プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
王国内のとある港。
ケイバーライトによる重力制御技術が確立された現在にあっても、未だ海運がアルビオン王国の政治・経済に占める割合は大きい。
そもそもケイバーライトが未だロンドンの地下からしか発掘されない稀少鉱物である事も手伝って、覇権国家であるアルビオン王国はその配備・流通は軍が優先される。また、当然ながら他国からはケイバーライトが採掘されないし空中艦も保有してはいない。
こうした事情から、やはり王国の外交・輸出入に於いて海運は重要な役割を担っていた。
昼間はひっきりなしに大小無数の船が行き交うこの港も、日付が変わろうかというこの時刻では流石に人通りも無く静かなものだ。
そんな港に山積みされたコンテナの上に立って、全景を睥睨している人影があった。
シュコーッ……シュコーッ……
落ち着いた夜の空気に、規則正しい呼吸音が響いていく。
黒いマントを羽織り、つば広の羽根付き帽子を被って、顔には鴉を思わせるペスト医師のようなマスク。
両眼が、紅い光を発して輝いている。
プロフェッサーだった。
<…………>
彼女の視線の先には、一隻の木造船が停泊している。
数日前。
「お、おほっ……!!」
机の表面が見えなくなる程に敷き詰められた貴金属や札束の山を前にして、フランキーは心拍数が信じられないぐらい早くなるのを自覚した。
プロフェッサーから渡された計画書。
最初はそうしなければ殺されると思って嫌々ながら行動した彼であったが、一日が過ぎて二日が過ぎる頃には自発的に動くようになっていた。
全てが計画書に記された通りに動いていく。まるでプロフェッサーにはこうなる事が最初から分かっていたかのように。
そうして一週間が過ぎた時には、プロフェッサーがそう言った通りフランキーはもう二十年もその地位に在ったこの街の裏社会を牛耳るドンを追い落とし、その座に取って代わっていた。
そうなって、彼の懐には今まで想像した事すらも無かった程の大金が転がり込んでくる事となった。
ホテル、港の運送会社、建築会社、葬儀屋、レストラン……エトセトラエトセトラ。
未だにこうした商売は裏との繋がりを切り離す事は不可能であり、賭博及びスポーツ賭博の営利権、高利貸しの支配権、港の密輸品の管理、レストランやホテルの支配権などそれらの利権は、何万枚もの札束や信じられない程に高級なアクセサリーに姿を変えて彼の懐へと滑り落ちてくる。
ほんの一週間前までは、フランキー自身が半ば自覚が無いままにそうした高利貸しの一人でしかなかったが、しかしこうした絡繰りを経て金は集まるべき者の所へと集まるのかと、彼はこの世の真理を少しだけ理解したような気にさえなった。
同時に、プロフェッサーへの畏怖の心も強くなる。
最初にそれを聞いた時にはたった一週間でこの街のドンに成り代わるなど何を夢物語をと思ったものだが、彼女の言う通り動いたら本当にそうなった。
恐ろしい人だ。
彼はプロフェッサーの事を本当に、心からそう思ったが……しかし別の気持ちも強くなっていた。
一つには、彼女ならばこの国の闇と本当に戦争して、麻薬の撲滅ですらもやってのけるかも知れないという期待。
そしてもう一つは、たった一つの街を支配するだけのボスですら、これほどの大金を手中に出来るのだ。ならば仮にこの国の裏社会全てを牛耳るドンに上り詰めたとしたのならば、どれほどの金・女・権力。それを自由に出来るのだろうかと。それを、自分のものとしたいという欲望の黒い情熱が、胸中でムンムンと燃え盛り始めたのだ。
<楽しいかしら?>
「ひっ!?」
出し抜けに掛けられたその声に、彼は竦み上がった。
特徴的なガスマスクに、紅く光る両眼。
プロフェッサーの表情の無い顔が、自分を覗き込んでいたのだ。
<……私の言った通りになったでしょう? これで、少しは信用する気になったかしら?>
くっくっくっと、くぐもった声がマスク越しに聞こえてプロフェッサーは肩を揺らした。
「え、えぇ……」
<私はまぎれもなく天才だが……しかし凡人は中々それを理解出来ない……ならば自分の才能を示すのに口ではなく実績を以てすべきだとは思っているわ>
これは道理ではある。
実際に、彼女の計画書通りに動いた事で、只のしがない金貸しでしかなかったフランキーは、たった一週間でこの街のドンに成り代わった。
