指が無意識に僅かに動き、重い瞼を開く。
ゆっくり上体を起こそうとするが全身に形容しがたい痛みが駆け巡る。というよりは様々な痛みが混ざったのだろう。ずきりと身体に響くものから、内臓がズンとくる物まで。
「ウグウゥッ!」
思わずうめき声を上げる。
痛みと目覚めたばかりの目でかすむ視界に、それに気づいた人影が寄ってくるのが見える。
誰かはっきり見分けることはまだできない。
真っ先に寄ってきた人影が話しかけてきた、ような気がする。どの影が話しかけたか正確には分からないが、声で誰だか分かった。
「目が覚めたのね、練!」
「ああ。」
何とか返事をし、頷くことはできた。まだこのくらいならできるようだ。
「おかえりなさい、練。」
「おかえりなのはどっちかっていうとお前の方だろ。」
泣きそうな声から絞り出されるそれに苦笑しながら答えた
「うん、そうだね。ただいま。」
「おかえり、紫蘭。」
だんだんと視力が回復し、はっきりと物が見えるようになってきた。涙に顔を濡らした紫蘭に少し驚いた。後ろで安堵したような笑顔をするシャルさん。
しばらく紫蘭と見つめ合っていた。
すると、ノックの後に戸が開く。前にお世話になりました主治医の方です、ハイ。
まず、俺は触診と体調のチェックその他もろもろを受け、
「あなたねぇ、いくら何でも無茶しすぎよ。対GジェルもないACでネクストに追従しようとするなんて何考えてるのよ。一生残る障害になってもおかしくなかったのよ。」
説教が始まった。
まあ、不満はない。彼女を救うためとはいえ、余りにも無茶な手段を取ったのだからそれに対して咎めない方がおかしいし、それをしっかり受け止めるのも必要だ。
「今の体で長々と話すのもよくないだろうから、いわなきゃいけないことにまとめるから。まず、一週間は絶対安静。二か月は激しい運動は控えて、リハビリでゆっくり身体を動かして。ACは問題外。分かった?」
「分かりました。さすがに懲りましたからしばらくは休んでます。」
「よろしい。また来るわね。」
そう言うと、彼女は部屋を後にする。
◇
その医者が病室を出ると、そのすぐ右の壁に身を預けてストレイドが佇んでいた。
「お前の技術ならあいつを一週間で治す思っていたがな。」
ストレイドの目は帽子を深くかぶっていたので医者の目からは見えなかった。その医者は顔色を変えずに答える。
「確かに一週間もかからず治すつもりだけど、治ってたことは伏せるわ。今回の件、しっかり反省してもらわないと。」
「まあ、何でも治せるって勘違いされて無茶されるのは困るな。実際私は治ってないし。配慮、感謝するぞ。」
「どういたしまして、それに…。」
含み笑いをしつつつ応え、付け足すように彼女は口を開いた。
「ああいっとけば一週間はじっとしてるでしょうから。謹慎期間破って飛び出すのは良くある話でしょ。」
定番スタイルで治療に必要な期間に逃げだされないよう期間を設定していた。
「おお怖っ。あんたには敵わないな。」
ストレイドはわざとらしく反応する。
医者はもう一度にやりと笑い廊下を歩いて行った。
◇
翌日の朝、紫蘭は練の病室を訪れていた。
どうしても練に聞きたいことがある、そう意気込んで。
「練。」
「おお、紫蘭か。どうした?こんな時間に。」
練の一瞬泳いだ目を見逃さない。
練はいまだ上体を起こせずにいた。不思議と面を合わせられる気がしない私は彼のベットの枕元に腰を掛け、肩越しに練を見る。
「練、身体の調子はどう。」
とりあえず当たり障りのない話題を振った。
「痛みは大分マシになったが、まだ身体を動かしたりはできないな。腕がまずいうこと聞かない。」
声は明るいが、だいぶ無理をしてるのではないかと邪推する。最近の練は隠し事をすることが多くなった気がするから、疑ってかかってしまう。
「下手に動こうとしない方がいいんじゃない?そこら中の骨が罅入ってるんだから、折れちゃうかもよ。」
「ちゃんとじっとしてるよ。面倒なことになるのは御免だ。」
そっぽを向いて不服そうに言う。首は動くんだ。
「へぇー。じゃあ、どうやって腕が言うことを聞かないって分かったんでしょうねぇ。」
「なっ、言葉の綾だよ!動かそうにも力は入らないし、そんな試してねぇよ!」
必死に弁解する練の声だが、それが懐かしかった。ずっと顔も見れなかったのだから当たり前だけども。戦いの中で見した表情が焼き付いて離れなかったから、もうあの頃の練の顔は見れないかもしれないと思ってしまっていて。
今の今の声を聞けて少しだけ安心した。
「わかったわかった。みんなも心配してるんだし、早く治してよ。」
「…そうだな。早く復帰しないと。」
青空の広がる窓へ視線を向ける。雲一つない秋晴れを紅葉に染まる山が彩ったその景色は、最近見ることの減った自然の良さを思わせてくれる。
答えを知るのが怖いから、聞きたいことを言い出そうとして、言い出せない。きっと、知らないまではいられないはずなのに。
そう思考にとらわれていたとき窓の外を見続けていた練が、ふと呟くように聞いてきた。
「あの時の、戦いの最中の俺をどう思った。」
「え、どう思ったって?」
唐突に話しかけられて、戸惑ってしまう私。戦いの最中に見せた練?
