異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第七十三話

 

 

その日――巻き戻し現象が発生する前の夏休み、八月のある日――いつも通り暇だった。

どんな背景があろうと連日連日女子の家に入り浸りだ。

ともすれば自分のちっぽけさを痛感するね。人間として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、俺が暇だと思うよりも朝倉さんはもっとそう思っているのだろう。

とは言え、何か見せれるような物など俺には無い。

――"臆病者の隠れ家"を全部屋紹介でもするか? 

却下。正確な部屋数すらも俺にとっては大事な武器となる。

実際に設置できる"入口"の上限については部屋数から逆算できないが、それでもだ。

俺が他に出来る事なんか限られている。

特に現状で俺が放てる最強の一撃、"路を閉ざす者(スクリーム)"については披露しようがない。

更に言うとこの技はあまりにも弱点が多い。文字通りの初見殺しだ。

万が一を考えると話だけでもしたくなかった。

しょせん、その程度の間柄なのだ。交換条件でしかないのだから。

間違いなく朝倉さんの方だって俺をそう思っているさ。

だからこそ、ほんの好奇心と言うか、彼女に訊いてみたくなった。

 

 

「――ねえ朝倉さん」

 

「あら、何か見せてくれるのかしら」

 

二言目にはこれな気がする。

必ずしもそうとは言わないけど、なんだか恐ろしいね。

こうは考えたくないが、やはり彼女は宇宙人。

それも感情を理解できないのだ。考える事は出来るはずなのに。

俺は本屋で買ってきた推理小説――今まで名前すら聞いたことが無い駄作だった――の三週目に突入しながら。

 

 

「涼宮さんを観測だの監視だのする意図って何なのかな?」

 

「……あなた、長門さんから説明を受けたんじゃないの」

 

確かに聞いたよ。

でもそれは耳からスルスルと抜け落ちてしまいかねないようなものだ。

正直原稿用紙にまとめてくれた方がありがたかった。

彼女なら紙を処分する方法なんかいくらでもあるだろうに。

 

 

「だから朝倉さんなら解りやすく説明してくれるんじゃあないか。と、思ったのさ」

 

「……はいはい」

 

わかったわよ、と言うと彼女は俺の手からハードカバーを取り上げた。

やれやれ。ソファから立ち上がり、椅子に座るとする。

テーブル越しの朝倉さんが口を開いたのは俺が座ってから直ぐの事だった。

 

 

「まず、明智君は涼宮ハルヒという人物の特異性を理解しているのでしょうね?」

 

「そりゃあ……」

 

世界をどうにかしたり、それこそ神に等しいまでの暴力を持っている事ぐらいは。

実際はそれぞれの勢力で涼宮さんの能力について主張や見解が異なる。

興味本位という意味では古泉や朝比奈さんにも訊きたいが、そんな機会はなかなか無いだろう。

一番近くに居る朝倉さんから当たっていくのは自然な流れではなかろうか。

 

 

「けれど、朝倉さん達のテクノロジーがそれに劣っているとは思えないんだけど」

 

「劣るも何も、優劣でさえない。言うなれば次元が違うわね。私が何かをした所で涼宮さんの能力の前では優先されない」

 

そうなのか?

原作の消失では長門さんが涼宮さんのパワーをどうのこうのと言っていた気がする。

単純な地力同士のぶつかり合いと言う意味だろうか。

 

 

「それでも涼宮さんをどうにもできない訳ではないんだよね?」

 

でなければ、彼女の命を狙うという行為そのものが無意味だ。

そして、もしそうなら『機関』が、古泉が彼女を心配する必要は何処にもない。

むしろ自分の今後を心配するべきなのである。

こんな俺の疑問に対して朝倉さんは。

 

 

「それがわからないから、私は行動したのよ」

 

「……なるほどね」

 

最終的に仮面カップルになっている訳なんだが、俺はこれをいつまで続けるんだろうな。

まさかSOS団全員が同じところに進学するとも思えない。

朝比奈さんだっていつかはこの時代から居なくなってしまう……よな?

