今日は原作最終話が放送されてからちょうど1周年だそうですね。
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火星。
長らく地球経済圏の植民地として、不平等な経済協定の下に貧苦を強いられてきたこの星に、激震が走った。
クリュセ自治区首相の娘、クーデリア・藍那・バーンスタインが地球の経済圏の一つ、アーブラウとの交渉により経済協定の一部改訂――――火星ハーフメタルの規制解放という成果を勝ち取ったのだ。
正式な発表を前に、いち早く情報を手にした火星の政財界は、利権の確保のため水面下で動きを始めつつある。
クーデリア・藍那・バーンスタインの護衛という大仕事を達成し、親組織であるテイワズに火星ハーフメタル利権という手土産をもたらした少年兵たち………〝鉄華団〟も、嵐の前の静けさを前に――――――
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火星。
クリュセ市繁華街。
古びた薄暗い通りは派手な色彩のネオン看板で照らされ、給金で懐を暖かくした労働者たちがフラフラと彷徨っている。求めるのは酒、それに女。
その中にある酒場の一つにて。
「―――――お前らァ! 今日は初仕事の成功祝いだ!! しっかり飲んで食って、楽しんでけよォ!!」
団長の音頭に「オオオォーッ!!」と団員たちは騒々しく応えて、次々と運び込まれてくる脂ぎった料理、それに酒にがっつきまくっていた。
酒場は鉄華団の貸し切り。それほど広くない店内は、華のエンブレムをあしらった鉄華団のジャケットを羽織る何十人もの団員で埋め尽くされ、少年たちの騒がしい声が店外にも溢れ出ていることだろう。
「ほら、飲め飲め!!」
「そっちのピザ俺にも!」
「食ったら次、女いくかあ! な、ユージン!」
「お、おうよ! ちったぁマシな女がいりゃいいけどな」
思い思いに騒ぐ団員たち。
シノはユージンを調子よく引き寄せて、同じ席で昭弘はチビチビと酒を口にしている。
オルガはテーブル席の一つ一つに回って、「よォ! しっかり飲んでるかあ!?」とすっかり酒が回った様子で、団員たちに絡んで回っていた。
「カケル。乾杯」
「ああ。お疲れ様、フェニー」
その片隅のカウンター席で、俺とフェニーは小さなグラスを軽く打ち交わした。俺のはサイダー。フェニーのは生ビール。
互いにちびちび、と口にしつつ、
「………てか、何で居酒屋で酒飲まないの?」
「うーん。酒はなぁ………」
アルコールは20歳になってから、という現実世界のこともあるが、あんな苦い飲み物を飲んで………意識がグデグデした挙句に腹も変に溜まって満足に食えやしなくなる。俺としては、酒はあまり好きな方ではなかった。
とにかくまずは食い物だ。いかにも脂っこそうな人工肉の揚げ物をよそって、せっせと口に。
味と食感的には………パリパリした唐揚げ、みたいなものか。
「ほら、フェニーも食えよ」
「ん」
フェニーの小皿にもせっせと唐揚げもどきをよそって、次はサラダ。
サラダ自体は見慣れたものだがドレッシングは………あれだな。ピエ〇ロっぽい。
そんな中、既に二杯目に突入したフェニーが
「ぷは~。やっぱ生が一番ねぇ」
「………アルコールのどこがいいのやら」
全然分からん。飯じゃ、飯じゃ。
だが、「なによ~」とビール一杯で顔を赤くしたフェニーがドン! とビール瓶を俺の前に置いて、
「アンタも飲みなさいよぉ。男なんでしょ! ほら、ほら!」
「ちょ………ああ、もう分かったから」
にへ、と笑ったフェニーがなみなみと俺のグラスにビールを注ぎ始める。まだ若干サイダーが残ってたんだけど………
「はい! かんぱーい!」
「………勝利の栄光を君に」
まあ、こっちの世界じゃ飲酒喫煙に年齢制限は無いっぽいし………くいっと一口あおると、ビールの苦みが一気に口の中に広がって、慌てて嚥下しても苦い余韻がしつこく残ってきた。
