ランヴェルス暦 三六一年 春 早朝。
ラムセスの居城・ラシュムール城を目指して、黒旗を背中に差した伝令が草原を疾駆していた。
「ラシュムールまで後少し、殿の元に急がねば……!」
息が上がるのを忘れ、必死で馬を駆り立てる。彼がもたらす一報により、ラシュムール城は大きく揺れ動こうとしていた。
約三時間後 ラシュムール城の屋敷にて。
朝日が
俺とリリーエとウィスタリアの三人は、ラムセス将軍からランヴェルスを取り返す兵士を借りるべく、廊下を急ぎ足で歩いていた。
「今日こそは、ラムセスに兵士を貸してくれるようお願いするわよ!」
朝から元気な声で張り切るリリーエに、ウィスタリアが顔を曇らせる。
「あの人が素直に貸してくれるとは思いませんが……」
「何を弱気なことを言ってるのよウィスタリア、是が非でも貸してもらわなきゃ困るんだから!!」
「リリーエのいう通りだ、今いる手持ちの兵士で国を取るなんて不可能に近い、将軍がどんな条件を出そうが最低でも三千の兵士は欲しいな」
「とにかく最初が肝心ね……例えラムセスが拒んでも、私の力で説き伏せてやるから!」
「何か手でもあるのか?」
「勿論あるわよ!考え無しで行動するなんて、私の事をあんまり舐めてもらったら困るよ?軍師」
ここまで自信満々で言い切るなんて余程自信があるのだろう、これは期待していい表情だ。
「なら任せる、少しでも多く兵士を借りてくれよ」
「ふふふ、任せて!私の美貌で骨抜きにしてやるわ、覚悟してなさいラムセスっ!!!」
「色仕掛けかよ!!!」
少しでも期待した俺が馬鹿だった、つまり殆ど考えて無いって事じゃないか。
「頼むから色仕掛けはやめろよ、威厳的な意味で」
俺の想像してたお姫様ってもっと清楚な感じなんだ、そのイメージをたった今リリーエにぶっ壊された気がする。
「ま、冗談よ冗談」
いつも通り卑怯な笑顔を見せ、そんなこんなでラムセスの部屋の前に到着した。
「ラムセス!居る!?」
返事もないうちに扉を勢いよく開ける。部屋の中には椅子に座り、行儀悪く足をテーブルに乗せたラムセス将軍と、
「あれ、お邪魔だったかしら……?」
場の重苦しい空気を察してリリーエが
「なんだ朝から騒々しいな、リリーエ姫よ?」
灰皿に何本も置いてある吸い殻にまたひとつ葉巻が加わる、部屋の中はヤニと煙の臭いが充満していた。
「お、お願いがあってきたのよ」
「おう、なんだ?」
「私達に兵士を貸して欲しいのよ、三千くらい」
「三千だな?良いぜ」
「やっぱりタダでは貸してくれな……え?いいの!?」
ラムセスの返答に俺達は思わず面食らった、要求をすんなりと受け入れられ肩透かしを食らった気分だ。
「本当によろしいのですか、ラムセス将軍?」
「良いって言ってるだろ?我が娘よ、それと、お父様と呼んでくれても良いんだぞ?」
「分かりました、ありがとうございます『将軍』」
「せめてラムセスは残せ……」
軽く落ち込んだラムセスに、俺は再三度尋ねた。
「こんな簡単に兵士を貸しても良いのか…?」
「なんだ小僧しつこいな、あんたらが欲しいって言ったんだろ?」
「そうだけど……」
正直、ここまであっさりしていると、何か企みがあるのではと勘ぐってしまう。仮にもここは敵国との最前線だ、それなのに簡単に兵士を明け渡すなんて、将軍は太っ腹なのか、それとも何か考えがあるのだろうか。
「殿っ!今はそれどころではありませんぞ」と将軍に意見する周囲の武将達をラムセスは「早とちりするな」と手で制した。
「ただ、二日三日は兵を貸せないが、それは構わないな?」
「も、もちろん良いわよ、それよりこの重々しい空気は何かあったの?」
リリーエの疑問も頷ける、こんな強面連中が口を固く閉ざして黙りこんでいれば、事情を知らない者は何があったか気になる。
そんなリリーエに対し、将軍は眉をピクリとも動かさず、寝癖混じりの頭を掻きながら応えた。
「リャヌーラの奴等が五万の大軍でこっちに攻めて来るんだとよ」
やれやれ、面倒な仕事が増えやがったと付け加え、灰皿に葉巻を押し付けた。
いや、何を言ってるんだこの将軍は!?
