凛音「どうも、先導凛音です」
志音「どうも、響志音です」
政実「ここでは、原作で言うところのドレスストーリーなどのような形で短編のオリジナルストーリーをお送りしていきます」
凛音「簡単に言えば、本編の合間合間に起きている日常回を書いていく章という事か」
政実「まあ、そんなところかな」
志音「なるほどね。つまり、本編とこっちは所々で連動する事もあるわけだね」
政実「そういう事だね。さてと……それじゃあそろそろ始めていこうか」
凛音「ああ」
志音「うん」
政実・凛音・志音「それでは、第1話をどうぞ」
第1話 穏やかなる調律者と静かなる奏者
器楽部に訪れた異変について、志音と電話で話した日から一週間が経った日の午前中、俺は勉強の休憩時間中に防音室で一人ピアノを弾いていた。
……さて、この一曲を弾き終えたら勉強に戻るとするか。
何曲か弾き終わった後、俺はそんな事を思いながら傍らにある椅子の上に乗っている楽譜に手を伸ばした。その時、服の胸ポケットに入れていた携帯が突然震えだした。
……ん、これは……電話か。けど、一体誰からだ……?
不思議に思いながら携帯電話を手に取り、画面に目を向けてみると、そこには志音の名前が表示されていた。
志音……という事は、器楽部に関連した事か勉強会についてか。
そして俺は携帯を操作し、志音からの電話に出た。
「……もしもし?」
『もしもし。凛音、今大丈夫だった?』
「ああ。今はちょうど、勉強の休憩時間だったからな」
『あ、奇遇だね。僕も今は勉強の休憩中だったんだよ』
「そうか。ところで、何か用か?」
『あ、うん。凛音さえ良ければ、午後から一緒に勉強しようかなと思ってね』
「午後か……。俺は別に構わないが、場所はどこにするんだ?」
そう訊くと、電話の向こうから少し困ったような声が聞こえてきた。
『えっと、そうだね……。図書館は……そういえば、今日は休館日だったよね?』
「……ああ、そうだな」
『あはは、だよね……。うーん、となると……』
志音が電話の向こうで考え始めた時、俺はある案を思いついた。
……まあ、これも良い機会だ。とりあえず提案だけはしてみるか。
「……なら、今日は俺の家で勉強をするか? 勉強会はおろか、まだお互いの家に行ったことすら無かったから、これも良い機会だと思うしな」
『あ、たしかにそうだね。でも……本当に良いの?』
「ああ。まあ、お前さえ良ければだがな」
『僕はもちろん大丈夫だよ。ただ……』
「……安心しろ、家まではしっかりと案内する」
『ふふ、ありがとう。それじゃあ待ち合わせ場所だけど……』
志音と待ち合わせ場所と時間を決めた後、俺は通話を終えた。そして、携帯をしまおうとした時、俺はある事を思い出した。
……そういえば、家に誰かを呼ぶのは翼と陽菜以外では初めてだったな……。
小学生から今に至るまで、翼と陽菜以外で友人と言える奴は何人かはいたものの、その中でこうやって同じ目標に向かって切磋琢磨しあおうとした奴は一人としていなかった。……いや、思えた奴はいなかったの方が正しいかもしれない。一応友人関係ではあったものの、翼達のように下校途中や休日に遊ぶような事はなく、学校でただ挨拶を交わしたり少し話したりする程度であり、俺自身はそれでも充分だと感じていた。
……小さい頃から友人達との交遊よりもピアノの方を優先してきたから、当然と言えば当然だ。しかし――。
「そう思える友人が、まさか今になって出来るなんてな……」
そう独りごちながら俺はフッと笑い、ピアノの白鍵へ静かに指を乗せた。そして白鍵に乗せた指へ力を加え、何を弾くでもなくただ音を鳴らした。その瞬間、小気味の良い音がピアノから奏でられると、その音は静かに防音室に響いた。
この志音との間に紡がれた絆は大切にしないといけないな。同じ目標に向かって切磋琢磨しあう仲間というだけでなく、アイツとは一生付き合っていく友人でいたいからな。
