マーシュ一行はブリッグズを離れ、東へと向かっている最中だ。
逆転の錬成陣の準備のために、とりあえずの拠点を探す必要がある。
進むほどに、道に積もった雪は消え始め、やがて緑の草葉が見えるようになる。しばらくは草原が続くようなので、ここで誰かに遭遇する危険はないだろう。
「うーし、チェーン外すぞ、手伝えー」
「おう、早くしろごぇっ」
雪道用のチェーンをタイヤから外すために一旦車を止める。
ふんぞり返っているヨキをスカーが掴み外へと引っ張り出した。
渋々ヨキも手伝い始める。ちなみにメイは座席で横になって寝ている。
「雪が積もってるとこの運転は神経使ったなぁ。オッサン、運転代わってくれよ」
「フフン、いいだろう、俺様のドライビングテクニックを見せてやろう!」
チェーンを外し終え、ヨキが運転席に、スカーが後部座席に乗り込む。マーシュも助手席に乗ろうとドアを開けたところで、ふと動きを止めた。その顔は車が今来た道、ブリッグズのほうを向いている。
「ん?どうした、早く乗れ」
「……あー、悪い、先に行っといてくれ」
ここでスカーも、何かが聞こえたようにピクリと反応する。
「追手か?」
「多分な。タイヤの跡を追われたな。にしても、早いな……」
車はブリッグズ砦からそれなりに離れた町に置いていた。あえて一番近い町ではなく。乗り込むときも顔を見られないように注意したので、おそらく車は特定されていないはずだ。早々に追うことが出来たのはまた別の要因があるのだろう。
頭にクエスチョンマークが浮かんでいたヨキもここでようやく意味を理解する。
後ろのほうから、激しい駆動音が聞こえる。
「…………いくぞ」
「え、へ、へい!」
ヨキがアクセルを踏み込み、一行の車はマーシュ一人を置いて発進した。
マーシュはポケットに手を突っ込み、後ろから迫ってくる車を待つ。
「悪いがここは通行止めだ」
数秒して、甲高いブレーキ音を立ててマーシュの前に車が止まる。次々に中央の軍服を着た男たちが車から降りてきて、最後には見覚えのある白いスーツの男。
「やぁ、またお会いできましたね」
紅蓮の錬金術師、ゾルフ・J・キンブリーだ。
「はぁ〜、しつこいよなぁ……。仕事熱心なことで」
「ありがとうございます。しかし趣味と実益を兼ねた仕事ですからね。身も入るというものです」
少しげんなりとした顔を見せるマーシュに対し、にこやかに笑うキンブリー。
「ちなみに今回のお仕事は?」
「『泥の錬金術師の正確な居場所を突きとめることと、足止め』ですね。すぐに人造人間を向かわせるとのことです」
「……それ言っていいのか?」
「どうせ貴方もこれくらいわかっているんでしょう?」
「まぁ、そうだな。お前が大人しく足止めだけに徹するわけがないってこともな」
マーシュの言葉に、キンブリーが手で顔を抑え、体を震わせる。その姿には明らかな異常さが滲み出ていた。
「フッフフ……。貴方たちは先ほどの車を追いなさい」
顔を抑えつつもキンブリーが周りの男たちに指示を出す。
「はっ、いやしかし、よろしいので?泥の錬金術師を相手に……」
「貴方たち程度では足手まといにしかならないから早く消えろと言っているのです」
指の隙間から見えたキンブリーの目には、狂気が湧き出ており、有無を言わさぬ迫力があった。
「り、了解」
男たちはすごすごと車に乗り込み、ヨキたちが去った方向へと車を走らせた。
マーシュはそれを横目で見ながらも、キンブリーから目を離さない。
今、キンブリーから目を離してはいけない。何をするかわからないから。
車が離れたことを確認すると、キンブリーは大仰に腕を広げ、空を仰ぐ。まるで何かの演劇かのようだ。
「ああ、残念でなりませんねぇ。貴方とは良い友人になれると思っていたのに、戦わねばならないなんて!」
「残念ではないだろ?お前は多分、ずっと……俺と殺し合いたかったんだから」
その言葉にキンブリーは、にぃぃぃ、と笑みを浮かべる。その獰猛な笑みにあるのは、狂喜。
「フフフフ……!誰かに理解されているというのは嬉しいものですね」
誰かが見れば顔を引きつらせるであろう、キンブリーの笑顔。しかし、これこそがキンブリーの本当の笑顔。命をかけたやり取りが、自分の本性を理解し受け止め相対してくれる相手が、嬉しくて嬉しくて、常人の仮面など外してしまった。
「ええ、それではお待ちかねの……」
そしてキンブリーは、賢者の石をかざしながら、両手を合わせ、その手を地面に置き。
マーシュは、ポケットに手を突っ込みながら、足を一歩前に出した。
「殺し合いの時間です」
瞬間、爆音。もはや爆発と呼んでいいのかすらわからない、凶悪な衝撃が地面をえぐりながらマーシュへと向かった。
マーシュはそれに対し怯むことなく、右足を一度、思い切り踏みしめた。するとマーシュの前に一瞬で、泥の城門が地面から立ち上がる。いや、正確にはただの巨大な壁なのだが、描かれた獅子の絵や植物の紋様で、まるでどこかの城の門であるかのように見える。
「そんなもので防ぎきれるとでも!?」
しかしその大きな壁に直撃しても爆発の勢いは緩まることはない。門を一瞬で破壊し、その奥にいるマーシュへと迫る。
そしてその場に立ち尽くしたままのマーシュを飲み込んだ。
後に残ったのは、直線状に大きくえぐれた地面だけ。
客観的に見れば、マーシュは爆発に飲まれて塵一つ残らなかった。はずである。
しかしキンブリーは知っている。
マーシュがこの程度の男ではないことを。
これで死ぬようならホムンクルス達が手こずるわけがない。
いや違う。マーシュに、この程度で死んでほしくはないのだ。
知恵を搾り尽くして、死力を尽くし合って、命を削り合って、決着をつけたい。
だから、キンブリーは決めつける。マーシュは死んでいないと。
(先ほどの門は目隠し……?今吹き飛んだのは泥で作ったダミー。とするならば本物は……地面!)