当面の所は長く見積もっても後二年と少しか。

契約社員の気持ちが少しは分かるかもしれない。そんなわけないか。

 

 

「それと宇宙人による観測とはどう関係するんだ?」

 

「一言で言えば、進化ね」

 

「……進化?」

 

その単語の辞書的な意味が重要ではないのだろう。

誰が進化すると言いたいんだ。

 

 

「決まってるじゃない。涼宮さん自身よ」

 

「ふっ。彼女はいつでも最新バージョンアップって感じにしか見えないけど」

 

「精神的な話じゃないわ。……"自律進化"。涼宮ハルヒは自律進化の可能性を秘めている」

 

そういやそうだっけ。

いや、忘れていた訳じゃあないんだけど。

 

 

「結局オレにはその自律進化ってのがよくわからないんだよね。仮に彼女が進化して、それを見るのが楽しいの?」

 

猿がパソコン使うとか、そんな次元の話なのだろうか。

だったら俺が思うに象の方が観察対象にはうってつけだよ。

あいつらの問題解決能力は間違いなく人間のそれを遥かに凌駕している。

そんな連中が進化したらきっとそれはそれは凄い物を見せてくれるよ。

想像も出来ないけど。

 

 

「……情報統合思念体よ」

 

「何?」

 

「情報統合思念体が進化を求めている。そのヒントが彼女にあるのよ」

 

その情報統合思念体はとんでもない奴なんだろ?

とにかく宇宙人をバシバシ送り込むぐらいだ。

情報制御のルーツとやらもそこにある。

……そうか。

 

 

「情報統合思念体も、無から有は生み出せない。創造は出来ない」

 

「わかってるじゃないの」

 

「でもそれって進化じゃあないのか? 自律進化も同じことなのか?」

 

わざわざ解り辛い用語を使わない。

これは、クライアントとの話し合いにおいては基本的な部分だ。

開発の依頼先など常にITに詳しいとは限らない。

人材によっても差があったりするのだから。

と、懐かしい仕事についてを回想する。

そして俺の疑問は否定された。

 

 

「違うわね。涼宮ハルヒの可能性は無限。人類の進化もかつてはそうだった」

 

「情報統合思念体も、かな」

 

「ええ。そのどちらも現状では手詰まり。文明の繁栄と進化は違うもの」

 

俺がいくら情報社会の成長を知ってようが、やはり彼女たちからすれば低レベル。

わかっているさ。

どれだけ機械が、テクノロジーが優れようと、人間はもう進化出来ない。

科学だけが独り歩きしている。

 

 

「たとえ涼宮さんを何もない世界に閉じ込めたとしても、そこにはきっと何かが現れる」

 

この話を聞いて俺はだいたい話の全貌が掴めてきた。

そして更に本質へ近づいていく。

 

 

「進化とは不可逆な物。退化という概念は存在しない。あなたたちが普段使う退化は、劣化と意味を一緒にしているのよ」

 

「……不可逆なら余計わからないな。情報統合思念体は時間概念がオレたちとは異なるらしいじゃあないか」

 

「ほぼゼロよ」

 

「じゃあいくらでも進化の余地は――」

 

いや、情報統合思念体には時間概念が無い。

つまりそれは。

 

 

「――どこへも向かう事が出来ない」

 

「そう。……そして真の自律進化とは、段階的なものではない。想像さえつかない、誰も見た事のない到達点」

 

そのロジックさえ解き明かせられればいいって訳か。

後は自分ーー情報統合思念体ーーで何とかする。

 

 

「だから急進派なんて思想が生まれる訳だ」

 

いくら時間概念が無いとは言え、それは観測側の話だ。

被験体である涼宮さんがそうだとは思えない。

……違うな。それすらもわからないのだ。

彼女が本当に死ぬのかどうかすら、わからない。

 

