プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第14話 チャイナタウンの戦い その2

 中国の香港でもそうだが、人口の多さに比例するように建物が乱立するチャイナタウンは道幅が狭く、車は通れない。

 

 プロフェッサーが殆どガワが同じだけの別物と言える程に改良を加えたドロシーの愛車も、ここではその自慢の機動力を発揮出来ない。代わりの「足」を調達する必要があった。

 

「良い物があるわ」

 

 路地を走りつつ、アンジェが差した指の先には自転車が止まっていた。

 

 勿論、誰かの物なのだろうが持ち主は傍に居ないようだ。残念ながら探し出して交渉して居る暇は無い。後ろではプロフェッサーとちせが頑張って足止めしてくれているが、二人に対して敵は軽く数十人。完全には防ぎきれなかったのだろう。二人の防衛線をすり抜けた何人かが近付いてきている。

 

 しからばと、アンジェは黙って借りる事にした。

 

 ポケットから取り出した針金で鍵を外しに掛かる。要した時間は僅かに2秒。オープンセサミと唱えられた千夜一夜物語のドアのように、滑らかに鍵が外れた。

 

「ドロシー、これはあなたが持って」

 

 プロフェッサー達から渡された包みをドロシーに手渡して、ベアトリスに振り返った。

 

「ドロシーはあっちに、私達はこっちへ行くわよ」

 

「あ、そうか。追手を分散させるんですね」

 

「分かった、合流地点で落ち合おう!!」

 

 ベアトリスを抱えたアンジェはCボールの燐光を纏い、壁から壁を蹴って建物の陰に消えていく。

 

 ドロシーは自転車に跨がると、チェーンが火花を上げる猛烈なケイデンスを叩き出して狭い路地を駆けていく。

 

「うっ!!」

 

 すぐ前方から、自転車に乗った追手が向かってきた。

 

 狭い路地の道幅はちょうど自転車一台分しかない。横にかわしたりは出来ないし、方向転換も出来ない。

 

 ドロシーはすぐ傍らにあった洗濯物がかかったままの物干し竿を掴むと、騎兵が手にする突撃槍のように構えてそのまま前進する。

 

「わ、うわっ、だめえっ!!」

 

 それを見た追手は悲鳴を上げるが、しかし条件は彼も同じ。横への退避も出来ないし、後ろにも下がれない。

 

 そのまま物干し竿の先端が、男の鳩尾に突き刺さった。

 

「ぐええっ」

 

 悶絶して転げ回る男を尻目に、ドロシーは自転車を走らせていく。

 

 後ろを見ると、またしても追手が走ってきていた。

 

 今度はそのまま前進して、すれ違いざまにすぐ横に見えた窓を叩いた。

 

 ドロシーの自転車はそのまま走り去る。

 

「なんだい?」

 

 僅かな時差を置いて家の住人がドロシーのノックに反応して窓を開ける。

 

 チャイナタウンの路地に面した窓はドアのような形状になっていて、ちょうど追手の眼前に壁が現れる形となった。

 

「うげっ!!」

 

 男は顔面を窓にぶつけて、後方へとぶっ飛んだ。自転車だけが乗り手がいなくなった後も、少しだけ惰性と慣性で走った後で倒れた。

 

 再び、前方から追手が現れる。

 

 しかしここでドロシーは、鍛え抜かれた身体能力を発揮した。

 

 狭い路地の地形を活かして、大きく開脚すると両側の壁に足を突いてつっかえ棒のようにして体を持ち上げ、そのまま振り子の要領で自転車を振り回して前輪を男の顔面にぶつけた。

 

 そうして着地すると、自転車を思い切り回して方向転換。路地を数分も走るとやや広い空間へと出た。

 

 すると、背後からまたしても追手が現れた。

 

「それっ」

 

 ドロシーは自転車の前輪を器用に使って地面に置かれていた缶を飛ばす。

 

 狙いは過たず、飛んだ缶は追手の顔面に直撃した。

 

 敵が怯んだのを確認すると、再びドロシーは自転車を走らせる。

 

 すると今度は十字路に出た。ちょうど、ドロシーから見て左右の路地から追手が向かってくる。

 

「ようし……」

 

 ドロシーは自転車を1メートルばかりバックさせると、素早く傍らにあった物干し竿を取る。

 

 そのまま体勢を低くして、タイミングを合わせて物干し竿を突き出す。

 

 すると左側から走ってきた自転車の前輪に竿が噛んで、自転車と共に男は転倒。そのまま右側から来た男の自転車も巻き込んですっ転んだ。

 

 作戦が成功した事を確認すると、ドロシーは自転車を持ち上げて反対方向へと走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく走ると、ようやく建物が林立する隙間道から、ある程度視界が開けた通りへと出た。

 

「アンジェ達は……」

 

 きょろきょろと辺りを見渡して、別の路地からアンジェとベアトリスが出てくるのを見付ける。向こうもドロシーに気付いたようだ。

 

 合流すべく駆け寄るが、追手の方もまだ諦めていないようだった。

 

「ちっ!!」

 

