閃乱カグラ 少女達の記録 【Bondage dolls】 作:なまなま
これは忍の生き方に翻弄されながらも、答えを求めて必死に戦い続ける少女達の記録である。
よく晴れた冬の昼過ぎ。人とモノで溢れかえる東京都のオフィス街、その片隅にある小さなカフェ『ランチョ』からは、次々と客がはけていく。冷たい空気が漂う路地へと、人々は手に手に書類やバッグを持って仕事場へと急ぎ足で歩いて行った。
落ち着いた内装の店内はあっという間に閑散とし、右奥のテーブル席に二人が残っているだけ。
「みんなお仕事大変ねぇ」
店の外を通るスーツ姿のサラリーマンたちを見て、隅に腰かけている女・・・いや、少女がつぶやく。
大きな乳房が目を引く上半身は、黒のインナーを合わせたオフショルダーのキハダ色セーターで包まれ、テーブルの下で組まれた肉感的な美脚は黒タイツと桃色のタイトスカートであしらわれている。170cm近くある長身が黒のヒールサンダルで底上げされ、肢体に漂う大人びたムードを助けていた。
しかし頭へ目を向けると、印象が少し変わる。顔の両脇で亜麻色の髪がグルグルと内向きに平巻きでセットされており、右に流した前髪の上には大きなピンク色のリボンが鎮座している。まるで可愛らしい人形のような仕立てだ。
細い眉の下には、深い翡翠色の瞳を収める若干伏せ気味の落ち着いた目。口元は緩い弧を描き、余裕さと狡猾さを覗かせる。童顔寄りなのだが、表情の醸し出す雰囲気がそれを感じさせない。
「ほんなら、わしらも仕事しとるから大変やな。しかもまだ18やで春花さん。えらいこっちゃ」
春花の隣に座る少女が、まったく「えらいこと」と思っていない平坦な関西弁で言葉を放る。
彼女の柔らかな草色セミショートの下には、鋭さを宿す蛇のような黄金色の瞳。首とその下にある豊かな胸から股までは赤いセーターで覆われており、セーター下のショートパンツに続く眩しい太ももは半ばから黒のソックスで、膝下からは茶色のブーツで包まれている。
「そうよ日影ちゃん。わたしたち、まだ18なのよ、18っ」
春花は数字を強調しながら日影に言葉を返しつつ、カップに入ったブラックコーヒーを眠気覚ましに啜る。薬の扱いに長ける少女は、昨日の朝から常備薬の補充や新しい治療薬の開発、アルバイトを掛け持ちした後は仲間との手合わせ等々・・・と大忙しだった。
「お肌にも健康にも悪いことばっかり。流石に慣れたとはいえ、抜忍生活は楽じゃないわ」
「わしは食べもんさえ良くなれば文句はないけどな。野草もなんちゅーか・・・飽きてきたで」
二人はただの貧乏娘ではない。世知辛い現代社会に暗躍する忍の少女たちなのだ。
今でこそ、苦しい洞窟生活を送ってはいるが、少し前までは悪忍の養成機関『秘立蛇女子学園』でトップ集団に位置する成り上がりの実力者だった。
―悪忍。それは公的機関からの命を受け、世の平穏や規律のために影ながら奔走する善忍に、相対する忍たちである。悪忍は、善忍が受け入れない個人や企業からの、非合法な依頼や裏社会の幇助までをも忍務として請け負い、社会通念や法律、場合によっては人の命すら無視して仕事を果たす、非情な忍勢力だ。
春花と日影もその冷徹で理不尽な世界に身を置いていたが、善忍の養成機関『国立半蔵学院』との激突で『蛇女』が崩壊。居場所を失った五人のトップ学生たちは、リーダーである焔の名を冠した『焔紅蓮隊』という抜忍集団として生きる道を選んだのだった。
「いろいろ頑張って、今はなんとか依頼が来るようになったけど、装備や研究に日用品その他諸々でぜーんぶ無くなっちゃって・・・贅沢なんて夢のまた夢よねぇ」
テーブルに向かって頬杖とため息をついた春花がハッとして、申し訳なさそうに日影へ顔を向ける。
「ごめんなさいね、日影ちゃん。つい愚痴なんか聞かせちゃって」
「気にせんでええよー。わしには感情がないからなー」
日影がテーブルに顎を載せて無感動な声を出す。物心ついたころから肉親を持っていなかった日影には、本人曰く「感情がない」らしい。
無感情な蛇の瞳が右に動く。視線の先、入り口近くのトイレから男が出てくるところだった。
「長かったのー」
「世のオジサマ方って、みんなこうなのかしら」
少し苛立ちを見せた春花のいる席へ、革のカバンを提げた男がネクタイを直しつつ近づいてくる。
春花より頭1つ分高い背を、灰色のスーツに押し込まれた肥満体型がさらに大きく見せる。群青色のハンカチをソーセージのような指で摘まみ、汗だらけの顔を拭き拭き、少女二人の向かいへ腰を下ろした。
