プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第02話 プロフェッサーの馬

 朝、プリンセスの部屋を訪ねて彼女の身支度を手伝うのは、ベアトリスの欠かせない日課だった。

 

 早起きのプリンセスは大抵ベアトリスが訪ねる時には起きている。着替えを手伝って、髪をとかすと朝の紅茶を煎れる。その後、同じテーブルに着いて一緒の一時を過ごせるのは、毎日繰り返しても決して飽く事の無い彼女の楽しみだった。

 

 しかし、今日はどうにもこの朝のお茶会を楽しむ気分にはなれなかった。

 

「どうしたの、ベアト? 浮かない顔をして……」

 

「あ、姫様……」

 

 理由は明白。数日前の一件である。

 

 女王になって壁を壊し、国を変えるというプリンセスの志にも驚いたが、それ以上にセンセーショナルだったのはプリンセスが自らの派閥に加えたのが、このメイフェア校の幽霊ことプロフェッサーであった事だ。

 

 派閥を作る事それ自体は不思議ではない。他の王族は、継承権第1位は自分の立場をより盤石のものとする為に、2位と3位はそれぞれ自分の順位を繰り上げる為に日々自派閥の拡張に勤しんでいる。プリンセスがいくら継承順位が低いからと言って、今まで後ろ盾を持たずに空気姫と呼ばれていた事の方が不思議なくらいだ。

 

 だから派閥を作ろうとする事、その為にまだ誰の手垢も付いていない人物に接触する事は何も不思議ではない。王族ならば寧ろ当然だ。

 

 しかしその派閥のメンバーに選んだのが、よりにもよってあのプロフェッサーであったとは……

 

 得体の知れない人物。

 

 ベアトリスがプロフェッサーに抱いた第一印象がそれだった。

 

 その異様な風体にも驚いたが、学校の地下室で研究を行っている所からして胡散臭さ全開である。

 

 更には、身に付けている制服からこの学校の生徒であると思われるのだが、彼女のような生徒をベアトリスは見た事も聞いた事も無かった。

 

 怪しい。怪しい。怪し過ぎる。

 

 そうした思いから、ベアトリスは独自にプロフェッサーについて調べていたのだが……

 

 調査の結果、思いの外に変わった経歴が明らかになった。

 

「彼女……プロフェッサーの事なんですが……」

 

 当然ながら、プロフェッサーというのは通称名だ。

 

 本名はシンディ。れっきとしたこの学校に在籍する生徒だった。

 

 侯爵家の一人娘で、幼い頃から多少体は弱いながらも文武両道、特に科学分野に高い才能を示し、将来を嘱望されていた。

 

 しかし今から2年前、保有していたケイバーライト採掘場を視察中に爆発事故が起こり、その時両親が死亡。彼女自身も右腕を失う重傷を負った上にケイバーライト障害を発症して両目を失明し、更には生来煩っていた肺病が悪化してマスク無しでは外を出歩く事すら出来なくなり、引きこもり生活を余儀なくされる。

 

 その後は、ケイバーライト採掘場の権利を後見人に委ね、自分は今も学校に籍を置き続けている。ベアトリスが彼女の事を知らなかった理由は単純だった。一度も授業に出席していなかったからだ。

 

 それ以降の経歴については、あまりはっきりとはしなかった。恐らくは地下室での引きこもり・研究生活を続けていたからであろう。

 

 と、おおよその経歴は調べる事は出来た。

 

 しかし、肝心のものが分からなかった。

 

 それは、行動の動機。ツジツマ。

 

 いくら両親が他界して自身も病弱で立場が弱まったとは言え侯爵家は侯爵家。保有している資産も莫大で、そのままでいれば何不自由無い生活が送れていただろう。

 

 だがプリンセスに協力して、仮に彼女が女王になって国を変えた結果ロンドンの壁が崩壊したとして……その時には、東西のロンドンが一つになってアルビオン全土はおろか世界の全てが巨大なカオスの坩堝に叩き込まれる事になる。そうなれば、彼女が今の地位に在り続けられるかどうか、怪しいものだ。最悪、この国から貴族制が無くなる可能性だって有り得るかも知れない。

 

 貴族としての特権や地位を棒に振るリスクを冒してまで、何故彼女はプリンセスに与する道を選んだのか。それが不明である以上、ベアトリスにはプロフェッサーがプリンセスの味方だと認める事は出来なかった。

 

『姫様は、私が守らなくちゃ……』

 

 

 

 

 

 

 

<……で、それを問いただす為に私の元に来た、と>

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 呼吸音が響く、学校地下の忘れ去られた一室。

 

 学校の幽霊こと、プロフェッサーの居室だ。

 

 プロフェッサーは、今は部屋の除塵装置を作動させていないのでガスマスクを装着している。彼女は、対面に座るベアトリスとは視線を合わせずに、机の上に置かれた機械を弄くる作業に精を出していた。

 

