「ヒッキー?」   作:キューブケーキ

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三人は友達らしい

 昼休み、廊下の窓際。

 陽射しがほんのり暖かくて、床に差し込む光が二人のスカートの影を長く伸ばしていた。

 

「やっはろー」

 

 由比ヶ浜先輩が、ムーミンの様にふわりと笑って手を振る。

 わたしも軽く手を振り返して、自然と歩み寄る。

 

「こんにちは、先輩。今日は一人ですか?」

「うん、ゆきのん帰っちゃったし、ヒッキーもなんか職員室行ってて」

 

「偶然ですね。わたしも、ちょうど暇してたとこです」

 

 お互い、まるで約束でもしてたみたいなタイミングだった。

 でも、それ以上のことは言わない。そこに探りも探偵もいない。

 

 周囲の空気が、少し張り詰めた気がした。

 窓際の空間だけ、音がひとつ少なくなる。

 

 ──でも、それはわたしたちのせいじゃない。

 きっと、周りが勝手に修羅場だとか緊張してるだけ。

 だって、わたしたちは今、普通に話してるだけなんだから。

 

「最近、ヒッキーとよく一緒にいるんだね」

「結衣先輩こそ。友情、でしたよね?」

「うん、友情。だから、わたし、あれ好きなんだよ。一緒にいると楽しいってやつ」

「わたしもです」

 

 わたしたちは、互いの言葉に笑った。敵意も、張り合いも、ない。

 むしろ、ちょっと安心したような顔を、お互いに浮かべてたかもしれない。

 

「……ヒッキー、変わってないよね」

「ええ。変わらないままでいてくれる人って、貴重ですし」

「でもちょっとだけ、変わったのかも。ちゃんと、わたしのこと見てくれるようになったから」

「先輩はそう言えるから、いいなぁ」

 

 由比ヶ浜先輩は照れたように笑って、わたしはそれを見ながら、「うん」と小さく頷いた。

 ──わたしたちは、同じ人を知っていて。

 でも、それを争う気持ちは、不思議となかった。

 だって、比企谷先輩はどちらかを選ばないし、

 わたしたちも、選ばせようなんて思ってない。

 今、隣にいるというだけで、十分だった。

 

「じゃ、またね。今度さ、三人で何か食べに行こうよ」

「いいですね。友情トリオで」

「うん、そうそう、友情!」

 

 手を振って、別々の教室へ戻る。

 周囲が緊張を解けずにいる中、わたしたちだけが、ほんのりと温かかった。

 

 

 わたしは左手でヒッキーの指を握っていた。

 右手では、いろはちゃんが同じように、ヒッキーと手を繋いでいた。

 三人で手を繋ぐなんて、ちょっと変だけど、なんだかすごく自然だった。

 

「こういうのって……小学生みたいだよね」

 

 思わず笑ってそう言ったら、いろはちゃんもくすっと笑って、「まあ、たまには子どもに戻るのもアリかと」なんて軽い調子で返してきた。

 

 ヒッキーは何も言わなかったけど、ふと視線を落としたら、ほんの少しだけ指先に力がこもってた。

 わたしも、それにちょっとだけ答えるように、指を絡めた。

 もりの遊園地は、平日で人も少なくて、どこかゆったりしてた。

 観覧車やメリーゴーラウンドがゆっくりと動いてて、空の色も優しくて。

 ヒッキーみたいな人が一番似合わなそうな場所に、三人で来てるのが、ちょっとおかしくて。

 

「ヒッキー、あれ乗ろっ!」

 

