日が落ちてから数時間後、ラシュムール城内の屋敷にて。
妙に蒸し暑い部屋の中、唯一の照明器具である
「それで、その小僧がドミナシオンの追っ手を殲滅した剛の者か?」
「剛ではなく知略よ、それは見事な作戦で十倍の敵を追い払ったんだから!」
信頼と疑念、二人の異なる目線が俺に向けられた。
「たいした策じゃない、三十六計っていう俺がいた世界の兵法を応用しただけで」
なんて謙遜して見せたが、俺の初陣としては我ながら会心の作戦だったと自負していた。
しかし、俺がそれを口に出した途端、ラムセス将軍の表情が険しくなる。
「俺がいた世界……やはり、お前は
転移者、なんか久しぶりに聞いた気がする単語だ。この世界では転移者は珍しいものではないそうだが、それでも異人的扱いをされがちで良く思ってない者が多いという。ラムセス将軍の表情はそういう意味なのかなと、勝手に深読みしてみる。
「そうだけど、何か問題でも?」
「いいや、むしろ……」
しかし、彼はすぐに白い歯を見せてニヤリと顔を緩ませた。
「十倍の敵を追い払った話はどうでも良いが『あの世界』の兵法ってのは興味深い、多くの転移者を見てきたが、お前とは面白い話が出来そうだ」
将軍が大口を開けて愉快げに笑うと、何かを思い付いたように
「それはそうと、リリーエとウィスタリア、お前ら二人共しばらく風呂に入ってなかったろ?」
「当然、そんな暇も設備も無かったもの」
「ならちょうど良い、ここの近くに温泉が湧き出ててな、お前ら二人で行ってきたらどうだ?」
「温泉っ!!!???」
椅子から勢い良く立ち上がり、リリーエは眼をキラキラさせて歓喜の声を上げた。
「勿論行くわ!ね?ウィスタリアも!!」
「姫様が行くと申されるなら……」
「あとヨイチも呼ばないと!さぁ、久しぶりのお風呂よぉおお!!!」
「あ、姫様っ!?」
「温泉の場所はカイドウにでも聞け、奴なら案内してくれる筈だ」
「分かった!ありがとう、ラムセス!!」
ウィスタリアの手を掴んで引きずるようにリリーエは部屋を後にする。
「そ、それじゃあ俺も行こうかな」
一人取り残された俺も二人に続こうと扉に手を伸ばす。
「待て、お前はここに残れ」
それを、将軍がドスの利いた低い声で俺を呼び止めた。
え?なんで??
将軍は
「な、何か俺に用でも?」
「無ければ止めねーだろ、普通に考えて」
「ですよね~……」
そのまま椅子に座り直した、将軍は煙を蒸(ふ)かすと葉巻で俺を差した。
「お前、向こうの世界で兵法書を読んだことがあるって言ってたな?」
「兵法書は片っ端から読んで覚えてる、と、思います……」
自然と畏まった話し方をしてしまう、学校一怖い体育教師に怒られてる気分だ。
「そうか、なら
俺を試すかのように、ラムセス将軍は
武経七書(ぶけいしちしょ)とは、『
その中でも孫子、呉子は兵法書として名高く、両書合わせて『孫呉の兵法』と呼ばれる事もあり、兵法の基礎知識として数多くの兵法家が愛読していた。
ラムセス将軍の口から武経七書なんて言葉が出るなんて
「将軍は、武経七書を?」
「あぁ、子供の頃に読んだことがあってな、うっすらとしか覚えてないが」
「子供の頃に読んだことがあるって……まさか」
今までの将軍の意味ありげな発言と俺をこの場に残した意味を考え、すぐに一つの答えに辿り着いた、そしてその考えは的中する。
「ご明察、俺は『転移者』だ」
今から三十年くらい前の話だ。
俺が高校生だった頃、親と喧嘩して家出して、公園でホームレス生活をしててさ、気がついたらこの世界にいやがった。
訳も分からず、ひたすら帰る方法を探してみたが皆目検討もつかず、俺は飢えと怪我で町の道端にぶっ倒れた。
そんな俺に手を差しのべてくれた女がいた。
俺に食べ物と住むところをくれたそいつは家がとっても裕福でさ、ガタイが良かった俺はその家の警備兵として雇われて、戦争行ったりして活躍して、気が付けば、数年後にはランヴェルスの将軍になってた。
我ながら見事なサクセスストーリーだろ?