俺達は将軍の答えが即座に理解できずあまりの衝撃に声にならなかった。
「だから二日は待っててくれ、その間に片付けてやるから」
「え、いや、相手は五万でしょ!?」
「そうだが、何か問題でも?」
「いやいやいや!」
リリーエが頭を激しく横に振った。
「第一、こっちの兵士は何人いるのよ!?」
「歩兵が二万、騎兵が一万いるかいないかってところか?」
「約三万、兵数的には劣性じゃない!」
「戦いは数じゃねーよ、お前ならわかるな、小僧?」
「…………」
黙って思考している俺を見て、将軍は
リャヌーラが攻めてきたと聞いた時から、俺は如何にしてその大軍を破るか考えていた、そして、ある策を思い付く。
「向こうの世界の兵法を知り尽くしたっていう小僧よ、何か思い付いたか?」
挑発するかのように、そして、試すかのようなその視線に俺は薄ら笑う。
「ラムセス将軍は『
「
「それに書かれている『彼の戦術』を真似てみようと思う」
「彼……まさか
将軍は豪快に笑った、この場で俺の言った意味を理解できる者は恐らく将軍だけだろう、一同ポカンと将軍の笑い声を聞いている。
「お前、まだ兵をちゃんと指揮したこともないのに大胆なことを……気に入ったぞ!!」
「幼い頃から軍師になったらやってみたかったんだ、中華史上最高の戦術家と評された唐の軍師・李靖が最も得意とした戦術『
「良いだろう、その策に乗ってやるぞ小僧!!」
将軍はこの周辺の地図をテーブルに広げ、二人は少年のように、純粋に眼を見開き輝かせて作戦を練った。
「なんか、二人とも凄く仲良く見えるわね」
「はい、あんな楽しそうにしている将軍を、久しぶりに見た気がします」
二人の様子を扉の前で眺めるウィスタリアが小声で囁いた。
長年の友と語らうような父の姿に、ウィスタリアはどこか懐かしさを感じていた。
さて、皆さんは中華最強の軍師といえば誰を思い浮かべるだろうか。
古代中華の周の文王に仕えた軍師・
春秋戦国時代に弱小国家の呉に仕え、大国・楚を滅亡寸前に追い込み、『孫子』を執筆した・
楚漢戦争で活躍した漢軍の名参謀・
三国時代に蜀に仕え、名軍師として名高い・
しかし、これら三国志以後の中華史において、日本ではあまり知られていない名軍師、名参謀がいることをご存じだろうか?
