌められているステンドグラスの側に立って、放心したように身動ぎしないのだ。不審に思った陳宮が呂玲綺の隣まで近寄ってみてみると、なるほど呂玲綺が言っていた気になることというのはこのステンドグラスのことであったらしい。
壁には四枚のステンドグラスが嵌めこまれているのだが、呂玲綺が特に熱心に見詰めているステンドグラスには大きな羽を広げた鳥が描かれていた。紫色の羽毛を持つその鳳は、太陽の直ぐ下で羽を羽ばたかせて自分が空の支配者だと言いたげだ。
武一辺倒の呂玲綺だが、だからといっても女の子であることには間違いない。普段は父親と肩を並べるべく修練に打ち込んでいる彼女だが、それでもまだまだ世界の広さを知らない女の子で、心が揺れ動くような美しい物に目が取られてしまうこともある。
うっとりとした眼差しでステンドグラスを眺めている呂玲綺を陳宮はそっとしておくことにし、ドルマゲスの情報を探るべく修道院の全体を軽く巡ってみることにした。
修道院は箱型の造りをしているようで、真ん中は四角く切り取られていた。その切り取られた部分は中庭となっているらしく、渡り廊下が四方に走っている。壁の至るところに魔除けの印である三つ又のロザリオが掲げられ、女神像も数多く設置されている。
側で川が流れていることもあって、外に出れば川のせせらぎが聞こえ、修道院は清浄な空気に包まれていた。
しかし、だからといって修道院の中身も清浄だとは限らない。至るところで交わされる密約のような寄付の取引、まだ見習いであると思われる子供修道士の悲痛な声、信者が入らないような修道院の奥まで行けば修道院の護り手だと言う聖堂騎士団の下世話な発言まで聞こえてきた。
ーーー思い出しますな。この奥深くから臭う腐臭は、董卓様が洛陽に居られた時に嗅ぎ慣れたもの。やはり、同じ人に傅かれるようになると人は勝手に腐ってしまうのでしょうな。
才あるものであれば、たとえ同じ人に傅かれても腐りはしないのだが実のないものが傅かれるとこの様に勝手に腐っていく。人間、相応の身分というものが産まれた頃より決まっており、それに抗うとこういうことになる。
ーーー多くの人に開かれた場所であるが、此処は思ったよりも閉鎖的な場所ですな。ドルマゲスはおろか、他の情報も全く得られない。船着場と同等のものしか得られませんぞ。
陳宮は柱に背中を預けて、今日得た情報を指折り数えた。何度思い返しても真新しい情報は出てこない。詰まるところ、修道士や信者、それから聖堂騎士団から聞けた話はどれも価値のないものばかりであった。
ーーーその代わりにマイエラ修道院の実情は把握出来ましたが。いやはや、頂点は清貧を重んじる人物であるのに、何故その下の根がこうも腐りきってしまったのか。
マイエラ修道院の院長であるオディロは僧侶や聖堂騎士団のみならず、信者にも評判が高い人徳者であった。孤児を積極的に修道院で拾い上げる温和なーーーーそれこそ神の御使いのような人物。普通、頂点が腐りきってその腐臭が下へと伝播していくものだが、マイエラ修道院では中途半端な輩が根を腐らせている模様。ある意味興味深いケースとも言えよう。
腕を組んで、マイエラ修道院について黙考している陳宮の耳朶を何人かの騒ぐ声が打った。何か騒動が起こっているらしい。それも剣呑な騒ぎだ。陳宮は少し野次馬心を出して、自分が凭れ掛かっていた柱から少しばかり顔を出した。
中庭の更に奥、戸をぴっちりと閉めてその戸の脇を聖堂騎士団が固めている警備の厚い箇所であったそこで、どうやら見張り役の聖堂騎士団と旅人が揉め事を引き起こしているらしい。
「だから! ここには迷い込んだのよ!! 何も疚しい気持ちを持ってこんな所に来たわけじゃないわ!!」
