プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第10話 世界の変革が始まる日 その2

<……サスペンションを交換し、ショックアブソーバーも私特製の最高の物に交換してある>

 

「あぁ、だから走っていても殆ど揺れなかったのか」

 

 ロンドンの一角に停車した車。その前部座席で、ドロシーはプロフェッサーからメンテと同時に組み込まれた追加装備の説明を受けていた。

 

<……まだあるぞ>

 

 プロフェッサーは、運転席の一角にあったツマミを引っ張った。するとかぽっと開いて、小物入れぐらいのスペースが顔を出した。

 

「これは?」

 

<コイン入れだ>

 

「?」

 

<だから、コイン入れ>

 

「??」

 

 プロフェッサーが何を言っているのか分からないと言いたげに、首を傾げるドロシー。

 

<車にコイン入れを付けるなんて、まさに天才の発想と言えるだろう>

 

「……う、うーむ……?」

 

 唸り声を上げるドロシー。

 

 まぁ、プロフェッサー自身も<天才の発想は凡人には分からない>などと常々公言しているし、ならば逆に「凡人の発想が天才に分からない」事だってあるだろう。感性が合わない部分だってある筈だと自分に言い聞かせる。そうして運転席をよくよく見ていくと、ハンドルのすぐ脇に赤と青のボタンがあるのに気付いた。こんなのはメンテ前には無かった。と、いう事はプロフェッサーが新しく組み込んだのだ。

 

「このボタンは何だ?」

 

<まずは、青いボタンを押してみるといい>

 

 カチッ。

 

 プロフェッサーの許可を受けて、ドロシーは言われた通り青いボタンを押した。

 

『♪~ゴリラを挟んで揉み洗い~♪』

 

 車から、陽気な歌が流れ始めた。

 

「……」

 

 じっ、とプロフェッサーを見るドロシー。

 

 カチッ。

 

 流れていた歌が止まった。

 

「……」

 

 微妙に、気まずい沈黙が降りる。

 

 カチッ。

 

『♪~ゴリラを挟んで~♪』

 

 再び、音楽が流れ始める。

 

 カチッ。

 

 止まった。

 

「……」

 

 説明を求める視線を向けるドロシー。プロフェッサーは<うむっ>と頷いた。

 

<運転中に音楽が流れるなど、素晴らしいだろう。まさに天才の発想……>

 

「分かった、もういい……じゃあ、この赤いボタンは?」

 

<ストップ、それは押さないように>

 

 ドロシーの指が赤いボタンへと動くが、横合いから凄い速さでプロフェッサーの手が伸びてきてそれを止めた。

 

「プロフェッサー?」

 

<ドロシー、そのボタンには私が良いと言った時以外は、決して触るな。間違った状況下で押してしまうと……その……色々と、面倒な事になる>

 

「……具体的には、これは何のボタンなんだ?」

 

 忠告に従ってドロシーが手を引っ込めたのを見たプロフェッサーはどかっとシートに背中を預けて、そして答えた。

 

<シートベルトをしっかり締めているか確認する為のボタンさ>

 

 こんなやり取りのすぐ後、アンジェとちせが連れてきた青年を車に乗り込ませて、追っ手を振り切った彼女達はメイフェア校への帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 アンジェ達が連れてきた青年の名はエリック。ケイバーライトの研究者で、自身の研究成果と引き替えに共和国への亡命を希望しているとの事だった。

 

<……あなたを壁の向こうに連れて行く日は調整中。それまではこの部屋で隠れていてもらう事になる>

 

「あ、ああ……」

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 一夜明け、学園の一室では。

 

 エリックは、現れた怪人に目を奪われているようだった。

 

<これを>

 

 サラダとスープ、トーストにオムレツ。典型的な朝食のメニューがテーブルに置かれた。

 

「えっと……き、君? が、作ったのか?」

 

 プロフェッサーは頷いた。

 

<味は保証する、冷めない内にどうぞ>

 

「う、うん……」

 

 おっかなびっくりの手付きで運ばれてきた料理を口にするエリック。しかし一口食べると、顔色が変わった。

 

「うん、美味いよ!!」

 

<当然だ、私は天才だからな>

 

 機嫌良さそうに顔を上下に振りながらそう答えると、エリックの対面の席に同じメニューが置かれて、プロフェッサーも着席する。

 

<食べながら聞いて>

 