大きな腹が角にぶつかり、テーブルが少し揺れる。春花がムッとした表情で見つめる先には、なんとも冴えない中年男の顔。
禿げた頭を残り少ない両脇の髪で隠そうとする無駄な努力。肉で細まった小さく臆病そうな目と、繋がりかけている太い眉毛。飾り気のない四角い黒縁メガネが愚鈍さを引き立て、下には団子のような鼻と少し突き出た肉厚の唇。
「いやぁ申し訳ない。おしっこだと思ったら大の方もしたくなってしまって・・・」
こもり気味の野太い声が発した下品な言葉に、春花が露骨に嫌な顔をする。
「あの。お仕事のご依頼をくださるのに、こんなことを言うのもなんですけれど、少しデリカシーというものに気を配った方がよろしいですわよ」
「ん?あ、はい?なんです?デ、シリ・・・?デカ尻?」
だめだ。春花はもう全く隠そうともせずに大きくため息を吐き、額に手を当てる。
一方で男は注文してあったラージサイズのアイスコーヒーを手に取り、差してあったストローを除けると、ごくごくと飲み始めた。春花の顔が見る見るうちに嫌悪感でいっぱいになっていく。この男には商談相手を目の前にしているという認識があるのだろうか。
隣の日影は男から視線を外し、カウンター内で談笑する二人の女性店員を眺めて「髪の毛が紺色と金色や。夜空とお月さんみたいやな」などとどうでもいいことを考えていた。
男はコーヒーを九割方飲み干すと、フーッと長く息を吐く。春花はできる限り背もたれに深く寄りかかるようにして息から逃げつつ、若干の怒りさえ漂わせて話を切り出した。
「・・・小野さん、お仕事の話に戻ってもよろしくて?」
「ああ、はい。えっと、資料は読んでいただけました?」
『小野』と呼ばれた男がテーブルに置いてあった数枚の書類を指さして尋ねてくる。
春花は嫌味っぽく、日影は抑揚の少ない声で答える。
「ええもう、それはそれは隅から隅まで穴が開くほどキッチリ読ませていただきましたわ」
「三周はしたで」
「そうですか」
小野は少女たちの言葉が意味することを全く考えず、短く返事をして続けた。
「それでは受けていただけるということで」
「ちょ、ちょっと待ってくださいな」
勝手に契約成立の方向へもっていこうとする中年男に少女が待ったをかける。
「ほとんど何にも話してないじゃありませんか。遅刻してくるなり名刺と書類を置いて、お手洗いに行っちゃって」
春花の言葉を聞いていた日影が手元の『人々の末永い幸せのために。 命長製薬株式会社 秘密営業課 小野ひろみ』と書かれた名刺を眺めて、場を和ませようと何とはなしに声に出して読んでみる。
「めーちょーせーやくー」
二人は紅蓮隊の連絡先にかかってきた仕事依頼の電話を受けて、このカフェへ商談をしにやってきたのだった。
「わたくしたち二人をご指名でしたので、ぜひ理由をお聞きしたいと思っておりましたのに!」
電話でも指名理由を問うたのだが、コンピューターのように事務的な相手の女性は「詳しい内容につきましては、当日担当者がお話しさせていただきます」の一点張りだった。こんな依頼を受けたくはなかったが、日銭すら心許ない現状では選り好みできない。
語尾を荒げて少し前のめりになった春花の背中を、日影が「どうどう」とつぶやきながら優しくたたく。
感情のない日影ですら春花の憤りを察しているというのに、目の前の男は全く気にしていなかった。
「理由なんて知りませんよ。僕はただ依頼を通してこいって言われただけで。昨日急に秘密営業課に回されたんで、書類の内容も実はあんまり知らないんです。ええと、うちのシノビ?のアンサツ?でしたっけ」
眩暈がしてきた。まるでお話にならない。春花は疲れたように椅子にもたれかかり、こめかみを指で押す。
選手交代。体を起こした日影が小野へ言葉を投げる。
「せやね。読んだ限りでは、おたくんとこの『シジュ』っちゅー忍の暗殺や」
日影が手を伸ばして書類の『飼珠』という忍名と顔写真が載っている部分を指さす。
セミロングの黒髪を七三に分けた、少し鋭さと影を感じさせる緩やかなツリ目の美人が、履歴書用に微笑みを浮かべている。
「ほんで、暗殺理由は薬品の盗難やな。まだ本人はバレとらんと思うとるらしいで」
忍の存在は、一般の人々が思っているよりも身近にある。表向きはいたって健全で優良な企業でも、裏ではお抱えの忍を利用した情報戦や武力衝突が頻繁に行われているのだ。ただし、世の中の影である忍の世界には厳守しなければならない様々な掟や不文律があるため、忍の存在を知っているのは企業でも限られた上層部のみであり、社長が把握していないケースすらある。
