最近はどうも女性型ウィルスが俺のCPUを破壊しにかかって来ているらしい。
ではその先駆けは何だろうかと思い起こせばそれは他ならない朝倉さん(大)によるものだろう。
いや、もしかするとワームかもしれないし、ボットかはたまたスパイウェアかもしれない。
事実として俺の理解の範囲外の話ばかりをされてしまうのだ。
現実逃避とは思考の放棄に他ならない。
"システマ"において基本的な骨子かつ重要な理念は"平常心"。
これが普段の学校生活の延長線上なら俺だって思考を投げ捨てるさ。
今回は違う。文字通りの有事でしかなかった。
眼の前の佐藤は時間遡航者ではなく異世界人だろ?
世界の移動に伴って生じる時差とは別問題なはずだ。
そもそもどの世界の俺も死ぬ運命にあるとは、こいつは何を言っているんだ?
「……説明しろ」
「他に説明のしようがないのだけど」
「なら君の語彙の底が知れただけだ」
この女の発言を全て信じたとする。
それと俺に接触する理由が――。
「そういう、事、なのか……?」
「ふむ。ようやく信用してもらえたか」
「だからな、お前らはさっきから何を言っているんだ」
「――ふふふ……鍵もしょせんただの有機生命体。…星の巡り合わせ……」
周防のそれは宇宙式のジョークってヤツか?
しかし、それどころではない。
この女の狙いは。
「オレの能力で、元の世界のオレをどうにかしろとか言うんじゃあないだろうな」
「正解。浅野君は昔から頭の切れが良かった。生徒はさておき、教師からの評判は上々」
「……だろうね」
確かに放送局の顧問の先生。
あの先生ならもう一度会ってもいいかも知れないと思うさ。
……この女の目的は俺の能力そのものだった。
だからあの時、あの世界でジェイとして姿を見せた。
俺の能力を覚醒させるために。
平行世界の移動、次元干渉、その先にあるのは――。
「――運命、なのか」
俺の独白には誰も反応しなかった。
キョンも、佐藤も、周防も。
まるでこれが俺の全てだと言わんばかりだ。
人間の可能性を否定するのか? 佐藤。
「平行世界なんてifの数だけある。君の狙いは元の世界のオレなんだろ。なら、死ぬ運命は絶対じゃあないはずだ」
「私にこの能力が発現したのは単なる皮肉でしかない」
「――」
知ったことか。
「じゃあどうしてオレにそんな事が出来るって言うんだ。涼宮さんじゃあ駄目なのか」
「おい、明智!」
勘違いするな、キョン。
俺はただ事実を言っているだけだ。本物の神なら可能だ。
彼女の言っている事が真実かどうか、俺は納得したいだけだ。
「……なら、試しに"マスターキー"を具現化しなさいな。前にあの世界でやったように」
「ふっ。オレの無駄な消耗を誘いたいなら断るからな」
「それも今後を語る上では必要な事なの」
やはりこの女、調子が狂う。
それに謎だって多く残されている。
どうやってこの世界の明智が俺だと知り得たんだ?
涼宮さんと君に何か関係があるのだろうか。
言われるまま、左手に"ブレイド"を具現化する。
朝倉さん(大)が言った通り次元干渉は確かに次のステップな筈だ。
しかし、形も色も何も変化はしていない。
出来損ないの青い直剣だ。剣としての鋭利さがまず無い。
その様子を見た佐藤は。
「やっぱり。"黒色"ではないか」
「……何だって?」
「確認は出来た。私はもう用はない――」
言うだけ言って佐藤はさっさとその場を後にしようとする。
周防はこちらを見たまま振り向かない。
「――これだけは覚えてて。私に協力しなければ、浅野君は……。いいえ、明智黎と朝倉涼子をはじめとする異端者の集まりは崩壊する」
俺とキョンが聞き返す前に彼女の姿は消えてしまった。
まるで、亡霊のようだった。
再び後には三人が残される。
……すると。
「おかしい」
キョンは思い出したかのように呟いた。
「眼の前は線路だ。当然在来線だ。なのに何故さっきから電車は通過しない? もう軽く十分以上は経過している」
「……決まってるさ」
既に"敵地"だからだ。
すると周防は左手をこちらにかざした。
――マズい。
キョンの前に即座に躍り出る。
次元干渉の更なる応用、実戦で試すいい機会だ。
そして、システマにおける四つの教え。
"呼吸し続けろ"、"平常心を保て"、"常に直れ"、"いつでも動け"。
後ろの彼に壁を展開してやれば時間は稼げる。
お前にとっては、俺とキョンのどっちが死んでも構わないんだろ?