マーシュが生きていることを前提として、キンブリーが思考する。
数瞬の後、キンブリーが地面に手を置き、彼の周りの地面が、まるで地雷原を誰かが走り回ったかのごとく、爆ぜていく。
爆音と爆煙と爆炎が絶え間なしに上がり、地面が揺れる。
もしもキンブリーの予想通り、マーシュが地面に潜伏していたならば、五体満足である可能性は著しく低いだろう。
キンブリーの予想通りであるならば、だが。
そのまま数十秒は爆破し続けただろうか。キンブリーがようやく地面から手を離し、立ち上がる。
えぐれた地面のどこかに、マーシュの身体、もしくは肉片が転がっていないかと、煙が晴れるのを待つ。
心のどこかで、マーシュが立っていることを期待して。
が、キンブリーはそこで違和感に気づいた。
もう爆発は起こっていない。なお地面が揺れることはありえない。
この揺れは、爆破によるものではない。
では何か。
その答えは、晴れた煙の向こう側で、待っていた。
–––––天まで届きそうな、壁。
違う、動いている。キンブリーのほうへと向かってきている。
あれは、
「津波……!!」
町すら軽く飲み込みそうな規模の、濁流の津波。
向こうの方には、雪原。ということは雪解け水もある。その水を操って、こっちまで運んできた。賢者の石とマーシュの錬金術があれば、出来ない話ではない。あの門による目隠しもダミーも、この濁流を起こすまでの時間稼ぎ。姿を隠せば、キンブリーが勝手に爆破を起こして、津波の姿も水音も揺れもわからなくしてくれると予想して。
キンブリーの額に、つつ、と冷や汗が流れる。まんまとマーシュの術中にハマってしまった。もう少し早く気付けば避けられたかもしれないが、もう濁流は目と鼻の先だ。もう数秒のうちにキンブリーを飲み込むだろう。
「ああ、なんと……」
キンブリーが下を向き体と声を震わせ、両手を合わせる。
「なんと、素晴らしき戦いか!!!」
上げたその顔は、歓喜に染まっていた。
まるで天災。常人では太刀打ち出来ないどころか立ち向かう気すら起きないような圧倒的な力。賢者の石がなければ自分も為す術なく地に沈められたことだろう。石を最大限に活用して、自分の本来の実力の1000%を出し切って、ようやく到達する。嗚呼、そう来なくては。
キンブリーはそしてその手を地面へと叩きつけた。手をついた場所から、津波の方へと地面がひび割れていく。まるで巨大な生き物が高速で地面を掘り進んでいるようだ。そして、ひびが津波へとたどり着いた瞬間、地面が轟音と共に爆ぜ、津波が真ん中でバックリと別れた。
「これほど心が踊るのは、いつぶりか……!いや、初めてかもしれませんねぇ!!」
自分の両側を津波が抜けていくのを横目で見ながら、喜色満面といった様子のキンブリー。
そして、津波の向こう側にはマーシュ。
マーシュの足が、また大地を踏み鳴らした。
やり過ごしたはずの両側の津波が、逆巻き、まるで二本の三叉の槍のようになって頭上からキンブリーへと襲い掛かった。
キンブリーは動じることなく、地面の石を拾い、それぞれの槍へと放り投げる。ただの石ではない。キンブリーが触れたものは、須らく爆弾だ。
爆弾に変化した石が泥の槍に触れた瞬間爆発し、槍が爆ぜる。
あたりに泥が飛散し、キンブリーの白いスーツにも泥が降り注ぐ。
「ああ、またスーツが汚れてしまった……。しかし今はそれも甘んじましょう。さぁ!もっと楽しみましょうか!!」
「……いいや、もう終わる」
マーシュがなおも淡々と告げる。キンブリーがふと下を見ると、キンブリーの片足が泥で沈んでいた。上に注意を向けさせ、その隙に沈めたのだろう。ここから自力で抜け出すことは至難だ。
「いえ、まだ終わりませんよ」
キンブリーは一瞬も躊躇うことなく、泥に沈んだ
しかしキンブリーは額に汗を流しながらも、笑みを崩さない。
後ろに倒れこむと同時に、両手を広げて地面へと叩きつけた。
そして、キンブリーの下で起こる爆発。
その爆風によって、キンブリーがマーシュの方へと吹き飛ばされた。どの位置でどれくらいの威力なら対象がどれ程吹き飛ぶか、それをキンブリーは熟知している。
