四つの海と、偉大なる航路と、新世界と。
神・エネルの手を取ったミューズは、まさしく雷の如き速度で最果ての島までを踏破した。
しかしあくまで目的は観光。
元々海賊を名乗ってはいても海賊旗は掲げていなかったミューズは、それからしばらくの間エネルの三歩後ろをついて回り、世界各地に足を運んでのんびりと旅を楽しんだ。
知らず知名度は世界中に届くほどになり、どこに行くにしても賞金稼ぎに海軍に海賊と、寄ってくる者が後を絶たない。大将サカズキの猛追は怖い。とにかく怖い。
あんまりにも怖いので、「拝啓 サカズキおじさま。私は地上を離れます。もうお年なのですからご自愛くださいね」と綴った手紙とともにずばずば戦鬼くんを添えて送りつけると、さながら天女のように羽衣をなびかせて天へと昇っていった。
ミューズの宇宙旅行大作戦の出発点に選ばれた小さな町にはその『空へ帰っていく童女』の姿を天女伝説として語り継がれ、伝承所縁の地として永く栄えたという。
◇
「話にならん!」
と宇宙海賊を一蹴したエネルに続き、ミューズも巨大な宇宙海賊を一撃で
地上の観光を堪能したエネルが次に目を向けたのは、この宇宙という大海原だった。
宇宙で海賊王を目指すのだ。歴史に名を刻め!
「みたいなノリでどうでしょ」
「まあまあだな」
トンテンカン、トンテンカン。
袖を捲って素肌を晒すミューズは、口に釘を加えてトンカチを振り回し、拠点造りに奮闘している。
その間襲い掛かって来た謎の異星人はあっという間に今夜のおかずに。なんか意思疎通できそうな見た目ではあったが他に食べるものが無いんだからしょうがない。
何をするにしてもミューズは普通の人間なので、ちゃんとした拠点と食事が必要不可欠なのだ。
自前でエネルギーを賄え、ほぼ自然現象であるエネルとはわけが違う。
なのでこうして一人で必死に理想のマイホームを創ろうとしているのだが、当然エネルは手を貸してくれないので難航していた。
「私の"神の間"では不満か」
「息苦しいし、そもそも寝る場所じゃないでしょあそこ。……神様って私が来るまでずっとあそこで座ってたの?」
「そうだが」
だから何、みたいな顔で答えられたミューズは、しばし手を止め、自らの判断を省みた。
かつてエネルを『接してみれば案外普通の人』と称したミューズであったが、異なる環境に身を置けばはっきりとわかる、"
なんて言っても、エネルを地上へ招いたのも自らの船旅に同行させたのもミューズなので、文句を言える立場ではない。乗り気でない彼を無理矢理付き合わせたのだから、その生活スタイルに彼女の方から合わせるのが筋だろう。
そんな訳でミューズは月面基地"女神工房"を作った。
革命軍にいた時より建築技術が向上していて、中々どうして、人の住める犬小屋が出来上がった。
自分贔屓なミューズはその外観がガタガタである事もセンスの欠片もない事も棚に上げて大満足で「うん」と頷くと、犬小屋、もとい居城に潜り込んで一休みした。
「ヤッハハ」
そうするとなぜかエネルが上機嫌になる。
その心の移り変わりはミューズには理解しきれない。気紛れで笑っているのだろうと捉えるも、その実エネルが愉快な気分になっているのは、ミューズが自分からペットみたいな振る舞いをし始めたからである。
「……ふむ」
粗末な小屋に寝転がって四肢を投げ出し、無防備を晒す少女。
これに首輪でもつければ本当にペットだ。
顎に手を添えて首を傾げたエネルは、パシッと音を鳴らしてその場から去ると、数分後に戻って来た。
月面のクレーターに停泊させてあるマクシムからひとかたまりの黄金を持ち出してきたのだ。片手に持った金塊に電気を流して錬成し、C型のアクセサリーを作ったエネルは、それをミューズへと放った。
「あだっ」
うつ伏せになって寛いでいた彼女は頭にぶつけられたそれに呻き、涙目で拾い上げると、なにこれ、と首を傾げた。
「喜べ。神の恵みを与えてやる」
「ほへー、ありがと。でも何これ? 金とか貰っても嬉しくないんだけど」
「……」
用途を理解せずしげしげと眺めているミューズに嘆息したエネルは、彼女の前に座り込むと、その手から金の輪を奪った、
それを顔の前で振ってやれば、アクセサリーか何かと把握したのだろう、体を起こして正座をすると、背筋を伸ばして身を預けた。そういう無邪気さというかいじらしさがエネルの琴線に触れてやまないのだろう。"これ"は放って置いても面白い動きをして飽きないぞ、といった感じに。
