この時、他の団員がどう思っていたかは知らない。
俺に関して言うのなら結局涼宮さんは新入りなんか求めちゃいなかったって事だ。
もっともらしい理由じゃないか。
古泉たち『機関』を信用信頼するわけではないけど、無能の集まりでもないだろうさ。
だって居なかったんだろ?
異端者と呼べるような異端者ってのは。
朝倉さんの方はわからないけど、俺は彼女と話していて楽しい。
十二月のあの日が来る前からそうだったさ。
彼女と過ごす時間が何だかんだで嫌いじゃなかった。
つまり、好きなのだ。
「あいつはいつまで走り続けるのかね……」
キョンがそう呟くのも当然だろう。
何分何十分走り続けているのかは計っていないが涼宮さんは疲れ知らず。
アスリート顔負けの速度だ。
ともすれば一時間くらいは経過しているのかもしれない。
一人また一人と一年生が脱落していく。
彼らは満身創痍の身体をトラック上から運ばせるのが精一杯といった様子であった。
俺は次第にその光景から眼をそむけ、のんびりと空でも眺めていた。
部室で時間を潰すのもいいけどたまにはこういう過ごし方もいいもんさ。
春は曙とは、至言だね。
それだけ俺は平和を満喫していた、うたた寝だった。
だからこそキョンが驚いた様子でこっちに来て、俺の体を揺すった時は。
「……何だよ」
「何だよじゃねえ。あれを見てみろ」
この場合におけるあれ、とはグラウンドを指していた。
言われるがままに石階段を降り、トラックへ近づいていく――。
「――キョン、オレはまだ寝ぼけているのか?」
「知るか。俺は今まで蓄積していた自分の歴史において、それが覆されるほどの衝撃的光景を目の当たりにしたさ」
俺だってそうだ。
当然の如くサドンデスの勝者は涼宮ハルヒただ一人だと確信していた。
このマラソンが終わる時とは即ち彼女が疲れを覚え、ようやっと立ち止まった時に他ならない。
彼女の運動神経は宇宙人の基本性能にも匹敵する。
ちょいとばかり体力のある俺や古泉が敵う相手ではないのだ。
じゃあ、俺の眼の前の光景は何だ?
涼宮さんの後ろに立つのは女子生徒。
男子は既に全員リタイアしている。
情けないだなんて言ってあげないでほしい、前述の通り俺がやったって厳しいからだ。
……いいだろう。
一番の衝撃は、その女子生徒が二人も居たって事だ。
しかも、内一人はまさかの佐倉さんだ。
彼女はやり切った表情でこそあれ、呼吸が乱れている様子はない。
もう一人残った方のショートヘアの女子でさえ疲れの色を見せているのに。
「……化け物かよ」
「とんでもねえ。俺は今日の出来事が全てドッキリだと言われても文句を言わないつもりだ」
佐倉さんは"波紋"の使い手か何かだろうか。
涼宮さんでさえ息を大きく吸ったり吐いたりしている。
どう見てもあの身体に爆発的なエネルギーが秘められているとは思えない。
まさか。
「おいおいおいおい、彼女が異端者なのか……?」
言うまでもなく俺はもう一人の女子生徒についてもそれを疑っている。
本当に、俺たちと同じくらい驚いた様子で涼宮さんは。
「まさか、二人も、あたしについて来れる、……なんてね」
歳かしら、とそれに付け加えた。
適材適所とはよくぞ言った言葉であるが、この場合の適材適所とは何なのだろう。
SOS団において必要とされるのは例外なくワケありな人種に違いない。
コンピ研部長は偽UMAを、喜緑さんは正体が三人目の宇宙人だ。
鶴屋さんはこっちの正体に薄々感付いている上に『機関』と癒着があるお嬢様。
お嬢様と言えば阪中さんもだが、彼女はルソーの一件で俺たちに不思議生命体を持ち込んだ。
谷口と国木田なんて平素は絡みがない。あいつらは例外でさえないね。
つまり、この一年生女子二人も何らかの事情がある。
俺たちが必要としているのか?
それは、涼宮さんが必要としているのか?