自分は死なない程度に、されどマーシュの元まで飛べるように。
完全に不意をついた。この速度なら、錬金術を発動するまでにやれる。
背中を焼き焦がしながら、片足から血が噴き出ながら、それでも笑みを崩さず両手を合わせ、その手をマーシュへと向け、今までで最大の火力を……
「ああ。お前がそうくるだろうと
キンブリーの手から爆発が起こる前に、地面からまるでワニの口のように泥が伸び、キンブリーの体を丸々バクリと飲み込んだ。そして様々な方向にねじれながら地面へと引きずり込み、キンブリーの体は完全に地面に飲み込まれた。
次いで起こる地響き。ズズン、ズズズン、と何度も。地面の底から何かがノックしているようだ。おそらくキンブリーが脱出しようと爆破を起こす音。閉じ込められた状態で爆発を起こせば、自分の体がどうなるかわかった上で。
だが、地面へと閉じ込める前にマーシュはキンブリーを様々な方向に回転させた。今のキンブリーはどちらが上でどちらが下かもわからない状態だ。今の爆破も、地上へではなくさらに地中へと向かってしまっていたのだろう。
ズン、ズン……と音は段々間隔を空けていき、
そして、爆破の音が、止んだ。
力尽きたか、はたまた腕が千切れたか。
どちらにせよ、それはこの殺し合いの決着を意味していた。
「じゃあな、
マーシュがもう一度大地を踏みしめた。
ーーー
「な、なんだこりゃぁ!」
「離しやがれ!」
「せっかく良い夢を見てたのニ……」
(夢の中で)王子様とのキスで目覚めるはずだったメイを目覚めさせたのは、車の床とのキスだった。後ろから追ってきた車に体当たりを喰らい、ヨキが慌てて急ハンドルを切ったせいである。
結果、意気揚々と車から降りてきた男たちはスカーがどうこうする間もなく、ご機嫌ナナメなメイによって一瞬で捕獲された。
「いぃ!?ていうかこいつスカーじゃねぇか!」
「マジかよ!んな話聞いてないぞ!」
「……マーシュ・ドワームスはどうした?」
慄く男たちを無視してスカーが右手を鳴らす。マーシュが残ったはずなのに、この車はすぐに自分たちの後を追ってきた。それはつまり、マーシュをほぼ素通りしたということだ。
この程度の奴らにマーシュが遅れを取るはずもない。ということは、マーシュがこいつらをわざと通したのだ。しかし、その意図まではわからない。
「た、多分キンブリーさんとタイマンしてる!俺らは邪魔だからあいつらを追えって……!」
「キンブリーだと!?」
キンブリーはスカーにとっても因縁がある。兄の命を奪ったという点ではマーシュよりも憎むべき対象といえるだろう。
「引き返すぞ!」
因縁という意味でも、奴を一人で相手取るのが危険という意味でも、ここでただ待っているわけにいかない。
まさか追ってきているのがキンブリーと分かった上で自分たちを先に行かせたのか。
ギリッとスカーが歯を軋ませる。
「うえ、へい!」
「あれ、そういえばマーシュさんハ……」
「乗れ、メイ!奴は追手を引き止めている!今、ドワームスを失うわけにはいかない!」
「エエッ!わかりましタ!」
スカーは、気づいているのだろうか。向かう目的が、キンブリーを殺すためではなく、マーシュを助けるためになっていることに。
ー
再会は、思ったよりも早く訪れた。
草原のど真ん中を、マーシュがブラブラと歩いている。
ヨキの運転する車が近づくと、ヘラっと笑いながら片手を上げたのだった。
「マーシュさン!ご無事ですカ!?」
「おー、ご無事ご無事。あ、悪いな追手通しちまって」
言う通り、パッと見る限り無傷で、疲労している様子もない。
「……キンブリーはどうした」
「
何気なしに言うマーシュ。この男がそう言うということは、もうキンブリーが追ってくることはないのだろう。今頃はどこかの地面の中か。
ああ、キンブリーは、兄の仇は、死んだのか。
ストンとスカーの胸の中にその事実が落ちてきた。
俺が殺すべきだったのだ、と憤慨することも、なら次はドワームスだな、とマーシュへの憎しみが増幅することもなかった。