サラダと唐揚げもどきで口直し。
一方のフェニーは………どこからか持ってきた大ジョッキいっぱいのビールを、一気に飲み干していた。
やべぇ………
「結構、飲むんだな」
「飲み会の時だけだけどねー。………それにこういう楽しい飲み会って、結構久しぶりだから」
「ドルトにいた時は? 飲み会ぐらいあったんじゃないのか?」
「あったけどねー。女はお酌しろだの幹事しろだのってうるさい上司がいたから、全部ばっくれてた」
テイワズ、ひいては木星圏は男尊女卑社会らしい。女性の社会進出はさほど進んでおらず、結婚して家を守るか、それだけの家柄や実家の経済力を持たない者は男がやりたがらない危険な仕事、もしくは娼婦に身を落とすしかないという。
そんな不条理がまかり通る中で、大企業であるテイワズで働くことができたとしても、会社社会の中での肩身の狭さは相当なものだったに違いない。
フェニーも、何だかんだで苦労してるんだな。俺なんかじゃ、推し計ることすらできないけど………。
俺は、手元のビールを飲み干すともう一杯、自分で注いだ。
「ここには、そんな奴いないさ。男も女も関係ない。フェニーも、目いっぱい食って、飲んで、楽しんでくれたら、俺も嬉しいし皆も喜ぶ」
「………ん」
男ばかりの鉄華団だが、何も参加した女性はフェニーだけではない。
「よっす! 飲んでるかぁ~昭弘ぉ?」
「ちょ………酒臭いぞラフタ」
「いいじゃねーかよぉ。男のくせにチビチビ寂しくやりやがってぇ。ほら、もっと飲んだ飲んだ!」
カクテルのジョッキを片手にすっかり上機嫌になったラフタが、ビスケット共々テーブル席の隅でチビチビやっていた昭弘の首に組み付いてきた。「飲め飲め~」と強引に自分のジョッキを押し付けつつ、
「あんただって元デブリ組をまとめてんだから、あんたがしっかり飲まないと周りが遠慮するでしょーが」
「………そ、そうだな」
「よろしい! あ、すいませーん! 生を大ジョッキでお願いしまーす!」
ほどほどに………という昭弘の言葉は、「がーはっはっは!」というすっかり出来上がったラフタの大笑いに容赦なくかき消されてしまった。
「………そういえば、アジーはどうした?」
「えー? アジーならあんたンとこの基地で、ガキ共の面倒見てるわよ」
「そうか。助かる」
「んんー!? なによぉ! あたしよりアジーの方が気になるってのぉ!?」
「い、いやそうじゃなくて………」
酒が回ってやたら絡んでくるラフタに昭弘が辟易としている中、向こうのテーブル席でも、
「こういう所、三日月と一緒に来るの、初めてだね………」
「うん、そうだね。あ、このフライ美味いよ。ほら」
「あ、ありがと………」
向こうの隅のテーブル席にいる二人は、アトラと三日月。三日月は次々料理を口に運んでいくが、アトラは顔を真っ赤にしたまま、両手でグラスを持ったままなかなか動かない。
「ん? どうかしたアトラ。酔った?」
「え? い、いやそうじゃなくて………」
まだカクテルがグラス一杯に注がれたまま。それでも真っ赤なアトラに、三日月は首を傾げたが、
「………そういえば、クーデリアさんも来れればよかったのにね」
「仕方ないよ。地球でまだ仕事が残ってるって言ってたし」
「そだね。でも、大丈夫かな? 一人で」
「クーデリアがやってる仕事は、俺たちじゃ手伝えないから」
今頃、クーデリアは一人、「三日月たちを幸せにする」ための仕事に走り回っているのだろう。三日月たちにはよく分からないが、とても大事なことで、クーデリアが本気でそれに取り組んでいることは三日月にも分かっていた。
「だから、俺たちは火星で待っていた方がいいと思う。クーデリアなら、きっとやってくれる」
「そ、そうだよね!………よし! クーデリアさんが帰ってきたら、たくさんご馳走作ってあげるんだから! あ、この料理とかウチでも作れないかな………」