唖然とするキョンと俺に対し古泉は。
「まさか佐倉さんまで残るとは思いませんでしたね。いえ、思わせぶりな登場ではありましたが……」
「何でもかんでも疑うのはどうかと思うよ」
最近は俺も疑り深い考えは嫌になってきたんだ。
世界の大半で起こる出来事は眼に見えない情報でしか俺に伝わらない。
だからこそ俺は情報系の世界に携わっていたのだろう。
機械なら裏切らない、と思っていた。
古泉の言葉にキョンは。
「まさか、ってお前……もう一人のあの子については想定内だったのか?」
ぱっと見ただけで残った一年生女子の二人は対照的であった。
佐倉さんは疲れた様子じゃないにも関わらず、自信がなさそうな表情。
一仕事終えたのに、こうも内向きな人が居るのかといった感じだ。
そんな彼女に対してもう一人は汗もかいている、呼吸も乱れに乱れている。
だけど元気だった。どこから見ても、自分に自信があるようだった。
髪型だって佐倉さんの三つ編みに対してショート――実際にはボブカットを更に短くしたような感じ――だ。
まるで太陽と月、光と影、表と裏。
この二人が残るなんて奇妙な巡り合わせに他ならない。
安心してください、と前置きしてから古泉は。
「心配する必要はありません。佐倉さんの方はわかりかねますが、彼女に関しては問題ありませんので」
「俺はそれを信用していいのか」
「日本全国を探せば涼宮さんと同じくらいの体力を持つ女子高校生などいくらでもいるはずですよ」
駄目だ駄目だ、俺はそれを信用できそうにないね。
運命だとか宿命だとか、因果だとか。
俺はそんなくだらないものを一切信用していない。
だけど、俺の運が悪いことぐらいは嫌でも自覚している。
中学生のころ自転車に乗っていると俺は何も悪くないのにトラックの方から突っ込んできた。
どうにか回避するために急ハンドルを切ったが、おかげで転倒して頭を強く打ちつけた。
それから一週間ほど物理的な衝撃が原因で俺は記憶喪失になったのだ。
実際に記憶喪失になった事がある人は日本でどれだけ居るよ?
他の人のケースは知らないが、俺に関して言えばやっぱり自分が何者かわからなかった。
そのくせ物の使い方はわかるんだ。
今思えばどっかの小説のヒーローみたいだったよ。
だから最初にしたのは自分の名前を知る事だったね。
その日は土曜日だったから、自宅まで何故か帰れた俺は制服の胸ポケットを漁り名前を知った。
……とにかく、難儀したね。
どうだ? こんな体験させられるなんて幸運じゃあないだろ。
「この二人の加入は、いい傾向なのか……?」
それには古泉も答えてくれなかった。
それから涼宮さんは先に一年生を帰す事にした。
また文芸部室を更衣室代わりに使用するというわけだ。
トラックの外に出た佐倉さんは俺の所へやって来て。
「な、なんとか追い続けられましたっ」
それにしては余裕そうな態度ではないが、必死ってほどでもない。
やはり余力はあるはずだ。
でも下手な事を訊こうにも訊けない。
佐倉さんがどこかの勢力のスパイだったとして、この場で死闘を繰り広げられるはずがないからだ。
俺だってそうさ。差支えのなさそうな質問程度に止めておく。
大人の配慮って奴だ。
「凄いね……君は何かスポーツをやっていたのかな?」
まるで面接官のような質問だった。
俺が前世でそう訊ねられた時は確か「兄の付き合いでジムに通っていました」と答えたっけ。
早朝のトレーニングの時間なんて、働いてからはほぼほぼゼロに等しかった。
寝る前に筋トレを少ししていた程度さ。
そんな無難すぎる質問に対して彼女は謙遜した様子で。
「わたし、人付き合いは苦手なんですけど運動は出来るんです」
「あー、そうだね。今日みたいなのは多分殆どないから安心していいよ」
身体を動かす無茶は確かに殆どない。
しかしながら頭や胃を痛くするのは日常茶飯事だ。
涼宮さんと朝倉さん。その原因の割合はだいたい等しい。
結果としてこうして二人残ってしまったし、涼宮さんも最終試験と言った手前は受け入れるんだろう。
……これから合計九人だって?
マジか、椅子も机も足りないぞ?
文芸部の広さを考えるなら、快適な空間としてのギリギリである。
むしろギリギリアウトだ。
部室を少し整理して、入り口付近や壁際のスペースを有効活用すれば何とか、だ。
一年生だからってずっと立ちんぼにしてやるわけにはいかない。
早速今日からどうにかする必要がありそうだ。
「やれやれ、さ」
俺の呟きなど聞こえなかったであろう佐倉さんは。
「じゃあ、わたしはそろそろ着替えてきますねっ。それから――」
必然かどうかは知らない。
しかし、全ては"結果"だった。
「――わたしの事は詩織って呼んで下さいっ」
俺は、その言葉を聞いた瞬間に何かを考えることが出来なくなった。
何故かはわからいが、ただただ泣きそうな気持になった。
悲しさに由来する感動ではない、嬉しさを感じていたのだ、俺は。
そしてそれは彼女がSOS団の入団試験をパスした事に対する共感からではない。
ずっともっと別の、とにかく言葉にも出来ないけど、何かだった。
「……な」
「ではっ」
足早に彼女は部室棟へと駆けていく。
