プリンセス・プリンシパル PROFESSOR(完結)   作:ファルメール

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第08話 プロフェッサーの研究

 ガチャ、ガチャ……キュッ……キュッ……ギッ、ギッ……

 

 クイーンズ・メイフェア校のガレージで、金属音が断続的に聞こえてくる。

 

 そこでは、自動車の整備が行われていた。

 

 深夜にこんな作業を行う者は限られている。それはよほど納期が差し迫っているか、さもなければ人目に触れては困る事情を持つ者だ。

 

 後者は……例えば、スパイなど。

 

「どうだ? 調子は」

 

 ガレージの中に人影は一つだけ。愛車の傍らで椅子に腰掛けたドロシーだった。彼女は、誰かに語り掛けるようにそう言った。

 

 すると彼女の声に応じて車と床の隙間からぬるりと、人が這い出してきた。

 

 コー、ホー……コー、ホー……

 

 聞こえてくるのはトレードマークと言える呼吸音。

 

 プロフェッサーだった。彼女は、今は汚れても良いよう作業服姿でいる。

 

<……部品があちこち歪んでいるし、足回りもイカレている。随分、無茶な運転をしたわね?>

 

 天才を自負するプロフェッサーの指摘を受け、ドロシーは「ほう」という表情になった。

 

「分かるんだ、見ただけで」

 

<無論。私は天才だから>

 

「あぁ……実は前の任務で、コイツで階段を下ってね……」

 

<!! 階段を……道理で>

 

 得心が行ったと、プロフェッサーは頷く。

 

<どんな荒れ地をぶっ飛ばしてもこうはならないと思っていたけど……成る程>

 

「直りそうか?」

 

<そういう質問は、失敗するかも知れない相手にだけするものよ>

 

 自信、いや確信を漲らせた声で返答するプロフェッサーは、作業を行う手を止めずに会話を続けていく。

 

<大丈夫。完璧に……いや、完璧以上に直してみせるわ。壊れる前より素晴らしい物にしてね。あぁ、そこのレンチを取って>

 

「……頼もしいな」

 

 ドロシーは言われた通りの工具を取ると、車と床の隙間に再び滑り込んで手だけを伸ばしているプロフェッサーへと渡す。工具を受け取ったプロフェッサーは手を引っ込めると、車体の隙間からは再び金属音が聞こえ始めた。

 

「……」

 

 ドロシーはしばらくは何も言わずにその音色に耳を傾けていたが……

 

 少しだけ躊躇ったように間を置いた後で、話し始めた。

 

「なぁ、プロフェッサー」

 

<……何?>

 

 プロフェッサーは今度は姿を現さずに、床と車の隙間から声だけで応答する。

 

「このチェンジリング作戦が成功したら、共和国に亡命する気はないか?」

 

<……>

 

 プロフェッサーからの返事は無い。ドロシーは、構わずに話を続けていく。

 

「あんたなら予想しているとは思うが……今までの任務の中で見せたあんたの研究成果は全て私達の上役……つまりコントロールに報告してある。王国にも共和国にも無い独自の発想で、しかも現在実用化されている両国のあらゆる技術を凌駕する『電気』の力……共和国は、高く評価している。もし、共和国に来て研究を続けるなら、最高の待遇で迎える事を約束すると」

 

<……その質問についてなら、答えは一つ>

 

 姿は現さずに、声だけが即答で返ってきた。

 

<私のボスはプリンセスだ。女王でもなければ王国でも、勿論共和国でもない>

 

「……そう、か……」

 

 ドロシーは、どこか残念そうに呟くと椅子から立ち上がって……足音を殺して愛車に近付いていくと、車体を持ち上げているジャッキへと歩み寄った。

 

 このジャッキが外れたら、車体が落下してプロフェッサーの体は押し潰される。いくら金属をコントロール出来るプロフェッサーといえども、磁場を使って車体を持ち上げる暇も無く、圧死するだろう。

 

『懐柔出来ないのなら殺せ』

 

 それがコントロールからの指令だった。

 

 ドロシーはスパイとして、任務を遂行しなければならない。

 

 短い間とは言え、共に危ない橋を渡って命を助けられた事もあるプロフェッサーを殺すような真似はしたくないが……

 

 ジャッキを蹴飛ばそうとドロシーの足にぐっと力が入って……

 

<ただし>

 

 プロフェッサーの声を受けて、足の動きが止まった。

 

<プリンセスがこの国の実権を握られ、両国の友好と発展の為に私が共和国へと出向するという形なら……やぶさかではない>

 

「!! ……そうか」

 

 返事をするドロシーの声には残念な気持ちが半分、安心が半分といった響きがあった。しかし心なしか弾んでもいるようだった。

 

「じゃあ上には、プリンセスをこちら側に取り込めばあんたも一緒に付いてくると報告するよ」

 