すっかり調子を戻したアトラに、三日月は自然とかすかに笑みをこぼしつつ、大皿からピザを一つ摘んで口に運んだ。
「よォ! みんな楽しんでるかぁ~」
オルガが機嫌よくビスケットに絡みつく。「酔ってるね……」とビスケットは苦笑しつつ、
「みんな楽しんでるよ。お疲れさん」
「おうよ」
コツン、と軽く互いのグラスを打ち鳴らして、オルガは残っていたグラスの酒を一気に仰いだ。
「そんなに飲んで、また歳星の時みたいに………」
「んな固ぇこと言うなって。これから忙しくなるんだ。今日ぐらい皆にゃ羽目を外してもらわねえとな」
団長ー! こっち来いよー! という団員の声に「おう!」と気さくに応えつつ、
「明日は農園にも顔出すんだろ、ビスケット? お前こそ無理すんじゃねえぞー」
「はは。オルガみたいな無茶はしないさ」
ユージンはすっかり酔い潰されてテーブルに突っ伏し、「ユージンー! あたし寂しいわぁ~」などとシノにちょっかいをかけられている始末で、昭弘も、
「はい! 昭弘君ビール2本目行きまーす!」
「い、いや俺はもう………」
「んなにぃ~!? アタシの酒が飲めないってのぉ!?」
「………あんたが酔い潰れたら俺が運ばねえといけねえんだからよ」
「きゃ~! イケメーン!! ………ほら飲め!」
「結局飲ませるのかよ」
他の団員たちも思い思いに過ごす光景に、ビスケットは笑みを隠しきれなかった。
今まで………CGS参番組として大人たちに使い潰されてきた時には想像もできなかった光景だ。あの時は死なないこと、生きていくことだけで精一杯だったのに。
「お前らァ!! 今日はトコトン飲むぞーッ!!」
応――――――ッ!!! という鬨の声に気を良くしたオルガはさらに一杯、ピンクのカクテルを一気飲みして団員たちに絡むべく他のテーブル席へと飛び込んでいった。
ビスケットは苦笑しつつも一言、
「後で連れ帰るのが大変だろうなぁ………」
▽△▽―――――▽△▽
何も楽しんでいるのは年長の団員だけではなかった。
煌びやかな夜のクリュセ市から遠く離れた、薄暗闇に閉ざされた鉄華団火星本部基地。
うわ―――――っ!! という幼い少年たちの歓声が、食堂から響き渡った。
「すんげぇお菓子!」
「こんなにたくさんっ!」
「全部俺たちだけで食っていいの!?」
並べられた色とりどりの菓子、ケーキやチョコレート、クッキーなど。大皿に山盛りに積み上げられたそれを前に、年長の団員たちに代わって基地を守っていた年少組や幼年の少年兵たちは目を輝かせた。
ああ。と年少組らのお守りを買って出たアジーは頷く。その隣でエーコもうんうん、と、
「団長さんからのご褒美だって! 皆で仲良く食べてね!」
「「「「「「いただきまーすっ!!!」」」」」
無邪気にお菓子に飛びつき始めた子供たち。早速どこかしこで我先にと取り合いが始まるが、「こら、喧嘩するんじゃないよ」とアジーが引き剥がして回る。
こういう時、タカキが率先して年少組たちをまとめるのだが………
「皆に行き渡ってるー? 独り占めしちゃダメなんだからねー」
「あれ? タカキどこだ?」
「さあ、さっき地下に降りてったの見たけど………」
すっかり自分の皿にケーキや菓子を積み上げたライドやダンジがキョロキョロ見回していると、
「――――ほら! 皆、こっちだよっ!」
「い、いや俺らは別に………」
「いいからっ! 団長から皆に食べて欲しいって言われたんだからさ!」
「お、俺らはデブリで、日頃しっかり食わせてもらってるし………」
遠慮するアストンを「ほらほらっ」と背中から押すタカキ。それにつられるように2、30人ほどの一団が地下のモビルワーカー出入口からひょっこり出てきた。
ブルワーズから保護された元ヒューマンデブリ組の少年たち。遠慮するように地下のモビルワーカー格納庫で仕事を続けていたのだが、タカキに引っ張り出されてきたのだ。アストンたちは気まずげに食堂に並べられた菓子の数々に目をやって、