その男の名は『
唐の二代皇帝・
幼少時から兵法を好んで学んだ彼は、三国志の英雄・
中国で『史上最高の名将』と称えられることもある戦術家である。
そんな彼が最も得意とした戦術、それが『騎伏挟撃』である。
「最後に、ここで敵軍を挟み込んで終了、如何ですか?」
厳つい男達を前にして、俺は堂々自分の策を述べた。予想通り、見ず知らずの若造の策に素直に頷けるはずもなく、場がざわついついる。そんな中、異様に目立つ胸まで伸びた髭男がスッと手を上げた。
「殿、その者の策を用いてもよろしいのですか?」
どうにも怪しいといった感じで
「心配するなオウドウ、俺が聞いても問題ない、実に小僧らしい策だと思うぞ」
「殿がそう言うのでしたら、なにも言いません」
部屋の端に座って、俺の策を聞いていたリリーエが自慢気に腕を組み「ふふん」と鼻を鳴らした。
「どうよラムセス、私の軍師の策は中々でしょう?」
「まぁな、しかし、成功しないとお前は
「大丈夫、策は必ず成功する、いや、させる」
それを聞くと、ラムセスはパンと手を叩き周囲に号令する。
「よく言った!ならば聞いた通り、小僧の策を持って敵を葬る、リャヌーラの奴等を血祭りに上げてやれい!!」
男らしい檄に応え、屈強な武将達が部屋を出ていく。
さっきのオウドウと呼ばれた髭男も、腑に落ちない素振りを見せながら支度を整えに向かった。
「さてと、それじゃあ私達も出撃の準備をしなくちゃね!行くわよ!二人共!!」
「ちょっと待ちな、リリーエ姫、あんたら二人はこの城で待機だ」
将軍に止められ、リリーエは「なんでよラムセス!!」と詰め寄る。
「姫様よ、あんたの役目はランヴェルスを復活させる事だ、違うか?」
「その通りよ……」
「なら黙って見ていろ、お姫様の役目は玉座の上で吉報を待つのが仕事だ、戦うのは俺達だけでいい、ウィスタリアも同じだ、リリーエ姫を守ってやれ」
「わかっております、将軍」
最敬礼で頷いたウィスタリアに「それでいい」と微笑んだ。
「それじゃあ行くぞ、小僧」
「了解!」
「え?軍師を連れていくの!?」
「当たり前だ、作戦だけ考えさせて実際の動きを見せなくては意味がないし、成長もしないだろ?」
将軍の言う通りだ、俺も元々行くつもりだったし、自分の策で敵も味方も死ぬのに自分だけ安全な場所に居るわけにいかない。
「でも、それじゃあ軍師が危険な目に……」
妙にしおらしい彼女の発言に違和感を覚える、まさか俺を気遣ってくれた?リリーエらしくないけど、ならば俺もらしくない台詞を言ってやるかな。
「大丈夫、国を取り返すって約束したんだからここで死ぬわけにいかない、それに、お前の泣き顔は見たくないしな」
俺なりの気取った台詞で彼女にどや顔を決める、ヤバイ、普通に恥ずかしい。そんな俺に「ば、バーカ!誰が泣くもんですか!」とリリーエは俺にそっぽを向いた。うん、リリーエはこうでなくちゃ。
「それじゃ、行く前にこれでも着ろ」
将軍はタンスから緑色のマントを取り出すと、俺に投げ渡した。
「ランヴェルスでは基本、参謀や軍師は緑色のマントを羽織(はお)る、理由はわからんが、軍師ならばその服の方が良いだろう?」
「はい、ありがとうございます!」
俺は着ている服の上にそれを羽織り、将軍と共に外に出た。
「軍師!!」
ふと、リリーエに呼ばれて振り返る。
「生きて帰ってきなさい、約束よ!」
「あぁ、わかってるよ」
春風でマントが
「ふわぁ~、ん、何をやってるのですか、リリーエ様と軍師どの?」
そこに、元気に跳ねたアホ毛と眠そうにアクビを手で抑えた幼女、もといヨイチが和弓を片手に現れた。
「あ、おはようヨイチ!」
「おはようございます、リリーエ様」
「ヨイチ!良いところに来た!」
「……ふぇ?」
俺はヨイチの手を掴んで将軍の前に連れていった。
「この子を戦場に連れていって良いか?」
「……まだ子供じゃないか?」
「弓の腕を見たら、度肝を抜くと思う」
疑いの目で俺を見ていたが「勝手にしろ、死んじまっても知らねーからな」としぶしぶ了承してくれた。
俺は未だ状況を掴めていないヨイチの頭をくしゃくしゃっと頭を掻き回した。
「な、何をするですかっ!軍師どのっ!?」
「頼むぞヨイチ、お前の力で戦いを勝利に導くんだ!」
「何を言って……や、やめてください!軍師どの!!」
必死で逃れようとするヨイチをがっちりと手で抑え、俺はこれから始まる大戦に心踊らせた。