心の中で静かに決意した後、俺は鍵盤から指を離し、ピアノの屋根や鍵盤蓋などを閉め、傍らに置いていた楽譜などを手に取ってから防音室を出た。
その日の午後、俺は志音との待ち合わせ場所である東奏の駅へと来ていた。今日は祝日であるせいか思ったよりも人通りが多く、老若男女様々な人々の姿を見ることが出来た。
……人間観察が趣味の奴だったら、この光景に大喜びするんだろうな。
そんな事をぼんやりと考えながら人波の様子を眺めていた時、
「お待たせ、凛音」
近くから穏やかな声が聞こえたため、そちらに顔を向けると、そこには志音が静かに微笑みながら立っていた。志音の服装は初めて会った時と同じ物であり、唯一違ったのは勉強道具などを入れていると思われる明るい緑色のショルダーバッグを肩に掛けている事くらいだった。
「……待ち合わせ時間には間に合っているから、別にお待たせと言う必要は無いと思うぞ、志音」
「あはは、そうかもね。でも、待っている凛音の様子を見た時に、待ち合わせ時間の少し前から待っていたように見えたから、つい言っちゃったんだ」
「……なるほど」
……まったく、見た目とは違って本当に鋭い奴だ。
志音の予想通り、待ち合わせ時間の10分ほど前から待っていたため、俺はそう心の中で思いながら言葉を返した。今日は俺が家まで案内をするから遅れるわけにはいかなかったというのもあるが、翼達との約束があった際にいつも俺が早めに待ち合わせ場所で待つようにしていたりや少し早めに迎えに行くようにしていたりしたため、早めに行動を起こす事が習慣付いていた事も起因しているのかもしれない。
……まあ、調律師は奏者と楽器の様子には目を光らせる必要があるため、志音のように鋭い方が実は良いのかもしれないな。
そんな事を思った後、俺は周囲を軽く見回してから志音に話し掛けた。
「さて、そろそろ行くか。このままここにいると、この人混みに流されかねないからな」
「ふふ、そうだね」
志音の楽しそうな返事を聞いた後、俺は志音を連れて歩き始めた。
駅から歩き始める事十数分、道中で他愛ない話をしながら歩いている内に俺の家へと着いた。
「着いたぞ、志音。ここが俺の家だ」
「あ、ここが凛音の家なんだね」
そう返事をすると、志音は少し驚いた様子で家を眺め始めた。そして一通り眺め終えると、ニコリと笑いながら声を掛けてきた。
「防音室とかがあるって聞いてたから大きい家なんだなぁとは思ってたけど、想像してたよりも大きかったからビックリしちゃったよ」
「……そうだろうな。幼なじみ達――翼達を初めて連れてきた時も程度は違えど、2人とも驚いてはいたからな」
「あはは、やっぱりそうだよね」
「ああ。さて、そろそろ入るか」
「うん」
そして俺は、静かにドアを開けながら志音と共に家の中へと入った。
「ただいま」
「お邪魔します」
二人で声を揃えてそう言いながら入っていくと、リビングの方から母さん――
母さんは色白の肌に黒いロングヘアー、そして上品さが漂う整った顔ととても人の目を引く見た目をしている上、別の地方にある名家の次女であるため、父さんと出会う前はことある毎に見合いの話や告白などをされていたという。そしてそれでいて読書家でもあるため、様々な深い知識に加えてその出自ゆえに剣道や弓道といった武道、書道に琴などの文化的な事にも精通している。
そして母さんは俺の姿を見ると、静かに微笑みながら声を掛けてきた。
「お帰りなさい、凛音。そして、そちらがこの前から貴方が話していた志音君ね?」
「ああ、そうだ」
俺が母さんの言葉に答えると、志音はペコリと頭を下げながら自己紹介を始めた。
「初めまして、響志音と言います。お宅の凛音君には勉強の事などでお世話になっています」