 そう言い残して、ドロシーはガレージから退出していった。

 

 足音が遠ざかって、完全に彼女がここから離れたのを確認するとプロフェッサーは再びぞるっと隙間から這い出てきた。

 

<日本も共和国も、考える事は同じか……>

 

 くぐもった声で、ぼそりと呟く。

 

 実は同じような申し出は、この日の昼にちせからもあった。

 

 

 

『本日は堀川公の名代として参った。単刀直入に言うプロフェッサー、日本に来る気は無いか? 先の暗殺者から公を守った際に見せた技術を、我々としては高く評価しており……もし、日本に来るのなら研究費用や設備・人員など全て貴公の望みのままを用意すると』

 

 

 プロフェッサーの返事も同じだった。自分はあくまでプリンセスにしか仕えないが、もしボスであるプリンセスが自分を日本に出向させる意向であれば、それに従うと。そしてちせの対応もほぼドロシーと同じ。ひとまずは堀川公にそう報告するとの事だった。

 

<……天才である私には当然の評価だが……しかし、思った以上に上手く行った……>

 

 現状、プリンセスが女王となる為の武器として使えるものは一つ。それは自分だと、プロフェッサーは考えている。正確には自分の研究成果。

 

 『電気』は現在の世界では類を見ないプロフェッサーのオリジナル、唯一無二の技術体系であるが故に、プロフェッサーを殺して研究成果を奪取するという方法を採る事は躊躇われる。仮にそれをやったとしたら、現在以上にこの技術を発展させる事が難しくなるからだ。

 

 可能であれば、自陣営にプロフェッサーを取り込んでそこで研究を続けてもらうのが望ましい。

 

 そしてそれが出来ないのなら……『電気』が他の勢力の手に渡るぐらいならと共和国でも日本でも自分を消しに来る可能性も勿論プロフェッサーは想定している……その対策として、自分の研究が失ってしまうにはあまりにも魅力的であると示すのが一つ。

 

 もう一つには、プリンセスを籠絡・懐柔すれば自分の研究が手に入ると示す事だった。

 

<これで共和国はそう簡単にプリンセスを殺せなくなり……日本としても、共和国側、ひいてはプリンセスに肩入れする理由が強くなる……>

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、プロフェッサーの地下室。

 

 色とりどりの光が闇を彩るその空間で、部屋の中央の寝台ではベアトリスが横になっている。

 

 その傍らで、執刀を行う主治医のように立つのはプロフェッサーだった。その手には、見た事も無いような形状の器具が握られている。

 

 ガチャ、ガチャ……チキ、チキ……

 

 ドロシーの車を整備する時よりはよほど精密な機械音が、部屋に響いていく。

 

 同じように、空気を吸い込むような音も部屋に木霊していた。これは室内に据え付けられた除塵装置の駆動音だ。プロフェッサーは、今はマスクを外していて美しいがしかし不健康な素顔を晒していた。

 

 プロフェッサーは今、手にした器具でベアトリスの喉を弄っていた。

 

 僅かな震えも無く、機械以上に正確に彼女の手は動いていき……やがて全ての行程を終えて、プロフェッサーは器具を置くとベアトの喉に付けられた蓋を閉じた。

 

「終わったわ。もう起きて良いわよ」

 

「ありがとうございます、プロフェッサー」

 

 起き上がったベアトリスは上体を起こすと、ぺこりと頭を下げる。

 

「喉に違和感は無いかしら?」

 

「あー、あー、あー……うん。大丈夫です」

 

「自分の手で整備を行うのにも限界があるでしょう? あなたの喉は、発声の他にも嚥下や呼吸といった様々な機能を行う事が出来るよう造られた精密機械だから……時々は、フルメンテを行う必要があるのよ」

 

 と、プロフェッサー。

 

 今回の彼女は、ベアトリスの喉に本格的なメンテナンスを行っていた。

 

 今し方プロフェッサーが口にした通り、ベアトリスの機械の喉は生身の喉が行っているのと同じ機能を持つよう造られている非常に精巧な機械仕掛けである。それ故に、機能を維持する為には定期的なメンテナンスが絶対に必要だった。

 

 勿論、ベアトリスは機械の知識を持ち合わせており自分でメンテナンスを行えるが、やはり自分で自分の体を施術するにも限界がある。しかも先日の堀川公暗殺未遂事件に巻き込まれた折、藤堂十兵衛の斬撃を受けて生身であれば首と胴が永久の別れを告げる所だった。

 

 機械化した喉のお陰で命拾いはしたが、その時の衝撃で内部構造に大分ガタが来てしまっていた。

 

 それでもベアトリスは自身のメンテでだましだまし保たせてきたが、先日いよいよ喉に違和感を感じてきたのでプロフェッサーに相談し、彼女は快くフルメンテを引き受けてくれたのだ。

 