 

「だから私も期待しているのよ?」

 

涼宮さんがどう進化してくれるか。

夢がある話じゃあないか。

 

 

「違うわよ。今の私は明智君を観察している。もしかしたら、あなたにも何かあるかも知れないわね。謎が多い異世界人さんにも

 

「……過大評価さ」

 

取るに足らない臆病者のこの俺は、いつも通りに涼宮さんに従うだけ。

それがルール。

死ぬのは怖くない、無意味な死も怖くない。

一番怖いのは俺が俺を失う事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして長門さんの説明も含め、自律進化と言うものをどうにか俺の脳内から引き出した。

眼の前の喜緑さんの表情は無表情なままだ。

恐ろしいまでに機械的で、事務的。

とにかく俺に出来るのは質問と確認の二点しかない。

 

 

「勘違いじゃあないんですか?」

 

「確かに100%そうとは言い切れません。ですがそのように考えられても不思議ではないのです」

 

「根拠は」

 

そんな自信も無しに、わざわざ話をするとは思えない。

だったら進化以前に大成出来ないのだから。

 

 

「明智さんはこの世界とは体系的に異なる存在。だからこそわたしたちにも想像のつかない能力を秘めている」

 

「勝手に色々と想像してくれるのはありがたいですね。けれど、やはり勘違いですよ」

 

だいたい俺が運命をどうこう出来るのなら、まずは情報統合思念体をどうにかする。

さっきから割と本気で否定し続けているが佐藤の発言はやはり嘘らしい。

結局は過大評価でしかないのだ。

 

 

「それに、もしオレが自律進化の可能性を秘めているとして何で情報統合思念体に脅威とされなきゃいけないんですか?」

 

進化したいのはそっちの方なんだろうに。

俺の方はどうでもいい。そんな能力は必要ない。

真実だろうと嘘だろうと俺は俺だ、それだけ。

佐々木さんの気持ちがほんの少しだけ理解できた。

だが、彼女は俺よりも深い闇を抱えているのだ。

あんな連中しか相手にしてくれない。

俺なら多分マンションから飛び降りるレベルだ。

正義か悪かは俺が決める事ではない、全ては結果かもしれない。

だけど、あいつらと俺たちは違う。

無条件で協力するなんて事、あいつらは出来ない。

俺たちは出来たぜ。朝倉さんがそれを証明してくれた。

自慢の彼女だ。

すると喜緑さんは。

 

 

「明智さんの何かを変える力が現実に存在するとした場合。それは、否定以外の性質を持たないからです」

 

朝倉さんの独断専行と涼宮さんの巻き戻し。

この二つを否定した、と彼女は言いたいのだろうか。

――破壊なくして創造なし。

破壊とは、最大級の否定に他ならなかった。

俺の自律進化とは破壊なのか?

異世界人は、世界を破壊していいのか?

そんな訳ないだろ。

認めない。

もし俺がそんな力に覚醒したのなら、俺は自分の役割を否定する。

それで解決だ。

 

 

「……さっきから情報統合思念体を否定していますよ、オレは」

 

「それが脅威なんです」

 

その発言からは本当に脅威だと思っているように感じられなかった。

単に彼女は可能性を論じているだけに過ぎない。

だと言うのに、俺はまるで殺し合いをしているかのような空気を感じていた。

周防の時に感じた威圧感に似ている。

しかし、彼女のそれは『まだ殺す気ではない』と言っているようにも感じられる。

喜緑さんが今日来た最大の目的は警告に他ならないんだろうな。

 

 

「発動条件はわたしたちにも不明です。幸いな事に明智さんもそうでしょう。けれど、その能力があるものだと考えるのが自然なんですよ」

 

古泉といい、どうやら俺には理解できない世界だ。

言わせてもらいますが、あなたがたの方が立派な異世界人だ。

俺は違う。

異世界屋なのだから。

 