「ふふっ、こちらこそいつも凛音がお世話になっています。凛音は翼ちゃん達以外の子とはあまり接しようとしないし、少しぶっきらぼうなところもあるけど、これからもよろしくね?」
「はい、もちろんです」
志音がニコリと笑いながら答えた後、俺は小さく息をついてから母さんに話し掛けた。
「……母さん。父さんは?」
「お父さんならさっき防音室に行くのが見えたわ。たぶん、次のお仕事のためだと思うけどね」
「分かった。なら、父さんに会うのは後にしておくか」
「うん、それが良いかもしれないわね。あの人、良いメロディーが浮かぶと、それしか頭に無くなっちゃうから」
「……そうだな」
俺は仕事に集中している時の父さんの姿を思い出し、小さくため息をついた。そして、そのまま志音の方へと顔を向けてから声を掛けた。
「……とりあえず、俺の部屋に行くぞ、志音。元々、勉強会のために集まったわけだからな」
「うん、分かった」
志音の返事にコクンと頷いた後、俺達は俺の部屋へ向かって歩き始めた。
俺の部屋に着いた後、俺が静かにドアを押し開けながら中へと入ると、志音が続いて入りながら物珍しそうに声を上げた。
「へー、ここが凛音の部屋なんだね」
「ああ。まあ、部屋にはあまり物を置いていないから、正直殺風景かもしれないがな」
志音の言葉に返事をしながら俺は改めて自分の部屋の中を見回した。すると目に入ってきたのは、黒色や茶色のタンスやベッドにクリーム色のカーテンの他、楽譜や小説などが種類別に並んで入れられた本棚。そして、クローゼットには寒色系のコートやマフラーが掛かっており、一人で勉強や作曲をする時に使っている机の片隅には、翼と陽菜から誕生日プレゼントとして貰った四分音符型の小さな置物と綺麗な装飾が施されたオルゴールなどが置かれていた。
……改めて見てみると、机の上の置物とオルゴール、そして本棚以外はどこか寒々しい気がするな。これも良い機会だと思って、近々翼達からの意見も取り入れながら部屋の模様替えでもしてみるか。
部屋の様子を眺めながらそんな事を考えていると、志音は机の上に置かれている写真立てに収まっている写真をジッと見つめていた。
「志音、その写真立てが気になるのか?」
「あ、うん。この写真に凛音と一緒に写ってるのが、この前話してた幼なじみなんだよね?」
「ああ、そうだ」
志音からの問い掛けに返事をしながら俺は写真に視線を向けた。写真は1年程前に陽菜の家で軽い茶会をした時の写真で、縁側に置かれた座布団に座ってとても良い笑顔を浮かべている二人の間に俺が挟まって座っているという物なのだが、やはり俺だけはどことなく鋭い視線を向けているように写っていた。
……まあ、俺よりもアイツらがしっかりと笑っているという事が何よりも大切だから、俺としては一切の問題は無いな。
そんな事を思いながら写真を見つつ、俺は志音に写真の内容について軽く話をする事にした。
「俺の右側に写っている方が
「あ、そうなんだね」
「ああ。そして、この写真は陽菜の家で軽い茶会をした時の写真だな」
「家でお茶会、かぁ……。凛音は軽くそう言うけど、よくよく考えてみたらスゴいよね、それって……」
「まあ、普通に考えればそうだろうな」
陽菜の家には何着もの色とりどりの着物や広い庭などもあるため、一般的に陽菜はお嬢様と呼ばれる類いなのは間違いない。だが――。
「因みにこう見えて、陽菜の趣味の1つは庭の木に登って楽器――コーラングレを吹く事だ」
「へー……木に登って楽器を……」
その瞬間、志音は何かに気付いたような表情を浮かべた後、今度は不思議そうな表情を浮かべながら俺に話し掛けてきた。
「え……今、庭の木に登ってって言ったよね……?」
「……言ったが?」
「え……この上品そうな先輩が、だよね?」
「そうだな。尚、今でも公園などの木に登っている姿を見掛ける事があるな」