春花はウンザリしつつ中年を眺める。愚鈍な小野にもなにか理由があって忍の存在が知らされているのだろうが、こんな人間を機密に関わらせて大丈夫なのだろうか。あるいは・・・
考える春花をよそに、日影が小野への説明を続ける。完全に立場が逆だ。
「今日の夜八時、飼珠さんは『命長に関する情報売買の阻止』っていう偽の忍務で、おたくが管理しとる港の一角に向かうはずやから、そこで始末せえって」
「なるほど」
命長製薬はそこそこの大企業で、海外でも力を増しつつある注目の会社だ。それゆえに敵も多く、雇われている忍は大忙しなのだろう。だから他の組織としがらみが少ないながらも実力派で、組織としても若い紅蓮隊に掃除を依頼してきたのだと予測できる。抜忍なので、いざとなれば切り捨てても問題ないとすら思われていそうだ。
そのあたりへの探りも入れたいのだが、小野相手では意味がない。日影の説明さえ、本当に理解しているのか疑わしい。
「それと肝心の薬品がどういうモンなんかが書いてなかったで。知らへん?」
「知るわけないでしょう」
さも当然という風に言い放った小野に殺意を抱きながら、春花が話に戻ってくる。
「標的の誘導と暗殺場所の用意をしてくださるのは嬉しいのですけれど、戦闘支援についても書類で全く触れられていません。御社の忍は作戦に参加しないのですか」
「それもわかりません。さっきも言いましたけど、僕は契約を取りつけに来ただけなので」
小野が標的だったら、春花は間違いなくこの瞬間に抹殺していただろう。膨れ上がる怒気を抑えつつ、一番の眼目に触れる。これすら知らないと言ったら、本気で殺してしまおうか。
「契約といっても、こちらも慈善団体ではありません。報酬額についてはご存じありません?」
「えっ、書いてなかったです?」
「おっかしーなー」と言いつつテーブルの書類を流し読みしていく小野。記載がなかったらしく、カバンの中を探り始めた。口の端をピクピクさせている春花を横目に見ながら、日影が「さすがにあかんでー」と小声で男を急かす。
「あっ!あったあった!クッシャクシャですけど!」
カバンから引き抜かれた小野の丸い手が、テーブルの上へ「お支払いについて」と題された一枚の紙を落とす。カバンの底で折れ曲がっていたであろう白い紙の真ん中あたりに、春花の目を吸い寄せる「委託忍務成功報酬額」という確かな文字。
一人の盗人忍を始末するだけの忍務。環境も先方が用意してくれるし、しがない抜忍の小娘に支払われる報酬だ。期待はしていない。でも重要なことだ。確認はしておかなければ。お金は大事だ。
魅惑の文字に続くゼロの羅列を見て、少女の目が見開かれる。
「えっ!?な、なに!?えぇ!?」
珍しく本気の動揺を見せる春花につられて、日影も書類をのぞき込む。友の右手人差し指は報酬額の一の位に置かれていた。
「ま、間違いがあっちゃいけないわ!日影ちゃんもちゃんと見ててね!?」
「まかしときー」という返事を待たずに春花が指を左に動かし、声に出しながら桁数を数えていく。
「一、十、百、千、万、十万・・・」
だんだんと春花の声が静かな興奮で震えてくる。
「ひ、百万、千万・・・千万っ!二千万!?」
思わず上ずった叫びを上げてしまった春花に、カウンター内で笑い合っていた店員二人が驚いたように視線を向けてくる。日影が「なんでもあらへんでー」と手を振ると、話に戻っていってくれた。
店員から隣へ視線を戻すと、春花が驚きと喜びの混じった複雑な笑みを浮かべて体を小刻みに震わせている。ついでに視界の端で小野まで驚いているのがわかった。
「にせんまん!?」
「二千万!?」
春花と小野が顔を見合わせる。忍務内容に対して、あまりに大きすぎる金額だった。
「こ、これ、合ってます!?桁が一つか二つ多いのではなくって!?」
「あ、合ってるはずです!二千万!」
「すごいなー」と平坦な声で言う日影の隣で、春花の意識は想像の世界へと羽ばたいた。
にせんまん・・・にせんまん・・・すごいわ、にせんまん。二千万円あれば、なかなかの贅沢ができるんじゃないかしら。焔ちゃんに高級な和食やお肉をお腹いっぱい食べさせてあげられるし、詠ちゃんには山ほどのもやしと栽培セットを買ってあげられる。日影ちゃんの投げナイフも新調させてあげたい。未来には高性能なパソコンとゲーム機を買ってあげようかしら。みんなで遊園地とか旅行に行くのもいいわね。なによりわたしの研究費と各種備品、趣味のSM道具とお洋服に化粧品も増やせるし、生活レベルも底上げできるはず!すごいわっ、にせんまんっ!