 

「じゃあオレにどうしろって言うんですか。言っておきますが、朝倉さんとオレの平穏を邪魔しないで下さい。ただでさえ現状で手一杯なんですよ」

 

「簡単な事です。わたしたちに敵対しないで下さい。明智さんの暴走こそが脅威なんです。何があろうと、わたしたちを憎まないで下さい。否定しないで下さい」

 

「……無茶言いますね。オレは少しワケありかもしれませんが、人間ですよ。プログラムでは動きません。それはそちら次第でしょう」

 

特に今回みたいな理不尽を突きつけられて憎むな、否定するな、だなんて。

この人は、喜緑江美里は本物だ。

本当に情報統合思念体を代表して、俺の前に居るのだ。

 

 

「では、これからは仲良く相互理解を深めていきましょう。時間はたっぷりありますから」

 

「……わかりました」

 

姿も見えない相手に俺は交換条件が出来るとは思えなかった。

周防の方がまだマシだ。あいつは揺れているだけなのだから。

初見で精神を折られかけた手前、認めたくないが、あいつは理解出来る。

しかし喜緑さんは底が知れない。ただ、そこに居るだけなのに。

歩み寄れるのだろうか、俺は。

 

 

「一つだけ教えて下さい」

 

「何でしょうか?」

 

「喜緑さん個人はどう考えているんですか。オレの事を」

 

女性に訊く台詞じゃあないだろうさ。

それが殺伐とした問答でなければ、だが。

 

 

「……そうですね。また、バンドを組みたいとは思っていますよ」

 

それが演技かどうかは知らないが、彼女は微笑んでくれた。

いいだろう。

俺は情報統合思念体は気に食わないが、喜緑江美里さんは信用しよう。

信頼できるかどうかは今後次第だ。

それが出来るのなら自律進化の権利だけをくれてやってもいいさ。

俺にそんなものがあるとは未だに思っても居ないけど。

情報統合思念体、人間の可能性を馬鹿にするな。

誰にでも出来る事だ。凄く簡単なんだ。

何かを変えるのに必要なの物は何もない。

それが、人間なら可能性は無限さ。

特別扱いするんじゃあない、神は人の上に人を造らないのだ。皮肉だよね。

……やがて二人同時に"異次元マンション"の301号室を退室する。

すっかり夕暮れ時であった。

さっさと俺は"入口"を撤去する。

喜緑さんはこちらを向いて一礼した後。

 

 

「またお会いしましょう」

 

「今度は楽しい話し合いを期待しておきますよ」

 

「わたしもです」

 

ゆっくりと歩いて行った。突然姿が消えたりはしない。

彼女の家がどこかまではわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから二三時間。

 

 

 

俺は晩飯中さえ考え続けていた。

最早、限界だった。耐えきれそうになかった。

元来強い人間ではない。俺が主人公ならこれも平気なんだろうな。

原作のキョンは消失世界でも心を強く持っていた。

俺にそれをしろ、と言うのか。馬鹿言え。

――半ば無意識だった。

気が付いたらマスターキーを使い、朝倉さんが住む分譲マンション505号室に出ていた。

 

 

「……えっ?」

 

居間のソファに座る寝巻き姿の彼女がこちらを見る。

長門さんから借りたのだろうか、珍しくハードカバーを読んでいた。

 

 

「明智君、よね。……どうしたの――」

 

と彼女が言い終わる前に俺は無理矢理彼女の手を引いて、起き上がらせ、引き寄せる。

そして彼女を抱きしめた。

 

 

「――な、何!? 急に」

 

「……ごめん」

 

少しの間だけでいい。

俺に思考を放棄させてくれないか。

そのまま俺ごと消えてしまいそうな声で呟いた。

俺のわがままに対し。

 

 

「しょうがないわね……」

 

朝倉さんは何も訊かなかった。

 

 

 


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