「こういうとなおさら言ってもらえないのは分かっているが、本当に思ったことを話してくれ。」
きっと、私をビルに叩きつけてた辺りのことを聞いているんだろう。一瞬の躊躇いの後、ゆっくりと口を開く。
「怖くなかったといえば、嘘になるかな。本当に殺されると思って。でも、あれはあの【厄災】って人を欺くためにやったんでしょ。」
そう問いかけるも、彼はすぐに口を開かない。練はずっと窓を見たまま、私はその反対側に腰かけたまま沈黙が続いた。
「ああ、半分はそうさ。だけど。」
思わず振り返る。
沈黙を破った彼の声は少し震えて、か細かった。
「お前に求めていた部分もあった。ネクストという規格外、いや次世代か。それに乗っていたお前との戦いに、悦びをさ。」
その言葉に込められた感情を読み取りきることはできなかった。その言葉の意味が少し現実離れしてて、受け入れられなかったのかも知れない。
「戦いの中に、悦び?」
訊き返してなお、その現実味のなさに拍子抜けする。自分を殺そうとしているその時に抱いてる感情が悦びだったなんて受け入れたくなくて当然だろう。
「戦闘狂ってやつだよ。」
「嘘、私を気遣うために言ってるんだよね。」
漫画や、アニメのような狂ったキャラクターしか知らない私は目の前の練がそういうものと同じだとは思えなかった。彼はむやみに殺したがらないし、常に戦いの中にいないと気がすまない人間とも思えない。
「俺は戦うことを強要されたとき、ドミナントっていう奴なんだって言われた。」
「ドミナント?何よそれ。」
聞きなれない単語に、少し強い口調で問いかける。そんなことで彼を否定されたくないから。
「先天的戦闘適性保持者…生まれつき戦うことに才能を持つ者のことだそうだ。」
「だからって、そんなことなんだっていい!練が練のしたいことをすればいいじゃない!」
才能があるからって、わざわざ戦う必要なんてないよ。ようやくこっちを向いてくれた練。その顔はどこか疲れたように見えた。
「俺も、最初はきりのいいところでレイヴンなんて辞めてやる!なんて思いをずっと抱いてたさ。だけどさ、あるときを境にどんどん楽しくなってきた。依頼が、戦闘が殺しあいがさ。次はどんな奴と戦えるんだろうって。」
彼の目は私を捉えて離さない。真っ直ぐに向けられる目に、私は練が話していることが嘘ではないことを認めざるを得なかった。
「きっと、ドミナントっていうのは戦いの中に放り込まれると戦いに目覚める質なのかもな。」
練はそう言うと真上を見る。少し悔しそうに顔をゆがめる。本人も受け入れたくはないのだろう。恋人を殺すことに快楽を見出す彼自身が彼を憎んでる。
変わり始めたときは辛かったのかもしれない。私だって人殺しが楽しくなったら戸惑うと思う。
彼はそれから目を閉じて、口も開かない。今なら話せる気がして私が切り出す。答えはもうわかっているけれども、彼の口から答えを聞きたかった。
「レイヴン、続けるつもりなの?この戦争が終わって、戦う理由がなくなっても?」
私はもう練に戦って欲しくない。もう彼が傷つく姿を見たくない。死なれてしまうなど以ての外だ。
だけど彼は戦うのだろう。己のために。
「…一通り落ち着いたら、いったん身を引くつもりだ。中学、高校までは行っておきたい。」
そう思っていたからこそ、彼の答えが意外だった。
「どうして?確かに私はそうであって欲しいと思っていたけども。」
「まだこの自分を自分って決めつけたわけじゃない。他に行きたい道が出来るのなら、そっちに行きたいさ。」
「戦いの中にいたいんじゃなかったの?レイヴンはうってつけだけど。」
