プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
「本当に信じているの? 世界を変えられるって」
メイフェア校の食堂。
深夜という時間帯もあって誰も居ないそこで、アンジェとプリンセスが向かい合って座っていた。
プリンセスは、ふっと微笑する。
「私ね、シャーロットと堂々と一緒に居たいの」
シャーロット。
自分の名前で、プリンセスはアンジェを呼んだ。
「私だって」
アンジェはそれに違和感を覚えた様子も無く、応じる。
「でも、そういう気持ちは私達だけじゃないわ。壁によって離ればなれになった人達が大勢居る。いつか、彼等の声が揃う時が来るわ……大きく、波のように」
「それを待つつもり?」
どこか試すような響きを持ったアンジェの言葉に、プリンセスは緩やかに首を振った。
「もう十年待ったわ。それにこれからは、今までの十年と同じじゃない」
それに続く言葉を、アンジェは知っていた。そこからは彼女が引き継ぐ。
「もう一人じゃない」
いつものアンジェよりもずっと快活なその声を受けて、プリンセスは再び微笑んだ。
「えぇ……シャーロット、あなたやベアト……プロフェッサーも居てくれるわ」
「……プロフェッサー……」
少しだけ、アンジェの表情が曇った。プリンセスはその変化を、敏感に読み取っていた。
「……シャーロット、プロフェッサーが信じられない?」
この時は少しだけ自分の方が年上になったように、聞き分けの無い妹を諭すような口調でプリンセスは尋ねた。
「……」
アンジェはしばらく黙考して、そして頷いた。
「そうね。私はプロフェッサーは信じられない」
「そう……」
残念そうに、プリンセスは目を伏せた。しかし、
「でも」
アンジェの言葉には続きがあった。
「プロフェッサーがあなたの為に命を懸けて働く事は、信じられる」
以前に堀川公が襲撃に遭った際、プリンセスが取り残された御料車へ向かおうとする時、プロフェッサーはマスクを外してみせた。そうする事は彼女にとっては、一歩間違えれば死に直結する行動であるにも関わらずだ。彼女はアンジェの信用を勝ち取る為にそれを躊躇わずに遂行した。プロフェッサーはプリンセスの為には掛け値無しに命を懸ける。それは信じられる。
「ふふっ……」
これは気に入る答えだったらしい。プリンセスはにっこり笑った。
僅かに、アンジェはむすっとした顔になった。少しだけ、胸にもやもやとした感覚がする。
「……プリンセス。さっきの言葉だけど……少し訂正する」
「え?」
「プロフェッサーは信じられないと言うよりも……どこか、空恐ろしい所がある」
これはプリンセスとしても同意見だったらしい。首肯する。
「そうね……彼女が私に忠誠を誓ってくれるのは信じられるけど、私でも彼女を完全に制御する事は出来ないわ……」
「プロフェッサー、彼女は放っておいたら……そのうち、たった一人で戦争でも始めてしまいそうな……そんな気がするのよ。彼女ならやりかねないと、そんな予感があるの」
「よ、よ、よ…………『楊貴妃』を『殺す』ですって……!?」
フランキーは、目の前のガスマスクを被った怪人が正気か理性のどちらかあるいは両方を喪失している事を確信していた。顔中を冷や汗でびっしょりにして尋ね返してくる。
<えぇ>
プロフェッサーは、鷹揚に頷いた。
「あなた、分かってるの? それは、この国……アルビオン王国に戦争を吹っ掛けるのと同じなのよ!?」
遡る事、およそ半世紀。
当時、アルビオン王国は海運大国として世界中の国々と貿易を行っていた。
特に中国との貿易は盛んで、中国産の茶が暑いインド洋を渡る際に発酵して出来た紅茶はアルビオン人の口に合って、大量に輸入される事となった。
しかし、問題が発生した。
中国から茶を買う為には銀で支払いをせねばならなかったのだが、すると当然ながらアルビオン国内の銀はどんどんと中国に流れていって、赤字貿易となってしまったのだ。事態を重く見たアルビオン王国側は、毛織物・時計・望遠鏡などを輸出しようと試みたが、これは失敗に終わった。それらは中国側では僅かな富裕層のみが購入する代物で、需要に乏しかったのである。
こうした経緯で貿易摩擦が起こり、一方的な黒字と赤字が発生した。
ここで、アルビオン王国は考えた。中国へ輸出して赤字を取り戻す新しい商品が必要だと。
それは『花』だった。
学名・ソムニヘルム。
開花後数日で子房から白色のオピウムと呼ばれる乳液を分泌する。乳液は20分ほど経過すると黒褐色に変色して凝固する。
それを乾燥させたものを煙管に入れて吸引すると、その人間は得も言われぬ多幸感に包まれる。