「俺たちが一緒だと、何か悪いから………」
「そんなことないだろっ? 同じ鉄華団の、家族じゃないか! 一緒に食べよう、ね!」
でも………と、尚も遠慮しようとしたアストンたちだったが、年少組の子供たちはニッと顏を見合わせて、
「ほら、こっち来いよっ!」
「この菓子美味いぜ!」
「飲み物はこっちにあるからね」
「たくさんあるんだから、遠慮するなよな!」
ライドやダンジ、それにエンビ、エルガーといった幼い少年たちも元デブリ組の少年たちをぐいぐい食堂に引き込み始めた。最初は戸惑いがち、遠慮がちだった元デブリ組たちだったが、元デブリ組の一人、ビトーがおずおずとクッキーを口に運び、他の少年たちもぎこちなくそれに続いた。
「い、1個食ったからいい………」
「なに言ってんだよー! ほら、こっちも美味いぜ!」
「あ、これ………ブリガディーロだ」
「ん? 知ってんのかペドロ?」
「うん………。地球の、俺の地元のお菓子。懐かしいな、もう何年も食ってないや………」
ぎこちなさを残しつつも、恐る恐る菓子を口に、徐々に徐々に表情が明るくなっていく元デブリ組の少年たち。
まだ幼い子供たちの和気藹々とした光景に、一歩離れた所から見守っていたアジーとエーコは、互いに笑みをこぼし合った。
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「珍しいなぁ。あんたがこんな所に来るなんて」
「ここの少年たちは健康男児ばかりで、団医としては退屈極まりないからね。………まあ、お陰で私としては定収入を得つつ阿頼耶識システムの研究に注力できて万々歳な訳だが。だが、どうにも話し相手がいないと落ち着かん。カケル君は飲みに出かけたというし。研究の被検体になるべきエンビ君とエルガー君は一向に捕まらん。ふん、全くけしからん事態だ」
地下のモビルワーカー格納庫。居座っていた元デブリ組の少年団員はタカキによって全員連れ出されて、がらんと静まり返っている。
雪之丞と、それにいつもは医務室に引きこもっている(日頃の言動のせいで半ば閉じ込められている)ドクター・ノーマッドは、コンテナに腰を下ろしつつ、雪之丞は葉巻を、ノーマッドは安煙草を取り出した。
「………医者でも煙草はするんだな」
「ニコチンの少量摂取はストレスマネジメントの観点から有益だからね。………ああ、火はどこにやったかな?」
白衣のポケットを弄るノーマッドに「ほらよ」と雪之丞は金色ライターの火を差し出した。
「ああ、どうも。………驚いたな、純金製か?」
「昔のマルバからな。金メッキの、10ギャラーライターより少し高ぇだけの安物だが、どうにも捨てがたくてな」
「マルバ………ああ、鉄華団の前身組織の社長のことかね。非常に強欲で倫理の無い人物と聞いているが」
「マルバと出会ったころはお互いまだ若くてよぉ。あんなクソ野郎じゃなかったんだがなぁ………」
「環境が人格を変えてしまうという例は枚挙にいとまがないよ。特にこのような、命の危険に晒される業種の、構成員の死に責任を持つ立場の者なら尚更ね。相当なストレスに晒されていたことだろう」
「そうかも知れねえな………。昔は責任感が誰よりも強くて、面倒見のいい奴だったんだが………」
ふぅ、と煙草の煙を吐き出す雪之丞の表情に、暗い影が走ったのをノーマッドは見逃さなかった。
歳星からの新参者であるノーマッドにとっては面識のない人物だ。団員たちの会話を小耳に挟んだところ、自分たちをこれまで使い潰してきた業突く張りのクズ野郎、とだけ。だが、何も生まれてからずっとそのような人物であった訳ではないのだろう。
遠くを見るように見上げ、嘆息した雪之丞を見るだけで、ノーマッドには一目で理解できた。
「マルバ・アーケイ氏のことは一目置いていたんだね」
