革命軍幹部(自称)ミューズ
即戦力のミューズは、アンサ・スペクトという英雄の帰還とともに革命軍にて大いに歓迎された。革命家ドラゴンとの顔合わせを済ませたミューズは、その日はゆっくりと体を休め、数日かけてこれまでの事を『コアラししょー』に報告した。
「やんちゃねぇ……」
あっちへこっちへ一つ処に身を置く事なく転々として忙しなく、それでいて大きく性格が変わっている訳でもなく、コアラにはいまいちミューズという人間がわからなくなってしまったが、朝食の席でもくもくとスープを口に運ぶ少女を見ていると、少なくとも性根は前と変わっていないと思えた。
背が伸びて少し大人っぽくなったようにも見えるけど、そのぼうっとした顔は変わってない。何を考えているのかわからないのは相変わらずだ。
装いはだいぶん変わって、やや短くなった髪は頭の右側で結ばれている。上質な着物になぜか海軍将校のコートに、風の噂に聞いた『天女』を表す羽衣。浮世離れした姿は、けれど日常の風景に溶け込んでいる。
彼女が再び革命軍に参入するとなると……また頭の痛い日々が始まる事を思うと、今からキリキリと痛み始めた気がして、コアラはそっと目を伏せて食器の擦れる音や彼女の息遣いに耳を傾けた。
目を離した隙にどこかに隠れて怪しげな何かを作るという行為が鳴りを潜めているのが救いか。彼女が革命軍の本拠地である島に辿り着くまでの航海と、辿り着いた後の数日の行動……参謀長官であるサボの後ろを絶えずついて歩くカモの子のような姿は微笑ましくも、よく考えると前よりいっそうサボの真似をするようになるんだろうと思い至ってどんよりとした。
気心が知れていて即戦力なのは確かなのだ。
なのだが……話を聞く限り、やんちゃさはまったくこれっぽっちもなくなっていなそうで。
「おはよう」
「あ、サボ君」
木製の扉をキィと鳴らして室内に入って来たサボが声をかけると、ミューズは食べる手を止めて膝の上に両手を乗せた。すっと伸びた背筋に、自らを律する雰囲気。それが大将仕込みと知って驚いたのもサボの記憶に新しい。
まっすぐ自分を見据える少女の瞳が常よりも輝いて見えるのは、きっと気のせいではないのだろう、その瞳を巡る感情が彼女が自分の手を掴んだ理由であると、そうわかるからこそ、熱い視線が痛くて、サボは帽子のツバをつまんで少しだけ深くかぶりなおした。
ミューズがこの場所を選んだ理由。サボにはなんとなくそれがわかっていた。
だからこそその絆を深めるため、彼女の望むものを与えるため、やらなければならない事がある。
「大事な話があるんだ、ミューズ」
「……?」
声をかけられたミューズは、一拍遅れてちょこんと小首を傾げてみせた。
◇
別室にて。
用意された二つの盃と酒瓶に、ミューズはきらきらと目を輝かせて、テーブルを挟んだ向こう側に立つサボを見上げた。
これが置かれている意味は一つしかない。飛び跳ねそうな体を抑えて、それでも勢い込んで机に手をついて身を乗り出させた。
「知ってます! 盃を交わすと兄弟になれるんですよね!!」
「ルフィから聞いたのか」
まだ何も言っていなかったサボは、この突然の提案をどう切り出そうかと思案していたところで言い当てられて、面食らったものの納得した。彼女は何度かルフィと行動を共にしている。よっぽど仲良くなっていればだがその話を聞く機会もあっただろう。
しかし事実は違う。記憶によって知っていただけのミューズは、嘘を言う訳にもいかずに目をさまよわせた。挙動不審にサボが疑問を持つ前に頭を振って気を取り直したミューズは、酒瓶を指さして「そういう事ですよねっ」と問いかけた。
兄弟になる。この場合は兄妹か。それってまた、家族ができるという事。ミューズにとってそこまで自分を受け入れてくれる人間がいるというのはこれ以上ないくらい嬉しい話だった。
ミューズ本人はその感情の理由はあまりわかっていない。なんだか嬉しい。それだけだ。深い理由までを探り当てられたのはサボだけだった。
小刻みに跳ねて喜ぶミューズに、苦笑いを零しながらも酒瓶を持ち上げたサボは、しかし……無邪気に喜ぶミューズを見ていると、やがて表情を無くし、元の位置に酒瓶を戻した。
「やめだ」
「えっ?」
ミューズが動きを止める。
言葉の意味がわからなかったのだろう。どうしてここまできて「やめる」なんて言ったのかもわからない。
ただしそれはサボも同じだった。
兄弟の盃を交わす事。彼にとってこれはこの上なく大切で、この先の人生でもう一度する事があるかと考えて見ると、その可能性はほとんど0に等しいくらいで。