しかしそれには強い常習性があり、使い続ける内にその人間の体をボロボロに壊して廃人化させてしまう。
傾国の美女『楊貴妃』とはその『花』を指す隠語である。
<50年前……あの、恥ずべき戦争を引き起こしたものよ……>
「……」
フランキーは思わずゴクリと固くさえなった唾を呑んだ。いつの間にか喉がカラカラになっているのに、今まで気付かなかった。
<……私はね、昔……革命が起こる前に一度だけ、グラッドストン卿とお話しした事があるの>
「えっ!!」
フランキーが目を見張る。しがない街金の彼でも、その名前は知っている。今、プロフェッサーが口にしたその名前はアルビオン王国の首相にまでなった政治家のものだった。そんな人と話せるという事は、目の前のこの少女はとんでもない大物なのかも知れないと、今更ながらに思った。
<あの方は、後にも先にも名誉あるアルビオン王国の一員として、あの時ほど恥ずかしい思いをした事は無いと……戦争を止められなかった事をとても悔やまれていたわ……革命の後、あの方は共和国側に行かれてしまったけど……もう一度、会いたいわね……>
少しだけ、プロフェッサーの語調が優しくなった。フランキーは、ガスマスクで見えないが今のプロフェッサーは遠い目をしているような気がした。
<……もし、当時の議会に後9人……いや、5人で十分か。良識ある方が居たのなら……あの戦争は起こらなかったかも知れない>
そうすれば開戦に賛成271・反対262が、賛成266・反対267になってギリギリではあるが開戦にはならなかったのにと、プロフェッサーはひとりごちる。
麻薬は、売る側はそれを吸わないものだ。
現在のアルビオン王国では麻薬の使用・売買は第一級の犯罪とされている。
そう、アルビオン王国の『本国』では。
逆に王国が世界中に持っている植民地では違法薬物の製造・販売は『高貴薬工作』と呼ばれる立派な国家事業となっている。
そういった工作を請け負う特務機関などの謀略費・維持費は当然の事、植民地支配に必要となる戦費・占領地維持費の捻出は殆どその違法薬物の密作・密売によって成されている。
つまり……そうした違法薬物を造ったり売り捌いたりする組織の最大の顧客はアルビオン王国そのものなのだ。
麻薬は、生産地の組織とのコネクションや密輸のノウハウなど様々な要素が複雑に絡み合っており、それらはあまりにも完璧に構築された組織となって頭蓋骨の内側にへばり付いた軟体動物のように、この国の社会全てに密接に寄生してしまっている。『楊貴妃』を『殺す』。つまり、違法薬物を撲滅するという事が、王国相手に戦争を仕掛けるのと同義であるとフランキーが言ったのはそういう事情からだった。
<だが……やらねばならない>
プロフェッサーは断じた。
<既に麻薬の問題は植民地だけに留まらない……この王国本土ですら、冒され始めている>
「えっ……」
<ここ数年……王国内の犯罪の統計は急激に伸びており……特に少年少女の麻薬犯罪とそれに伴う死者数は、警察の調べによると数年前の20倍以上にまで増加していると報告が上がっている……このままでは、やがて国全体にまで麻薬は蔓延し、その利益で全体の0.1パーセントにも満たない富裕層だけが肥え太るような歪な国が生まれてしまう……>
ギュイッ……
握り締めた義手が、硬質な音を立てた。
<私の女王が治める国が……そのようなもので、あってはならないのよ……>
「だ……だから、裏世界から麻薬を撲滅するって事……?」
<そうよ>
何でもないかのように、プロフェッサーは言った。
「で、でも……無理よそんなの!! 相手はこの国の闇を支配するような……正真正銘の化け物なのよ。私も少しは裏に首を突っ込んでるから知ってるわ。あいつらは、人間じゃない。あんな奴らとやり合うなんて、私はごめんよ!! 殺される!!」
<計画書があるわ。この通りにやれば……必ず成功する>
プロフェッサーはそう言って、鞄から取り出した書類を机の上に放り出した。
「……」
フランキーは最初は話半分という様子でその書類を読んでいたが……しかし数分もすると、食い入るような姿勢になって次々にページをめくり始めた。それほどに、そこに記載されていた計画は綿密かつ成功を確信させる実現性に富んだものであったからだ。
だが、それでも不安は残っているようだった。
「で、でも……やっぱり無理よそんなの。失敗したら、私は殺されるわ!!」
<……では、死ぬ事ね>
プロフェッサーはあまりにもあっさりと、そう言い放った。