芯の通ったまだ成熟しきってない少女の声に大人気なく聖堂騎士団は言い返す。
「そんな世迷い事が通じると思ってるのか。こんな所にまで来ておいて怪しい奴らめ」
「名を名乗らぬか! もし、最悪の場合はこの剣の鉄さびとしてやろう。此処を何処と知って来たのだろうからな!」
腰に差している剣の柄に手を伸ばしながら、旅人達に詰め寄る聖堂騎士団の顔には勝利を察してか余裕ぶった笑みが浮かんでいる。陳宮は呂布が問題を起こしたのが聖堂騎士団ではなく、修道士であったことに初めて安堵した。もしこのように血気盛んな聖堂騎士団が相手だったら、下手をすると張遼も乱闘に加わっていた恐れがある。彼は武器を持たない非力者には限りなく優しいが、同じ武の頂きを目指す武者には一欠片も容赦しない。もしかしたらマイエラ修道院を血の海で沈めていたかもしれないと一人陳宮は想像して立つ鳥肌を鎮めるので忙しくなった。
聖堂騎士団と問題を起こしている旅人達は三人連れであった。先ず、真っ先に聖堂騎士団に噛み付いた少女は胸元が大きく開いた扇情的なドレスを身に纏っていた。赤茶色の髪を高い位置で二つに結って、気の強そうな大きな瞳を真っ直ぐに聖堂騎士団に向けている。
そして、その少女と聖堂騎士団に挟まれて困ったように微笑んでいるのはオレンジ色のバンダナが目を引く青年であった。黄色の派手なコートを青いシャツの上から羽織って、旅慣れた雰囲気を醸し出しているが少女の手綱は握れなかったらしい。
最後の三人目は背の低い男であった。しかし、横幅は十分にあり頬の十字傷が彼を只者ではないように見えさす。仲間だろうと思われる少女と青年とは歳が一回り程掛け離れているように見え、身なりも二人と違って簡素な物を着込んでいた。あともう少しみすぼらしい格好をしていれば、乞食かと思いそうだとは陳宮の心情である。
三人目の男は少女と聖堂騎士団のやり取りを面倒臭そうに眺めていたが、キリがないと分かれば口を挟んだ。
しかし、そこからまた聖堂騎士団が白熱し、とうとう揉め事は二対二の有り様となる。どうにか和解の道を探ろうとする青年の言を聞きゃしない彼等に陳宮はつい己と青年を重ねあわせてしまった。
ーーーお互い、頭が筋肉で出来ている仲間を持つと苦労をしますな。
ついこれまでの数々の苦労を思い出して眦を熱くしている覗き見中の陳宮をいざ知らず、彼等の揉め事に終止符を打つ事柄が頭上で起こった。
聖堂騎士団の宿舎でもあるらしいその建物の二階の窓が音を立てて開き、一人の男がそこから姿を表す。窓はその男が開いた訳でなく、お付きらしい者達が窓を開いた姿勢のまま突っ立っていた。
聖堂騎士団のサーコートを着用しているが男は明らかにこの場にいるどの聖堂騎士団員よりも立場が上であろう威厳が滲み出ていた。ぴっちりと後ろに撫で付けた前髪と鋭い目つきが自然と目につく男はじろりと目下にいる旅人達と聖堂騎士団を見下ろす。
「入れるなとは命じたが、手荒な真似をしろとは言っていない。我が聖堂騎士団の評判を落とすな」
「こ、これはマルチェロ様!? 申し訳御座いません!!」
マルチェロと聖堂騎士団に呼ばれた男は何処で聞いていたのか事態を把握しているらしく辛辣に彼等を諌めた。これには旅人達と揉め事を起こしていた聖堂騎士団も恐縮したようで慌てて膝を折りその場に傅く。旅人達も呆気にとられたようで、呆然とした顔で様変わりした聖堂騎士団とマルチェロを見比べていた。
「私の部下が乱暴を働いたようで済まない。だが、余所者は問題を起こしがちだ。この先に用が無ければ去ることをおすすめしよう。ただでさえ、内部の問題に手を焼いていると言うのに・・・・・・。話が逸れたな。この建物は修道士の宿舎だ。やはり、君達には無用の場所だろう? さぁ、行くがいい」
