プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結) 作:ファルメール
<プリンセス……ひとまずここは……む?>
扉を破壊して現れたプロフェッサーは、アンジェの前に臣下の礼を取って傅いたが……すぐに何かいぶかしむように、まじまじとアンジェを覗き込んだ。
彼女の両の義眼に搭載された自作の電子脳が、自動的に目の大きさや耳の形、顔を構成する各パーツの比率などを計算して一致率を弾き出す。
プロフェッサーの視界に表示された一致率は94パーセント。
これは親兄弟でもちょっとやそっとでは気付かない程の同一性ではあるが……逆に言えば6パーセントだけ『本物』とは違っているという事でもある。
つまり目の前のこの『プリンセス』の風貌は『プロフェッサーの主であるプリンセス』とは6パーセント違う。
<アンジェか……>
未だ光刃を起動させたままの電光剣の柄を握る義手に、気取られないよう力を入れるプロフェッサー。元々ここへは彼女を殺す為に来たのだし、こちらから探す手間が省けたというものだ。
だが、アンジェを殺す前に確認しておかなければならない事が一つ。
<……プリンセスは、何処に?>
実はこの時、プロフェッサーの胸中に不安がくすぶっていた。
悪い予感と言い替えても良い。
それを払拭してスッキリする為にも、アンジェから確認を取っておく事は必要だった。
「この船には……居ないわ」
普段の飄々としていて、嘘ばかり吐いて尻尾を掴ませない彼女からは想像出来ないぐらい弱々しい声で、アンジェが答えた。
<……やはり……>
胸中で舌を打つプロフェッサー。
往々にしてそういうものだが、嫌な予感ほど良く当たるものだ。
悪い予想が的中した。
この船にアンジェが乗り込んだのは、コントロールから暗殺命令が出たプリンセスと一緒に海外に逃げる為だ。
その、今のアンジェにとって護衛対象であるプリンセスがここに居ないという事は……他に彼女が所在する可能性のある場所は、一つ。
まだ、プリンセスはロンドンに居る。
<……拙い。拙い拙い拙い拙い>
プロフェッサーはぶつぶつとそう呟いて、爪を噛もうとして右手を口元に持っていくがガスマスクに義手が当たるだけだった。
だが、動揺していたのはここまでだった。彼女はすぐに頭を切り換える。
アンジェがスモークグレネードで騒ぎを起こしてプリンセスと一緒に逃げ出したショッピングモールには、ゼルダを初めとして護衛と監視を兼ねた共和国のスパイがずらりと詰め掛けていたのだ。
プリンセスがこの飛行客船に乗っていないという事は、自分の意志で残ったにせよ逃げ遅れたにせよ遠くへは逃げられないから、既に共和国側の人間と合流していると考えるのが自然だ。
プロフェッサーとしてはアンジェを始末した後は、プリンセスを『プリンセスと入れ替わったアンジェ』として共和国側に差し出すつもりであったのだが……その予定が前倒しされてしまった形になる。だが……それは自分が常に傍に在って両者の細かな違和感についてはフォロー出来る事を前提にしてのものだ。
<<……あのゼルダという女は優秀……僅かな仕草や様子の違いから、看破される可能性がある……>>
そうなった場合、プリンセスはゼルダに殺されるか……良くても雁字搦めに縛られて国を変える所の騒ぎではなくなる。
いや、もうゼルダには真贋を看破されている事を前提に動くべきだろうとプロフェッサーの冷静な部分が警告する。最悪の事態は、常に想定しておくべきだ。
そして事がここまで進んでしまった以上、もうプロフェッサーがアンジェを殺す理由も消滅した。彼女は電光剣の光刃を収束させると、柄をベルトに装着する。
今すぐにでもこの船から脱出してプリンセスを救出に向かわねばならないが……どう動くか?