言った通りに、易々と死ぬ気は毛頭ないが。
「……来いよ」
「――血気盛んね……」
いや、振り上げた周防の左手には何かが握られていた。
あれは……。
「オレの手帳か……?」
正確には違う。
かつてあの世界でジェイに渡したものだ。
どういう訳か彼女が今持っているのか? 何故。
「―――返却――」
「はあ?」
お前が持っているのはいいとして、お前が返すってのはどうなんだ。
元々は明智黎の物なんだから、俺が持っているのが当然なのは確かだが……。
「佐藤が返しに来いよ」
「―――」
「なあ? 周防ちゃん」
「……明智。どうやら周防は動きそうにない」
見ればわかる。
何だ、俺は一つチャンスを彼女にあげなきゃいけないのか。
これで手刀が飛んでくると笑えない。
警戒は怠れないな。
「いいよ。オレの方から取りに行こう」
「――――――」
これで線路に足を運んだ瞬間に横から電車が突撃してきたら手刀よりも笑えなかった。
が、笑えるくらいあっさりと俺は踏切の向こう側の周防の前までやってきた。
じろりと彼女は俺を見上げる。俺より目つきが悪い。
やはり阪中さんほどではないが、朝倉さんくらいは身長がある。
160前後なのは確か。
「オレから仕掛ける気はないけど。信頼してくれるかな」
「――――」
右手はそのまま垂れ下がったままだ。
油断はしないが、俺もゆっくりと周防の手から手帳を奪う。
直ぐに右ポッケに忍ばせる。
すると彼女の左手に今まで見た事のない物があった。
いや、他人の手首なんかを見る趣味は無い。
宇宙人のセンスにしては珍しい。やけにファンシーだ。
朝比奈さんがするのならわかるのだが。
「いい時計だね」
「――」
もう時間が見れないよう周防の顔面をにたたっこわしてやっても良かった。
だが彼女に責任や罪はあれど、彼女一人の問題ではない。
俺はあくまで甘かった。俺がもし優しい人間なら周防をスポ根的殴り合いでわからせただろう。
時計については何となくだが、予想がついた。
キョンは遠くにいるし多分小声なら聴こえない。
「……それ、谷口に買ってもらったのかな」
「―――だったら……?」
「いいや、別に」
朝倉さんには敵わないが、案外かわいいところがあるもんだ。
その精神でいつまでも付き合ってやってくれ。
でもって毒気を抜かれてしまえばいいのだ。無力化されてしまえ。
そろそろ真剣に谷口と相談するプランを考えなくてはならない。
「あいつと仲良く頼むよ。多分あいつはお前の事が好きだ」
「―――」
根拠はない。
でも、そう考えた方が楽しいんだろ? 古泉。
周防は要が済んだと言わんばかりに踵を返し、立ち去てしまう。
作戦その一、周防を叩くは実行すらせずに終わってしまったのだ。
ともすれば踏切から『カンカンカン』と警告音が鳴り始めた。
都合の悪い邪魔が入らないのはやっぱり周防の仕業だったって訳か。
遮断機が下りる前に急いでキョンの所へ戻る。
やけに騒がしい騒音と共に列車が通過したことを確認するとキョンは。
「何か話してたみたいだな」
「世間話さ」
「……急いで飛び出したはいいが、成果ゼロか」
SOS団らしい。
それに最初から予想はついていた。
俺が周防をどうしようと、長門さんがどうなってもいいように、情報生命体どもは彼女らの安否を気にしない。
朝倉さんが度々言うように、時間の概念が違う。
次の機会など幾らでも何時でも何処でも作れるのだ。
俺はただ、その不条理を確認したかっただけに過ぎない。
「あいつらの言っている事なんざ俺にはよくわからん。だがな、無茶苦茶言って巻き込んでくるのはごめんだ。ハルヒには裏表がない、あいつらもハルヒと同じだって俺は思えんぞ」
「一度、中河氏に接触する必要がありそうじゃあないか」
「だな。聞きたいことは山ほどあるが、お前だって全部はわからないんだろ?」
「だったら楽なんだけどね」
とか何とか言っていると、ふとキョンの携帯電話が鳴り響いた。
自分の携帯を見たキョンは一言。
「……ハルヒだ」
「わかってるよね?」
「はっ。あいつにお前と一緒だとバレたら面倒だ」
あっちも一段落したのだろうか。
そしてキョンが急に出て行った事を思い出して腹が立ったというわけだ。
いい話じゃあないか。
俺と朝倉さんとの力関係そのままなのはどうなんだろう。
やはり、俺も立派な影ということなのだろうか。
それは神の勝手だ。俺と朝倉さんは人の勝手にさせてもらうさ。
とりあえず彼の通話が終わるのを待つ。
「い、いよう。何だ……」
「そうか、悪いな。すぐ戻るさ」
「あれだ……お見舞いに行くのに手ぶらとはいかないだろう。果物でもお土産にしないとな……」
「確かに、幸い長門も大事ではなかったが……悪化されたら困るだろ……」
「そうだ、ああ、わかったよ。じゃあな」
涼宮さんの音声は騒がしかったが聞き取れはしなかった。