ではなぜ今この状況が整えられているのか。……それがサボにもよくわからなかった。
短慮を起こしてこうしたのではない。彼女の手を取り、彼女の瞳の奥底に眠る願いを読み取ったその時から考えを重ねて、結果こうしようと思ったからこの席を用意したのだ。
けれど、何かが引っかかる。
改めて目の前の少女を見下ろしたサボは、不安そうにお腹の前で手を重ねている彼女について振り返ってみた。
嫌いではない。むしろその人となりは好感ばかりを引き出す。自分の真似をしていたいじらしさも庇護欲を刺激した。意外と……ミューズという少女の存在は、サボの中に大きく残っていた。
一度は彼女の夢を見送った立場だ。今度もそれを叶えてやろうと思った。
だから……ああ、そうだった。サボは自分が手を止めた理由に思い至った。
頼まれた訳でもないのにやってたな。これじゃあ絆の押し売りだ。
……彼女の願いを叶えたいと言いつつ、その実そうしたかったのは自分だったのかもしれない。
そこにはもちろん立場の上での打算も含まれていて、だからこそそうと気づくと、この神聖な行いをこれ以上続ける気にはなれなかった。
とはいったものの……ミューズは期待している。
彼女はまさしく、深く繋がれる誰かを求めている。
同時に躊躇ってもいる。その理由は定かではないが、今彼女とここで盃を交わすのは、やはり駄目だとサボは思った。
「こんな手でお前を繋ぎ止めるなんて、卑怯だよな」
そういう意味もあったのだろうと自分の思考を省みながら告げ、器を掴んでもう一つの器に重ねる。
こんなことをせずとも彼女はついて来てくれるだろう。なにせ彼女が自ら選んだ手だ。もしまた離れそうになったら、その時は強く手を握りなおすか、あるいはまた見送ればいい。
こんな風に迫るのは彼女の自由を縛るだけ。
「あのっ……! なりたい、です」
けれどミューズは嘆願した。サボさんと家族になりたい。たしかにそう口にした。
するりするりと、彼女の存在が近づいてくる。もちろんミューズ自身はその場から動いていない。ただ、ミューズという存在が心の内側に潜り込んで、いっとう大切にしたいと思わせる……そういう、不思議な魅力があった。
「サボさんの、家族になりたいです」
必死だった。
着物の布を握って、不安いっぱいの表情で、懇願するように呼び掛けてくる。
このチャンスを逃すまいと強い眼差しを送ってくる彼女に、何が何でも繋がりたいと願う彼女に、サボは何も言わずに視線を合わせた。
ミューズの翡翠の瞳はサボという人間を強烈に求めている。吸い込まれそうな純粋な願いには、体を持っていかれてしまいそうなほどだった。
これはいけない。彼女に求められると無条件で応えたくなってしまう。それではだめなのだ。お互い合意の上でなければ。
「……遠慮がなくなるぞ」
「構いません」
他人でなくなるなら、常日頃傍に置く事になるだろう。
役職や役割によって離れそうになっても、この盃を交わしたとあれば、サボは彼女を自分の目の届く範囲から逃したくなくなる気がした。
「無茶をして危ない目に遭わせるかもしれない」
「望むところです」
実際はどうかわからない。彼女の身を慮ってそういった行動を控えるようになるかもしれないし、そうでないかもしれない。
そんな僅か先の未来の事すら曖昧にしか想像できない事で、ようやくサボは自分が妙な状態にいる事に気付いた。
柄にもなく緊張しているのかもしれない。あるいは遥か先の別離を予測して今から怯えているのかもしれない。
知った時にはすでに手遅れだったエースの事が脳裏を過ぎる。一瞬腕に力が入って、しかし表情は変わらなかった。
「どこにだってついていきますから、どこへだって連れて行ってください」
縋るような言葉に、その言葉の重さにサボは苦笑いを零した。
どうにも思っている以上に彼女に好かれているらしい。ここまで言わせてしまったなら、もう悩むのは野暮だろう。
本当はこうする前にもっと話をするべきだった。
どうして自分の手を選んだのかをしっかりその口から聞きたかったし、何を目指しているのか、何を想っているのか、何をどうしたいのかも腹を割って話すべきだった。
「よし、なら乾杯だ!」
けれど敢えて、そういうのをすっ飛ばして一足飛びに絆を繋ぐ。
努めて明るく、器を自分と彼女の前へ置いたサボは、酒のふたを開けてそれぞれに注いだ。波打って零れた僅かな雫が鈍く煌めいた。
両手ですくうようにそっと盃を持ち上げたミューズに、サボは身を乗り出して腕を伸ばし、こつんと器同士をぶつけた。