 わたしが指差したのは、カラフルなゴーカート。

 いろはちゃんがすかさず「運転は先輩で、助手席はじゃんけんですね」と提案してきて、ヒッキーが「勝手に決めるな」とか言いながらも、しっかり並んでた。

 ジェットコースターも、空飛ぶブランコも、並んで、騒いで、笑って。

 ふと、三人で撮ったプリクラを見返したとき、気づいた。

 ヒッキー、ちゃんと笑ってる。

 あんなの、なかなか見られないのに。

 わたしは、ずっとこういうの、したかったんだと思う。

 恋とか、片思いとか、そういうのじゃなくて、ただ、一緒に笑える関係が、ほしかった。

 いろはちゃんも、たぶん似たような気持ちなんじゃないかな。

 だから、争わない。奪い合わない。比べない。

 だって、今日は三人で幸せになる日だから。

 帰り道、観覧車の向こうに夕陽が沈んでいくのを見ながら、わたしは思った。

 ──ずっとこのまま、なんて、言わない。

 でも、もうちょっとだけ。

 このまま笑ってたい。

 指と指が繋がってる間だけは、大丈夫な気がするから。

 観覧車のゴンドラは、ゆっくりと空へ昇っていった。

 三人並んで座るには少し狭くて、わたしといろはちゃんはヒッキーを挟むかたちになった。

 座ったとき、自然と手が触れてた。

 でも、さっきまで手を繋いでたから、気にしないふりをした。

 いろはちゃんも、同じだった。

 たぶん、お互い、自然にしてるつもりだった。

 なのに。

 観覧車が頂上に近づく頃、ふと沈黙が落ちた。

 誰も何も言わなくなって、聞こえるのは、ゆるやかな軋みと遠くの風の音。

 そのとき、不意に自分の指が、少しだけ震えているのに気づいた。

 ただの手汗だよね。

 今日一日、いっぱい動いたし、笑ったし。

 それだけ、のはずなのに――

 観覧車の中の空気が、甘く感じた。

 おかしいな。わたしたち、友達なんだよね?

 結婚式の帰りとかじゃないし、誰かを告白で待ってるわけでもない。

 ただの遊園地の、ただの観覧車で、

 三人で一緒に乗ってるだけ、なのに。

 ──なんでだろう。

 わたし、今すごく、勘違いしそうになってる。

 ヒッキーの横顔が、いつもよりちょっとだけ柔らかくて。

 いろはちゃんが、何も言わずに外を見ていて。

 そのあいだに挟まれてるわたしの心が、じわって熱くなった。

 これって、何?

 何かを期待してるわけじゃない。

 でも、もし今、誰かが名前を呼んだら――

 その声の向きに、わたしは反応してしまいそうで、怖かった。

 

「……景色、きれいだね」

 

 自分で口を開いた声が、少しだけかすれていた。

 でもヒッキーが「……ああ」と短く返してくれて、いろはちゃんも「ですね」と微笑んでくれたから、

 それで、全部許された気がした。

 勘違いじゃないって、わかってる。

 だけど、少しくらい夢を見たって、いいよね?

 観覧車は静かに、また下へと降りていく。

 この揺れる時間が終わるまで、あと少しだけ。

 

 

 

 三浦優美子は、べつに疑っていたわけじゃなかった。

 でも──なんか、気になったのだ。

 結衣は昔から社交的だけど、積極的じゃない。

 誰とでも笑顔で話せるけど、自分から深く踏み込んでいくタイプじゃない。

 無理に輪を広げるような子でもないし、なんなら、周りに合わせすぎて損する子だ。

 だから、気づいてしまった。

 比企谷八幡に対してだけは、距離がちょっと、おかしいってことに。

 腕を組む。

 トッポを口移しで分ける。ハグもする。指も絡める。

 ──なのに、本人はぜんぶ「友達」って言い切る。

 それって、なんなの?

 その友情って、そんなに“甘くて密着してるもの”なの?

 ……正直、わからなかった。だから、知りたくなった。

 昼休みの購買前。

 結衣がいないタイミングを見計らって、彼がひとりで並んでるのを見つけた。

 髪は相変わらず寝ぐせみたいで、目つきは悪くて、姿勢も悪い。

 でも、それをダサいとは思わなかった。むしろ、そういう余白のある人なのかもしれないと思った。

 だから、声をかけた。

 

「ねえ、ヒキオ」

 

 名前じゃない呼び方に、彼はわかりやすくしかめ面をした。

 

「……なんだよ、三浦」

「ちょっと、あんたのこと知りたいだけ。別に深い意味はないし」

「お前が深い意味はないって言うと、逆に怖いな」

「怖がるほどのこと、しないわよ」

 

 軽く笑いながらそう言った自分に、少しだけ驚いた。

 わたし、比企谷八幡とこんなふうに話せるんだ、って。

 

「結衣とさ、仲いいよね。友達、なんだっけ?」

「……そうだな」

 

「そのそうだなって、はっきりしない言い方。結衣も似たようなこと言うんだけどさ」

 

 わたしは、彼の目をまっすぐ見た。

 たぶん、彼も気づいたと思う。こっちは茶化しに来たんじゃないってことに。

 

「なんであんたにだけ、あんな顔するの?」

「さあな。……でも、そういうのって、お前が口に出すもんじゃねえだろ」

「……なるほど」

 

 その返事に、納得はできなかったけど、否定もできなかった。

 でも少なくとも――比企谷八幡という人間は、逃げていないんだと思った。

 わたしは買ったジュースを片手に持ちながら、肩をすくめて一言だけ言った。

 