キョンは通話中耳を塞いでいた。
元気なのはいいことさ。あのイントルーダーは元気が無さすぎる。
永遠に川底で潜水していればいいのに。
「……で、何だって?」
「三分以内に戻ってこい。フルーツセットと果汁120%オレンジジュースを買ってきなさい。だとよ」
「どう考えても必要時間はその十倍になるね」
「お前も戻るか」
「いや、オレは涼宮さんに帰宅の許可をもらってからこっちに来たからね。とりあえず帰るよ」
一言だけキョンが「そうか」と言うと俺と彼は別れた。
これからきっと買い出しにでも行くのだろう。
俺の家とここらのスーパーとではまるで別方向だ。
とにかく、考察する時間が必要だ。
謎だとか厄介ごとなんかこれ以上増えないだろう。
――と、思っていた。
「――何かオレに用があるんですか?」
「はい」
どういう理屈かは知らないが、そのお方は笑顔で俺の質問に頷いた。
ある時はコンピ研部長の彼女役。
またある時は生徒会役員として書記を務めている。
しかし、その正体は宇宙人。
谷口からすれば周防よりストライクゾーンであろう、喜緑江美里さん。
何故か彼女が俺の家の前で立っている。当然制服姿。俺もだけど。
……どうもこうもないな。
「誰かに見られてませんよね?」
「大丈夫ですよ」
「……なら、いい場所に案内しますよ」
「よろしくお願いしますね」
誰かに見られて変に勘違いはされたくない。
どうせ俺が朝倉さんに報告する事など彼女は知っているはずだ。
ついこの間やったように、家の外壁に"入口"を作る。
来客用の301号室だ。
「喜緑さん。何か飲みたいものはありますか? 温かいものは出せませんが」
「話は短いですので、どうぞお構いなく」
そそくさと長椅子に座る。
俺も対面の椅子に座した。
「もしかしなくても長門さん絡みですか?」
「はい。……と言っても正確には違いますが」
「どういう話なんですか」
彼女の方から積極的に動いたのは初めてだ。
いや、喫茶店はどうなんだろう。
とにかく昨日の今日とはまさにこのことではないか。
「長門さんの特別任務については、彼女から聞きましたね?」
「はい。朝倉さんから」
「心中お察しします。彼女も頼まれても居ないのに、長門さんの負担を軽減しよう、だなんて」
「……その原因は情報統合思念体にあるんですよ?」
貴女はそれさえも汲み取ってくれるんですか?
なら、長門さんをどうにかしてあげて下さい。
SOS団の味方である必要はありませんが、敵対はしないで下さい。
「わたしは本日、情報統合思念体中央意思……つまり、情報統合思念体の代表としてやって来ました」
「……え?」
どういう事だろうか。
それは即ち、文句は自分が受け付けるという意味ですか。
なんだか汚い手口だ。これが藤原なら遠慮なく殴れそうなのに。
美人は罪だな。
「その上で、お話ししたいことがあります」
真剣な表情と言えば聞こえがいい。
実際は違った。
感情の一切など感じさせない、冷酷な視線。
それは穏やかな話じゃあないらしい。
「明智さんと彼女――パーソナルネーム朝倉涼子――についてです」
「……それがどうかしたんですか」
「ハッキリ言いましょう。わたしたちは、お二人にとてつもない脅威を感じています」
はたしてそれは感情なのだろうか。
恐らくだがそうではない、ただの数値上の問題だ。
未知数が徐々に輪郭を帯びているのだ。
それは想定内ではなく想定外。特異点。
「今はまだ具体的な処置は決まっていません」
「処置って……オレが何かするとでも言いたいんですか」
「可能性の問題です。彼女のヒューマノイド・インターフェースとしての性能は最早オーバースペックと言えます」
何を言っているんだ?
過剰性能。それは、何と比較しているんだ。
「単なる長門有希のバックアップとして設計された彼女が……ただの端末が、自己進化するなんて」
「朝倉さんを……。いいや、涼宮さんが望んだ宇宙人をロボットみたいに言わないで下さい。長門さんも、周防も、喜緑さんだって人間です。生きている」
「だいたい予想した通りの返答ですね。明智さんは、確かに何かを変えてしまう……」
最近の流行ですか、それは。
どうにも古泉が発祥な気がしてならない。
確かに『機関』は宇宙人とコネがあるらしい。
荒唐無稽な話さえ広まってしまうのか。
そんな俺の心の愚痴を知らずに、喜緑さんは話を続ける。
「そう。明智さんはもう一つの可能性――」
わかった、前言撤回だよ。
俺の後悔はかつて、後にも先にも『悲しい顔をした十二月の朝倉さんをどうにかしてやれなかった』事だけ、だなんて言っていた。
済まないけどもう一つだけ追加させてもらえないだろうか。
俺は【涼宮ハルヒの憂鬱】というこの世界を、舐めていた。
「――涼宮ハルヒだけではない、"自律進化"の可能性」
とにかく、勉強不足だったよ。
機会があれば是非読み返したいね。