「とまぁ、俺様の華々しい半生を知った上で、何か質問あるか?」
ラムセスが吸い終わった葉巻を灰皿に置き、そしてまた一本火をつけた。
「ラムセス将軍が転移者だったなんて、つまり、この世界での先輩って訳か」
「そうとも言うねぇ」
「将軍が転移者だって、ウィスタリアとかは知ってるのか?」
「いいや、この事実を知ってるのは俺の妻と、お前だけだ」
「なんで、俺に?」
「別に深い意味はない、ただ、俺とお前は似た者同士だと思っただけ、それだけさ」
将軍が立ち上がり、窓の外を覗く。
「それともうひとつ、ウィスタリアの事なんだが、俺の事をなんて言ってた?」
「……最低な男、嫌いとも言ってた」
「そうか、やっぱりな」
深く溜め息をついて窓から星を覗き見る、無数に輝く星の中、一筋の星が流れ堕ちた。それを眺める将軍の横顔は哀しげで、俺にはとても寂しそうに映った。
ラシュムール城から程近く、北西の森林にその温泉はあった。
とはいえ、ちゃんと整備された立派な代物ではなく、涌き出たお湯がそのまま泉になったような、文字通り天然の温泉だ。
「ふぁ~生き返るわぁ~」
「そうですねぇ~」
リリーエが和んだ声と水音を立てながら背筋を伸ばす。
「お、お湯の中に裸で入るのですか?とても熱そうです、湯気が出てるので……」
「ヨイチも早く入りなよ~、とっても気持ちいい、良いお湯だよ~」
「お湯に良し悪しがあるのですか?意味が分かりません、わたしはお風呂とか温泉とか入ったことが無いので」
「では、少しお手伝いしてあげますよ」
ウィスタリアがお湯から出て、ヨイチの幼い身体をひょいと持ち上げる。
「な、何をするのですか!?」
「一人で入るのが怖いなら、一緒に入れば怖くありませんよね?」
「怖いとかそういう事では……ひゃっ」
つま先から順にお湯に浸からせ、ゆっくりとヨイチを肩まで浸からせる。
最初はバシャバシャと暴れていたヨイチだったが、お湯が肩に浸かる頃には先程の二人と同様、心地よさげに目を細めた。
「これが『良いお湯』ですか、確かに、何となく分かった気がします」
「良いわよねぇ、毎日入りたいわぁ~」
「ですね~」
三人が今までの疲れを溜め息と共に吐き出した。
「にしても、お二人ともやはりスタイルが良いです……」
「そうかしら?」
ヨイチは二人の胸と自分の胸を見比べる、自分の貧相で慎ましやかな胸と違って、二人とも豊かな膨らみと、それに見合う身体の曲線美がヨイチを悲観させた。
「胸が大きくて、羨ましいです」
「そんな事ないですよ、ヨイチさんもまだ若いですし、いつか大きくなります」
「そう、なんですか?」
「うんうん、私もヨイチくらいの歳の頃はまだ大きくなかったから!ウィスタリアはもう既に大きかったけど……」
「つまり、わたしも成長の余地は有るわけですね」
小さな猫目を光らせ、とりあえず噂で聞いた『胸を揉むと大きくなる』理論を実践しようと、密かに心に決めたヨイチであった。
リャヌーラは比較的穏和な気候で、気温も最高で三十度は越えず、最低でも十度は下回らない。
『リャヌーラの季節は春だけだ』
なんて格言もあるほどに、一年を通して過ごしやすい地域であった。
温泉から上がった三人は、ラシュムール城内広場の腰掛けに仲良く並んで座っていた。リャヌーラの暖かい夜風が、彼女達を優しく撫でるように吹いている。
「夜風が心地良い、また明日も入りたいわ」
「確かに、しかし姫様にはやるべき事がありますよ」
「そうね、そのためにラムセスから兵を借りないと」
その場で横になって寝ているヨイチの跳ねた髪をそっととかす、身体を呼吸と共に揺らし、子猫みたいな寝顔だ。
「……姫様に、前からお尋ねしたかった事があったのですが」
「何かしら?」
