プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第12話 世界の変革が始まる日 その4

 扉を勢い良く開け、プロフェッサーが大股で入室してきた。

 

 室内に居たアンジェとプリンセスは、ノックも無しの非礼を咎めようとしたが……しかし、言葉に詰まった。

 

 異装のプロフェッサーは全身に肌が露出している部分が僅かにも無いので表情や仕草など言葉以外の部分で感情を読み取る事が難しいが……しかし本日の彼女は、いつもと雰囲気が違っていたのがすぐに分かった。

 

 鬼気、とでも表現するのだろうか。ともかくそうしたオーラが、全身から漲っているのが肌で感じ取れた。

 

「……プロフェッサー、どうしたのかしら?」

 

 微妙に間を置いて、プリンセスが尋ねる。

 

<プリンセス、大事な話があります。人払いを>

 

 単刀直入に、プロフェッサーが切り出した。それを聞いたアンジェが、不愉快そうに片眉を動かした。

 

「ここには、私とアンジェしか居ないわよ?」

 

<アンジェが居る>

 

「……」

 

 今度はアンジェがはっきりと不快な表情を見せた。しかし何か言い掛けた所を、プリンセスは目で制した。

 

「プロフェッサー……私達は、既にスパイという秘密を共有している間柄でしょう? それに、たとえ私だけに話したとしても、その後で私がアンジェに話せば同じ事だと思うけど?」

 

 プリンセスが正論で穏やかに諭すように語るが、プロフェッサーは気にした様子も無かった。

 

<それは無論、ご自由に。アンジェでもベアトでもプリンセスご自身の判断でお話し下さい。ですが私が話をする相手は、プリンセスお一人である事をはっきりと指定するという事です>

 

「……」

 

 譲らないプロフェッサーの態度に、プリンセスは諦めたように首を振ってアンジェを見る。アンジェは視線の意味を感じ取って椅子から立った。

 

「じゃあプリンセス、また後で……」

 

 退室しようとする時、アンジェはプロフェッサーとすれ違った際にじっと彼女を見据えた。

 

 決して睨んだりするような鋭いものではないが……しかし真剣な視線だった。

 

 アンジェとて、今更プロフェッサーがプリンセスに危害を加えようとするなどとは考えていない。もしそうしようとするなら、これまでにも絶好の機会はいくらでもあった。その時に何もしなかったのに、今更何かするなどとは考えられない。

 

 つまりこれは、純粋に感情から出たものだった。

 

 自分を差し置いて、プリンセスが二人だけで内緒の話をするのは……面白くない。天才的なスパイとは言え、彼女もまだ十代の少女なのだ。

 

 アンジェが部屋を出て二人だけとなった所で「さて」と前置きしてプリンセスは空いていたカップに紅茶を満たすと対面の席に置いてプロフェッサーに勧めた。

 

<失礼いたします>

 

 プロフェッサーは、どっかりと対席に着いた。

 

「それでプロフェッサー、話とは?」

 

<……三ヶ月程後に、王国内の有力者を集めて……バレエの鑑賞会を開いていただきたいのです。そしてその出演者に、一人……あなたのお力でねじ込んでいただきたい……>

 

「……ふむ」

 

 空気姫とは言え王族は王族。その程度の事はプリンセスの力でも出来る事ではある。しかし、出来るかどうかとやるかやらないかは別問題である。

 

 聞いておかねばならない事があった。

 

「誰を推薦すれば良いのかしら? 何の目的で? 今の今まで、あなたにそんな趣味があるとは知らなかったけど?」

 

<勿論、私はバレエに関しては門外漢です……しかし……>

 

 持っていた鞄から出した書類を、プロフェッサーは机上に放り出した。受け取ったプリンセスはそれを読み上げる。

 

 どうやらこの書類は、医療用のカルテのようだった。

 

 読み進めていくごとに……プリンセスの顔色が真剣なものへと変わっていく。

 

「エイミー・アンダーソン……ケイバーライト障害を発症しているのね……」

 

 添付されていた経歴書には、王立バレエ団の試験に合格した矢先に事故に遭ってケイバーライト障害を発症したと書かれていた。それによって彼女はバレエ奏者の夢を絶たれた形になる。

 

 そんな彼女を、バレエ鑑賞会の出演者に推薦しろとはどういう事か?

 

 プリンセスの疑問には、プロフェッサーがすぐに答えた。

 

 ただし、言葉ではなかったが。

 

 机に、ほぼ球形の結晶体が転がされる。先日、プロフェッサーが自分の研究成果として披露した義眼だ。

 

 ケイバーライト障害を患った、バレエ奏者を志す少女。

 

 ケイバーライト障害に対応する為の義眼。

 

 そしてその少女が、国内の有力者が出席するバレエ鑑賞会に出演できるようねじ込めというプロフェッサーの申し出。

 

 ポーカーで、4枚のカードが開かれていてそれらがキング・クイーン・ジャック・10であったのなら伏せられた一枚がエースである事を予想するように、開かれたカードからプロフェッサーの手を予想する事に大した推理力は必要ではなかった。

 