 機械弄りに使われている工具は独特の形状をしていて、機械に造詣の深いベアトリスをしてどのような用途に用いるのか、一見しただけでは分からないような代物だった。そして彼女の両手は、特に右手はそれが義手である事が信じられないぐらい精密に動いて機械の調整を進めている。

 

 机上に置かれているのは、大きめのビー玉ぐらいの球形をした機械だった。

 

 良く見ると、マスクから覗くプロフェッサーの目には、紅い光が左側にしか点っていなかった。彼女が弄っているのは、右目の義眼だ。

 

「……教えてください。あなたは、どうして姫様に協力するんですか?」

 

<……ふむ>

 

 椅子の背もたれに体を預けるプロフェッサー。高級そうな椅子が、ギシッと軋む音を立てる。

 

<お金が欲しいから>

 

「ふざけないでください!!」

 

 はぐらかされているのだと思ったベアトリスが、声を荒げた。

 

 奇貨置くべし。という東洋の諺もある。田畑の儲けは精々が投資した十倍、宝石ならば百倍ほど。しかし一国の王族をプロデュースするとなれば、その見返りは計り知れないものとなる。確かにプリンセスに投資すれば、将来彼女が女王になった時には信じられないぐらいのリターンが返ってくるだろう。リスクを承知の上でも、取り組む価値のある事業である事は間違いない。

 

 しかし金ならば、侯爵家の出身であるプロフェッサーは学校の地下に大規模な研究を行う施設を誰にも知られずに維持し続けている事から分かるように未だ巨大な財を保持し続けている。

 

 何より、数日前のプリンセスとの会話で明言こそはしなかったものの、金など要らないと言っていたようなものではないか。矛盾している。

 

 そんなベアトリスの胸中を読み取ったのだろう。ガスマスクに差したストローで紅茶を啜りながら、プロフェッサーが話し始める。

 

<お金が欲しいと言うのは、嘘ではないわ。ただし私のポケットに入るお金は要らない、というだけよ>

 

「……良く、分からないです。もう少し、分かりやすく言ってください」

 

<……ベアトリス、あなたはイーストエンドに行った事はある?>

 

「ごまかさないで……!!」

 

<答えて>

 

 少し、プロフェッサーの語気が強くなった。

 

「それは……行った事は、ありませんけど……」

 

<私は、行った事があるわ>

 

 そこはロンドンの最東端にある大貧民街。

 

 貧民・極貧民・ホームレス・他国からの密入国者・犯罪者が住んでおり、その総数は実に十万人を超えるとも言われている。

 

 昼に空を見上げても、そこに太陽は見えない。工場や家庭からの排煙が、雲を作っているからだ。同じように夜も、月の光は霞んでいる。

 

 大人達は職にあぶれ、暴力で他者から奪ってその日の糧を得るか、さもなければ残飯を漁って空腹を満たしている。

 

 子供達の顔に浮かんでいてしかるべき、否、浮かんでいなければならない筈の笑顔は無い。彼らはスリやかっぱらいに身をやつすか、さもなくば泥ひばりといって、テムズ川の冷たい泥に一日中まみれて、落ちている金目の物を拾い集めてどうにか生計を立てている。

 

 空気が悪く、必然、肺を病む者が多い。特に抵抗力の弱い子供や、免疫の衰えた老人は多く発症する。そして一度病んだが最後、快癒する可能性は殆ど無い。彼らには薬を買う金も、医者に掛かる金も、滋養のある食べ物を買う金も無いからだ。

 

「……どうして、プロフェッサーはそこに?」

 

<……私は、生まれつき肺が悪かったから……だから同じような境遇にある人がどんな暮らしをしているのか……見てみようと思ったのよ……そこに在った現実は、私が思い描いていたものよりも……ずっと深刻で、残酷だったけど……>

 

 マスク越しのくぐもった声は、どこか自嘲しているような響きがあった。

 

<ねぇ、ベアトリス……どうして、彼らのような人達が生まれると思う?>

 

「……それは、彼らが働かないから……」

 

<働けない、というのが正しいけど……でも、それよりもっと重大な問題があるのよ>

 

 プロフェッサーが首を振った。

 

<貧民街の子供達の殆どは、自分の名前すら書く事が出来ない。字を覚えようとすらしない……それどころか、彼らはいつかは私達のような暮らしを営みたいと……そう、妄想する事すらしないのよ。どうしてだと思う?>

 

 答えが分からずに、ベアトリスは首を振った。

 

<それは、彼らが知らないからなの>

 

「……知らない?」

 

<そう、彼らは魚が水の中しか知らないように……透き通った水を飲める事を知らない。隙間風の入らない家に住める事を知らない。人が70才まで生きられる事を知らない……何故なら彼らにとってはそれが当たり前であり、世界の全てだからなの>

 

 無知がもたらす悪は、想像を超えて根深い。

 

 「知らない」人達は、明日10シリングで売れる物を今日100ペンス(約1/8)で手放す事を少しも躊躇わないし惜しいとも思わない。

 