首の上側から嵌められた金は、部分的に融解すると前で繋がり、継ぎ目のない首輪となった。
そんな所業を半目でこなしたエネルは、一つ頷くと、もう満足したらしく寝床へと歩き去っていった。
後に残されたミューズは遅れて身につけさせられたものの形状と意図に気付くと、数秒なんとも言い難い表情をして、それから……。
「……まあ、いっか」
その扱いを受け入れた。
べたっとうつ伏せになって首輪に手を這わせながら、笑みまで浮かべる始末。
一見屈辱的なこのペット扱いは、ミューズにとっては苦もなく否もないらしい。
なぜならペットは主がいて成り立つ存在であり、ここにはエネルとミューズしかいないので、もはや切っても切れない縁となる訳で。
強引でも理不尽でも、執着してくれるならそれは嬉しい。
ずっと一緒にいてくれるならなお嬉しい。
そういう訳で、ミューズは神の犬となった。
ペットなら餌とか与えられるでしょーと自堕落な振る舞いをして、僅か半日で首輪を取り上げられた。
予想外にうざかったらしい。
がっかりしてやる気をなくしたミューズは、エネルに引っ付いて寝室に運んでもらうと、これからに向けての準備も自分のための食事の用意も全て放り投げてふて寝した。
◇
「んー、出発だ!」
数日かけてマクシムの改修を終え──主に田畑や水回りを増設した──航海の準備が整うと、ミューズが絹のように薄い黄金にデフォルメしたドクロのマークを描いた物を掲げた。魂の海賊旗だ。
今日この時、ミューズとエネルは宇宙海賊として旗揚げしたのだ。
それはもう、ノリで。
それ以外にやる事が思いつかず、なんにもやる事が無いと退屈で死んでしまうのでミューズ発案で決行れたこの船出に、エネルも否はないらしい。どころかわりとノリノリだ。非常に残念な事にエネルはミューズに感化されつつある。
「この宇宙を我が手に収めようではないか!」
「ひゅー、神様かっこいー!」
「ヤッハハハ! ヤッハハハハハ!」
おだてられてご機嫌に高笑いするエネルはもはや地上や月というスケールに収まる気はないらしい。
傍らに立つミューズもにこにこ眩しい笑顔だ。容姿も性格もタイプの違う二人だが、そうして並んで笑っていれば、年の離れた兄妹にも親子にも見えた。
「錨を上げろ! 帆を下ろせ! 我ら……そういや名前決めてなかったんだけど、"なに宇宙海賊団"にする?」
「……」
大きく声を張り上げて、仰々しい動作で威厳ある大船長を演じようとしたミューズは、しかし途中でこてんと首を傾げて間の抜けた声を発した。
笑みをひっこめたエネルも腕を組んで同じ方向に首を傾げる。
「ミューズ宇宙海賊団でいい?」
「却下だ」
「えー。けち。じゃー神様はなんかいい名前あんのかよー」
いや、提案を一蹴されて不貞腐れ、エネルの足にちょんちょんと蹴りを入れるミューズの様子を見ると、実はこの名前にしようと決めていたみたいだ。却下されてだいぶん機嫌が斜めになってしまった。
雑な口調で詰められて、しかし代替え案など持っていなかったエネルは、しばし考えた風にしたのちにきっぱりと言い放った。
「エネル宇宙海賊団」
「却下だ」
「……」
それは先程のミューズの言葉を真似した戯れで、知ってか知らずか即座に乗ったミューズに、しかし「えーけちー」とは返せないエネル。
そのだんまりを受け取って、「じゃあ頑張り宇宙海賊団ね」と微妙な名称に決定されてしまい、不満をあらわにするものの、もはやミューズはこの決定を覆す気はないようだ。
「改めて、出発だー!」
うおーっと両手を振り上げて張り切るミューズに、エネルも気持ちを切り替えて暗い空を見上げた。理由なく頑固になる時があるミューズにもはや何を言っても名前が変わらないと理解しているのだ。
それはそれとして、聞いてみよう、遥かなる銀河からの呼び声を。
この大宇宙にはまだ見ぬ冒険が待っている。あの
二人で、という事にエネルが大きな意義を見出せるようになったのはいつからだろうか。
少なくとも、エネルが差し出した手をミューズが掴んだあの瞬間からは、お互いなくてはならないパートナーになれたのではないだろうか。
未開の宇宙をマクシムが行く。
──後世、初めて宇宙の果てに辿り着いた宇宙海賊、キャプテンミューズの名は、青海にも轟く事になる。
歴史に名を遺すほどの偉大な少女は、いくつか綴られた自分の本を読み耽ると、女神や天女として
常に傍らに立つ雷様がそれを見て大笑いしたとかしてないとか。
おしまい。
TIPS
・三歩後ろ
できる女の作法。