「そ、そうなんだね……」
志音はとても意外そうな様子で答えると、再び不思議そうな表情を浮かべながら写真に写っている陽菜を見始めた。
まあ、その気持ちはよく分かる。俺もその事を知った時は自分の耳を疑ったからな。だが――。
その瞬間、俺の頭の中に陽菜に誘われて翼と共に登った木の上から見た光景が想起された。
……あの光景を見た事によって出来た曲が幾つもあったりするのもまた事実だな。この街をいつもとは違う視点――樹上からに変えただけでだいぶ見え方が変わり、それにインスピレーションを受けた結果、この曲達が生まれたわけだから、本当に陽菜には感謝をしないといけないな。
そんな事を思いながらその曲達が収まっている本棚を眺めていると、
「あ、それじゃあ……この有栖川さんはどういう子なの?」
凛音が写真に写っている翼の事を見ながらそう尋ねてきた。
「翼か。翼は普段から明るく優しい性格で、菓子作りや編み物が趣味という家庭的な奴だな」
「へー、そうなんだね。実は僕もお菓子作りはする方だから、話が合うかもしれないね」
「そうだな。因みに翼の担当楽器は胡弓という楽器だ」
「胡弓……たしか沖縄の擦弦楽器だったよね?」
「ああ、そうだ。まあ、俺達が扱う楽器の種類が様々なため、俺もピアノのような鍵盤楽器だけではなく、コーラングレのような管楽器や胡弓のような弦楽器、そして鉄琴などの打楽器の調律法もついでに覚えたわけだな」
「なるほどね。あ……それなら無事に東奏学園に入れた時には、時々楽器の調律を手伝って貰っても良いかな?」
「ああ、もちろんだ。自分が扱う楽器以外を弄る事で、新しい曲のイメージが浮かぶ事もあるからな」
俺がそう答えると、志音はとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふふ、ありがとう、凛音」
「礼はいらない。だが、そのためにもまずは……」
「うん、しっかりと勉強をして、東奏学園に入らないと、だね」
「その通りだ。よし……それではそろそろ勉強を始めるぞ」
「うん!」
志音の元気の良い返事を聞いた後、俺達は部屋の中心に置いている少し大きめな机へとノートや筆記用具を並べ、本来の目的である勉強会を始めた。
勉強会を始めてから幾らか時間が経った頃、参考書を見たりお互いに教え合ったりしながら勉強を続けていたその時、突然部屋のドアを静かにノックする音が聞こえた。
「……どうぞ」
机の上のノートからドアの方へ視線を移しながら答えると、部屋のドアが静かに開き、父さん――
父さんは色白の肌に少し茶色がかった短めのストレートヘアー、そして爽やかな雰囲気を湛えた顔をしているが、目付きは俺のように鋭い。しかし、気質はとても穏やかで普段から良く笑う方なため、俺とは違って初対面で怖がられる事はまず無い。
……別にそれを羨ましいとは思わないが、俺のように初対面の不良から絡まれたりや怒ってもいないのに怒ってると勘違いされたりしないだけ便利ではあるか。
そんな事を考えながら小さく息をついた後、俺は父さんに話し掛けた。
「父さん。曲の方は大丈夫なのか?」
「ああ、もちろんだよ、凛音。後は母さんに詞を付けてもらって、しっかりとした曲にするだけだ」
「そうか。ところで、その手に持っているのは……」
「ああ、母さんが焼いてくれたクッキーだよ。曲が出来た事を伝えに行った時にちょうど焼き終わったところだったらしく、二人へ持っていってあげて欲しいと頼まれたんだ」
「なるほどな」
父さんの言葉に返事をした後、俺は父さんの事を指し示しながら志音の方へ視線を向けた。
「志音、俺の父さんだ。ここまでの話の内容で分かると思うが、仕事は作曲家兼演奏家だ」
「初めまして、響志音と言います。お宅の凛音君とはいつも仲良くさせてもらっています」