俺の精神と感情は、もはや俺自身で制御できない複雑な状態であった。
近づいてきた朝倉さんは嫌味ったらしく俺に対して。
「あーら。明智君はやっぱりいいご身分じゃない」
と声をかけたが、俺の顔を見て。
「……泣いているの?」
「何でだろう」
嗚咽はなかった。
ただ、涙が静かに流れ落ちた。
「何でかはわからないけれど、オレは感動しているんだ」
「自分に懐いてくれそうな可愛い後輩が出来て嬉しい。……って感じではなさそうね。それくらいは私にもわかるわよ」
「ちくしょう。わからない、わからないんだ! 何でオレはこんな気持ちになっているんだ」
その時俺にあった感情が何なのか。
結論から言うと、最後までそれはわからなかった。
だけど推測する事は出来る。
幾らでも考える事は出来る。
最初から最後まで、俺が持つ武器はそれだけだったんだ。
何かを考え結論を出していく。
"明智"の苗字に恥じぬ活躍。
とても時間はかかったけれど、朝倉涼子にも解答は出した。
残る問題は後二つだけさ。
その内の一つ。最初は、俺の方からだった。
水曜日について、その後の事をもう少しだけ語らせてほしい。
一年生全員の着替えが完了して、そそくさと彼らは帰っていく。
あんな無茶をさせられたにも関わらず全員律儀にあいさつだったり一礼をしてくれた。
彼らが不良にならない限り北高も安泰だろう。
最悪、そうなったとしても本物の不良である生徒会長殿が更生させてくれる。
涼宮さんは彼をどこかライバル視している――実態はあちらの方がまともな集まりなのに――のだ。
今後も何かある度に勝負だったりそれらしいやりとりをするんだろう。
一年生には一日でも早く、そのSOS団ならではの空気というか、出来レース感を学習してほしい。
俺は去年の五月ごろに世界が崩壊しかけたあの一件ですっかりそれを受け入れた。
だからと言って今年もそんなイベントがある必要性はないけど。
――肝心の団長殿はこの結果を深く受け止めている様子だ。
「いくら驚いても驚き足りないわね。明日からモールス信号が公用語になってるかも」
それはやめてほしい。
俺が知っている信号なんてそれこそSOSぐらいだ。
キョンは驚くぐらいならお前がそうするなと言わんばかりに。
「あの二人を本気で新入団員として迎えるつもりか?」
「あたしは嘘なんてつかないわよ。有言実行ね。……正直ナメてたわ。誰も残らないって思ってたから最終試験をマラソンにしたの。あたしだって体力に自信あるんだから」
自信があるどころの騒ぎではない。
しかし、誰も残らないと思っていたと言うからには彼女は願っていないのだ。
つまりこれは涼宮さんの意思とは無関係。
だけど彼女がただの一般人を寄せ付け受け入れるとは思えない。
古泉だってもう一人の女子生徒――渡橋泰水という名前らしい――について何か心当たりがあるようだった。
あいつの洞察力の恐ろしさは俺自身がよく知っている。
伊達に『機関』の一員というわけではないのだ。
本当に兄弟かさえ怪しい多丸兄弟はさておいて、森さんや新川さんは只者ではない。
他のメンバもそんな感じなのだろうか?
超能力者だけで確か古泉入れて十人ぐらいだっけ。
まず『機関』って名前からして怪しいし度々見せつけられるマネーパワーだってそうだ。
公的な組織ではない事だけは確かさ。
「個人情報だからペーパーテストは早速焼却処分してきたわ」
「お前は勝手に焼却炉を使うな」
「いいじゃない。でも、あの二人の分だけは残しておいたのよ」
やはり俺が気になったのは問三と問四について。
宇宙人未来人異世界人超能力者のどれが一番なのか、そしてその根拠。
非常に申し訳ないけど俺も二人のを見させてもらった。
渡橋さんに関してはこうだ。
『一番喋りたいのが宇宙人。一番仲良くしたいのが未来人。一番儲かりそうなのが超能力者』
俺についてだけど。
「一番何でもアリなのが、"異世界人"ね……」
根拠は既に書かれている。
つまりその通りらしい。
選ぶという選択肢は渡橋さんになかったのか。
そして、佐倉さん。
『異世界人です』
……その根拠か?
『本当に、何となくですけどわたしの知らない世界があるはずです。きっとあります。たまに、自分じゃない自分が居るような感覚ってありますよね。それは――』
「――前世の記憶なのかもしれませんね、か。……ふっ」
結論を先延ばしにするのは人間の悪いクセだ。
そして、弱点は克服されなければならない。
何故なら人は元々弱いからだ。
心の、精神の、感情のありようだけで強いと思っている。
そう思えなくなった時に人はあっさり死んでしまう。
これは"決着"をつける話じゃあない。
過去を"清算"するための、お話だ。
……偉そうにこんな事を言っておいてあれだけど、本当に清算しただけ。
理解度の五が六になっただけだよ。
十段階の最大値までは進まないさ。
だって、誰も知らない最後の自分ってのは絶対存在するんだ。
誰も知らないんだから俺でも、情報統合思念体でも、涼宮さんでも確かめられない。
しかも俺は神を信じてはいないからね。
結局、最後まで自分と向き合う必要があったのさ。
今日も明日も。
――『異世界人こと僕氏の驚天動地(後編)』につづく