「昔の、だけどな。………いつからかスラムのガキを仕入れて、博打みてェな阿頼耶識を仕込んで使い潰すようになっちまって、結局あのザマだ。ま、資源採掘衛星にぶち込まれただけで死んじゃいねぇみてーだし、多少は改心してくれりゃいいんだがなぁ」
やがて、すっかり大半が灰になって短くなった葉巻を、雪之丞は義足で踏み潰す。ノーマッドは携帯灰皿に押し込んでそれぞれ立ち上がった。
「んじゃ、仕事に戻るかぁ」
「私も。オルクス商会から保護した元ヒューマンデブリの子供たちのカルテを整理せねば」
ノーマッドのその言葉に、「おおそうか」と雪之丞はふと顔を上に上げた。
「今は〝方舟〟にいるんだったか?」
「ああ。確かチャド君とダンテ君が上に上がって面倒を見ているよ。………長期間無重力・低重力空間での労働を強いられ、しかも栄養失調寸前の状態では火星の重力に身体が耐えられないだろうからね。これからしっかり食事を与えて栄養状態を改善し、健康と筋肉を回復してから火星に下ろす予定だよ」
元ブルワーズのデブリ組はデブリ帯で保護された後、地球に到着するまでにしっかり食事を与えられて簡単なトレーニングができる程度に筋肉もつき、問題なく地球に降下することができた。
育ち盛り、成長期の子供たちなら、現代の栄養事情も鑑み、およそ2、3ヶ月もあればすぐに回復する。
「また、ここもガキばっかで騒がしくなりそうだなぁ」
「精神衛生の観点から言わせてもらえば、健全な理由で子供たちが騒々しいことは歓迎すべきことだよ。まあ、鉄華団の稼業は到底健全とは言い難いが、………だからこそ子供らしさ、人間らしさは大切にしてもらわなければ」
「………へぇ。あんたもマトモな所はあるんだな。最初に会った時にゃ、頭のネジが外れた医者かと思ってたんだが」
無論。とノーマッドはフン! と鼻を鳴らした。
「エンビ君とエルガー君が私にその身体を差し出してくれると言うのであれば、私は責任を持って阿頼耶識システムの適合と双子の相関性の研究のために彼らを解剖する所存だよ」
「………少なくとも、まだネジはしっかり外れてるみてーだな」
「何を言う! いいかね、人類医学の進歩のためにエンビ君とエルガー君は喜んで背中を切開されるべきなのだよ。まあ、兄弟等の血縁関係と阿頼耶識システムの適合相関性調査のために、昭弘君と昌弘君にもヒアリングと検体の打診をしなければならないとは常々だね………」
相手にしてられっかよ………、とぼやく雪之丞は義足を鳴らしながらさっさとその場を立ち去ってしまう。
他にカケルのような人の良い聞き手が空いている訳でもなく………またドクター・ノーマッドは「全く! けしからん事態だ」とぼやきながら、一人寂しく医務室へと戻っていった。
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「んじゃ! 俺らはここで。うへへへへ………」
「お、俺はあれだからな! シノが羽目を外し過ぎないようにだなぁ、仕方なく………」
「はは、分かってるよ。じゃあ、明日の朝迎えを送るから」
おう! じゃな! とシノとユージン、それに数人の団員がクリュセの夜の街へと消えていく。ボーナスが支給されたとはいえ、ユージンの言う通り羽目を外し過ぎなければいいのだが………
ビスケットはそれを見送りながら、ふと、
「………問題はこっちをどうするかなんだよなぁ」
用意されたトラックに乗って、これから大半の団員が鉄華団の基地へと戻ることになる。
なのだが、
「おえ………げほっ! げほ………」
「大丈夫? オルガ」
電柱によりかかって吐きむせるオルガ。気づかわしげな三日月は、すっかり眠りこけてしまったアトラを片腕で器用におぶっていた。昭弘も、「うぅ~ん」と覚束ない足取りで寄りかかってきたラフタを支えながら「おいおい……」と目を白黒させている。
オルガだけではない。飲み過ぎて気分を悪くした団員が、その場にうずくまったり倒れこんだり、それを他の団員が慌てて肩を貸して立ち上がらせる始末だった。それに、
