プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
「……そうか。やはり戦勝祈願の式典か」
<……ええ。ゼルダが王国軍の不満分子と接触を持った事が分かっているから……このタイミングで彼等がクーデターを実行しようとするなら、主立った王族や諸侯が出席するようなイベントはそこしかない。動くとしたらその式典を狙うでしょうね>
ロンドン市街のとあるレストランの電話スペース。そこでドロシーは、スパイ任務中でもそうそう見れないような真剣な面持ちで会話していた。
電話先の相手にも、声色から真剣さが伝わっているらしい。どことなく言葉を一つ一つ選んでいるような慎重さが感じ取れた。
<……兎に角。私が探れるのはここまでよ。後は、あなた達に頑張ってもらうしかないわ>
「……ああ、十分だ。ありがとう、委員長」
<上手くやりなさい、ドロシー>
「そっちもな」
最後だけは軽口のように返すと、ドロシーは受話器を置いた。
両手で顔を揉みほぐすようにすると険を取って、そしてまだ料理が置かれている席に戻る。
彼女のテーブルには、同席者がいた。
「遅かったな、デイジー。折角の料理が冷めちまうぜ」
「ごめん、父さん。大事な仕事の電話でさ」
対面の席に着いていたのは彼女の父親、ダニーだった。
彼は今ではとある工場に就職が決まったとの事で、その契約金を使って就職祝いの食事にドロシーを招いていたのだ。
以前は簡素な義手が付けられていた彼の右手には、今は手袋で隠されているが五指があって、まだ慣熟していないせいだろうか油が切れているように動きがぎこちないが、しかしほぼ生身のそれと変わらずに作動する義手が取って代わっていた。
「それにしても、契約金をポンと出してくれるなんて……この不景気でも気前の良い会社は探せばあるんだね」
チラリと、ドロシーは傍らの椅子に置かれている買い物袋へと視線を動かした。中にはそれなりに値が張る流行のデザインのドレスが入っている。ダニーが娘にプレゼントとして贈ったものだ。
「オウよ。そこの社長が俺じゃなきゃって言ってきてな。無理を聞いてくれたんだ」
既にかなりアルコールが入っていて顔の赤いダニーは、本日何本目かのワインをグラスに注いだ。
「ほどほどにしときなよ」
呆れたように苦笑いしつつ、ドロシーは首を振ってしかし彼女もワインが注がれたグラスを差し出して、この一席だけでも何回目になるかも分からない(間違いなく10回は超えている)乾杯を交わした。
上機嫌にワインをあおるダニー。
ドロシーは、くすっと笑って父親を見詰める。大声を上げるなどして周りに迷惑を掛けていないにせよ、ちと羽目を外し過ぎにも思えるが……
事故で右腕を失ってからこっち、自暴自棄になって家族にさえ暴力を振るうようになって、革命が起きてからはその日の糊口を凌ぐ事ばかり考えて職を転々として最後は死体置き場で働くようになって、でも昔が忘れられずに自分も他人も傷付けるような毎日。
そんな糞のような日々にオサラバしたい、変わりたい、やり直したいと思っていたのは誰よりもダニーであったろう。そこに降って湧いた機会。浮かれるのを誰が責められようか。
『運が向いてきたんだよ、父さん……辛かった昔の事は忘れて……これからは、頑張りなよ』
心中でエールを送って、ドロシーは立ち上がった。
「デイジー?」
ダニーがきょとんとした表情を見せた。
こんな席の祝福ムードに水を差すようで、ドロシーの中の人間的な部分が咎める。
だが、そろそろ行かねばならない。
後ろ髪引かれる思いだったが、そこは折り合いを付けて割り切ると、彼女は決断した。
「ごめん、父さん。緊急の用事が入ったんだ。私は行かなきゃ。後は一人で楽しんで」
「え、そんな……」
戸惑ったようなダニーだったが……数秒程の間を置いて急に物分かりの良さそうな表情に変わった。
「そっか。じゃあ、仕方無いな……」
「ごめん、埋め合わせはまた次の機会に」
次の機会。そんなものがあるかどうかはドロシー自身ですらも半信半疑であったが、でも彼女は敢えてそれを言った。言わずにはいられなかった。
レストランを出ようとダニーに背を向けた、その時だった。
「デイジー」
後ろからの声に、ドロシーは振り返った。
ダニーが、乾杯するようにグラスを掲げていた。