同じような計画を、どれほどの人が考えつけるだろうか。少なくとも自分には出来ないだろうとフランキーは思った。
『彼女に付いて行けば、私はもっと甘い汁が啜れる……』
そんな内心が肉体にも反映されて、開けっ放しの唇の端から涎が垂れる。
そのままでフランキーは膝を折ると、プロフェッサーに臣従の姿勢を取った。
「私は貴女に付いて行くわ……ボス。地獄の底まで」
<……結構>
プロフェッサーは頷きを一つする。
そして、一枚の写真を差し出した。
「……これは?」
<早速、あなたに一仕事頼みたいのよ>
写真を見るフランキー。
解像度が荒く写真写りも悪いが……どうやら船の舳先のようだ。
<今日から恐らく数日以内に、その船が港に来港する筈……どこの港に入るのか? あなたに調べて欲しいの>
「……わ、分かったわ……」
そう言われたフランキーは、理由は聞かなかった。
余計な事は聞かない、知ろうとしないのが、この世界で長生きする為の秘訣であると彼は知っていた。
頭を切り換えてもう一度写真を良く見てみる。
見えにくいが……船の名前が、船体に書かれているのが辛うじて見えた。
「……D……E……デミトリ号……?」
現在。
深夜で人通りの無い港を進んで、電磁力で体を浮遊させたプロフェッサーはその船……デミトリ号の甲板へと降り立った。
そうして、船内へと侵入していく。
用心の為に扉が施錠されてはいたが、しかしそれらはプロフェッサーにとっては何の障害にもならない。
電気によって磁場を操る彼女は、金属を自由にコントロールする事ができる。
彼女が手をかざしただけで「開けゴマ」と唱えられた千夜一夜物語のドアのように、全ての鍵は開いて「どうぞいらっしゃいませ」と言っているかのようにプロフェッサーを受け入れた。
船内を歩くプロフェッサーは、やがて目的地へと辿り着く。
さほど多くはない客室の中でも、特に奥まった所にある貴賓室だった。一目で、この船の乗客の中で最も位の高い者の為の部屋だと分かる。
この部屋の鍵も、プロフェッサーの前には役に立たない。
<……>
彼女がすっと指をかざすと、ガチリと鍵の外れた音が鳴って……そしてドアノブが回って、ドアが開いた。
この船室は異様な部屋だった。
家具や調度品は全て一級品が使われているが、しかし部屋の窓という窓は全て板が打ち付けられていて、僅かな光すらも入らないようになっていた。
部屋の中央には巨大なベッドがあったが、このベッドにも天蓋からは劇場の舞台で使われる暗幕のような分厚い真っ黒な布が降りていて、本当に一筋の光からもベッドで眠る主を遮断するようになっていた。
プロフェッサーは無言で、暗幕をめくる。
ベッドで横になっていたのは、肌触りの良さそうな高級品の寝間着を纏った壮年の紳士だった。
恐らく年齢は50に届かないように見えるが、髪は混じりけの無い雪のように白い。
顔色もプロフェッサーのそれと同じように病的に青白く、彼は今まで日に当たった事が無いのではなかろうかとさえ思えた。
「う……うむ……?」
人の気配を察してか、その紳士は目を開けて……そして両眼を飛び出さんばかりに見開いて、表情を凍り付かせた。
紅い目を光らせて、ペスト医師の仮面を付けた怪人が自分を見下ろしていたのだから。
「だ……」
「誰だ」とプロフェッサーに問おうとしたのだろうか。
あるいは「誰か来てくれ」と叫ぼうとしたのだろうか。
どちらにせよ、それよりも早くプロフェッサーが手にした電光剣の柄から紅い光の滝が落ちて、彼の心臓に突き立てられた。
「ひゅうっ……」
口から空気が抜けるような音を立てて、その紳士は絶命した。
プロフェッサーは首筋に手を当てて脈が止まっている事を確認すると、念の為に男の首を切断した。ゴロリと、頭が床に転がる。
電光の刃を消して柄をベルトに付けたプロフェッサーは、切断面が焼却されて血も出ていない首無し死体を見下ろす。
<……すまないわね、伯爵……あなた自身には何の罪も無いのだけど……私の女王が治める王国……そしてこの先の世界に、あなたが居てくれては困るのよ>
それだけを言い残して、プロフェッサーは融けるように闇へと消えた。
翌日、その船、デミトリ号の貴賓室では近くロンドンに移住する予定であったトランシルヴァニア貴族・ドラキュラ伯爵の死体が発見されて大騒ぎになった。
ドラキュラ伯爵暗殺さる!!