「ちょっとカケル。立てる?」
「ああぁ~………と、刻が見える~」
酔い潰れて目を回しているカケル。同じく飲み過ぎたフェニーが起き上がらせようとしているのだが上手くいかない様子で、ついには「う、ウラガン……このツボをキシリア様に届けてくれぇ~」などという意味不明な言葉を発しながら………何故か今まで大事そうに抱えていた空きビール瓶をフェニーに押し付けて、地面に横になってしまった。
さすがに見かねてビスケットが駆け寄ったが、
「だ、大丈夫ですがカケルさん」
「………うーん………マリア様が地球に降りる前に……地球を……原付バイク乗りの楽園に………うぷ」
「あーあ。ダメだこりゃ………」
よっこらせ、とカケルの腕を肩に回して立ち上がらせつつ、半ば引きずるようにビスケットはカケルをトラックまで連れていく。
「カケルさん、基地に着くまで横にしておいてあげてくれる?」
「分かった。ほらカケル、手を……よっと!」
荷台の上にいる団員、ガットの手を借りてカケルを押し上げると、後は勝手に荷台の座席へと寝っ転がった。フェニーも続いて荷台へと乗せる。
「どんどん乗せて行こう。このままトラックを止めてても迷惑になるだけだしね」
「だな」
バカ騒ぎの時間は終わり。
酔い潰れている者もそうでない者も、次々トラックへと押し込まれていき、満杯になった車両から出発していく。
「ほら、オルガも」
「ああ………帰るのか。家に………」
ほとんど寄りかかるようなオルガの言葉に、ビスケットは微笑を漏らした。
そうだ。今から戻る場所は、俺たち鉄華団みんなの、帰る家。
「そうだよ。………さ、帰ろう。俺たちの家に」
▽△▽―――――▽△▽
「親父、鉄華団は無事火星に戻りました。地球からのニュースはまだ火星には届いてないようで、騒ぎになるにはもう少し時間がかかるかと」
『――――そうか。今のうちに、鉄華団にゃしっかり休んでもらわねえとな』
「今頃、クリュセでどんちゃん騒ぎですよ。変な揉め事を起こさなきゃいいんだが………」
火星軌道上にある民間共同宇宙港〝方舟〟。
〝イサリビ〟と並んで停泊しているタービンズの強襲装甲艦〝ハンマーヘッド〟の応接室にて。
名瀬はソファに腰を落ち着けて、テーブルに立て掛けたタブレット端末に向き直る。
QCCSモードの端末に表示されている通信相手の名は
――――【MCMURDO BARRISTON】
『クーデリア・藍那・バーンスタインの地球での交渉が成功した今、火星ハーフメタル事業は圏外圏で一番熱い商売になる。お前らタービンズにも、お前の弟の鉄華団にも、これから大いに働いてもらうからな』
「もちろんそのつもりですよ、親父。その件で、ノブリス・ゴルドンとは話がついたんで?」
『ああ。有望な土地の所有権委譲の段取りは完了済み。後は、揃えた資材を運びこんで火星ハーフメタルを片っ端から掘り起こすだけだ。俺たちテイワズは採掘と流通。モンターク商会は一次加工、ノブリスには業者間の仲介に立ってもらう』
「テイワズ、ノブリス、それにモンタークの三大巨頭で利権を押さえちまうという訳ですね?」
『はは、人聞きの悪ぃこと言うんじゃねえよ。火星ハーフメタル事業が軌道に乗れば、火星経済も一気に上向くからな。………お嬢さんにとっても悪い話じゃねえ』
火星ハーフメタルの規制解放によって、火星はハーフメタルの自由な算出と流通が認められることとなる。それに価格決定権も。
当然、その巨大なパイの恩恵に預かろうと火星のみならず木星圏、それに地球からも業者が押し寄せ………少しでも多くの利益を手にするために大なり小なりの紛争に発展することは想像に難くない。
だがテイワズという巨大な重石があれば、中小の業者ではおいそれと火星にちょっかいをかけることはできない。クーデリアが指名し、火星ハーフメタル事業における正当性と大義名分を手にしたテイワズ、ノブリス、モンターク商会が利権を確保し、パイの分配役になることによって紛争は抑止される。