その算段をプロフェッサーが考え始めた、その時だった。
「ダメ!!」
甲高い声が、響いた。
<!>
プロフェッサーの視線が動く。
アンジェが、床に落ちていたバッグに寄っていたネズミを追い払っていた。
このバッグは、プロフェッサーも見覚えがあった。ショッピングモールで、プリンセスが身に付けていた物だ。
恐る恐るという手付きで、アンジェがバッグを開く。
そこには、すっかり包み紙の色褪せた石鹸や、子供用の帽子が入っていた。
「これは……」
帽子などはアンジェにとって、彼女とプリンセスの間でとりわけ特別な意味を持つ品物であったが……
<…………>
一方でプロフェッサーが注目していたのは別の品物、石鹸の方だった。
これは、どこにでもある石鹸で簡単に手に入る品物ではあるのだが……
プロフェッサーの頭脳は、僅かな手がかりから一つの推理を打ち立てる。
<<……今まで、どうしてアンジェがいつもプリンセスを特別扱いするのか? それが疑問だったが……>>
理由が何なのか?
<<……それが、分かり掛けてきたぞ……>>
そもそも今までは、アプローチの仕方が間違っていたのだ。それでは真実に迫れないのは当たり前であった。
<<発想を『逆』にしなくてはいけないんだ……>>
気が付けば簡単な事ではあるが、プロフェッサーとしてもここに来なくてはその発想には思い至れなかった。
その切っ掛けを与えてくれたのは、プリンセスのバッグに入っていた石鹸だった。
この石鹸は、アルビオン王国王室御用達のブランドの品物だ。当然ながら、王族であるプリンセスならばいつでもいくらでも手に入る消耗品でしかない。
しかも、バッグに入っていたのは昨日今日卸された新品ではない。包み紙に付いたシワや褪色度合いからしても……少なく見積もっても数年は経過しているように思えた。
プリンセスがバッグにそれを入れていたのは、日用品として使う為ではない。何かのお守りや験担ぎ、彼女にとっての宝物だから肌身離さず持っているという線が、フィーリングとして近い。
いつでも手に入る石鹸を、お守りとして持ち歩く……そんな習慣があるとは、プロフェッサーは知らなかったしベアトリスからも聞いた事がなかった。
これはつまり……どういう事か?
数年前から十年前のプリンセスにとって、この石鹸は宝物に成り得る物……イコールいつでも手に入るものではなかった? 仮に『誰か』から贈られたプレゼントだとして……プリンセスに王宮のどこにでもある石鹸を贈るというのは妙だ。その『誰か』、仮に貴族や王族の親兄弟だとしても、石鹸をプリンセスに渡すなど、おかしな話だ。
そこからプロフェッサーは思考を先へと進める。
<<……当時のプリンセスは、こうした石鹸が簡単に手に入らないような立場だった?>>
確かにこの石鹸は日用品としては高価な品物ではあるが……それでも王宮に行けば浴室や洗面所にいくらでもある。王族であるプリンセスがそれを手に出来ないとは、一体どういう状況だ?
更に、そこから一つの仮説を構築。
<<数年から十年前……プリンセスはプリンセスではなかった? プリンセスは王族ではなかった?>>
とんでもない推論が脳梁から弾き出されたが……しかしだとするならば、説明が付く。
他にも色々考えてみたが、どれもしっくり来ない。正解ではない、事実と違うのが直感で分かる。友人の探偵も言っていた。『考えられる可能性を一つずつ消していって、最後に残った結論があったのなら、どんなに信じられないと思うような内容であっても、それが真実である』と。
だがそれだとおかしな事が一つ。
『プリンセス・シャーロット』が十数年前に生まれている事は、アルビオン王室の記録にも残っているし成長を記録した写真や絵画も多くある。
少なくとも『シャーロット』はある日突然に現れた存在ではない。でも今の『シャーロット』は、かつて王族でなかった者が今は王族になっている。
どういう事か?