<例えばあなたが明日死んだとしても、誰も困らない。精々、三流タブロット紙の片隅にそのニュースが載るぐらいよ。だが……もし、私の計画に乗って成功した場合にはこの国、いや……世界の裏社会を清浄化した伝説のボスとして、あなたの名前は未来永劫語り継がれ、書籍や映画になったりもするでしょう。人生を賭けるギャンブルに打って出る価値は、十分にあると思うけど>
「うっ……」
その言葉には、フランキーの中にある承認欲求や名誉欲を刺激した。
もう十年以上も高利貸しの小悪党として生きてきて染み付いた目の濁りは消しようも無かったが、しかしその奥には薄暗い炎が蠢いていた。
「そ、そうね……それも男の生き甲斐かも知れない……一か八か……やりましょう」
<結構>
満足そうに頷いたプロフェッサーは立ち上がると、ぱんと手を叩いた。
<では、取り敢えずこれから一週間であなたには、この街を牛耳るドンになってもらう>
「えっ?」
フランキーの内側に生まれた熱に冷や水をぶっかけるには、プロフェッサーのこの言葉は十分過ぎた。
「ちょ……それはいくらなんでも……」
どんな手品や魔術を使えば、掃いて捨てる程居る金貸しの一人でしかない自分が、街一つを支配する組織のボスに成れるというのか。
フランキーはプロフェッサーが酩酊しているのではないかと疑ったが、彼女は素面だった。プロフェッサーにしてみればこれから王国全土はおろか世界中の植民地にまで根を張っている組織そのものを解体・刷新しようというのに、その程度の事が出来ないようでどうするのかという考えだった。
<勘違いしないよう言っておくけど……私にとって必要なのはあなたのような人であって、あなたである必要は何処にも無い。たまたま目に付いたのが、あなたであっただけに過ぎない。だから、あなたが私を裏切ったり……あるいは、一週間後に街のボスに成れていなかったなら、私はあなたを殺す。それを忘れないように>
一方的にそう告げると、プロフェッサーは話は終わりだという風にフランキーに背を向けて退室しようとする。
フランキーは、口の中がカラカラになってもう唾液も出なくなっていた。
プロフェッサーは、まだ二十歳にもならない少女ながら嘘は言っていない。やると言ったら彼女は絶対にやるだろう。遂(や)らなければ、殺(や)られる。
『いっそのこと……』
フランキーは、はっと気付いた。
今なら、まだ引き返せる。
プロフェッサーは今、部屋から出る為にスキだらけの背中を見せている。
殺られる前に、殺る。
それしかない。
フランキーの指先が、懐の銃の感触を確かめた、その時だった。
「あぐっ……?」
いきなり、喉が締め付けられる感触が襲ってきた。
身に付けている金属製のネックレスが、誰の手も触れていないのにひとりでに動いて、彼の首をねじ切らんばかりに締め上げていたのだ。
「こっ……くっ……うああああ」
空気を求めて口を金魚のようにパクパクさせて、何とかネックレスを外そうと両手を首にやるが、ぎしっと食い込んだネックレスは隙間が無く、指一本も差し入れる事は出来なかった。
フランキーはがっくりと両膝を付いてうずくまって、懐に忍ばせていた拳銃が床に落ちて転がった。
彼のズボンの前と後ろが汚れて、目が裏返りかけた所で……
プロフェッサーはいつの間にか掲げていた右手をそっと下ろす。するとその動きに連動するようにして、ネックレスに掛かっていた力が失せてフランキーの喉が解放される。
「ハッ、ハッ、ハッ……はぁーーーっ、はぁーーーーっ!!」
犬のようにうずくまったままのフランキーは、しかし新しい発見を一つしていた。生まれてこの方、空気がこれほど美味いものだとは思わなかった。
空気の味を確かめている彼を振り返り、プロフェッサーが言い放つ。
<体には気を付けてね。途中で息切れなど起こさないように>
彼女は労るように優しい口調でそれだけを言い残すと、もう振り返らずに去っていった。
残されたフランキーは、十分も経過してようやく息が整うと……しかし今度は顔と言わず全身の汗腺がフル回転して冷や汗を流し始めた。
思い知らされた。
彼は麻薬組織の人間は化け物だと言ったが……プロフェッサーも同類だと思った。
人間が相手なら、出し抜こうとか暗殺しようとかいう考えも生まれるだろう。それはある意味でその対象が『対等』の相手だからだ。プロフェッサーは違う。別の生き物だと思った。彼女が『上』で自分が『下』だと、完膚無きまでに思い知らされた心地だった。
もう、自分に道は二つしか無い。
プロフェッサーに、最後まで付いて行き……破滅するか絶頂に至るか。いずれかしか。
その事実を、彼は本能にまで刻み込まれた。