アルビオン王国のとある屋敷の一室で、ベッドに横たわった老婦人がそのニュースが載った新聞を広げていた。
彼女の年輪のように皺を刻んだ顔には、悲しみとも苦悩ともいえない表情が浮かび上がっている。
老婦人が新聞を閉じたその時だった。部屋のドアが4回、規則正しくノックされる。
「どうぞ」
しわがれた声で返事をして、一拍置いてドアが開く。
コー、ホー……コー、ホー……
呼吸音が、部屋に響く。
入室してきたのは黒いローブを纏ってガスマスクを被った怪人。プロフェッサーだった。
「あぁ、良く来てくれましたね……シンディ」
老婦人はプロフェッサーの異装に驚いた様子も無く、手を振って席を勧める。
<婦長……お体の方は如何ですか?>
マスク越しの声ながら、プロフェッサーの声には老婦人を気遣う響きがあった。
その言葉を受けて、老婦人は柔和に微笑む。
「私はもう婦長ではないわよ……今日は、とても調子が良いの。お陰様でね……」
<……失礼致します>
プロフェッサーは、ベッドの傍らの席に着いた。
義眼がキュイッと鳴ってピントを合わせて、ベッドの傍らの新聞へと動く。
<見ての通り、婦長……あなたからの依頼は完遂しました……>
「……ごめんなさいね、シンディ……あなたに、こんな事をさせて……」
<お気になさらず。それに、このような話を理解出来て依頼を遂行出来るのは、王国広しと言えど天才である私ぐらいしかいないというのは、分かっています>
「……しかし、それにしてもこれは我ながら突拍子も無い話でした。私があなたを騙そうとしているとは、考えなかったの?」
<はい>
プロフェッサーは即答した。
<こと、『命を救う』……その一点に於いて、貴女が虚言を弄する人ではない事は、私は知っております。仮に貴女がそのような人物なら……そもそも看護婦としてクリミアに行かれたりはされないでしょう。貴女の言葉を、私は信じています>
「……ありがとうございます、シンディ。これで恐ろしい病原菌は、この世界から消えました……」
老婦人は天を仰ぐと、ふうっと深く息を吐いた。
トランシルヴァニア貴族・ドラキュラ伯爵の家系は代々特殊な病に冒されていた。
それは一言で言うのなら、変種の狂犬病である。
通常の狂犬病と同じくこの病に罹った者は、あらゆる感覚が鋭敏になる。
視覚が鋭くなるので、太陽光やそれを反射する流水や鏡を嫌がるようになる。
嗅覚が鋭くなるので、ニンニクのような匂いが強い食べ物を受け付けなくなる。
恐ろしいのは、この狂犬病には先年パスツールによって発見されたワクチンが効果を発揮しないという点であった。
そしてこの病は宿主をすぐ殺すものではなく共生するタイプではあるが、宿主の性質を凶暴化させて近付く者に噛み付きや引っ掻きなどを行うよう攻撃的にさせる特徴がある。そして、その噛み付いたり引っ掻いたりする傷からも病は感染する。そうして感染した被害者も同じように凶暴・攻撃的になって他人を襲い……そうしてその襲われた者も同じように……と、倍々ゲーム・ネズミ算の速さで罹患者を増やしていく。
1が2に。2が4に。4が8に。8が16に。16が32に。32が64に。64が128に。128が256に。256が512に。512が1024に。
増える。増え続ける。
それでもトランシルヴァニアの山奥ならばまだ被害の拡散は抑えられていたが、人口の坩堝でしかも島国であるアルビオンにこの病が持ち込まれたら……
