海に潜むもの
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雨に打たれる海上を、スラスターを吹かして3機の〝グレイズリッター〟が密集して疾る。2機が、うなだれて動きのない1機を両脇から抱える形だ。
カルタ・イシュー及びその親衛隊………の無残な敗走だった。
『………良かったのか、勝手に撤退して』
『バカを言うな! あんな連中、我々だけでは全滅するだけだ! カルタ様を回収できただけでも僥倖。この方さえいれば………』
『わ、我ら地球外縁軌道……統制統合………艦た………』
憔悴極まれり。いつもの覇気をすっかり失ったカルタに、残された二人の親衛隊員は『『面壁九年!! 堅牢堅固ッ!!』』と唱和を返して、
『捲土重来の機会は必ずあります!』
『今は逃れ、再起を図りましょう!!』
カルタは何も答えない。無理もない。ギャラルホルンがかつて経験したことのない、激しく、そして厳しい戦いだった。
そう。まるで話に聞く〝厄祭戦〟のような………
やがて、カルタ機以下3機は、水上艦隊生存者の救助に追われていた補給艦上に着艦した。
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ミレニアム島におけるギャラルホルンの無残な敗北。
指揮官であるカルタ・イシューやその親衛隊の残存兵力を除いてほぼ全滅。さらには経済圏オセアニア連邦のストップがかかっていたにも関わらずカルタの独断で事が進められた結果………オセアニア連邦とギャラルホルンの関係は急激に悪化。
その影響はアーブラウでも、
「話が違うではありませんか」
エドモントン市内にある、女流政治家アンリ・フリュウの邸宅。市内の最高級住宅街の中でも特に敷地が広く、豪奢な屋敷であり、アンリ・フリュウ氏の経済的・政治的影響力の絶大さを如実に示していた。アーブラウ政財界最大のフィクサーの呼び声高い蒔苗老が失脚した今、この女性の影響を覆せる勢力は多くない。
そんな彼女の詰問に、男…セブンスターズが一席イズナリオ・ファリドは悠然とした表情を崩さなかった。それがさらにアンリの癪に触ったようで、
「蒔苗東護ノ介は亡命先の島から一歩も出ることなく選挙は終わる。わたしは無事にアーブラウの代表となり、すべての実権はわたしたちの手に………そのはずだったのでは?」
それには答えず、イズナリオは忌々しげに、
「余計な真似をしてくれたものだ、カルタめ。セブンスターズにおけるイシュー家の地位を守るために、わざわざ後見人となり、ここまで引き立ててやったというのに。役立たずのはねっ返りめが………」
カルタの実の父親であるイシュー公は病床にあり、その地位や執務の一部をイズナリオが肩代わりし、カルタの後見人にもなりギャラルホルンにおいてすぐに高い地位を得られるよう手助けしてやった。
だというのに………
一方、自分の懸念を無下にされたアンリは口を曲げて、
「蒔苗の行方は依然、不明のまま。もしも議会に現われたら……」
「………案ずるな。目的地がわかっている以上、網さえ張っておれば洩らす心配はない。そうだなテオール?」
ここまで同伴してきたギャラルホルン士官、テオール・エルナール一尉は「はっ!」と完璧なギャラルホルン式敬礼を見せ、きびきびと答えた。
「我らファリド家直属部隊を中心に各地のギャラルホルン・アーブラウ駐留部隊を呼び寄せております。3日以内にネズミ一匹市内に入れぬ完璧な布陣をご覧いただけるかと」
「お前たちの働き、期待しておるぞ」
「はっ! イズナリオ様に拾っていただいたご恩、我らイズナリオ様親衛部隊、命に代えてもお返し申し上げる覚悟でありますッ!!」
金髪碧眼の、幼い頃はイズナリオお気に入りの男娼としてその華奢な身体を捧げてきたテオール。
彼だけではない。風評などの問題や閨で世話になった経緯から、イズナリオは成長した少年男娼たちを使い捨てるような真似はしなかった。就学の援助やイズナリオの息のかかった企業への就職の斡旋、特に身体が強く忠誠心の篤い者はギャラルホルンに入隊させてやるなど父親のように面倒を見てやり、少年たちを性的に辱める外道な行いの割には少年男娼たちに慕われていた。
テオールの力強い言葉にイズナリオも満足そうに頷き、
「さて、私は一度本部に戻る。2週間後の選挙の結果は変わらん。新代表就任のあいさつでも考えておけ」
それだけ言うとイズナリオはテオールを伴い、格調高い居間を後にした。
二人分の足音が静かな屋敷にしばらく響く。
―――――この時のために慎重に慎重を重ねて事を進めてきたのだ。マクギリスとボードウィン家を縁組させ、イシュー家の娘の後見人となり、セブンスターズ内での地位を固め、何よりも圏外圏で武器や軍事技術を流出させ紛争を惹起することによってあ奴………月を根城にする政敵エリオン公を抑えてきたのだ。
アンリ・フリュウを通じてアーブラウの実権さえ握れば、私の立場は磐石となる。ここで躓いてなるものか………!