「俺はまだガキだからこれ一つに決めるのはまだ早い気がしてさ。もし続けるにしても高校を卒業してからだ。学のないレイヴンなんて言われるのも嫌だし。」
少しだけ安堵した。いつかは遠くに行ってしまうかもしれないけど、少しの間は練と過ごせる。それが何よりもうれしかった。
「それより紫蘭。」
「なに?今度は。」
その時、とんとん、と音がした後「いいですか。」と聞く声がした。
練が、はい、いいですよ。と返事。
戸が開き、看護婦さんが入って来た。
「失礼します、食事の時間ですが…体動かせそうですか?」
「いや、これが全然。顔以外は全く動きません。」
ならどうするのだろう。点滴はあるが、これだと練は辛いだろう。咄嗟に口を開いた。
「私が食べさせるていうのはどうですか?」
「なぁあっ!?」
悲鳴に近い声を上げる練。しかもこの看護婦さん、ノリノリである。一瞬目を見開いたものの、「なるほどね、ちょっと待ってて。」と、イイ笑顔で病室を出ていった。あれは乗り気だ。
「お前良くあんなこっぱずかしい事言えたな!こっちの顔から火が出るわ!」
首しか動かないので迫力が全くなく、ただ顔を真っ赤にする練。それに私はそっぽを向いた。
「だって、あなたの体をぼろぼろにしたの私じゃない。ある程度なにかさせてよ。」
それは紛れもない本心だ。何も知らないで死にもの狂いに暴れてしまった結果を見て、何も思わない訳がない。
そのとき、看護婦さんが器を持って来た。どうやらOKがもらえたらしい。
「じゃあ、ごゆっくり。」
看護婦さんは笑顔でそう言うと去ってしまった。
持って来たのはお粥だ。ほどほどに温かい。
「こういうのは初めてかな。」
「そりゃそうだろ。あるとしたら風邪引いた時ぐらいだし、そんなときにわざわざこういうこともしないだろう。」
少しだけお粥をスプーンで掬い、少し待ってから練の口元へ。ここまで来れば練も諦めたか、不服そうだが口を開いた。
それなりに食べ進んでから、練は
「ここまでしてもらって言いづらい事だけどさ。」
と、話をきりだしてきた。
今のところ唇にスプーンをぶつけることはなく進んでいる。昔から妙に気が合うところはあったので、別段疑問にも思っていない。
「俺、少し分かんないことがあるんだ。」
その目は少し怯えてるようにも見えて、私は手を止め、お粥の器をを机の上に置いた。
「俺はお前から夢を奪い、恐怖のどん底に突き落とした。俺はお前に二度と顔を向けてもらえないと思っていたし、覚悟もあった。」
「じゃあなんで、今も私がこうしてくれるかってこと?」
「ああ、そうだ。」
頷く彼。
「私だって練に心配かけたし、練を苦しめたし傷つけもした。人生が変わっちゃったのは運命を恨むしかないよ。」
「お相子ってか。さすがにこっちの方がまだ軽い気がするんだが。」
また不服そうな顔。今日の練はそんな表情ばっかだ。そんな表情しか見せてくれないならこっちだって考えがある。
「じゃあ、練には責任とってもらおうかなー。」
「おい待て!聞きようによってはいかがわしい言い方だぞそれは!」
ほーら、前みたいな顔だ。
「ふーん。そうとっちゃうんだ。練のエッチ。」
「お前の言い方がいけないんだろ!なんかお前、前よりもからかってこないか?」
だって、嘘つかれて暫く放っておかれたんだもん。これぐらいのお返しはさせてよ。
「まったく…許してくれなくてもよかったんだけどな。」
「別に許すも許さないも私の勝手でしょ。夢を失ったのは少なくともあなたのせいじゃないとは思うけど。この前の嘘については…」
そう言って意地悪い笑みを浮かべてみる。
「今後次第かな。」