 貧困から這い上がる為にチャンスという蜘蛛の糸が垂らされていても、そもそもそれを昇ろうと思わない。それどころか蜘蛛の糸が何なのであるかさえ分からない。

 

<……昔、私はあの貧民街で……泥ひばりの子供と友達になったの……優しくて、良く笑う子だった……でも、その子は……病気になって……軽い風邪だったけど、貧民街の劣悪な環境ではそれが致命的で……そして、死んだわ>

 

「……」

 

<私達の生きる世界では、風邪ぐらい引いても誰も深刻には思わない。精々2、3日安静にして休んでいれば治る。それが当たり前であるべきなの。暖かい日溜まりの中で、幸せに笑っているべき子供達が……暗い泥だまりの中で、寒さに震えて明日の命を願う……そんな世界は間違っている>

 

「……だから、姫様に力を貸すと?」

 

 国を変え、壁を崩し、世界を壊す。その為の力となる為に。

 

 プロフェッサーは頷いた。

 

<蒸気機関に代わる電気技術……私の研究が実用化され、広く公表されれば……世界は必ず一変する。優れた技術、進んだ産業……世界の発展は、必ずやアルビオンに莫大な生産需要をもたらす……!!>

 

「資本主義、ですか?」

 

<うん>

 

 満足そうに、首肯するプロフェッサー。

 

<資本主義の側面には、果てしなく顧客に情報を提供し、交換するという美点があるわ……その、絶え間無く流動する金と情報は、必ずや東西の壁を取り払う。貧困が無知を育て、無知が悪の温床となるのなら……より多くのお客、より多くのお金をこの国が得る事で、その悪を潰す事が出来る。そして多くの知識を、あらゆる階層の人々に配給するのよ。誰もが、今の自分よりも良い暮らしをしている人が居る事を知るようになる。だから、自分も今よりもっと良い暮らしをしようと努力しようとするようになる。何かになりたいからこそ、人間は学ぶ……学ぶに足る夢を見れるような、そんな国、そんな世界になれば……!!>

 

 プロフェッサーの口調が、どんどん熱を帯びて早口になるのがベアトリスには分かった。

 

<より良い生活がしたい……そう思う、人間の欲望だけが世界を変えていくのよ。そうして変わった世界は……どこでもお日様が見えて、私のような病を持つ人だって、マスクをしなくても外を歩ける世界だと……私は信じている。その世界を、私は見たいのよ……!!>

 

「そう、ですか……」

 

 得心が行ったと、ベアトリスは頷く。

 

 ガスマスクに隠されて見えない筈のプロフェッサーの表情が、今ははっきり分かる気がした。

 

 きっと今のプロフェッサーは、少女のように目を輝かせているに違いない。

 

<プリンセスの壁を壊すという言葉を聞いた時……私は、馬が見つかったと思ったの>

 

 プロフェッサーはそう言って立ち上がると、部屋の除塵装置を作動させていく。

 

 一方でベアトリスは、

 

「馬……?」

 

 またしてもプロフェッサーがおかしな事を言い出したと、首を傾げた。

 

「そう、私が乗るべき勝ち馬が……!!」

 

 言いながら、プロフェッサーはマスクを外して右目の洞に義眼を嵌め込んだ。ベアトリスは、思わず目を逸らす。

 

「ベアトリス、プリンセスにお伝え願えるかしら?」

 

「え……? ええ、構いませんが……何と?」

 

「……最後まで、つまづかれぬように……と」

 

 

 

 

 

 

 

「……そう……プロフェッサーがそんな事を……」

 

「全く、失礼な人です!! よりにもよって姫様を馬呼ばわりするなんて!!」

 

 その日の夜。

 

 湯浴みを終えたプリンセスの髪を整えながら、背後に立つベアトリスはぷりぷりと不機嫌そうに言った。

 

「彼女は私の事を勝ち馬と言っていたんでしょう? つまり、私が女王になると信じてくれているのよ」

 

「はぁ……」

 

 そういう考え方もあるかと、ベアトリスは気の抜けた声を出した。

 

「まぁ……彼女が姫様に協力する理由は分かりました。信用は、出来そうですが……」

 

 背後の侍女の呟きを耳に入れつつ、プリンセスは全く別の事を考えていた。

 

『……勝ち馬、つまづくな……か……』

 

 アルビオンでは18世紀から競馬が盛んで、王室も馬を持っている。必然、プリンセスは競馬を見に行った事があるし、競走馬についてもある程度の知識を持っている。

 

 馬の生は過酷なものだ。ただ走り続ける事でしか、自分の価値を示す事が出来ない。

 

 そしてどんなに力強い馬であっても、レースの最中につまづいて、足を折ってしまったら……その後は……頭に一発、ズドン!! それで、全てが終わる。

 

 女王となる為の継承権争いと、共通点は意外と多いかも知れない。

 

「プロフェッサー、アドバイスをありがとう……」

 

 プリンセスは呟いて、鏡に映る自分自身を見て微笑した。

 

「でも、大丈夫よ……そんな事、とっくの昔に分かっているから……」

 


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