「本部に戻るぞ」
「はっ! 既に手配しております」
「そうか………時に、新しく買った少年なんだがな。少々………硬くてな」
「承知しました! イズナリオ様のお気に召すよう、私が手ほどきしておきましょう」
「頼むぞ」
マクギリスの次に、幼少期のテオールはイズナリオのお気に入りで、なかなか慣れない初心な反応を楽しんだものだった。今では、イズナリオが新規に手に入れた少年男娼たちや今の親衛隊のまとめ役でもある彼に任せておけば、明日の夜のことは心配いらない。
事が成就すれば、富も名誉も権力も、まだ汚されることを知らない幼い少年の童貞も思いのまま。
暗い笑みを浮かべながらイズナリオは、彼を待っていた公用車に乗り、フリュウ邸を後にした。
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鉄華団をアーブラウまで乗せるため用意されたタンカーには、地球に降ろした4機の〝マン・ロディ〟のうち未改修だった昌弘の〝マン・ロディ〟のための地上用改修パーツ、改修設計プラン一式が積載されていた。
船内の広大な倉庫に、〝バルバトス〟〝グシオンリベイク〟〝流星号〟〝漏影〟〝ラーム〟〝フォルネウス〟〝アクア・グレイズ〟に並んで3機の〝ホバーマン・ロディ〟。昌弘の〝マン・ロディ〟はその横で、静かに地上で戦える時を待っているかのようだ。
「っし! 待っててね昌弘君! こっちの機体もすぐに〝ホバーマン・ロディ〟にしてあげるから」
「お願いします。あの、俺も何か………」
「いいっていいって! そういえば何か食堂で青空教室やってるらしいじゃん。そっちに行っておいでよ」
「俺は、別に………」
「手伝ってくるならもっと専門的なスキルを持った人に手伝ってほしいんだよね~。数学とか、科学とか、クーデリア先生に手取り足取り教わってきなよ」
フェニーは軽く昌弘を押し出してやり、「………っす」と昌弘は、いつものように肩を落とした姿勢でその場を後にした。
出入口の脇で事の次第を見守っていた俺は、昌弘と入れ違いに倉庫へと入った。
「よう。フェニー、整備組は皆昼に行ってるぞ」
「え!? 外暗いから分かんなかった。ま、昼はいいや」
「一日三食食わないと逆に太るぞ。ほら、弁当でよかったらアトラから貰ってきたから」
弁当のパックをフェニーに放り、「お。さんきゅ!」とフェニーはそれを受け止め………床に胡坐をかいて蓋を開けた。
「………どっか座って食おうぜ」
「いいじゃない。別にスカート履いてる訳じゃないし」
袖の短い作業着に鉄華団から借りたジャケット姿のフェニーは、俺の忠告にも構うことなく中に入っていた大きな2斤のサンドイッチを一つとって頬張った。
俺も、向かい合うように座り込んで、自分の弁当パックを開けた。
「カケルも今からお昼?」
「食堂で食ってきたけど………ここに来るまでに腹が減ったからな」
「………消化早すぎじゃない?」
「ドクターが言うには消化器官が人より優秀なんだとさ」
2斤の大きいサンドイッチのうち一つを、大きく口を開けて一口で食ってやった。
「………もっと味わって食べなさいよ」
「ははへっへんはははひょーははいはろ(腹減ってんだからしょーがないだろ)」
しばらく咀嚼してから嚥下し、ドリンクボトルにストローを突き刺して中身を少し吸い飲んだ。フェニーにも、もう一つを渡してやる。
「ん、ありがと」
「そういや、結構なモビルスーツの数になったけど、大丈夫か?」
「まあ、どれも宇宙できっちりリアクターの調整とかしてるし。クランクさん? だっけ、あの人が持ってきた〝フォルネウス〟とか〝アクア・グレイズ〟とかも事前の調整と整備がしっかりできてるから、今優先すべきなのは昌弘君の〝マン・ロディ〟の改修と〝ラーム〟の重力下仕様への調整よね。ただ………」
「ただ?」
「〝ラーム〟は本体重量かなりあるから、その分リアクターから出力引き出したり、駆動部の強化とかしないといけないのよね。そうじゃないとまともに動けないか………基礎フレームにヒビが入って自重で壊れるかも」
ドルトコロニーで改修されてから、元から重厚だった〝ラーム〟はさらに装甲が分厚く、50tの大台を超えてしまっていた。ブルワーズの〝グシオン〟が44.4tであることを考えると、どれだけ重いかよく分かるだろう。これを重力下で取り回すには、確かにパワーがあればあるだけいい。