そうした時のミューズの笑顔は、ずっと昔から見ていたような、心の奥底からほっとしてしまうものだった。
◇
義兄妹になったサボとミューズの関係は、二年前とさほど変わらなかった。
ミューズはだいたいサボの後をついて回っているし、サボの真似をしたがる。かといってべったりと言う訳でもなく、ふと目を離すと違う場所で歌ったりだとか踊ったりだとかしている。
サボはミューズが何をしても笑うか見守るかして、頭の片隅で危惧していたようにミューズを手元から逃がさないという事も無かった。
何か不思議な心の成り行きでミューズに惹かれはしたが、盃を交わす際に感じた……依存にも似た、彼女を求める気持ちは気の迷いか何かだったのだろう。
今は単純に、家族が増えて嬉しい。コアラは何かと気にかけているが、前みたいに月を目指して騒ぎを起こしたり、勝手に抜け出してどこかへ行ったり、よくわからない機械を作って暴発させたり、勝手に敵地に潜入したりだとかはしないだろう。
思っていたより彼女はずっと落ち着いていて、二年の間に随分大人しくなっていた。
……それがミューズの心にわだかまりがあって遠慮しているとかであったなら……そのうち手のかかる妹に変貌するかもしれないが、そっちの方が可愛げがあって良いんじゃないかなとさえ、サボは思っていた。
□
さて、束の間の日常を謳歌する革命軍だったが、少しずつ事態は動いている。
無視できないのが四皇二人の魔の手だ。
ミューズはこの二大海賊の
バルティゴは身を隠すのにはうってつけだが、いつまでも四皇の目を欺く事はできないだろう。とはいえ今すぐこの地が露見し敵が上陸してくるという事もない。まずは招集をかけた幹部達の帰還を待つ事となった。
続々と集まってくる革命軍幹部達は、サボの新しい家族に祝杯を掲げ、四皇二人との全面戦争に賛成した。
本人は厄介事を持ち込んだ事もあって肩身が狭そうにしていたが、元より手を伸ばしたのはサボだ。敢えて責任を問うなら彼の方に、が無難だろう。もっとも誰も非難はしない。これから革命軍は表舞台での活動にシフトしていくことになる。そうすればこの海に君臨する海賊達との戦いはそう避けられたものではない。
だが、いくら革命軍に猛者が集っているといっても、あくまで主目的は革命であって戦争ではない。
四皇とぶつかるにしても一人一人を相手にしたい革命軍であったが、そこに参入してくる大海賊がいた。
「世界を揺るがすこんな大きな戦いに、乗らない手はないだろう」
どこから嗅ぎつけたか、末端を通して名乗りをあげたのは四皇赤髪のシャンクスだった。
彼が手を貸すと提案し、革命軍はその手をとった。
かくして、新時代の幕が上がり始めたのだった。
□
「もうすっかり仲良しね。まるでずっと昔からそうだったみたいに」
甲板。
リクライニングチェアに背を預けるサボの上へうつぶせで乗っかるミューズを見て、コアラがそう評した。
分厚い黒雲が空を覆う様をのんびり眺めていたサボは、最近多くなった苦笑いを浮かべた。
「これが兄妹の距離感かは疑問だが、悪い気はしないな。だけど四六時中引っ付かれてちゃ仕事にならない」
「言えばいいじゃない。『ちょっと離れててくれ』って」
「言えるか? この顔に」
すやすやと穏やかな寝息をたてて身動ぎしたミューズは、心底幸せそうに笑っていた。
どうにもくっついていると安心するらしい。だからって子供に引っ付かれながら指示を出したりするのは威厳が無いというか示しがつかないというか、有体に言って恥ずかしい。
が、言葉の通り悪い気もしない。こういう甘え方はされた経験がなかったためだ。やはり男兄弟とはまた違った感覚だな、と独り言ちて、サボは雲を見上げた。
「今日は空が荒れてるな。随分機嫌が悪そうだ」
「海は静かなのにね」
バルティゴを発った船団の頭上を常に覆う暗雲はまるで革命軍の行く末を示しているかのようで不吉だと囁かれているが、一転海はこの船達を歓迎するように思うまま運んでくれている。
そうするときっと、あの雲は個人的な思いで流れているのだろう、なんて考えてみたりして。
「……ああ、静かだ」
ぽんぽんとミューズの背中を叩いたサボは、嵐の前の静けさのおかげでこの子が安眠できてると嘯いた。
満更でもない顔に、ぷっとコアラが噴き出す。
和やかで、和やかすぎておかしくなってしまった。
「ふふ。かわいい」
つんとミューズのほっぺをつつけば、むにゃっと口を動かして身動ぎする。
同意するように、ゴロゴロと空が鳴った。
TIPS
・黒雲
ああっ雷様。