「こちらこそ。いつも凛音と仲良くしてくれてありがとう、志音君。凛音は翼ちゃん達以外の子とはあまり関わろうとしないから、君という友達が出来てくれたのは本当に嬉しいよ。これからも凛音の事をよろしくお願いするよ、志音君」
「はい、もちろんです」
志音がニコリと笑いながら言葉を返すと、父さんは安心した様子で微笑みを湛えた。
やれやれ……二人揃って同じような事を言うとはな……。まあ、親からすれば俺のような奴はかなり心配なんだろうけどな。
腕を組みながらそんな事を考えていた時、父さんが俺達の事を見ながら静かに口を開いた。
「……さて、二人とも。根を詰めすぎてもいけないし、そろそろ休憩にした方が良い」
「そうだな。――ところで、父さん」
「何だ、凛音?」
「防音室はそろそろ使っても良いのか?」
「ああ、もちろんだ。それに凛音が使うと思ってしっかりとピアノの調律もしてある」
父さんは静かに微笑みながらそう言った。
父さんの調律か……。それならあのピアノも本当に良い音色を奏でてくれるはずだ。
父さんが調律をした後のピアノの音色を思い出しながら俺は父さんに礼を言った。
「……ありがとう、父さん」
「別に良いさ。凛音がまた楽しそうにピアノを弾いてくれるなら、私達としては本当に嬉しいからな」
本当に嬉しそうな笑みを浮かべながら答えた後、父さんはお盆の上のティーカップなどを机の上に置き始めた。そして置き終わった後、志音の事を見ながら穏やかな笑みを浮かべた。
「それにしても、彼――志音君の存在が凛音にとってとても良い刺激にもなっているようだし、これで私達も安心して出発出来そうだ」
「え、出発って……どこかへ行かれるんですか?」
「ああ、4月から仕事の都合でしばらく海外に行く予定なんだ」
「そうなんですね」
「ああ。凛音はしっかりとしているし、調律の技術や料理なども問題ない。ただ、さっきも言ったように幼なじみである翼ちゃん達以外とは自分から関わろうとしなかったからそれだけが心残りだったんだ。けど、志音君のように良い友達が出来てくれた事でそれはすっかり解決したよ。こうやって凛音が自分から友達を家に呼ぶ事だって、本当に久しぶりの事だったからね」
「……まあ、そうだな」
翼達のようにしっかりとした付き合いをしたいと思った友人は、志音と出会うまでは一人としていなかった。それは俺自身がそう思わなかったというのもあるが、恐らく無意識の内に翼達や志音から何か似たような物を感じ取ったからなのかもしれない。
……そういえば、志音の時もそうだったが、翼達と初めて会った時に何故かは分からないが、深い付き合いになるような気がした。それはやはり志音や翼達から俺と似たような物を感じていたか俺がコイツらとならしっかりとした付き合いをしていけると感じたからなのかもしれないな……。
志音の事を横目で見ながらそう心の中で思っていると、父さんが真剣な表情を浮かべながら声を掛けてきた。
「凛音。分かっているとは思うが、音楽とは音を楽しむと書くように自分だけではなく、様々な人の心を楽しませる物だ。そして、今までのお前のピアノとは違い、今のお前のピアノは翼ちゃん達や志音君のような人の心に安らぎと元気を与える物だ。それだけは忘れるなよ?」
「……もちろん分かっている。コンクールのために技術を磨いていただけの昔とは違い、今は自分が『弾きたい』と思った時のみ弾くようにしているからな」
「……なら良い」
父さんは静かに答えた後、安心したような笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「凛音。お前はこれから翼ちゃん達や志音君以外にも様々な人と絆を紡ぐと思う。そして、そうやって出来た絆は絶対にお前の力になるはずだ。だからお前も様々な人を音楽の力や自分自身の心で支えていくんだぞ」
「……ああ、もちろんだ」