ん。とフェニーが差し出してきたのは〝ラーム〟の改修プランが表示されたタブレット端末。受け取って、軽く目を通してみる。
「リアクターの調整に、駆動部パーツの追加・交換。ソフトウェアの調整………エドモントンに着くまでに間に合うか?」
「〝マン・ロディ〟の改修終わったら私がつきっきりになるから、意地でも間に合わせてみせるわ」
「専属メカニックって訳だな。よろしく頼むぜ」
そう笑いかけてやると、フェニーは少し顔を赤くしてそっぽ向き、
「………わ、私はさっさと〝フォルネウス〟を弄り回したいのに。アンタが面倒な機体をこしらえてきてくれたお陰でお預けよ!」
「〝ラーム〟を6トン太らせたのはフェニーだと思うんだが………」
なにおー! とフェニーがムキになったその時。一人、誰かが入ってきた。ダンジだ。
「あのー! カケルさんこっちにいませんか!?」
「おう! ここにいるぞ! どうしたダンジ?」
「団長がカケルさん呼んで来いって。これからのことについて話するそうっすよ」
了解。と俺は残ったもう1個のサンドイッチを一気食いしてドリンクで軽く流し、立ち上がった。ここはフェニーに任せておけば問題ないだろう。
「じゃ、後でな」
「ん~」
自分のもう1個のサンドイッチを咥えながら、軽く手を挙げるフェニー。
それにハイタッチしてやり、俺はダンジの待つ入り口へと走った。
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「っす! カケルさん連れてきたっス!」
ダンジに連れてこられたのは、タンカーの応接室。
集まったのはソファに腰を下ろしてコーヒーを嗜む蒔苗老の他、傍に控える彼の秘書と、オルガ、ビスケット、それにクランクだ。
「おうダンジ。忙しいのに悪かったな。昼、行って来いよ」
「うっす団長!」
ダンジはきびきびと扉を閉めて、タタタ………という駆け足が徐々に遠ざかっていった。
そして集まった俺たちを前に、「お集まりいただきありがとうございます」と前置いた上で、クーデリアは口を開いた。
「――――この船は今、会議場のあるエドモントンを目指して進んでいます。ですが、そこへ着くまでの間、ギャラルホルンは二重三重の罠を張って、私たちを待ち構えているはずです」
「ここまで事が大きくなった以上は、ギャラルホルンもなりふり構っていられないだろうからな。厳しい戦いになるだろう」
クランクの言葉に、クーデリアも小さく頷いた。そして踵を返して、背後の世界地図へと向き直る。
「………そこでひとまず、針路を変えようと思います」
「変える? どこに?」
蒔苗の疑問に、クーデリアが地図上で示した先は、北アメリカ大陸の北方の都市【ANCHORAGE】。アーブラウの都市の一つだ。北アメリカ大陸有数の港湾都市でもある。
「アラスカ・アンカレッジです」
「アンカレッジ? そんな所で降りてどうするつもりだ」
「だいぶ、距離がありますけど。移動手段は?」
「アンカレッジの港で船を降り、テイワズの現地法人が持つ鉄道に乗り換えます」
鉄道? とその単語に馴染みのないビスケットやオルガ、それに蒔苗の秘書が首を傾げる。だが蒔苗老は「ほぉ~」と感心したように、
「なんと、そんなものがまだ残っておったか」
「週に一度、テイワズの定期貨物便が、アンカレッジからフェアバンクスを経由し、エドモントンまで走っています。定期便ですから怪しまれることは、まず無いはず。それに、都市部を外れた路線ですから、エイハブ・リアクターの影響で電波障害などを引き起こす心配もほぼありません」
「ふむ、なるほどな。それなら堂々とモビルスーツを輸送することができる。だが、肝心のテイワズが鉄道のチャーターに応じてくれるのか?」
クランクの疑念に、ご心配なく、とクーデリアは応えた。
「テイワズとはすでに話がついています。航路の変更についても、モンターク商会の了解を得ています」
道が拓けていく。
これだけのプランを考え付くに、どれだけの情報を摂取したのか。そう思いを馳せると、いかにクーデリアが責任感と決意を以てこの仕事に取り組んでいるか、よく分かった。
蒔苗も「ほっほっほ」と満足そうに笑い、