 ドロシーは一番近い男の鼻っ面にパンチをお見舞いしてひるませると、足払いを掛けてすっ転ばせる。

 

 アンジェもすぐ後ろから伸ばされていた手を掴むと、捻りを加えた投げで背中から叩き付けた。叩き付けられた追手の男は、空気が漏れるような声を上げて、意識を失った。

 

「まだ来るぞ」

 

「キリが無いわね……」

 

 背中合わせになって次々と追手をやっつけていくアンジェとドロシーだが、7人まで倒した後、まだやって来るのを見て追手を全て倒すのは諦めた。プロフェッサーとちせが茶屋で相手していた人数も尋常ではなかったが、玉璽を王国内に持ち込んだ連中及びその黒幕は、是が非でもそれを中国に取り戻してほしくはないようだ。

 

 それよりもまずは玉璽を連中の手の届かない所へと運んで、奴らが自分達を追い回す理由を消滅させてしまう事こそ肝要だろう。

 

「ベアト、これを」

 

「は、はい? わっ、とっ……」

 

 ドロシーから投げ渡された包みを、ベアトリスは一度取り落としそうになったが危なっかしい手付きで何とかキャッチした。

 

「これを持って先に逃げろ。私達はここで連中を足止めする」

 

「でも、アンジェさんやドロシーさんは……」

 

「早く。あなたがここに居ると、私達も逃げられない」

 

 腕を極めた男の首筋に手刀を入れて気絶させたアンジェにそう言われて、ようやくベアトリスも決心したようだった。

 

 戸惑いや困惑を排除した引き締まった表情に変わると、戦っている二人に背を向けて走り出す。

 

「行ったか」

 

 振り回した男を壁に叩き付けて、ドロシーが肩越しにアンジェを振り返った。

 

「アンジェ、まだ行けるか?」

 

「あと3人ぐらいなら……」

 

 10人目の男の喉を踏み潰して気絶させたアンジェが額に浮かんでいた汗を拭った。

 

「……じゃあ、拙いな……」

 

「え?」

 

「見ろ」

 

 ドロシーの視線をアンジェが追うと、またしても新手の追手が現れた。

 

 しかもその人数は、6人。更には全員が懐に手を入れていて、そこには服の上からでも分かるいかにも重そうな膨らみがある。銃を持っている。

 

 逃げられる状況ではないが、戦うにしても圧倒的に不利。が、じっとしていてもやられるだけだ。ならば不利を承知で打って出るしかないか。

 

 せめて機先を制しようと、アンジェが飛び出そうとしたその瞬間だった。

 

「うわっ!?」

 

「な、何だ?」

 

「銃が、勝手に!?」

 

「「!?」」

 

 男達が懐中に忍ばせていた銃が、見えない力に引き寄せられて彼等の手からもぎ取られ、空中を滑ったのだ。

 

「これは……」

 

 同じ光景を、ドロシーは見た事があった。

 

 堀川公を狙ってきた暗殺者から、公とプリンセスを救出する為に御料車に乗り込んだ時だ。

 

「プロフェッサーか」

 

 空中を飛んだ銃の行方を目で追うと、やはりと言うべきかその先には思い描いたのと同じ姿があった。

 

 全身を黒いローブで包み、顔にはガスマスクを装面したプロフェッサーの異様が。

 

 傍らにはちせも居る。

 

 肌が1センチ四方も露出していないプロフェッサーは良く分からないが、ちせは汗みずくになって体中あちこちに返り血を浴びていて死闘を演じてきたのであろう凄味があった。

 

 男達の手から離れた銃は、プロフェッサーの右手に全て吸い付けられていた。

 

 電気を操るプロフェッサーは、副次的に磁力を操って金属をコントロールする事が出来る。それの力で、彼女は男達から銃を奪い取ったのだ。彼女が磁力を切ったのだろう、銃は見えない力の軛から解放されて、石畳に落ちて気持ちいい音を立てた。

 

「なっ……お前は……」

 

<……ふん>

 

 プロフェッサーがさっと手を振ると、男達は6人全員が見えない巨人に体を持ち上げられたようにいきなりその場で宙返りを打って、着地を失敗して背中から地面に叩き付けられて昏倒した。

 

「プロフェッサー、今のは?」

 

<電波投げだ>

 

 プロフェッサーが事も無げにそう言い放つと、二人はつかつかと歩み寄ってきた。

 

「こっちの追手は全て片付けた。玉璽は?」

 

「ベアトリスが持って逃げている」

 

<では、彼女はどこに?>

 

「それは……」

 

 アンジェが言い掛けた、その時だった。

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……!!

