残念な皇帝と禁忌教典   作:東来

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皇帝と女帝

 それは、とある日の真夜中のことだった。

 

 「あぁ、眠っ……」

 

 がちゃ、と一人の男性が扉を開け、気の抜けた口調で部屋に入ってきた。

 歳の頃は十代後半、長身痩躯の若い男だ。

 茶色の髪は乱れ所々に寝癖のような毛先が重力に逆らうように跳ね、黄金色に輝く瞳は緩みきり目尻には涙が浮かんでいるため先ほどまで寝ていたのだろう。礼服を身に纏い如何にも組織の人間という格好をしているのだが、今の彼の容姿ではその威厳は全く感じない。

 

 「こんな真夜中になんだよ。俺は今日、休みのはずだろ……」

 

 青年は眠たそうな表情を隠さず、大きな欠伸をしながら執務机に座っている女性に話しかけた。

 彼女は先ほどまで見通していた資料から目を離し、彼の緩んでいる眼と自分の眼を合わして一言呟いた。

 

 「やっと来たわね、ルー」

 

 若い娘だ。歳は青年と同じ十代後半だろう。

 燃え上がる炎のような真紅の髪を、三つ編みに束ねサードテイルにしている。その相貌は非常に整っていて見目麗しいが、昏く燃えるような紫炎色の瞳は刃物のように鋭かった。しかし、彼―――――ルーと呼ばれた青年、ルートヴィヒは慣れているのか彼女に見られていても彼の眠気は未だ健在だった。

 

 「時計を見てみなさい」

 

 ルートヴィヒはイヴに言われたとおりに部屋に置かれている柱時計を見ると、ちょうど一日の終わりを示す零時を回っていた。つまり、彼の休暇は昨日。どうやらこの部屋に来ると同時に明日になるように計算されていたらしい。

 はぁ、と観念したのかため息を付き(いさぎよ)く話を聞くことにした。

 

 「……で、何の仕事だ?イヴ」

 

 「この資料を見て頂戴」

 

 赤髪の女性―――――イヴに言われる通りに彼女が先ほどまで読んでいた資料を渡されると、部屋に設置された応接用の椅子に座り真面目に目を通し始めた。

 渡された資料の内容はアルザーノ帝国内のとある村で魔獣が出現し、村を襲っているという内容だった。

 魔獣。それは霊脈の関係で異常進化を遂げた動植物のことを指し、今回の魔獣の正体はシャドウ・ウルフという狼形の魔獣。この魔獣によって村人が数人も殺されている。しかし、彼はこのような案件がここに回ってくるのはオカシイと思ったのだ。

 

 「言いたいことは分かるわ。でも、文句を言うのなら最後まで読んでからにしなさい」

 

 表情を見て察したのか、イヴは横槍を入れるような感じで彼に釘を刺した。

 言われたとおりに資料を目を通していくと、どうやら以前にこの村では討伐隊が編成され、村へと派遣されたという文章を見かけるが、その後に(つづ)られていた言葉に目を疑った。

 

 「村に向かった討伐隊からの連絡が数日前に途切れ、部隊の生死は不明。確認のために派遣された魔導師が村人から聞いた話によると、魔獣が出現するポイントを見つけ森に入ったきり戻ってきてない。さらに、そのポイント周辺を調べたが手がかりなし、と……おいおい、穏やかじゃないな、こりゃあ……」

 

 難しい表情をしながらルートヴィヒは資料を読み続け、数分後、読み終えたのか資料をイヴへと返した。

 

 「やってくれるわね?」

 

 「どうしよっかなぁ……やっぱり家に帰って寝ようかなぁ」

 

 イヴは無言では指先から火の玉を作り出し、それを陽気なルートヴィヒの顔の前まで近づけた。彼女の表情は笑っているが笑っていなかった。寧ろ、その笑顔が怖いとも思える状況だった。

 

 「冗談、冗談だからッ!その炎を消せッ!当たったらマジでシャレになんないし、下手したらここが全焼するぞッ!?」

 

 「大丈夫よ。あなただけよく燃えるように調整するつもりだから」

 

 「それだと骨すら残りませんよね?イヴさんや」

 

 「よかったじゃない。葬儀の手間が省けて」

 

 「火葬よりひでぇことしやがる」

 