 自分の眼前に置かれた料理を、プロフェッサーはビールジョッキのような形状をした器具の中に全てぶち込む。そうした上でその器具の蓋を閉めると、下部にあるスイッチを押した。するとゴゴゴーッという音と共に入れた料理が全てかき回されて、一分もすると全て混ざり合ってクリーム状になった。

 

 プロフェッサーは蓋を開けるとストローを取り出して、先端をマスクの吸気口に接続すると……

 

 ズズズ……

 

 ぐちゃぐちゃの滅茶苦茶になった料理だった物を、吸い始めた。

 

「…………」

 

 見た事も無い食事方法に、エリックは圧倒されているようだった。ナイフとフォークを持つ手が止まって、あんぐりと口を開いている。

 

<見苦しくて失礼。事情があって私はこのマスクを外せないのでね。食事は、こうやって摂る事になる>

 

 プロフェッサーはそう言うと、料理と一緒に運んできた書類を手に取った。

 

<聞いているとは思うが……もう一度確認する。研究所から持ち出した研究成果と引き替えに、共和国はあなたを亡命させると共に約束の金を支払う……よろしいな?>

 

「ああ……その通りだ」

 

<一応、確認する。その研究資料を見せてもらえるか?>

 

「それなら……これだ」

 

 エリックは机の傍らに置かれていたバッグから分厚い紙束を取り出すと、プロフェッサーに渡した。ジョッキ片手のプロフェッサーは食事を続けながら、内容に目を通していく。

 

<……ケイバーライトの製錬技術……共和国には無い、王国独自の研究……成る程、素晴らしい。どうやらあなたは、年は若いがかなり優秀な研究者のようだ。これは、お返しする。あなたの命綱だ、絶対に無くさないように>

 

 プロフェッサーから研究資料を返却されたエリックは、意外そうな顔になった。

 

「分かるのか? この内容が」

 

 自惚れでなく、彼は自分の研究がかなり高度なものであると客観的に評価している。そうであるからこそ共和国はこの研究に目を付けて、自分に亡命を持ち掛けて来たのだろう。それを、眼前のこの……少女? は、理解しているというのだろうか。

 

 エリックの疑問を、プロフェッサーは読み取ったようだった。

 

<当然だ。私は天才だからな>

 

 プロフェッサーは空になったジョッキを置くと、席から立ち上がった。

 

<必要な物があれば言って。可能な範囲で用意する>

 

 そう言って、プロフェッサーは退室しようとするが……すぐに立ち止まった。

 

「人間でも?」

 

<?>

 

「人間でも、良いのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 エリックが求めた人間とは、彼の妹だった。

 

 名前はエイミー。現在、ロンドン市内の病院に入院中らしい。エリックは妹と一緒でなければ亡命しないと言い出した。

 

 どのように対応するかについては、チーム内でも意見が割れた。ベアトリスは二人で亡命させようと言ったし、アンジェは薬で眠らせてエリックだけ連れ出そうと提案した。

 

 結局、プリンセスの鶴の一声でエイミーも一緒に亡命させようという方針に決まったが……しかしその前に、調査を兼ねて一度会っておこうという話になった。

 

 アンジェとベアトリスが、黒いローブに身を包んだプロフェッサーの座った車椅子を押していく。これはいつも通りのカバーだ。プロフェッサーは汚れた空気を吸い込めず直射日光を浴びる事の出来ない闘病中の患者で、アンジェ達はその家族という設定だった。

 

 エイミーが入院しているのは、あまり設備が整っているとは言いがたく入院費用もそれなり……つまり、低所得層が利用する病院だった。

 

 病室に、車椅子を押した二人が入室する。エイミーのベッドは、一番奥の窓際にあった。

 

「……」

 

 ちらりと、アンジェが病室を見渡す。

 

 この部屋にいる入院患者は8名。アンジェの視線の動きが、エイミーの隣のベッドで止まった。

 

 他の入院患者のベッドには着替えやタオルなど日用品が置かれているのに、このベッドの患者だけそうした物が一つも無くて、生活感が無い。空いたベッドに、荷物も持たずに入院の準備もしていない患者だけがぽんと入り込んだようだった。

 

 昨日、エリックを追跡してきた王国側のスパイをアンジェ達は撃退している。アンジェはその事から病院にも敵が居るかも知れないと予想していたが……的中した。家族は人質になる。エリックもしくは彼を亡命させようと手引きしている連中が次に接触するのならエイミーの所であろうと、王国側が網を張っていたのだ。