「気を付けてな」
「…………」
ドロシーはしばらく目を丸くしていたが……やがてくすっと微笑んだ。
「……うん、分かってる。ありがとう、父さん」
このやり取りを最後に、ドロシーはもう振り返らずにレストランを出て行った。そんな娘の背中を見送ると、ダニーはグラスに半分程あったワインを一息で空にした。
「……さて」
レストランから出たドロシーは、ぱんと両頬を叩く。
既に今の彼女は、浮かれた町娘のデイジーではなかった。共和国の優秀なスパイであるドロシーに戻っていた。
ショッピングモールでは、アンジェとプリンセスが二人で買い物に出ていた。
勿論、プリンセスはお忍びという事で簡単な変装で正体を隠している。
しかしこの買い物は完全に二人だけという訳では勿論ない。アンジェやドロシーなどその道の心得がある者ならばすぐに分かる。あちこちに護衛が付いていた。
これらは実際には、ゼルダの麾下にある共和国側の人員である。そして護衛とは名ばかりで、実際には監視という意味合いが強い。
そして監視の対象になっているのは、プリンセスだけではない。アンジェもそうだった。
これは踏み絵だった。ターゲットを暗殺する為に近づいて、一緒に行動する内に情が移って任務を遂行出来なくなったスパイの話は、アンジェも時々耳にした事があった。そして今は、彼女がその疑いを掛けられているのだ。情に流されずに、任務を遂行出来るかどうか。それが問われている。
任務に忠実にプリンセスを暗殺するならそれで良し。もし、妙な動きをするようなら……!! と、いう訳だ。
そしてアンジェとプリンセスを中心に、円を描くように配置された監視網よりも離れた所。円の外側から、彼女達を観察する目が合った。
建物と建物の狭間から、その影に溶け込むような黒い衣装を纏って紅い両眼を光らせた影。
プロフェッサーだ。
彼女は共和国側の狙いがプリンセスの懐柔から暗殺にシフトしたと考えて、それを逆用してアンジェを暗殺して彼女の死体をプリンセスだと偽って共和国側に差し出す為にやって来たのだ。
<……しかし……>
ここまで人の目が多い場所で、事に及ぶなど愚行中の愚行。
入れ替わりはそれがカードでも人間でも、誰も見ていないタイミングや場所でこっそりと行われる事が望ましい。
<まぁ、焦る事はないか>
自分の考えが正しければ、アンジェは必ず護衛を撒いてプリンセスと二人で逃げる行動に出る筈。狙いはその時、そこしかない。
<……>
プロフェッサーがそう考えた、その時だった。
監視の中に加わっているゼルダが不意に振り向いて、自分の方を見た。
<……!!>
一瞬だけひやりとしたが、しかしすぐに距離もあるし物陰に潜んでいる自分の姿が見える筈はないと思い直す。
今のゼルダの動きは、アンジェ達を監視している自分達を更に監視している者の可能性に思い至ったのだ。
<優秀だな>
感嘆の言葉が、思わず口を突いて出た。
このショッピングモールにアンジェとプリンセスが入った時からプロフェッサーは義眼の機能を使って観察していたが、あの女……ゼルダは隙が全く無い。
自分は頭脳も体の使い方も天才だと自負するプロフェッサーであるが、しかし敵が手ぐすね引いて待ち構えている所に突っ込むのは愚策。
やはり当初の予定通りアンジェが監視を撒いてプリンセスと二人だけになった時が勝負。
それが出来る程に優秀であると、プロフェッサーはアンジェの技量を信用している。
<……後は、騒ぎが起きる時間から逆算して……高飛びする飛行客船に先回りするか……>
プロフェッサーはそう呟き、影の中に姿を隠した。
ショッピングモールで煙幕騒ぎが起きるのは、この5分後の事であった。
王国内の、日本大使館。
この一角だけ日本という土地を切り取って持ってきたような純和風の建物の中で、ちせと彼女の主である堀川公が対面していた。
「内偵ご苦労であった。実はある筋からキナ臭い話を聞いてな。故あってお前を呼び戻したのだ」
「と、申しますと?」
「王国軍の兵士はその大半が海外の植民地出身である事は知っているな」
「はい、先の共和国との戦いでも、その植民地兵が投入されたとか」
以前は剣術一筋で政治の事はとんと分からなかったし興味も無かったちせであるが、堀川公引いては日本国が共和国側に渡りを付ける為、チーム白鳩に加わってからはそうも言っていられないと一念発起し、短期間で英語も勉強して新聞にも毎日目を通すようになって、その程度の情報は把握出来るようになっていた。