最も、この利権において最も特をするのはテイワズであることに変わりはない。そして、その傘下組織であるタービンズや鉄華団は、優先的に恩恵に浴することができる。
『火星ハーフメタルの独自流通経路の構築は名瀬。お前に任せる。それに今ウチで開発中の新型モビルスーツも、ロールアウト次第優先的に鉄華団に格安で供給する。……このシノギ、海賊共も黙っちゃいねえだろうからな。鉄華団を上手く使ってみせろ』
「分かってますよ、親父」
地球―火星航路で暴れまわっていた宇宙海賊ブルワーズを壊滅させ、そして人類最強の武装組織であるギャラルホルンにも一発……どころかボコボコにぶちかました鉄華団だ。この組織を前に、テイワズにちょっかいをかけてやろうと考えるものは、そう多くないだろう。
『これから、ますます忙しくなるぞ、名瀬。それに事と次第で………組織間の戦争が起こるかもしれん。ギャラルホルンもこれから、やっとこさ圏外圏の治安維持に力を入れるって話だ』
「鉄華団を確保できたのは大きいです。このままいけばあいつらは間違いなく、圏外圏一の武闘派組織になる。鉄華団はタダの鉄砲玉で終わるような連中じゃあない」
『ふ……違ぇねえ』
その後、事務的な内容の通信を二、三交わし、歳星にいるマクマードとの通信は終了した。
【DISCONNECTED】
【CALL OFF】
役目を終えたモニターが暗転し、名瀬は小さく息をついて深々とソファに沈み込む。
と、応接室の扉がスライドし、アミダが中に入ってきた。その手に握られているのはいつものブランデーのボトルと氷が入ったグラス。
「あまり根詰めてちゃ、身体に悪いわよ」
「ああ、アミダ。済まねえな」
「で、どうたったんだい? 親父さんとの話は」
「鉄華団についちゃ問題は無いな。大事な弟分なんだからな、仕事にあぶれるような真似はさせねえよ」
「相変わらず面倒見がいいねぇアンタは。………ついでにアタシらの面倒もそろそろ見てもらいたいんだけどねぇ」
ぎくり、と思わず名瀬の背が若干跳ね上がった。ここ最近は鉄華団絡みの騒動が続いたせいで、嫁たちの相手を全くしていなかった気がする。
「………つ、ついでってのは良くねえ言い方だな。俺はいつだってお前らを最優先に考えてただろうが」
「じゃあアタシとラフタとビルトにエーコに………最近ほったらかしにされて、皆、我慢に我慢を重ねてさ………」
「は、はは。お手柔らかに頼むよ」
鉄華団のことといい、嫁たちといい、今夜はおちおち眠れそうにないな………。名瀬は内心嘆息するが、そんな慌ただしい日常もひっくるめて、今を心行くまで楽しむことに決めた。
▽△▽―――――▽△▽
「あ………」
「うむ? どうかしたかの?」
「い、いえ。月が………」
開け放たれたふすまの向こう。ニホン庭園と呼ばれる、自然石と草木を組み合わせた、質素ながら独特の美しさを持つ庭園から少し視線を上げると、満月がほのかに夜空を照らしていた。
厄祭戦によって表面が激しく削られ、この地球から見ても歪み霞んで見える月だったが………それでも、丸い球体であった時と変わらぬ美しさを保ち続けているかのよう。
いつものドレスから、美しい和服に身を包んだクーデリアはしばし、その庭園と満月の幻想的な光景を見つめていた。蒔苗老は、ほほ、と笑いかけながら用意されていた盃に、酒を注いで一口呷る。
――――ここは、エドモントン市内にある高級料亭〝弦月〟。人口が密集する市内でありながら広大な敷地を持ち、その中央にはミレニアム島での館に似た木造様式の拡張高い建物。蒔苗老のような政財界の著名人、上流階級のさらに頂点に位置するような人物でなければおいそれと立ち入ることすらできない、格調と威厳高い料亭だ。
美しい、〝和服〟と呼ばれる日本列島伝来の高級衣に身を包んだ女将が、蒔苗老とクーデリアが通された和室を訪れ、座卓の上に、漆の食器に盛りつけられた、これまた美しい料理を置いていく。