「ふーん。まあ、結衣が選んだなら、それなりに見てあげるわ」

「監査役が増えるのかよ……」

「違うし。ただの親友として、ってやつよ」

 

 そう言って、背を向けた。

 なんとなく、気持ちは少しだけ軽くなっていた。

 ──結衣が大事にしてる関係なら、わたしも、ちゃんと目を向けておきたい。

 

 

 

 なんで、三浦先輩がいるんですか。

 思わず、口に出そうになった言葉。

 でも、声にはならなかった。わたしはただ、目の前の三人を見ていた。

 比企谷先輩の左手には、由比ヶ浜先輩の手が絡まっている。

 それは、いつものことだった。驚くほどじゃない。

 だけど、今日に限って、その由比ヶ浜先輩の左手が、さらに三浦優美子先輩に握られていた。

 三人、列になって繋がってる。まるで、友情のリレーみたいに。

 

「結衣がね、こういうの“友情”って言うの。だから、わたしも一緒」

 そう言って笑う三浦先輩の顔は、べつに意地悪そうじゃなかった。

 むしろ、すごく自然で、すごく綺麗で、すごく……親友っぽかった。

 わたしは一歩だけ遅れて、その光景を見ていた。

 ああ、なるほど。

 これは、そういうことなんだなって。

 結衣先輩が比企谷先輩と手を繋ぐのも、三浦先輩がその結衣先輩と繋がるのも、全部友情の延長線上で許されてる。

 それを、ちゃんと口に出して伝えてるのが、結衣先輩らしいなって思った。

 ──友情だからって、言われたら、否定できない。

 わたしも、そう言ってきた。

 そうやって、この関係を守ってきた。

 だから、それを他の誰かがやっていても、認めない理由はない。

 でも、ほんの少しだけ胸がざわついたのは、なんでだろう。

 きっと、わたしがあの輪の中にいないからだ。

 今日は、結衣先輩が真ん中で、わたしは外だった。

 たまたま、それだけの話。だけど、それでも。

 

「……わたしも、入っていいですか?」

 

 声が小さくなったのは、自分でもわかってた。

 三人の視線が、こちらに向いた。

 比企谷先輩は相変わらずよくわからない表情で、結衣先輩はわたしの手をとるみたいにそっと優しく笑って、三浦先輩はちょっと意外そうな顔のあとやっぱり微笑んだ。

 

「もちろん。いろはも、結衣のともだちでしょ?」

 

 それがどういう意味かなんて、深く考えなくてもわかった。

 ──これは、友情の輪。

 誰も排除しない、でも誰も特別にならない。そんな優しさの連なり。

 手を伸ばせば繋がれる。

 だから、わたしはその輪にそっと加わった。

 この温度がずっと続くかはわからない。

 でも今だけはこれでいい。

 

 

 

 

 四人でファミレスに来るなんて、ほんと、何年ぶりだろう。

 しかもこの組み合わせ。わたし、比企谷、結衣、それにいろはす。

 席は当然のように決まっていた。

 比企谷の左に結衣、右にいろはす。そして、わたしはその真正面。

 ──まあ、別にいいけどね。どうせ私は“親友”枠だから。

 でも、問題はそこじゃなかった。

 テーブルの下。

 見えちゃうんだよね。比企谷の脚に、結衣の足が絡んでるの。

 しかも、それを見たら、今度はいろはすの足もそっと寄っていくのが見えた。

 ……なにこれ、漫才? それとも恋愛ゲームの隠しルート?

「友達同士のおふざけ」として、成立してるのはわかる。

 あの三人なら、たぶん本気じゃない。距離の詰め方が甘いだけで、誰も踏み越える気はない。

 でもね、見せつけられる側の気持ちは考えなさいって、思うんだけどな。

 

「ねえ、優美子」

 

 名前を呼ばれて、顔を上げる。

 気づけば、結衣がわたしのほうに身を寄せていた。

 その視線の柔らかさが、わたしの口をつぐませる。

 

「三浦先輩、聴いてますか?」

 

 今度は、いろはすが笑いながら、同じように覗き込んでくる。

 そして、気づけば二人とも――わたしの膝に、手を置いていた。

 別に、それだけのこと。

 軽く触れただけ。ほんの数秒。

 でも、それだけで、変に意識してしまった。

 なにこれ。なんでわたし、こんなに気恥ずかしいの?