 ルートヴィヒは冷や汗を流しながら言葉で抵抗を続けるが、目と鼻の先に火の玉が迫ってきて大人しく請け負うしか道がないため、渋々その仕事を引き受けることになった。しかし、彼には一つ疑問があった。

 

 「まぁ、受けるには受けるんだが……まさか俺一人で行けってことはないよな?部屋を見る限り俺とお前しかいないんだが……」

 

 彼は恐る恐るイヴに訊いた。

 

 「何言っているの?当然のことじゃない」

 

 「いやいや、オカシイだろ?もっとこう……心優しい同伴者がいてくれるとか……さ?」

 

 「私は行かないわよ。今帝都(ここ)を留守にするわけにもいかないの」

 

 「そうかぁ……そっかぁ……」

 

 チラリと目線をイヴに向けたが、どこ吹く風といった不思議な表情を浮かべるイヴ。その答えを聞いたルートヴィヒは一度、天井を見上げ悟ったような表情を浮かべると体をゆっくり回転させ扉に向かった。

 

 「じゃぁ、この話はなかったことで……ごめん、ね?」

 

 そして、扉の近くまで来ると顔の目の前で手刀を作り、舌を出しながら可愛げがあるようにイヴに謝罪をした。その時だった。青年は体が縄のようなもので縛られるような感覚があった。

 何か熱いな?と動かない上半身を確認しよう目線を下に落とした時。

 

 「ギャァアアアアア――――ッ!アチィイイイイイ――――ッ!」

 

 ルートヴィヒの体には炎でできた縄のようなもので縛られていた。そのため、彼は悲鳴を上げると同時に体のバランスを崩してしまい床に打ち付けられると、殺虫剤をかけられた虫のように部屋中をのたうち回った。

 イヴは椅子から立ち上がり、転げ回る青年を足で受け止めると、彼の体から炎の縄が解かれていく。

 

 「まったく……引き受けた初日から仕事を放棄するなんてどういうつもりなのかしら?」

 

 「お前こそフレイム・バインドなんて使いやがって……どういうつもりだよ……」

 

 体を痙攣させながら文句を言うが、うつ伏せのまま話しているため所々曇って聞こえていた。しかし、炎に焼かれていたはずの上半身は何処も燃えておらず、打ち付けたところが少し赤くなっているだけだった。

 

「何で逃げようとしたのかしら?」

 

 イヴは足に力を込め、押し込むような形で彼の背中を踏みつけた。

 

 「いやぁ……ボクちゃん一人じゃ寂しいから優しいお姉さんと一緒にお仕事がしたいなぁって……痛い痛い食い込んでる食い込んでる」

 

 ただ陽気に、ふざけている口調はただ彼の体にダメージを負わせるだけのものであった。

 彼は息を吐き一呼吸置くと、もう一度話し始めた。

 

 「ただ単純にオカシイと思っただけだ。討伐隊が向かって全員行方不明って……あまりにも奇妙すぎる。なんたって相手はシャドウ・ウルフ。仮に喰われたとしても血を舐めるほど証拠隠滅に長けた知能なんてない。どう考えてもシャドウ・ウルフだけじゃない何かの要因がそこにはあったはずだ。そんな得体のしれない何かがいるとこに一人で行けと?誰だって辞退したくなるわ」

 

 「そうね。でも、これは命令よ。引き受けた仕事を成し遂げなさい」

 

 彼の言い分に納得しているが、イヴは引いてはくれるほど甘くはなかった。

 

 「だ、だったら、お前以外の奴らなら……」

 

 「人手不足でほとんど全員が任務に駆り出されていることはあなたもよく知っているはずよ。私まで動いたら帝都にもしもの襲撃にあったときに対処ができないから、こうしてあなたに頼んでいるの。今から彼らを呼び戻そうにもそんな時間はないわ」

 

 打つ手無し。そう彼が思った時。

 

 「イヴ?入るよ~」

 

 柔らかな女性の声が聞こえると部屋の扉がゆっくりと開けられ一人の女性が入ってきたのだ。しかし、今の状況を見られるのは非常に不味かった。

 床に這いつくばるように倒れる青年とそれを踏みつける赤毛の女性。彼らはその人物と目線が合い数秒の沈黙が続いた後、誰しも誤解しそうな光景にその人物は少し考え――――――

 

 「どうぞごゆっくり~……」

 

 落ち着いてゆっくりと扉を閉じようとした。

 

 「待てッ!誤解だ、セラッ!お前が考えている様なやましいことは―――――あふんっ!」

 