 

 アンジェは素早くこの病室に来るまでにくすねてきた注射器で睡眠薬を打って、ニセ患者を眠らせた。

 

「……」

 

<……>

 

 ベアトリスとプロフェッサーはこの手際の良さにぽかんとしていたが……気を取り直して、エイミーのベッドに向き直った。

 

「お兄ちゃん? どうして昨日は来なかったの?」

 

 足音を聞きつけたのだろう。毛布を頭から被ったエイミーが、体を起こさずに聞いてくる。

 

「あの、エイミーさん、ですよね?」

 

「……誰?」

 

「エリック・アンダーソンさんからお花のお届けです」

 

「……花?」

 

「あ、はい、綺麗ですよ。ご家族の方ですか?」

 

「あはっ……あははははっ!! 何のつもり?」

 

「えっ?」

 

 ベアトリスの言葉は、唐突にエイミーが上げた笑い声に遮られた。

 

「嘘でしょ!? お兄ちゃんからなんて!!」

 

 エイミーが顔をこちらに向けて……ベアトリスははっと息を呑んだ。

 

<…………>

 

 ぶるっと、プロフェッサーが体を揺すった。

 

 エイミーの両瞳は、翠色の光を帯びていた。ケイバーライトの光。アンジェがCボールを使った時に、全身に纏うのと同じものだ。

 

<ケイバーライト障害……!!>

 

 これは発展を遂げたアルビオン王国が内包する、負の側面である。

 

 ケイバーライト障害は、ロンドン地下に広がるケイバーライトの採掘場や精製場で働く者を中心として発症する視野異常で、軽度のものは視野の歪み程度だが、重篤になると失明に至る。

 

 原因には諸説あるが、ケイバーライトの粉末粒子やガスが体内に取り込まれて視神経に付着する事で発症するという説が現在では一般的である。

 

<…………>

 

 プロフェッサーは、義手の指先でガスマスクのレンズを何度かつついた。彼女自身もケイバーライト障害によって両目を失明しており、現在は自ら開発した義眼によって視力を補っている。またこの右腕は、ケイバーライト採掘場で起きた爆発事故によって失ったものだ。

 

「あんた一体誰!? お兄ちゃんの名前なんか使って最低!! 私にはもう、お兄ちゃんしか居ないのに!!」

 

 エイミーが枕を投げつけてくるが、彼女は視力が無いので全く見当外れの方向に飛んでいった。

 

 毛布がまくれた時、少しだけエイミーの足が見える。

 

「!」

 

<……>

 

 バレエ足だった。アンジェとプロフェッサーの目は、それを見逃していなかった。

 

「帰ってよ!! 帰れ!!」

 

 こうしてエイミーに追い出されるようにして、3人は病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「エイミーさん、ケイバーライトの事故に巻き込まれたんだそうです。手術するには、かなりのお金が必要になるって……」

 

 プロフェッサーの車椅子を押すアンジェの背後を歩きつつ、ベアトリスが話す。

 

「……」

 

<……>

 

 しかし、アンジェもプロフェッサーも一言も発さないのでベアトリスは気まずそうに目を伏せた。何とか話題を変えようと考えて……そして「あ!!」と声を上げた。

 

「そうだ、プロフェッサー!! あの義眼ですよ」

 

 ベアトリスが思い浮かべたのは、先日プロフェッサーがプリンセスに研究成果として提出した義眼だった。これがあればケイバーライト障害に苦しむ多くの人を救えると彼女が力説し、プリンセスが目を輝かせていたあれだ。

 

「あれを使えば、エイミーさんを治せます!! そしたら二人揃って共和国に亡命出来ますよ!!」

 

 素晴らしいアイディアだとベアトリスは笑顔になったが、プロフェッサーは首を縦に振らなかった。

 

<それで、私に何のメリットがある?>

 

「え……」

 

<確かに、私なら治せる。私は天才だし、私の義眼の安全性は、既に私自身の体で実証済み。そして私の研究は、多くのケイバーライト障害で苦しむ人を救う為のもの>

 

 そう言ってプロフェッサーは、ガスマスクのレンズを叩く。

 

「じゃあ……」

 