「どうして、ハルト殿を軍師になさったのですか?」
「今さらね」とリリーフは苦笑して、なんでだろうと頭を捻った。
「強いていうなら、『軍師にしてくれ』って言われたからかな?」
「それだけですか?」
「うん、まぁ色々と思うことはあったけど、それが一番かしら」
他にも色々とありそうな感じだが、ウィスタリアは敢えてそれ以上聞かなかった。リリーエを疑うのは臣下として不忠であると、それが一番だと言うのならそうなんだと信じることにしたのだ。
「て、なんでそんな事知りたかったの?」
「いえ、何となくです」
「そう、何となく、ね」
リリーエは立ち上がり、寝ているヨイチを抱き抱えた。
「そろそろ部屋に戻りますか、私も眠いわ」
「そうですね」
リリーエ達がお風呂に行っている間、俺はラムセス将軍と元の世界の話で盛り上がり、二時間程話をして将軍が酔い潰れて寝てしまったので部屋を出た。ちなみに、俺もベッドがある部屋で寝て良いと許可をもらったのでその部屋に行くつもりだ。
「ん……?」
廊下を歩いている途中、庭に目を向けるとリリーエとウィスタリアが庭の腰掛けに座って何かを話しているのが見えた。すると、リリーエが俺に気がつき手を降ってきた。特に用も無いけど無視するのもあれだし、俺は二人の元に歩み寄った。
「やっほー軍師!」
「こんな所で何やってるんだ?リリーエとウィスタリア」
「温泉で火照った身体を冷やそうとそこに座ってたの、それはそれは良い湯だったわよ?」
「ふーん、温泉ねぇ……」
「軍師も入ってくる?案内してあげるわよ、なんなら一緒に入ってあげても……?」
「ひ!姫様っっ!!」
リリーエが艶っぽく俺を誘惑し、ウィスタリアが狼狽(ろうばい)して剣に手をかける。
「剣を抜こうとするな!それと、リリーエはお姫様なんだから人を誘惑するんじゃない!!」
「別にいいじゃん、減るもんじゃ無いし~」
「貴様っ!これ以上姫様をたぶらかすなら容赦しませんよ!!」
おかしいな、たぶらかされてるのは俺の方だと思うんだが、なぜ俺が悪いみたいになってんだ?。
「あ!」
突如、リリーエは天空を指差した。
「ど、どうなさいました?」
「流れ星!」
見上げれば、数えきれない星々が夜空を駆け巡るかのように流れ落ちていた。
「流星群ですか、ここまで多いのは珍しいです」
「星に願い事をすると叶うってラムセスが言ってたわ、どういう原理かわからないけど」
「流れ星はいきなり現れて一瞬で消える、だから、その一瞬で願い事が出来るなら、それはいつも考えている本物の願いだから叶うって意味らしい」
幼い頃に本で読んだ事を思い出した。他にも天空にいる神様が地上を見たときに流れ星が光るから、神様が覗いてる時に願えば聞き入れてくれる、とか色々あるらしい。俺は神様は信じてないけど。
「なら、こんなにたくさん流れ星があるなら絶対叶うわね!」
「そうかもな」
彼女は空に顔をむけながら目を瞑り、何かを口ずさんだ。
「何を願ったんだ?」
「ナイショよ」
人差し指を唇に当てて悪戯っぽくウィンクされた。
「それじゃ、お休み軍師、部屋に戻るわよウィスタリア」
「承知いたしました、姫様」
ふふん、と鼻歌混じりの上機嫌で部屋に向かうリリーエの後を、ウィスタリアが静かに付き従う。
「くそっ、普通に可愛かったじゃねーか、リリーエめ」
リリーエと別れる際のウィンクが眼に焼き付いて離れない、暗いから彼女には見えなかったろうが、俺は今、絶対赤くなってる。
この気持ちを紛らわそうと絶え間なく流れる星を見詰める、一点の濁りや曇りの無い夜空を見ていると、自分がそこに吸い込まれたみたいに錯覚してしまう。
「綺麗だな、この世界の夜空は」
程よく吹いている風に当たりながら、俺は満点の星空に心を奪われていた。