マルチェロは部下に非があることを把握していた。そのため、旅人達への謝罪は流れるように行われたが、しかしこれ以上厄介事を起こしてくれるなと旅人達に釘を差すのも彼は忘れなかった。
マルチェロは言うことは言ったと踵を返そうとした時、「嗚呼、そうだ」となにか言い忘れていた口振りで動きを止め、旅人達に気障ったらしく指をパチンと弾く。思いのほか、その音は中庭内に反射し音は小さく木霊した。
「部下達は血の気が多い。次は私でも止められるか分からんからな」
最後の最後で特大の太い釘を旅人達に差し込んだマルチェロは人の悪い笑顔を義務的に貼り付けて、今度こそ踵を返し、聖堂騎士団の証である青色のサーコートを翻して窓辺から去っていく。付き人達が大きな音を立てて窓を閉め、この揉め事は一先ずお開きと相成った。
旅人達がポカンと間抜け顔を晒して、閉められた窓を凝視している中、マルチェロに血の気が多いと言われていた見張り役の聖堂騎士団はすっかり毒気が抜かれたようでその場から立ち上がるとさっさと見張り役としての仕事に舞い戻っていく。
「マルチェロ・・・」
陳宮は既に伸ばしていた首を引っ込めて、柱の裏で考える姿勢を取っていた。腕を組み、先程の光景を思い出してはフムフムと納得げな声を出す。
「なるほど。あの男が腐敗の元。何やら、別の芳しい匂いもあの男からしましたな」
陳宮はニンマリと笑ってしまう目元と口元を抑えられずに、人知れず舌舐めずりしてしまうことを止められないでいた。
あの男はなんとも策の嵌めがいがある人物であった。頭も腕もそこそこ良い具合の物を持っているのだろう。自信に裏打ちされた根拠のある傲慢さが陳宮のお眼鏡にかなったのである。
しかし、それ以上に陳宮にとってマルチェロのある部分が殊の外気に掛かった。
「隠し切れない野心をその内に抱えられておられますぞ、あの方はーーーーーそれはもう私に匹敵する野心、野心を」
マルチェロが同族であるからか、初対面にしてマルチェロの野心を嗅ぎとった陳宮は至極楽しげに彼へ捧げる策の数々を高速で練りあげる。
勿論、ドルマゲスのことも陳宮は忘れていなかったが彼にとってマルチェロとの出会いはある種衝撃的なものであったのだ。
この出会いが後々、双方ともに多大な影響を与え合うようになるのだが、当人達は勿論知らずーーーそれどころかマルチェロに至ってはこれが陳宮との出会いであったことさえ知る由もなくーーー運命の歯車は虚しく回り始めるのである。
終わり
三國無双を知らない方へ
董卓
若い頃はそこそこ辣腕を奮っていたが、皇帝を擁すると途端に駄目支配者になってしまった人。酒池肉林に溺れ、美女のハーレムを築くことに執念を燃やす。養子に呂布がおり、ってことは呂玲綺にとったら董卓は血の繋がっていない祖父ということにもなる。駄目支配者となってからは短絡的な物の考えをし、ヤバイと感じると大都市洛陽に火をつけて敵がそれに戸惑っている間に逃げたろくでなし。最終的には呂布に殺されることに。
ドラクエを知らない方へ
マルチェロ
『二階から嫌味』の二つ名を持つ聖堂騎士団の騎士団長。若い頃から成績優秀で、エリート街道を突っ走ってきた才媛。司馬一族の証である「フハハハ」笑いが様になると思われる程傲岸不遜。タカピーとも言える。実際は結構苦労人で彼が後に行うとある演説は一見の価値あり。中身は似てないけど、顔が何処かしら似ている義弟がいる。
本当は旅人三人も出す予定だったのですがそこまで行きませんでした。無念。