「……時が来た、という事かしら?」

 

 全てを察したプリンセスの言葉に、プロフェッサーは頷いて返した。

 

<三ヶ月という時間は、手術とリハビリに当てる為のものです>

 

「……成る程」

 

 大きく息を吐いたプリンセスは、天を仰ぐ。

 

 一分程もそうしていた後で、彼女は視線だけをプロフェッサーに向けた。

 

「……プロフェッサー、あなたに最初に会ってから、どれぐらいになるかしら?」

 

<およそ、一年となります。私が、素晴らしい教え子を持ってから>

 

「そう、そうだったわね」

 

 

 

 

 

 

 

 一年前のその日、プリンセスが忘れ去られたその地下室へと足を踏み入れたのは全くの偶然だった。

 

 部屋の主が閉め忘れたのか、あるいはドアの部品が老朽化していたのか。原因は不明であるが、ともかく地下室へと通じるドアが少しだけ開いていたのだ。

 

 好奇心から、プリンセスは扉をくぐって螺旋階段を降り……そして、暗闇の壁を押して闇の黒一色に塗りつぶされた部屋へと辿り着いた。

 

 その時、プリンセスは明かりになる物を持っていなかったので手探りで周囲をまさぐって、そして指に当たったボタンを反射的に押した。

 

 するとどうだろう、唸り声のような音が部屋全体に響き渡って、部屋全体に赤青翠、宝石箱か蛍籠か。鮮やかな光が広がったのである。

 

「これは……!!」

 

 その光は、プリンセスが知っているどんな光とも違っていた。

 

 太陽の光程に眩しくはなく目に痛くもない。

 

 蝋燭ほどに暗くはなくゆらめきも無い。

 

 ガスの匂いも無い。

 

 蛍のような瞬きも無い。

 

「この光は……一体?」

 

<ここで何をしている?>

 

 きょろきょろと動かしたプリンセスの首筋に、いきなり紅い光刃が突き付けられた。

 

「……っ!?」

 

<……答えろ、ここで何をしている?>

 

 男とも女ともつかない、くぐもった声が聞こえてくる。

 

「……少し、話を聞いてくれると……嬉しい……のだけど……」

 

<……>

 

 背後に立つ人物がそれを受け入れたかどうかは分からなかったが……しかしすぐに光刃を滑らせて自分の首を刎ねる気配は無い。プリンセスはそれを見て取るとゆっくり、努めてゆっくりに体を回して背後に立つ人物と対峙する。

 

 その動きに連動するようにして紅い刃も動いて、切っ先がプリンセスの喉を一突きに出来る位置で止まった。

 

 背後に居た人物に、プリンセスの顔が見えるようになる。

 

<……!!>

 

「……!!」

 

 すると、二人が同時に息を呑んだ音が聞こえた。

 

 背後に居た人物は、自分が刃を向けていたのがこの国の王女である事に驚いて……そしてプリンセスは、背後に居たその人物、プロフェッサーの異様な風貌に圧倒された。

 

<あ、あなた様は……!!>

 

 プロフェッサーは光刃を収納すると、その場に傅いて非礼を詫びる姿勢を見せた。

 

<ご無礼を……!!>

 

「いえ、良いのですよ。ドアが開いていたからと言って、許可も無く入ってきたのは私ですから」

 

<は……>

 

「どうか、立ち上がってください」

 

<……それでは……>

 

 立ち上がったプロフェッサーは、身長の関係からほんの僅かだけプリンセスを見下ろす形になった。

 

「あなたは……」

 

<申し遅れました、私の名はシンディ……もしくはプロフェッサーとお呼び下さい>

 

「では、プロフェッサー……この光は……」

 

<電気、です>

 

「電気……?」

 

 あまり聞き覚えの無い言葉を受け、プリンセスが鸚鵡返しする。プロフェッサーのガスマスクが上下に振れた。これは首肯の動きだった。

 

<電荷の移動や相互作用によって……ん……>

 

 そこまで言い掛けた所で、プロフェッサーは説明を中止した。一呼吸で言い切れるような短い言葉だけだったが、プリンセスが理解できていない事がすぐに分かったからだ。

 

「こんな光は、私は今まで見た事が無いわ……一体どんな原理で……?」

 

<……極々簡単に言えば、空の雷と同じエネルギーです>

 

「……でも、雷みたいにピカピカとはしていませんよ、この光は……」

 

<……む>

 

 マスクを着用している関係上、プロフェッサーは顎に手をやる事が出来ないがそれに当たるであろう仕草を見せた。

 

<……プリンセス、この電気について……学ばれる気はありますか?>

 

「学ぶ……ですか?」

 

<は……>

 

 胸に手を置いて、プロフェッサーは一礼する。

 

<電気の性質やこれで動く機械の原理や機能について専門的に学ばれるとなれば……それが出来るのは、王国広しと言えど私一人でしょう。何しろ、この電気は私独自のテクノロジーなのですから。もし、あなたが望まれるのでしたら……僭越ながらこの私が、先達となりましょう>

 