父さんの言葉に俺は深く頷きながら答えた。
一時期、俺は自分自身がピアノを弾く理由を見失っていた。しかし、父さん達や翼達のおかげで俺は再びピアノや音楽と向き合う事が出来た。そして東奏学園の器楽部というきっかけで志音と出会うことが出来、共に器楽部に訪れた異変を解決しようとしている。だからこそ、今まで様々な人に支えられてきた分、今度は俺が志音の事を支えつつ、翼達以外の器楽部員も支えて行くべきだ。
……そして、本当にいざという時には、このペンダントが秘めているという守りの呪いに頼るとしよう。
そう決意を固めながら首から提げているペンダントから発せられている微かな温かみを静かに感じていると、父さんは再び安心したような表情を浮かべた。
「……どうやら、本当に心配はいらないようだな」
「ああ、俺だって成長してるからな」
「そうだな。では、私はそろそろ行くとしよう。二人とも、勉強頑張ってくれ」
「ああ」
「はい」
父さんからの激励に俺達が言葉を返すと、父さんは満足そうに頷いてから静かに部屋から出て行った。すると――。
「……何というか、凛音のお父さんってカッコいいよね」
志音の口からポツリとそんな言葉が出てきた。
「カッコいい……というと?」
「そうだね……一言で言えば、立ち居振る舞い……かな? もちろん、凛音みたいに顔とか体格とかの外面のカッコ良さもあるけど、話をしている時の姿とか雰囲気とかがカッコいいって思ってね」
「……なるほどな。だが、お前もそういったカッコ良さくらいならいつかは手に入れられそうだと思うが?」
「え、そう……かな?」
俺の言葉に志音は少しキョトンとした様子を見せたが、俺は静かに頷きながら言った。
「顔や体格などの外面は金と時間さえあればいくらでも変えようはあるが、雰囲気や立ち居振る舞いなどの内面はそう簡単にはいかない。これらはその人の生活の仕方や環境などに影響をされるからな」
「……うん」
「まだお前の家に行ったわけではない上、俺はそういった事の専門家ではないため具体的な判断こそ出来ないが、お前の自身の考え方や性格は少しでも知っているつもりだ。そしてそこから判断するに、お前はそういった雰囲気や立ち居振る舞いなどの内面的な魅力という物をしっかりと身につけられると俺は思っている」
志音は見た目こそカワイイ系と言われるような奴だが、芯はしっかりとしている上、誰かのために一生懸命になれる奴だ。
つまり、志音はまさに内面的な魅力で人を惹きつける事に秀でている存在なのだ。だから――。
「だから、とりあえず今は自分に自信を持て。根拠のない自信は身を滅ぼす事が多いが、お前の場合は根拠がある自信だからな」
俺がそう言葉を締め括ると、志音は少しキョトンとした後、静かに頷きながら微笑んだ。
「ふふ……ありがとう、凛音」
「礼には及ばない。俺は思った事を口にしただけだからな」
「……うん、分かった」
「ああ」
志音の明るく穏やかな笑みに対して静かにフッと笑った後、俺は父さんが持ってきてくれた物へと視線を向けた。
「さて、冷めない内にこれらを頂いてしまおう」
「うん!」
「「いただきます」」
二人で声を揃えてそう言った後、俺達は音楽の事や互いの事について話をしながら休憩という名の穏やかなティータイムを始めた。
「……よし、今日のところはここまでにしよう」
「うん、そうだね」
休憩後、俺達は再び勉強会を始め、それから数刻が過ぎた頃にそう言いながら持っていた筆記用具を机の上へと置いた。ふと時計に目を向けると、時計の針は午後5時頃を指していた。
「5時か……」
「何だかスゴく勉強した気になってたけど、実際は4時間くらいしか経ってないんだね」
「そうなるな。まあ、大事なのは勉強した時間ではなく、内容の密度だからな」
「ふふ、たしかにそうだね」