<だが、私も慈善事業でやっている訳ではない。それなりの費用は必要になる>

 

「具体的には、どれぐらい?」

 

 問いを投げたアンジェに、プロフェッサーは車椅子の上で体を捻り、顔を向けた。

 

<……まだ、医療用義眼は試作段階だから……エリックの給料のおよそ2年分が必要になる。量産体制が確立すれば、もっと安くなるとは思うけど……>

 

「……」

 

<言っておくが、今の時点でも相当に格安だという事は断っておく。普通の病院で手術を受けようとすれば、およそ5倍の金額が必要になる。しかも手術を行える医者が限られているから、数ヶ月からあるいは年単位での順番待ちになる……付け加えると手術では取りあえず見えるようになるだけで視力の低下は避けられないが……私の義眼なら、完全に視力を回復させて、生身の目より良く見えるようにだって出来る……>

 

 淡々と、報告事項でも読み上げているかのような事務的な口調でプロフェッサーが語る。

 

 アンジェは、急にぴたりと立ち止まった。

 

「どうしたんです?」

 

「ちょっと用事が出来た。二人は先に帰っていて」

 

「用事? 黒蜥蜴星に帰るんですか?」

 

 冗談めかして語るベアトリスだが、アンジェはにこりともしなかった。

 

「保険よ。万が一に備えての……」

 

 そう言ったアンジェが、歩き去ってしまう。ベアトリスが彼女の向かう方向にある建物を見やると……

 

「あれは……保険屋さん、でしょうか……」

 

<そう、ね>

 

 ベアトリスが、アンジェの代わりにプロフェッサーの後ろに回って車椅子のグリップを握った。

 

「どうして、あんな所に?」

 

<……優しいな、アンジェは……>

 

 いつも通りのくぐもった声で、プロフェッサーが呟いた。

 

「え?」

 

 聞き返すベアトリスには構わずに、立ち上がるプロフェッサー。

 

<私は、優しくはない>

 

「プロフェッサー?」

 

<すまないがベアトリス、私にも用事が出来た。あなた一人で、先に戻っていて>

 

「え? ちょっと……プロフェッサー……」

 

 呼び止めるベアトリスには構わずに、プロフェッサーもアンジェとは別の方向へと去っていった。

 

 残されたベアトリスは、空になってしまった車椅子を見て困ったように首を傾げたが……やがて諦めたように、学校へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 きらびやかな町並みがロンドンの表の顔だとすれば、裏の顔も当然存在する。

 

 通称幽霊通りと呼ばれる一角も、そんなロンドンの裏の顔の一つだった。

 

 風向きの関係で工場や家庭の排煙が流れてきて太陽を隠し、昼尚暗いこの一帯は治安が悪く、人通りが少なく鬱蒼とした通りでは、夜中で人目が無ければ強盗や刃傷沙汰も日常茶飯事という有様で、警察もその筋の者から賄賂を受け取って彼等の蛮行を黙認し、まともに対応しないという惨状である。

 

 路地裏には浮浪者が溢れていて、柄の悪い連中が幅を利かせているこの場所では、全身を真っ黒いローブで包んだプロフェッサーも、そこまで目立つ存在ではなかった。

 

 この幽霊通りを通った者は、半分が帰ってこないと言われている。理由は簡単、この通りが死体置き場(モルグ)に通じているからだ。この道を通る人間は、半分が死者という訳だ。

 

 プロフェッサーは迷いの無い足取りでモルグに辿り着くと、躊躇いも無くドアを開けて中に入り、地下の死体安置所へと通じる階段を降りていく。

 

 そうして、広い通路に出た時だった。

 

「おい、お前!! ここで何してる?」

 

 背後から、声が掛けられた。酒焼けした、しわがれた声だ。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

<はぁ……>

 

 いつも通りの呼吸音に溜息を混ぜて吐き出すと、プロフェッサーは振り返る。

 

「うおっ?」

 

 初対面の人間のご多分に漏れず、その男もプロフェッサーの姿を見て驚いたようだ。

 

 中年太りをしていて腹が出ている。額は後退していて、顔には無精ヒゲがびっしり生えている。前歯は一本が欠けていた。昨日飲んだ酒が抜けていないのだろう、顔がまだ赤く良く見れば足下がふらついている。

 

 その男の右手には、プロフェッサーの物よりもずっと簡素な作りの義手が付けられていた。

 


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