この男が憎いことには変わりない。変わりないが、評価は変わりつつあった。
この男は、自分の身を簡単に犠牲にする。この男がいなければ、兄者の真意を把握することも出来なかった。この男は、本気で国を救うつもりでいる。
憎んでいるだけでは見えなかったものが、見えた気がした。
スカーの中で確実に、何かが変わってきている。
ーー
「それで、こいつらをどうするかか」
マーシュを車に乗せてとんぼ返りし、先ほどの男たちを捕まえた場所まで戻ってきた一行。
男たちはマーシュの姿を見てギョッとする。
「んなっ!キンブリーさんが負けたのか!?」
「性格はサイアクで俺たちのことを道具としか思ってない奴だが、実力は確かなはずだぞ!」
「あー、やっぱそういう評価なんだな」
人間性だけでなく、部下からの人望も欠けていたらしいキンブリー。
「あの……貴方たちは、どうして自分たちの国を滅ぼそうとするんですカ?」
メイが伏し目がちに尋ねる。それを聞いて男たちが目を丸くした。質問の意味がまるでわからないという顔だ。
「はぁ?どういう意味だ」
「メイ、多分こいつら何も知らないぞ。ただ言われた仕事をしてただけだ。国がどうこうとかを知ってるのは上層部だけだろうな」
「そうなんですカ?」
「では、有益な情報も手に入らないだろうということだな」
「お、おい、俺たちを置いて話すな!」
「国が滅ぶってどういうこった!」
「今から死にゆく貴様らに話すことはない」
スカーがその右手をゆらりと男たちに近づけるが、メイがスカーのすねにチョップすることによりそれを阻止する。
「殺しちゃダメですヨ!!」「んぬっっ」
すねを抑えて声を出さずに悶絶するスカーを尻目に、マーシュがしゃがんで男たちに目線を合わせた。
「話してもいいけど、俺たちに協力してくれるか?」
「協力……?」
「あ、ああ、する!どうせこのまま軍に帰っても処分されるだけだ!」
「事によっちゃいくらでも協力してやるよ!」
男たちが口々に声を上げる。全員協力的なようだ。選択肢はないようなものだが。
マーシュは人差し指を立て、この国の陰謀について話した。
わかりやすく、簡潔に。
流石にこう何度も説明していると慣れてきたものである。
ー
「んだそりゃ、俺たちそんなヤバいことの手伝いしてたのかよ……」
「軍なんてロクなもんじゃないのはわかってたが……」
「さっきもだが、お前らけっこう軍に反抗的なんだな」
「まぁな」
そう言うと、男たちは次々にその姿を異形のものへと変える。
ゴリラ、ライオン、棘の生えたブタ、太いカエル……。
「おー」「ひ、ひぃぃ!なんだこいつら!!」
「……
一人を除いて薄味のリアクションであることを見て、男たちは少し拍子抜けする。
「ま、軍の実験体だな。こんなナリだから家族にも会えねえ」
「俺たちはけっこう気に入ってるがな。便利だし」
「ふむ、ま、お前らが人間だろうが動物だろうが何だろうが関係ねぇ。約束だからな、協力しろ」
「か、関係ねえのか?」
「使えるものはブタだろうがカエルだろうが使うぞ俺は。約束はキッチリ守れよ」
「……ぷっく、くく、また嫌な上司が出来ちまったかもしれんなこれは」
「まったくだ。こき使われてやろうじゃねえか」
四人を縛っていたロープを切り、解放する。
棘ブタはザンパノ、カエルはジェルソ、ゴリラはダリウスでライオンはハインケル、という名前らしい。
各々自己紹介を交わした後(ヨキは腰が引け気味)、8人はそれぞれの車に分かれ出発する。
こうして、マーシュ一行にキメラが四人加わった。
《マーシュたちを追いかける車内にて》
豚 キンブリー 蛙
ライオン ゴリラ
キンブリー「……獣臭い……」
ブヒブヒガウガウゲコゲコウホウホ
次話は遅いと言ったな?あれは嘘だ。
なぜならすでにキンブリー戦は書き溜めてあったからッ!
キンブリーとの戦闘は、マーシュたちがリゼンブールにいたあたりで既に書き終わってたのです。
俺の最後の書き溜めだぜ!受け取ってくれーッ!
まずは、モチベの回復が第一なのです……。
次話はまったく考えてないので遅いのです。
本当です。