「いやはや、見事なものだ。地球に来たのは初めてだと聞いていたがよく思いついたな」
「勉強しました。いろんなことを。託された思いを形にするために」
火星の貧困問題の解決。
鉄華団の少年兵たちの未来。
そして犠牲になった者たち。
彼女が背負うものはあまりにも大きい。だが鉄華団や俺、クランクはそれを共に支え、共に歩む覚悟だ。
クーデリアは決して一人ではない。
そうか、うむ。と、蒔苗もクーデリアの渡航計画に大きく頷いて首肯した。
「儂に異存は無い。全て任せよう」
その言葉に、クーデリアはホッとしたような表情を見せ、深く一礼した。
「ありがとうございます。つきましては蒔苗さんにもいくつかお願いしたいことがあります」
「ほう?」
「アンカレッジには、アーブラウ内の蒔苗派の有力議員であるラスカー・アレジさんという方がいらっしゃいますね?」
アンカレッジ選出のアーブラウ議員だ。情報チップのデータによれば、蒔苗内閣において大臣職や官房長官などを歴任した経歴を持ち、蒔苗老からの信用も篤いと言われている。
蒔苗は「うむ、確かにいるな」と頷いた。
クーデリアは続ける。
「その方の力をお借りして。鉄道への乗り換えが速やかに、しかも目立たぬよう手配していただきたいのです」
代表選挙まであと2週間を切っている。今は1秒であっても惜しい状況だ。
それと同時に民間港でモビルスーツ………しかも誰もが滅多に目にすることができないガンダムフレームの姿が捉えられれば、瞬く間に噂は世界中に広まる。ギャラルホルンの検閲著しいとはいえ、一応は情報化社会だ。
故に、地元の有力者に、情報管制や鉄華団が寄港する港周囲への立ち入り禁止措置などを依頼できるのが理想だ。
蒔苗は、ここでは大きく頷いた。
「なるほど。………よかろう。手配しよう」
蒔苗はそう言って秘書と目配せする。秘書は承知したように小さく頷いた。実際の連絡や雑事はこの秘書がこなすのだろう。
それともう一つ。クーデリアはさらに注文を追加した。
「代表選に間に合えば逆転できるとおっしゃいましたが、確実に代表に再選されるという保証はありませんよね?」
「………はは。儂が信用できんか?」
政財界の重鎮としての自信がそうさせているのだろう。蒔苗老は自分の復権を疑っていない様子だった。
だがクーデリアは少し瞑目して、
「チャンスは一度きり、打てる手はすべて打っておきたいのです。アレジ議員は、蒔苗さんの派閥の中でも、発言力が高いと聞いています。わたしたちが到着するまでの間、議会でのロビー活動をお願いできますか?」
その要求に、それまで好々爺を気取っていた蒔苗は「なかなか抜け目ない」と一瞬、クーデリアを鋭く見やった。
「心得た。よく言い含めよう」
「!………ありがとうございます」
クーデリアが再度深く頭を下げる。蒔苗は「ほっほ」と好々爺よろしく笑いかけたが、
「………テイワズの親分にモンタークとかいう商人、そして儂か。ずいぶんと男使いが荒いのう、お嬢さん」
「………」
「火星の独立をうたい民衆の心を動かすロマンチストの面を持ちながらハーフメタルの自由化という具体的な成果を手にしようとするリアリストでもある。………良いリーダーになるだろうなぁ」
いいえ。とクーデリアはそんな蒔苗の言葉に、首を横に振った。
謙遜ではない。彼女が真に目指すのは別にある。権力を手にすることではないのだ。
「私はリーダーになど。………私がなりたいのは〝希望〟。たとえこの手を血に染めても、そこにたった1つ、人々の希望が残れば――――――」
「任せとけよ。あんたの道は、俺ら鉄華団が必ず切り拓く」
進み出るオルガ。ビスケットも。
俺とクランクも、一瞬視線を交わし合って頷き合い、同じく進み出た。
「それが仕事ですから」
「誰にも邪魔はさせません」
「荒事は私たちに任せてもらおう」
ビスケット、俺、クランクの力強い言葉にも、クーデリアは目頭を熱くしたように何度も目を瞬かせた。
「――――はい! よろしくお願いいたします!」
「儂からも、よろしく頼むぞい」
かくて、今後の方針を決定した鉄華団は―――――――
『エイハブ・ウェーブ反応ッ!! 船の後ろから二つ! こっちに近づいていますっ!』
『海だ! 海の中に敵がいるっ!!』
敵の襲来を知らせる警報が、一時の平穏を容赦なく打ち破った。