異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第七十九話

 

 

これは非常に残念な事ではあった。

朝倉涼子の方から僕に語りかける事は皆無であった。

そして今の僕は単なる有機生命体でしかない。

心や感情も、結局は浅野さんや明智くんに分け与えられたものだ。

僕が獲得したものではないし、僕が彼女に抱いている好意も二人纏めた"明智黎"のそれに由来している。

愛し愛される関係……なんて期待してはいないさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ非常に残念な事としては目的地まで歩く他なかった事だ。

αからβに送られた影響なのか、それともやがて融合する世界による自浄作用なのか。

文芸部室に彼が設置した"四次元マンション"の"出口"が消滅している。

早い話が使えないといった訳になるんだ。

 

 

「だからこうして歩いているの? 走った方がいいんじゃないかしら」

 

「焦りは禁物だよ。ボクは知っている事は何でも知っている。本当に知らないのは今回が片付いてからさ」

 

明智黎が気付きつつあった"決着"。

何故、朝倉涼子が【涼宮ハルヒの憂鬱】で殺される必要があったのか。

僕はどっちも知っている。

未来からやって来た朝倉涼子――僕はあっちの方が今より好きかな。僕と話が合いそうだ――のおかげだ。

いっちゃんほどではないけど僕にもそれなりの洞察力はあるのよ。

 

 

「あなたが度々口にしている"二人"だけど、それはどういう事なの?」

 

彼女が疑問に思っているのはきっと、浅野さんと明智くんについてだろう。

そこについては君にも知ってもらわないとね。

 

 

「スゴくシンプルな話さ。異世界人の浅野さんと、この世界の明智くん。二人の精神によって明智黎の主人格は成立していたんだ」

 

「この世界の明智君の精神は消えてなかった……?」

 

「当然でしょでしょ。……ま、君がそう思うのは無理もないさ」

 

明智黎――この場合は浅野さんよりの方か――は薄々感づいていた。

僕にその概念は理解できないが人類の通念としてのそれは知っている。

浅野さんには確かに色々あったみたいだけど、大人にしては精神が不安定。

身体に精神が引きずられたのではない。明智くんの精神のせいであった。

 

 

「彼が悪いって話でもない。そして勘違いしないでいてほしいけど、ボクまで含めて君が好きな明智黎が完成する」

 

「にわかには信じられないわね……」

 

「ボクの事はどうとも思わなくてもいい。知ってもらえればそれで充分さ」

 

今後の登場予定は一回あるかどうかだけど。

そしてその時とは間違いなく僕が不要になる時。

だけど彼女は。

 

 

「信じがたいけど、信じる努力はしてみるわよ。あなただって私を助けてくれたんでしょう? 明智君のように」

 

「あはは。当然の事をしたまでだよ」

 

しかし、いや、結構ダルいもんだね登校ってのは。

あの話の中で度々北高までの坂上りがきついとは言われてたけど、長いのなんのって。

明智黎の身体に感謝しておくかな。

もっとも端末ならこの程度の移動には何ら苦労しないけど。

朝倉涼子は特別なのさ。

少なくとも、僕たちにとっては。

 

――やがて永遠に続くかと思われた放課後登校にも、終わりがやって来た。

僕にとっても記憶としては見慣れている高校校舎の風景。

一見しただけでは判らないだろうね。今、まさに、異常事態が発生しつつあることを。

僕は彼女に向き直り。

 

 

「今更言うのも何だけど、君が付いて来る必要性はないんだ」

 

「本当に今更なのね。安心していいわ、足手まといにはならないから」

 

「全ては"結果"だ……。期待させてもらおうか」

 

役者は既に集結しつつあった。

じゃあ、行かなくっちゃあな。ここにはもう用はない。

そして閉鎖空間、ねえ。

 

 

「ボクの能力の前では些末な問題でしかない」

 

後ろに立つ彼女の方へ振り返り、スッと右手を差し出す。

 

 

「すまないけど、ちょっとの間でいい。ボクの手首でも腕でも掴んでいてくれないか。手を繋ぐ必要は無いさ」

 

現在、僕が行使できるのは最大で8割から9割にかけて。

残りの1割はこの身体と精神に存在しない。

最後の要素は誰かが持っているからだ。本来のパフォーマンスはお見せできない。

やがてこれも取り返す必要がある。

朝倉涼子は僕の右手首をゆっくり握ると。

 

 

「どうするつもりなの?」

 

「時に、超能力者だけが閉鎖空間へ侵入出来るわけではないって事なんだよ」

 