 

 

 

 まだ先程15時を知らせる鐘が鳴り響いてからものの10分も経過してはいない筈なのに、時計塔の鐘が鳴り響いた。

 

<「「「?」」」>

 

 4人全員の視線が、時計塔へと向く。

 

 見れば、時計の針が5秒で一回転する程のありえない早さでぐるぐると回っていた。

 

 17時を知らせる鐘が鳴って、ものの数秒で18時の鐘が鳴った。

 

 アンジェが答える必要は無かった。ベアトリスが今どこに居るのか、一目瞭然ならぬ一耳瞭然というものだ。

 

 恐らく彼女は追いかけ回されて、時計塔の中へと逃げ込んだのだろう。

 

 ……という、アンジェ達の予想はその数秒後に立証された。

 

 時計塔の文字盤が開いて、その中からベアトリスが出てきたのだ。おっかなびっくりとした動きで、屋根の上を歩いて行く。

 

 だが、時計塔の中から文字盤が蹴破られて追手の一人が姿を現した。

 

「きゃああっ!!」

 

 バランスを崩して落下しそうになったベアトリスは、悲鳴を上げながら時計の長針を掴んだ。

 

 落ちたら助からない。

 

 その恐怖から、ベアトリスは恐らくは彼女の人生の中で最大の力を発揮して、脳内の筋力リミッターも全て外して手が白くなってその後は鬱血する程に強く、全身の体重を預ける長針を握り締める。

 

 だが掴んだり引っ掛けたりする所の無い時計の針である。努力も空しく、彼女の体は少しずつずるずると下がっていく。

 

 しかし幸か不幸か、今のベアトリスは落下して地面に激突する心配はしなくて済みそうだった。

 

 文字盤が嵌まっていた穴から体を出している男が、懐から取り出した拳銃を、彼女の眉間に照準したからだ。

 

 銃口からベアトリスの眉間までの距離は、僅かに数センチ。目を瞑っていても外しようの無い至近である。

 

「……っ!!」

 

 ベアトリスはきつく眼を瞑った。

 

 心中で、プリンセスに詫びる。死ぬのが怖くないと言うのは嘘になるが、それ以上にこの先、姫様のお役に立てなくなる事。それが心残りだった。

 

 1秒のタイムラグがあって……

 

 

 

 ズキューン……!!

 

 

 

 銃声。

 

 撃たれた経験が無いのではっきりと分からないが、覚悟していた痛みや熱さはいつまで経っても襲ってこなかった。

 

「……?」

 

 恐る恐る眼を開けると……眉間に穴を開けた男が、ぐらりと崩れ落ちる所だった。

 

 下へと視線を向けると、ドロシーがこちらへ銃口を向けているのが目に入った。銃は、たった今プロフェッサーが倒した男から奪った物だった。指紋が付かないようにハンカチーフ越しに握っている。

 

 かなりの距離や高低差があるが、しかしドロシーは初めて使う銃を一発でしかも的の小さい頭に命中させたのだ。超一流と言われる彼女の腕は、やはり伊達ではなかったのだ。

 

「ちせ、毛布でも何でも良い、クッションになる物を集めるんだ」

 

「承知!!」

 

 ドロシーとちせが慌てて無造作に干してある布団などを掻き集めていく。

 

 確かにベアトリスが力尽きる前に入り組んだ時計塔を駆け上って彼女を助けるよりは短時間で済むだろうが、どうやらそれも間に合いそうになかった。

 

 長針に掴まっているベアトリスの体が、徐々に下がり始めている。恐らくは後、10秒とは保つまい。

 

「も……もうダメ……!!」

 

 顔を汗だくにしたベアトリスだが、その時、握り締めていた鉄棒の感覚が手から急に失せた。

 

 時計の針が、彼女の掌から無くなっていた。

 

 つまりは、体がずり落ちて手から針が離れてしまったのだ。

 

 一瞬、襲ってくる浮遊感。

 

 すぐに、風が下から吹き付けてくる感覚に見舞われた。落下しているのだ。

 

 数秒とはしない内に、彼女の体は石畳に衝突して赤い華を咲かせるだろう。ベアトリスは、少しでも気休めになるのか今度こそ固く瞼を閉じて全身の筋肉を硬直させる。

 

 若干のタイムラグを経て体に伝わってきたのは、思い描いていたよりはずっと柔らかな、抱き留められるような感覚だった。

 

「大丈夫?」

 

 頭のすぐ上から降ってきた声に恐る恐る目を開けてみると……そこには、アンジェの掴み所の無い無表情があった。

 

 ベアトリスが落ちると見た瞬間、アンジェはCボールの重力制御で飛び、空中で彼女を掴まえたのだ。

 

「ア……アンジェさん……」

 

「包みは?」

 

「こ、ここに……」

 

 ベアトリスは、懐から玉璽が入った包みを取り出した。それを見て、アンジェも満足そうに頷く。

 

「お疲れ様」

 

 ここでベアトリスは、ふうっと大きく深い溜息を吐いて肺胞内の二酸化炭素濃度を下げた。

 

 覚悟はしていたつもりだが、一分以内に二回も「死」を実感するのは貴重な経験だった。二度としたいとは思わないが。

 

「アンジェさん、今回の事で私は一つ、大事な事を学びました」

 

「……何?」

 

「地球には、間違いなく引力がありますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 この後、伝国の玉爾は壁を通って共和国へと移送されて、共和国内の大使館を通じ中国へと返還された。

 

 これで共和国は当初の目論見通り、中国に外交上の「貸し」を一つ作った事になった。

 


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