俺の言葉に志音が楽しそうに笑いながら答えた後、俺はある事を提案するべく口を開いた。
「……さて、そろそろお前が帰る時間だが、その前にちょっと着いてきてくれるか?」
「うん、別に良いけど……?」
「すまないな。さて、それではまずは片付けるとするか」
「うん」
そして、俺達は机の上の筆記用具を片付け、ティーカップなどを載せたお盆なども持った後、そのまま俺の部屋を出た。
お盆をキッチンにいた母さんに渡しつつ、クッキーなどの礼を言った後、俺は志音を連れてある場所へと向かった。そして、その場所へと着いた後、俺はドアを押し開けながら志音に声を掛けた。
「……着いたぞ、ここが防音室だ」
「あ……ここが防音室なんだね」
志音は少し驚いた様子で答えると、珍しそうに防音室の中を見回し始めた。防音室の中には、俺がコンクールで貰った賞状やトロフィー、そして父さん達が作った曲の楽譜やCDなどがあったが、そのどれにも埃などは付いていなかった。
……まあ、掃除はしっかりとしているから、当然と言えば当然だな。
そんな事を思った後、楽譜などが収められている棚へと近づき、ある曲の楽譜を手に取ると、後ろから志音が不思議そうな声で話し掛けてきた。
「……凛音、それはどんな曲の楽譜なの?」
「
「思い出の曲……」
「ああ。せっかくだから、お前にこの曲を聴いて貰おうと思ってな。まあ、プロの演奏ではなく、俺の演奏だから所々ミスなどをするとは思うけどな」
「ううん、そんな事は気にしないよ。それに凛音の演奏を一度聴いてみたいと思ってたしね」
「……そうか」
俺はピアノの屋根を上げながら突き上げ棒で固定した後、譜面台に楽譜を置いてから鍵盤蓋を静かに開けた。そして、下にある三種のペダルの調子を軽く確かめた後、俺はピアノの白鍵を静かに叩いた。するとその瞬間、静かだが深みのある音が防音室の中へと響き渡った。
「……このピアノ自体もそうだが、やはり父さんの調律はスゴいな」
「……そうだね。何だかその1つの音だけでも胸に染み渡るような気がしたよ……」
「……ああ、そうだな。さて……それではそろそろ始めるとしようか」
……たった一人の聴者のための演奏会を、な。
そして、両手の指をピアノの鍵盤へと置いた後、俺は静かに曲を弾き始めた。
古の音楽家によって楽譜に記された調べをなぞりながら俺はそれらを奏で続けた。すると、ピアノが奏でる音が防音室の中に響き渡り、その音色と音の波動が俺達の中へと静かに染み渡るような錯覚に襲われ、目の奥に曲の情景が浮かんでくるような気がした。
……夜想曲、これは夜の情緒を表現した曲だが、実際にはただの夜ではなく、明け方の事を指しているんだったな。
そんな事を思いながら弾き続けていた時、俺の頭の中にこの曲の思い出が想起された。
……そう、この曲は俺が初めてコンクールでトロフィーを貰った曲であり、翼達との思い出の曲でもあるからな。
小学生の頃、翼達が家に泊まりに来た事があった。その日は何故か夜になっても眠くならなかったため、俺達は俺の部屋で様々な話をしていたが、夜更け頃に翼達が俺のピアノを聴きたいと言いだし、俺達は今のように防音室へとやって来た。
そして、何の曲が聴きたいか翼達にリクエストを訊いた時に翼達が選んだのがこの夜想曲第5番嬰ヘ長調だった。曲の情景には少し早い時間だったものの、俺はそれを承諾し、今の志音のように後ろで翼達が並んで座っているのを感じながら静かに弾き始めた。
……器楽部の面々が奏でた『魔法の音』程では無いにしろ、あの夜の演奏会に響き渡った音色は、今でも『思い出の音色』として俺の耳と心に残っているからな。
今の翼達の状況は、明らかに看過できない物だ。あの『魔法の音』に魅せられた者としても、そして翼達の幼なじみとしても。
……だから、絶対に志音と共に取り戻してみせる。あの『魔法の音』も翼達の本当の笑顔も……!