 結衣といろはすは、あどけない笑顔でわたしを見つめている。

「友情ですよー」「いつものじゃないですかー」って、声に出さなくても伝わってくる。

 それに、わたしはちゃんと答えなきゃいけないんだろう。

 親友として。

 年上として。

 ちょっとだけ、強がってる自分として。

 

「……ったく。やめなさいよ、まじで」

 

 わざと呆れた顔で、手をそっと払いのける。

 だけど、たぶん顔は赤くなってた。

 だって、こんな甘い空気――

 他人事みたいな顔してるくせに、どこか居心地がよくて、ずるいと思った。

 触れられた膝がじんわりと熱を持っていた。

 結衣の手といろはの手。

 それぞれわたしの右膝と左膝に、そっと置かれただけ。

 力なんて入ってない。

 撫でられたわけでも握られたわけでもない。

 ただそっと置かれただけ。

 なのに、その感触がすごく気持ちよかった。

 びっくりした。だっていやらしさなんてまったくないのに、それでもからだの芯がほんのり温まる感じがしてちょっとだけ力が抜けた。

 これってなんなの?

 わたし、なにか変な意味で捉えちゃってるのかな?

 でも顔を上げると結衣も、いろはもまるで猫みたいな目でわたしを見ていた。

 なにも求めてない。なにも奪わない。ただ、隣にいるだけの、そういう顔。

 ──そうか。これはそういうことなんだ。

 あの子たちは誰にでもこうやって、触れて、混ざって、緩やかに輪を作っていく。

 それが、彼女たちの友情の形。距離の近さも、身体の接触も、全部“やさしさ”の表現でしかない。

 あったかいんだなって思った。

 それだけで、なぜかちょっと涙が出そうになった。

 膝に乗せられた小さな手をわたしはそっと撫でた。

 あくまで自然に。反射的に。

 そうしたら、結衣がちょっとだけ笑って、いろはが「わたしの方が柔らかいですよ?」って冗談を言った。

 

「……どっちでもいいし。うるさい」

 

 そう返すと、二人が「はいはい」って笑ってようやく手を離した。

 そのあと、ファミレスの空気は、なんにも変わらなかった。

 比企谷はずっとメニューの裏の雑学欄を読んでて、飲み物の氷をカランと鳴らす音だけが静かに耳に残った。

 ──たぶんこれは友情なんだと思う。

 でもこういう友情があるなんて、今日まで知らなかった。

 ほんのりと胸があたたかかった。

 それがちょっと嬉しかった。

 

 

 

 

 

 平塚静は、ひとつの結論にたどり着いていた。

 あれは、人の感性で測るべきものではない。

 中庭のベンチ。

 日溜まりの中で、比企谷八幡を中心に由比ヶ浜結衣と一色いろはが寄り添って戯れている。

 腕を絡め、足を重ね、時に膝枕や背中へのタッチさえも当たり前のように交わしていた。

 最初こそ「近すぎるだろう」と思った。

 生徒指導の観点からどうなのか頭の中でリストが走った。

 しかし見ているうちに、違和感はするりとほどけた。

 ──あれは、犬や猫の戯れに近い。

 ベンチで眠る猫が、別の猫の背に前脚をのせる。

 その上にもう一匹が乗って、団子のように重なり合う。

 誰かがその光景を見て、下卑た目を向けるだろうか。

 否だ。

 多くの人間は、口を揃えて言うだろう。

 

 「かわいい」

 「癒される」と。

 

 比企谷たちの距離感も、それと同じだと平塚は思った。

 理性や礼節という秩序の外で、ただ気心の許せる存在として自然に戯れているだけなのだ。

 むしろそこに邪心があれば、もっと不自然になる。

 下心はぎこちなさや照れになって表れるものだ。

 しかし彼らの所作には、それがまるでなかった。

 だからこそ奇妙で、だからこそ純粋だった。

 

 「……なるほどな」

 

 また独り言が口を突いて出た。

 生徒指導は不要だ。

 むしろあれを乱す者がいたとすれば、それはおとなの都合を持ち込んだ者に違いない。

 これは、あくまで彼らの中だけに成立する温度と距離。

 それを人としての形に無理に当てはめるから世間は戸惑う。

 だが犬や猫にマナーを教えないように、

 彼らの友情もまた、そういうものであるべきなのだ。

 ──その穏やかさが、壊れないことを祈るばかりだ。

 平塚静は踵を返し職員室へと歩き出した。

 背を向ける前に見えたのは三人の笑顔。

 あたたかな春の日差しに似た柔らかな光景だった。

 

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