紅蓮隊の面々を思い浮かべながら恍惚としている春花。その内心を想像していた日影は「でも春花さん分でだいぶ無くなりそうやな」と考えつつ、小野に話しかける。
「報酬額には依存なしやで」
「そりゃそうでしょ!」
小野が興奮冷めやらぬといった風に返してくる。小野の不快な声で春花が現実に戻ってきた。
「で、では、契約成立っ。成立ということでよろしくて!?」
「そういうことになりますねぇ!ここにサインをください!」
太い指が示す紙の上に、春花が脇に置いてあった薄紫のポシェットからボールペンを取り出してサインを書く。綺麗なはずの字は、指の震えで少し崩れた。
「よかった!僕の仕事はこれにて完了!」
数枚の書類をまとめて掴んだ小野の手が引かれ、隣に置いてあったアイスコーヒーのグラスに当たる。
「あ」
少し残っていたコーヒーが書類の上にこぼれ、春花の描いたサインもろともビショビショに濡らしてしまった。
「ちょっと!」
「ああー!大丈夫!きっと大丈夫ですから!」
少女の鋭い声に、慌てた小野がちり紙で書類の水分を吸い取る。怒る友の横では、日影が自分のスペースまで飛んできた飛沫を、落ち着き払って拭き取っていた。
「こ、これでなんとか大丈夫なはず!」
書類を持ち上げてみせた小野が自信なさげに笑みを浮かべる。濡れてしまったが、文字は読み取れるようだ。
「本当に大丈夫ですの?」
「大丈夫っ!なんとかします!」
「・・・お願いしますわよ」
なんだか興奮が冷めてしまった春花。あとは小野に死に物狂いで報酬を支払えるよう、話を通してもらうしかない。通せなかったら本当に殺してしまおう。
春花の非情な決断をよそに、小野がコーヒーで濡れた手を差し出してくる。
「それでは、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。きっとお仕事を成功させてみせますわ」
春花は握手の求めを無視して営業用の笑顔で返すと、ポシェットを持って立ち上がる。商談の終わりに気づいた日影も続き、椅子から離れていく。
「あーっ、スーツにも飛び散ってる!」と一人で騒いでいる小野に「それでは連絡は初めと同じで、こちらに」と黒のスマートフォンを振って見せた春花は、男の返事も聞かずに歩いていく。日影は「ほな」とだけ言い残した。
「あの、お会計は?」
「あの人がお支払いしますわ」
レジ近くまでやってきた二人にミディアムヘアーの紺色店員が聞き、春花が当たり前のように小野へ右手を向けつつ左手で出入り口の戸を開ける。開閉を告げる鈴の音とともに出ていく間際、後ろを歩いていた日影が振り返って一言。
「今夜はお月さんが綺麗やろな」
なぜそんな言葉をかけられたのか意味がわからないまま、爽やかな雰囲気の店員はとりあえず笑顔を作る。見送る視線の先、二人の少女は明るい路地を並んで歩いて行った。
「あの、今の二人、お会計しました?」
声に振り返ると汗だくの小野が心配そうに立っている。
「い、いえ・・・お客様がお支払いになるということでしたので・・・」
「あ~!やっぱりそうなるの!」
大げさに残念がった男は会計を済ませると、巨体をせわしなく揺らして店を後にしていった。
その様子に思わず笑みを浮かべた女性は、忙しくなる夜に向けて準備をするため、店内の奥へ引っ込んでいく。
路地を照らすうららかな太陽の光が、忍務の始まりを迎え入れていた。
第二話へ続く