改めてそう心に強く誓いながら俺は曲を弾き終え、そのまま鍵盤から静かに手を離した。そして、後ろから志音の拍手の音が聞こえた後、俺がクルリと後ろを振り返ると、志音は笑顔を浮かべながら穏やかな声で話し掛けてきた。
「スゴく良い演奏だったよ、凛音。実は僕、この曲を聴いた事は無かったんだけど、聴いてる内に何だか明け方の空を眺めているような気分になったよ」
「……そうか」
……やはり、志音は曲の情景や音のイメージなどを感じ取る力が高いのかもしれないな。聴いた事がない中でそこまでのイメージを浮かべられるのは、そうそう無いだろうしな。
そんな事を思っていた時、志音は心配そうな表情を浮かべながら話し掛けてきた。
「……ねえ、凛音」
「どうした、志音」
「僕の思い違いなら良いんだけど、さっきピアノを弾いてる最中に器楽部の事とか考えてなかった?」
「……まあ、正確にはそれだけじゃないが、たしかに考えていたな」
「やっぱりそうだったんだね」
「ああ。しかし……よく分かったな、志音」
俺が少し驚きながら訊くと、志音は真剣な様子で静かに答えた。
「……さっき、曲を弾いてる時に凛音から何か強い意志みたいなのを感じたんだ」
「強い意志、か……」
「うん。最初は気のせいかなと思ったんだけど、曲が進む毎に段々それが強くなっていって、曲の終わり頃にはそれがかなり強く感じられたんだ」
「……そう、だろうな」
俺は再びピアノの方へ体を向けた後、ピアノの白鍵を音階順に静かに撫でた。そして、途中でその手を止めてから俺は再び口を開いた。
「志音。この曲には思い出がある、と俺はさっきお前に話したよな」
「……うん」
「この曲は俺が初めてコンクールでトロフィーを貰った曲であり、翼達との思い出の曲でもある。俺にとっては掛け替えのない思い出の、な……」
「そう……だったんだね」
「ああ。そしてその時の『思い出の音色』は今でも耳に残っている」
「『思い出の音色』……。ふふっ、何だか詩的な表現だね」
「……そうだな」
志音の言葉にフッと笑ってから俺は真剣な表情を浮かべながら再び口を開いた。
「志音。俺は器楽部の面々が奏でた『魔法の音』を取り戻したいと思っているが、それと同時に翼達の本当の笑顔も取り戻したいと思っている。あの日、器楽部の異変について知ったあの日の翼達の哀しそうな顔はもう見たくはないからな……」
「凛音……」
「だからこそ、俺はここでお前に言いたい事がある」
そして、俺はあの日の気持ちを胸に抱きながら、再び志音の方へと体を向けた。
「志音、俺と共に器楽部の異変を解決してくれ。器楽部の『魔法の音』や翼達器楽部のメンバーの本当の笑顔を取り戻すために」
「凛音……」
志音はポツリとそう呟いた後、
「……うん、もちろんだよ、凛音。一緒に器楽部の異変を解決しよう。器楽部の『魔法の音』のためにも、そして有栖川さん達器楽部のメンバーの本当の笑顔を取り戻すためにもね」
穏やかな日射しのような笑顔を浮かべながら答えた。
「……志音、感謝する」
「ふふ、どういたしまして」
そして、俺達はお互いに手を差し出し、そのまま固く握手を交わした。
正直なことを言えば、現在の器楽部の異変の正体などについてはまったく見当は付いていない。だが、こいつ――志音とならこの難解な問題を突破できる。俺は心の底からそう確信している。
夕暮れ時の静寂に包まれた防音室の中で、俺は志音と握手を交わしながら静かにそう感じた。
政実「第1話、いかがでしたでしょうか」
凛音「今回は本編第1話で簡単に描かれていた所のクローズアップ回だったな」
政実「そうだね。因みに作中で凛音が弾いていた曲は、実はちょっとした思い出があったから、今回出してみた感じかな」
志音「なるほどね。さてと、次回の投稿予定は未定で良いのかな?」
政実「うん、そうだね」
凛音「分かった。そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「よし、それじゃあそろそろ締めていこうか」
凛音「ああ」
志音「うん」
政実・凛音・志音「それでは、また次回」