恐らく一週間とは必要とはせずに、ロンドンどころか王国全土が死都と化すだろう。
この老婦人は医療関係については各方面にコネクションがあり、集まった情報を分析してこの結論に至り、何とかドラキュラ伯爵が王国に移住するのを止めようとしたのだが……
そのような突拍子も無い荒唐無稽としか言い様が無い話を。そんな恐ろしい病が存在する事を。一人を除いて誰も信じなかった。
そして伯爵の移住を、彼女は止められなかった。
もう手段は選んでいられない。
どうにかしてこの病気の蔓延を防がなければ手始めに王国が。そして然程の時を置かずして被害は輸出入を行う船に乗って地上全土に広がるだろう。そうなっては全てが終わる。
その前に、何とかしてこの病を撲滅せねばならない。
方法は一つ。
宿主が死ねば、その体を宿としている病原菌もまた死滅する。
しかしここで次の問題が持ち上がった。
誰がそれをやるのか?
本当なら老婦人が自らやるのが筋だが、彼女は37才の時に心臓発作で倒れて以来、虚脱症状に悩まされて殆どベッドの上での生活でありとてもそれが出来る体ではなかった。
ヤクザやマフィアなど論外。それをネタに脅されたり、もしかしたらその病を利用して金を儲けようと画策するかも知れない。
信用出来る者は、一人だけだった。突拍子も無い自分の話をたった一人だけ信じてくれた者。
グランベル侯爵家令嬢シンディ・グランベル。つまりプロフェッサーだ。
老婦人はプロフェッサーに全てを打ち明け。
そしてプロフェッサーはそれを信じ、依頼を受諾した。ちょうどこの街を掌握していたフランキーに情報を調べさせ、伯爵の乗った船が寄港する港を特定し、そしてドラキュラ伯爵を殺害したのである。
「……命を救う為に命を奪う……矛盾していますね……」
<仕方の無い事でしょう。この場合、選択肢は無かった。抜き差しならない状況だった。遅きに失していれば王国はおろか世界が終わっていたかも知れない一大事であったのです。選択の余地は無かった。私は婦長、あなたの決断が間違いでなかったと信じています。今の医学の、それが限界点なのでしょう>
「……ありがとうございます、シンディ。そう言ってくれると、私も救われています」
<……は>
プロフェッサーはそう言うと、話は終わりだと立ち上がって退室しようとする。
そうしてドアから出ようとして、
「シンディ」
背中に掛けられた声に、振り返った。
<はい、婦長>
「確かにあなたの言う通りです。今の医学は、これが限界……でも、いつか……いつか医学は進歩して病気は根絶され、怪我人の出ない世界が来ます。いつか、いつか……きっとね。あなたの体も、未来には治せるようになるかも知れない。それが、十年後か百年後かは……私にも分からないけど」
<……>
「だから」
そう言って、一度老婦人は言葉を切って。そして孫娘に言うように優しい目と表情と声で語り掛けた。
「未来に、希望を持ちなさい」
<……はい、では、婦長。お元気で>
「私はもう、婦長ではありません」
そのやり取りを経て、プロフェッサーは退室した。
この老婦人と、プロフェッサーが会ったのは、これが最後だった。
後に、この老婦人の名前を冠した看護学校にグランベル家から多額の寄付が行われる事となるのだが……それはまた、別の物語である。