「おいでやす、蒔苗先生。ここ最近はずっとお見えになりませんで、ファリド家関係の方ばかりおいでになっておりましたもので………」
「ほっほ、迷惑をかけてすまなんだなぁ。だが、もう安心せい。こうして代表に返り咲いたからには、ギャラルホルンの若造どもにこの〝弦月〟を好きにはさせんわい」
「まあ、心強いですこと。ギャラルホルンの貴族の方々ときたら、それはもう信じ難い程に無作法な方ばかりで、かのイズナリオ・ファリド様もお見えになりましたが、可哀想に、あんな小さな少年を膝に乗せて………私は、無作法でございましょう? とイズナリオ様にお咎め申し上げたのですが………」
女将の注ぐ酒を、心地よさげに呷る蒔苗老。しばし会話は二人に任せつつ、クーデリアは料理に手を付ける前に、もう一度美しい満月を見上げた。
鉄華団が火星への帰途について1ヶ月。そろそろ、三日月たちが火星に戻ったころだろうか。
これから、火星も慌ただしくなる。火星ハーフメタルの規制解放により、ハーフメタルの産出量は一気に増えることになるだろう。需要も十分にある。雇用が創出されれば貧困の解消にも繋がり、新たな産業への道も開ける。
少しずつ、一歩ずつ着実に、火星は貧困から脱していくのだ。
見上げる満月に、何故か三日月の姿を重ね合わせてしまい、まるで彼が見守ってくれているような感覚に、クーデリアは自然と笑みをこぼした。
「ここの景色が気に入ってくれたようじゃの」
面白がるような蒔苗老の言葉に、ハッと我に返ったクーデリアは気恥ずかしげにはにかんだ。いつの間にか女将の姿はなく、和室には蒔苗とクーデリアの二人きり。
「す、すいません……。火星ではなかなか見れない光景なので」
「なに、構わんよ。歪んで霞んでしまったが、それでも月の美しさは今も昔も変わらん」
「そうですね。この度は素敵な所にお招きいただいて」
「これから忙しくなるからのぉ。明日にはワシの正式なアーブラウ代表就任式。それに合わせた火星ハーフメタルの規制解放宣言。各経済圏主要企業とのコンベンション。やることは山積みじゃ」
「………はい。私にとっての戦いは、これから始まるのだと心得ています」
火星ハーフメタルを、ただ規制解放するだけでは駄目だ。
採掘し、加工し、流通に乗せて初めて利益を生み出すことができる。火星での採掘、一次加工体制の確立、流通経路、主要な消費地となる地球での販売網の構築など、やるべきことはたくさんある。テイワズやモンターク商会とのパイプも厚くし、火星がより多くの利益を得られるように立ち回ることも。
それに、
「地球での段取りが済んだ後は、火星で直接ハーフメタル事業に関わろうと考えています。今フミタン………私の友人に火星での手はずを整えてもらっている所です」
「ほう。………今のお主ならクリュセの政界に打って出ることも夢ではないと思うが」
「いずれは。ですが今はその時ではありません。実際の経済や事業に触れ、そこで働く人々を身近にしてこそ見えてくる世界があると思います。実体験を通じて私は火星をより良い世界にしたい」
ほう………と蒔苗は目を細め、クーデリアをじっと見やった。
だがそれも数秒。すぐに手元の盃を取り上げ、「ほっほ………」と好々爺の顔に戻る。
「なれば余計に、今のうちに英気を養っておかねばな」
「はい。いただきます」
二人はしばし、格調高い料理の数々に舌鼓を打った。
これからクーデリアは火星の人々のために行動し続ける。
今までの漠然とした「火星の人々」「火星の子供たち」の虚像のためではなく、この目で見、肌で触れた火星に住まう者たち………三日月やアトラ、オルガや鉄華団の子供たち、農園の桜お婆ちゃんやクッキー、クラッカーたちのために。
静かに決意を固めるクーデリアを、庭園を照らす満月がじっと見つめているかのように、淡く輝いている。