「その植民地兵の一部……王国に不満を持つ一部の者達に、不穏な動きがあるらしい」
「……」
不穏な動き、つまりは反乱か暗殺か。
日本でも前例の無い事ではないだけに、良くない想像がちせの脳裏をよぎる。
「情報が確かなら、その中心に、お前の友人がいる」
「……!!」
軍の中心に居るもしくは『居させられる』ような人間で、自分の友人と呼ばれるような人物。
ちせが知る限りその条件に該当するのは、一人。
カサブランカ行きの飛行客船グッドホープ号。
その貨物室で、アンジェはうずくまっていた。
ショッピングモールで騒ぎを起こして護衛(監視)を撒いて、プリンセスと一緒に高飛びしてカサブランカに用意したセーフハウスに逃げる。
それが彼女の計画であり、プリンセスを守る為にはもうこれしかないと思い詰めてもいた。
だがそれを説明した時、プリンセスは言ったのだ。
『そうやって逃げ出すくらいなら最初から私を巻き込まないで!! 私の人生はあなたの玩具じゃない!!』
『チェンジリング作戦でどちらかが消えなきゃいけないのならあなたが一人で消えて頂戴!!』
『怖がりで、泣き虫で、トラブルを起こすのはいつもあなただった。後始末をするのはいつも私……あなたのそういう所、初めて会った時から大嫌いだった』
『さよならアンジェ。二度と姿を見せないで』
そう言って、プリンセスはアンジェを貨物室に閉じ込めて。
アンジェはドアを何度も叩いてプリンセスを呼んだが、もう返事は返ってこなかった。
その時……アンジェは自分の中で何かが折れた、もしくは切れたのを自覚した。
十年前に革命が起きて、身一つで知っている人が誰も居ない所へ放り出されても、それでも生きる事を諦めなかった心の支え。
あのパーティーで再会して。
そしてプリンセスも同じような想いを抱いて今まで生きてきた事が分かった。
だからアンジェは彼女の望みを叶えよう、その為の力になろうと今までやって来たのだ。
だが、そんな自分の意志など矮小なものですらないと嘲笑うかのように、世の中は思い通りにはならない。
上層部が軍主導に変わって、チェンジリング作戦の内容も変わった。プリンセスを懐柔するプランBから、彼女を抹殺するプランAへと。いやこれは本来の流れに立ち戻ったと言うべきか。
プリンセス……いや、アンジェを助ける為には他に手は無い。彼女を連れて逃げるしか。
あるいは最初からこうすべきだったのかも知れない。
プリンセスがどういう訳かスパイがいる事を知っていて、コントロールが内通者の洗い出しに躍起になっている間に、彼女が何と言おうが無理矢理にでも連れ出してしまって、その後は時間を掛けてゆっくりと説得するとか……
それともあの時、ああしていれば……
様々なIF(もしも)が泡のように浮かび上がっては、消えていく。
やがてそれも無くなって、うずくまった彼女が顔を伏せた、その時だった。
ジュッ……
「!?」
熱したフライパンに落とした水滴が蒸発する時のような音が金属製のドアから鳴って、アンジェの耳を掠めるような位置から赤い光刃が飛び出した。
「ひっ!?」
思わず飛び退って、転がるように扉から離れるアンジェ。
扉から突き出ている赤い刃はそこが通った後が融解して赤熱化し、そのラインが楕円形を描くように動いていく。
そして数秒して、赤い線が繋がって円になると、刃は扉の向こう側へと引っ込んでいった。
「こ、これは……」
尻餅付いた姿勢のアンジェが、怯えたようにそのまま更に後退する。
やがて、赤い円の内側がすっぽりと抜けて倒れて、重い音を立てた。
「あなたは……」
シュコーッ……シュコーッ……
今となっては、耳慣れた呼吸音が響いていく。
扉に空いた穴をくぐって貨物室に入ってきたのは、赤い光剣を手にした影。
闇で作ったような黒いローブを身に纏い、顔にはガスマスク、手には手袋など体に露出して外気に触れている部分は一切無い。
ケイバーライト症候群を発症した肉眼に代わって義眼が嵌め込まれた両眼には、紅い光が灯っている。
現れたその怪人、プロフェッサーは五歩の距離にまで近付くと、忠誠を示す騎士の如くアンジェの前に傅いた。
<遅ればせながら、お助けに上がりました……プリンセス……>