<<……つまりいつの間にか別の人間が……それまで居た『王族のシャーロット』と『王族ではなかったシャーロット』が入れ替わってしまった……?>>
そこまで思考が進んだ所で、プロフェッサーは<はっ>と息を呑んだ。
<入れ替わった……だと……?>
呆然と、呟く。
入れ替わり。
そんな事が出来る者が……居た、否、居る。
<……ま、まさか……アンジェ、あなたは……>
プロフェッサーがそう呟きかけた時だった。
今までうずくまっていたアンジェがいきなり立ち上がって、プロフェッサーがここに入ってくる為に開けた扉の穴から外へと出た。
<アンジェ、待って……>
プロフェッサーも後を追って移動する。
アンジェが足を止めたのは、非常脱出用のパラシュート置き場であった。ケイバーライトの重力制御技術、それに伴う飛行船が実用化されて以来、万一の時の為にこうした設備は軍・民間問わずあらゆる船に設置されている。アンジェの視線は、置かれているパラシュートの一つに注がれていた。
プロフェッサーも、義眼のピントを調整してそのパラシュートの袋を見た。口紅で、何か文字が書かれている。
書かれていたのは急いでいたのだろう、短い内容だった。
My turtledove,(私の白鳩)
Run and live(逃げて、そして生きて)
as Ange!(アンジェとして)
プリンセスの筆跡だった。
「……馬鹿!!」
泣きそうな顔になるアンジェ。
今の彼女は、すぐ背後にプロフェッサーが控えている事すら忘れているようだった。
一方でプロフェッサーは、自分の推理をより強く確信していた。
今のシャーロットは元々王族ではない。じゃあ、元々王族だったシャーロットは何処へ行ったのか? 彼女の中でその疑問についても答えは出ていたが……この短い文面を見て、裏付けが取れた思いだった。
自分の仮説と、アンジェに『アンジェとして生きろ』とプリンセスが書き残すという事実を合わせて考えると……
<<アンジェが本物の『プリンセス・シャーロット』……そしていつからか『今のプリンセス』と入れ替わった……恐らくは、十年前の、あの革命の混乱の中で?>>
二人が旧知の仲だったとすれば、アンジェがプリンセスを特別扱いする事もそれで説明出来る。
そして必然、入れ替わりが行われれば……プリンセス・シャーロットは『誰か』に。『誰か』はプリンセス・シャーロットに成り代わる。
<<その『誰か』が、アンジェ……!!>>
つまり『今のプリンセス』は『かつてアンジェだった少女』で『今のアンジェ』は『かつてのプリンセス・シャーロット』なのだ。
結論は出た。
考えるのは此処までだった。
プロフェッサーがこれからどう動くのか? それは決まっていた。
アンジェが、彼女を振り返った。
「プロフェッサー!!」
<アンジェ>
二人の声が、揃う。
<「プリンセスを助けに行くわ。力を貸して」>
全く同じタイミングで、同じ内容を二人は口にしたが、その後のリアクションは違っていた。
「えっ……?」
<…………>
アンジェはかなり驚いたようであった一方、プロフェッサーはそれが当然であるかのように平然としていた。
<……では、善は急げね。すぐ、降りるわよ>
「え、降りるって……」
アンジェの問いに答えるより早く、プロフェッサーはベルトに挿していた柄を掴むと光刃を起動させ、床に深々と突き刺す。
「プロフェッサー……何を……!!」
<……>
プロフェッサーは何も言わずに、そのまま半径数十センチ程の円を描くように光刃を床に刺したまま回転する。
ちょうど二人を中心として、溶断された赤い円が床に描かれた。
「……」
数秒後に何が起こるか想像が付いて、アンジェは身を引こうとしたがそれより早くプロフェッサーの手が伸びて、彼女を捕らえた。
「何を……!!」
<しっかり私に掴まっていて>
プロフェッサーが静かにそう言って……
そして、溶断された床が二人分の体重が掛かった事で下に落ちて、同時に高空を飛ぶ飛行客船の内と外の気圧差によって、船内の空気が便所のネズミのように外へと吐き出される。その気流に乗るようにして、アンジェとプロフェッサーは空中に飛び出した。
高々度からのノーパラシュートバンジー。飛び降り自殺と同じ行為であるが、しかしプロフェッサーは少しも慌てず、磁場を使って二人分の体の動きをコントロールしながら、吹き荒ぶ風の音に負けないように声を張り上げて叫んだ。
<アンジェ。一つ言っておく>
「?」
<……私が忠を尽くし、お守りするのは。今のプリンセスだ>