 差し出されたその手を、プリンセスは握り返して……そしてこの日から、プロフェッサーとプリンセスの師弟関係が始まった。

 

 週に一度、秘密の地下室で2時間の講義が行われ、そしてその終わりには膨大な宿題が出される。

 

 その宿題を、プリンセスはほぼ完璧にこなしてみせた。出題者であるプロフェッサーが、舌を巻く程に。

 

 そうしてプロフェッサーが、プリンセスに教えるようになってから半年程が過ぎたぐらいの頃だった。

 

 プロフェッサーは、一つの問いをプリンセスへと投げかけた。

 

<……プリンセス、一つ……質問を許していただけますか?>

 

「何かしら? プロフェッサー……」

 

<あなたは、どうしてここまで学ばれるのですか?>

 

 王族の暮らしは、端で考える程に悠々自適なものでは断じてない。学問に芸事……高貴なる身分であるプリンセスに、時間はいくらあっても足りないぐらいであろう。なのにこうして、言い方は悪いが自分のようなはぐれ学者に教えを請うているのか。

 

 この講義を受けたり宿題をこなす時間とて、文字通り寝る時間を削って捻出しているに違いない。何故、そこまでするのか。

 

「……それは、言えません。少なくとも今はまだ」

 

<……そうですか>

 

 プロフェッサーは、一応の納得を示す。今はまだという言い回しは、いずれ時が来れば話しても良いという事だ。ならばひとまずはそれで良しとすべきだろうと理解したのだ。

 

「私からも良いかしら、プロフェッサー?」

 

<何でしょうか、プリンセス?>

 

「……あなたは、どうしてここまでの技術を作る事が出来たのですか?」

 

 自分達を囲む電気の輝きを見回しながら、プリンセスが問うた。

 

<……私は>

 

 私は、天才だから。

 

 事実ではあるが、しかしそんな皮相な言葉だけでプリンセスが納得しないのは、彼女の表情からプロフェッサーは読み取っていた。

 

 ガスマスクから、深い吐息が漏れる。

 

<……プリンセスには、平民のお友達が居られますか? もしくは、居られましたか?>

 

「……えぇ」

 

 少しだけ戸惑ったように、どこか歯切れの悪い答えをプリンセスは返した。

 

<それでは……これは失礼かと存じますが……その友達と、二度と会えなくなったご経験は?>

 

「!! い、いいえ……」

 

 今度は、はっきりと僅かながらの動揺を見せてプリンセスが応答した。

 

<立ち入った問いを、お許し下さい>

 

 プロフェッサーはそう言って頭を下げた。

 

<私は、会えなくなった経験があります>

 

 プロフェッサー、いや、当時はトレードマークであるマスクを被らねばならない程に肺病も悪化していなかったシンディという少女には平民の友達が居た。

 

<その友達の少女は、泥ひばりで……あ、プリンセス、泥ひばりというのは……>

 

「テムズ川の泥の中から、落ちている金目の物を拾い集めて生計を立てる人の事よね」

 

<……意外です。お詳しいのですね>

 

 感嘆の声を漏らすプロフェッサー。プリンセスは「続けて」と手を振って促す。

 

<でも、私の友達は……死にました。只の風邪でしたが、医者も居なければ薬も無い貧民街ではそれが命取りになった……彼女は、優しい子だった……>

 

 すっと掲げたプロフェッサーの右手が、チキチキと音を立てた。

 

<あんな子が、夜毎寒さに震えて明日の目覚めを祈るような、そんな世界は、間違っている……>

 

「だから、世界を変える為に、あなたはこの研究を?」

 

<はい……電気は蒸気技術に代わって、次代の世界を導くエネルギーであると……私は確信しております>

 

「そう……」

 

 納得したようにプリンセスは頷いたが……しかし、その目はプロフェッサーを観察するように動いていた。

 

 こうして言葉を交わす中で、プリンセスはプロフェッサーの心臓を見た気がした。

 

 先程プロフェッサーが語った「世界は間違っている」という言葉。プロフェッサーはそこで終わらせたが、その先に続く言葉が聞こえてくるように思った。

 

 

 

<そんな世界など壊れてしまえ>

 

 

 

 と。

 

 プロフェッサーが友達だけでなく、両親や右手、両目の視力を失ったのも元を正せば蒸気機関による環境汚染やケイバーライトによるものだ。

 

 それでピンと来た。

 

 プロフェッサーは、彼女は本当は、この世界が憎いのだ。

 

 人間の感情の中で、最も強いのは憎しみや恨みといった負の感情だ。

 

 プロフェッサーは恨み、憎悪しているのだ。自分からあらゆるものを奪っていくだけでは飽き足らず、息を吸う事さえ許さない、今の世界を。

 

 だからその世界を壊す為に、執念……などと生温いものではない。妄執・怨念によって十代の若さでありながらここまでの研究を完成させたのだろう。

 

 偉業と言って差し支えないほどに凄い事であり、同時に哀しい事でもある。

 

『……彼女のような人が出ない為にも……私は、必ずこの国を変えてみせるわ……シャーロット……』

 

 祈るように、プリンセスは胸中で呟いた。

 


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