 彼は彼女―――――セラを引き留めようと言葉を投げかけた時、イヴに脇腹を蹴られ部屋の隅に追いやられた。

 呻きもがき苦しむ彼を他所に、イヴは扉の後ろに隠れているセラを部屋に招き入れた。

 

 「予定より早い帰りね」

 

 「意外と早く終わっちゃった。はい、報告書」

 

 腕に抱えていた報告書にイヴに渡すと、部屋の隅で死にかけのゴキブリのような動作を繰り返すルートヴィヒの傍に駆け寄った。

 ふわりと揺れる穢れなき新雪のように白い髪と、雪に溶け込むような白い肌、奥ゆかしく清楚な彼女の表情は夢のように美しい。頬や腕など、その艶かしい身体には奇妙な赤い紋様が複雑に描かれている。服装も奇妙でどこかの民族衣装を着ているが、それが彼女の綺麗な姿をより引き出していた。

 

 「ルー君。大丈夫?」

 

 「これが大丈夫に見えるなら、一度、医者に診てもらったほうがいいぞ……ひっひっふー、ひっひっふー」

 

 彼は痛む脇腹を抑えながら起き上り、壁にもたれ掛るように座り呼吸を整えていた。

 

 「ねぇ、イヴ。どうしてこうなっちゃったの?」

 

 セラは先ほどの二人の立ち位置がいまいち把握できずどんな反応をしたら正解なのか分からなかった。

 

 「……ルーが一人で仕事をやりたくないって駄々を捏ねたのよ」

 

 イヴは嘆息を付きながら足元に落ちていた資料をセラに渡した。

 セラは渡された書かれている文章を目で追うように読んでいった。

 

 「この仕事―――――私が付いてっちゃダメかな?」

 

 資料と睨めっこしながらセラは呟いた。その言葉を聞いたルートヴィヒは一瞬だけ目を輝かさせる子供のような表情を浮かべたが、その後すぐに表情を戻した。

 

 「いやいやいや、仕事が終わってまた仕事って大丈夫なのか?」

 

 「でも、ルー君は一人じゃ嫌なんでしょ?」

 

 セラに指摘され、彼は申し訳なさそうに頭を掻くしかなかった。

 

 「決まりだね」

 

 セラは資料を読み終わるとイヴに返すと同時に『私も行く』ということを伝えた。

 少しイヴの表情が曇り数分ほど話し合うと納得はしていないが、セラの同伴を許可したようだった。

 

 「今回だけ、セラの同伴を許すわ。でも、次は無いわよ?煮るなり焼くなりしてでもあなたを一人で行かせるから」

 

 「大天使セラ様っ!ありがとうございますっ!」

 

 ルートヴィヒはセラに向けて拝むような姿勢を取り喜びを現した。拝まれているセラは気が気でないのか少し照れている様な表情だった。その光景を見ているイヴは一度、咳払いをして彼らの注意を引かせた。

 

 「村までの移動手段として裏手に馬車を用意してあるから今朝には村に到着するはずよ。もちろん御者は雇ってないわ」

 

 「じゃぁ、誰が村まで誰が……って、やっぱり俺だよなぁ……わかってたわこんちくしょう」

 

 二人の視線を見て、どうやら自分が運転すると理解したようだった。

 元々一人で行くはずだったため、御者がいないという時点で自分自身が運転するということが分かっていた。徒歩で向かうよりは遙かにマシなため従うしかない。

 面倒がるルートヴィヒを他所にイヴは真面目な表情をして目の前の二人をその鋭い眼で見ていた。

 

 「帝国宮廷魔導師団特務分室所属、執行官ナンバー3《女帝》、セラ=シルヴァース」

 

 「は~い」

 

 イヴに呼ばれ、セラは柔らかな口調で返事をした。

 

 「帝国宮廷魔導師団特務分室所属、執行官ナンバー4《皇帝》、ルートヴィヒ=オルデン」

 

 「はいはい」

 

 同じくルートヴィヒも間の抜けた口調で返事をした。

 

 「良い知らせを期待しているわ」

 

 イヴのその言葉がきっかけとなり二人は執務室を後にして、村へと向かうのだった。

 




時系列は天使の塵事件が発生する二年ほど前の話になります。

不定期更新なので次回も気長にお待ちください。

お気に入り、感想などお待ちしております。



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