「ありがとうございます、プロフェッサー……今まで、こんな事頼める人は居なくて……」

 

「それは当然ね。あなたの喉を機械化した……父親だったかしら、は、私には及ばないけど中々の才能よ。少なくとも凡人には、メンテする事も出来ないでしょうね。天才である私だから、壊れる前より素晴らしい物に出来るのよ」

 

「……」

 

 父親の話は、ベアトリスにとって楽しい話題ではないのだろう。彼女は目を伏せる。プロフェッサーは失言してしまったかと、気まずそうな顔になって何か話題を切り替えようと視線を動かすが……その時だった。部屋のドアがノックされて、アンジェとプリンセスが入ってきた。

 

「あぁ、ようこそ二人とも……」

 

 二人の来客の内、先に口を開いたのはアンジェだった。

 

「プロフェッサー、Cボールの整備は?」

 

「終わっているわよ」

 

 プロフェッサーはそう言って脇の机に置かれていたCボールを手に取ると、アンジェに投げ渡した。パシッと気持ちの良い音を立ててキャッチするアンジェ。

 

「試してみると良い。問題は無い筈よ」

 

「……ん」

 

 アンジェが頷くのと、彼女の体が燐光に包まれて宙に浮くのはほぼ同時だった。

 

 そのまま、重力の方向を切り替えつつ壁から天井、壁、そして床と部屋をぐるり一周する。

 

「どうかしら?」

 

「問題無いわね。全く違和感が無いわ」

 

 ふふんと、プロフェッサーが鼻を鳴らす。

 

「当然ね。天才である私の仕事なのだから。摩耗したり熱疲労したりしている部品を全て交換し、しかも交換した部品は歯車の一つからネジの一本に至るまで、私の目で吟味して精度の高い物を厳選したから……整備前より調子が良くなっている筈よ」

 

「流石ね、プロフェッサー……」

 

 拍手の音がした方に目を向けると、その音の主はプリンセスだった。

 

「それで、プロフェッサー……私に、見せたい物があるとの事だったけど……?」

 

「はい、プリンセス……こちらを、ご覧下さい」

 

 プロフェッサーは机に置かれていた箱を手に取ると蓋を開けて、プリンセスへと差し出してくる。

 

 箱の中は緩衝材としてクローバーがぎっしり詰まっていて、ほぼ中央に二つの球体が埋まっていた。材質は金属のようで、Cボールとビー玉の中間くらいの大きさだ。

 

「これは……プロフェッサー……?」

 

「義眼ですよ。私の、これと同じ」

 

 左手の指で、自分の眼球をつつくプロフェッサー。

 

「私がケイバーライト障害を発症したのが二年前……この義眼は、それから完全に失明するまでの半年間で製造して、それから一年半、改良を加えつつ使ってきました……その間、私の体に変調などは確認されていません。これで、この義眼の安全性は確認されました」

 

「では、これは……!!」

 

 プロフェッサーの言いたい事を察したプリンセスの視線に、義眼の開発者は頷く。

 

「医療用の義眼です。勿論、私の物のような演算や解析機能、ズーム機能や熱源視覚化機能などは取り除いて、生身の目と同じ機能だけを持たせた……量産を前提とした廉価版ではありますが」

 

「じゃあ、これを使えば……ケイバーライト障害で苦しむ沢山の人達を、救う事が出来る……?」

 

 目を輝かせて尋ねてくるベアトリスに、プロフェッサーは深く頷いた。

 

「そう、その通り……!! これはその試作品第一号です。あなたの物です。お納め下さい、プリンセス……」

 

「これが……!!」

 

「素晴らしいわ……プロフェッサー……!!」

 

 アンジェもプリンセスも、知らず目を輝かせていた。

 

 何の飾り気も無い無骨な箱は、今の二人の目には光り輝いているように映っていた。

 

 アルビオン王国が世界中に植民地を保有する今日の隆盛を持つに至ったのは、一にも二にもロンドンの地下から発掘されたケイバーライト、それを用いた重力制御技術によって実現した空中艦隊の威力によるものだが……しかしその繁栄の裏側では、多くのケイバーライト障害に苦しむ人々という弊害も生まれている。

 

 プロフェッサーのこの研究成果は、そんな人達を救えるものだ。

 

 これは単に人道的に素晴らしいというだけでなく、功績によってプリンセスの継承順位を押し上げる為の大変な武器になる。

 

 あらゆる意味で利用価値は無限大と……そう考えた時だった。

 

 ノックの音が響く。

 

 いつの間にか、部屋の入り口にはドロシーが立っていた。彼女は開けっ放しのドアを、コンコンと叩いている。

 

「取り込み中の所悪いが、コントロールから指令が入った」

 

「……仕事?」

 

 アンジェの言葉に、頷くドロシー。

 

「あぁ、共和国への亡命希望者を、私達の手で保護しろとの事だ」

 


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