今回に関して言えばハルにゃんの閉鎖空間ではない。

選ばれなかった女、佐々木の方の閉鎖空間だけど、同じことさ。

そこに次元の断層のズレから生じた隙間がある。

あの中に物理的な方法で入る事なんて到底出来やしない。

だが僕は、そっちが得意分野なんだ。

見えないカーテンを引き裂くように、左腕を力強く空振りさせる。

瞬間、否、刹那の内に世界は急変する。

先刻までは部活動中の生徒が残っていたであろう各校舎も今では無人に違いない。

水先案内人としての役割ぐらいは果たしておきたいのさ。

 

 

「――次元断層の隙間、ボクたちの世界とは隔絶された、閉鎖空間だ」

 

涼宮ハルヒのそれとは異なる。

白と黒の世界ではなく、優しく、全てを受け入れようとする世界。

有色であるし、暖かな光が空にある。淡色系だった。

だけど無人なのはハルにゃんと同じなのさ。

彼女だって、佐々木だって同じなんだ。

彼の全てを受け入れようなんて事はとても残酷な事だと言うのに。

……エセ鈍感系の主人公が。

女の敵って言うらしいよ? それってさ。

この結果に満足したのかは不明だけど朝倉涼子は。

 

 

「魂消たわね」

 

「さっ、もう放してくれて大丈夫だ」

 

言われなくてもそうすると言わんばかりに彼女はぱっと手を引っ込めた。

ここまで来るのに十数分かかっているが、許容範囲内さ。

部室棟へ戻る。

そう、彼は約束したから。

 

 

「宣戦布告と行こうか」

 

「……それもいいけど、明智君はいつ帰ってくるのよ」

 

「ここぞと言う時に決まってるさ」

 

それに僕に不満をぶつけられても困る。

浅野さんに責任の一切が存在しないわけではない。

彼が何を残し、何を捨てるのか?

僕が決める事ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始める前の初めから既に決まっていた。

孫子を引用するまでもない。

勝利が、だ。

 

 

「……その話が真実なら、どうしてヤスミンがそんな事を知っているんだ?」

 

彼も、キョンも、おそらくヤスミンの正体には感づいていた。

結局彼女自身の口からそれは語られなかったが、彼女が虚構ではなかった。

彼女を否定してしまえば僕自身の否定にも繋がってしまう。

夕暮れ時の文芸部室、ヤスミンは申し訳なさそうな顔で。

 

 

「知っているから、とだけしか言えません」

 

「オレがそれで君を信じられる……とでも?」

 

「あたしは信じていますから。あなたが信じるあたしを」

 

「"グレンラガン"かよ……」

 

だけど彼はそれを無視できない。

僕だってそうさ。

朝倉涼子どころか、彼女ごと世界をどうこうされてしまうのだ。

そしてその彼女に危機が迫っているなら黙っている訳にはいかない。

他ならぬ自分自身に原因の一端は確かにあるのだから。

 

 

「何となく、だけどオレは思い出した」

 

「……何をだ?」

 

「オレの友人について。ほんの少しだけ、ね」

 

そう言いながら"ブレイド"を左手に具現化させていく。

主人公とは往々にして、事件に巻き込まれていく。

どうしようもないぐらいに周りに迷惑をかけていく。

だからこそ解決しなければならない。

事件とは彼が否定する因果に他ならない。

因果は何処にも持って行くことが出来ない。

未来、過去、他の世界でさえも。

 

 

「知らず知らずの内に、オレはそいつの事をどこかで考えていたのかもな」

 

「……先輩」

 

「ブレイドとは刃であり、振り回されていくオレ自身。だけど英語としての意味は他にある」

 

間違いないさ。

"三つ編み"なんだ。

僕が知っている彼女の髪型も彼が思い出せた要素と全く同じさ。

直接その本人を見た事はない。

分裂したのは浅野さんの精神だけど、記憶もか、と言われると実際は少し違う。

テロリスト、敗北者の浅野は間違いなく佐乃秋に憑りついてしまったあっちの方だ。

あっちの方が異世界人になるはずだった。

それを狂わせたのは涼宮ハルヒであり、ジェイであり、浅野自身であり、情報統合思念体もだ。

ここまで狂ってこその因果。

それを断ち切れるのはいつの時代も人間だ。

歴史がそうして来た。

彼の好きな"世界"だって。

 

 

「……ここで議論してもどうもこうもないんだろ?」

 

「やれやれ、そのようだな。行って来い」

 

「どうせ直ぐに戻って来るさ、朝倉さんと一緒にね」

 

彼が設置する入口は、別世界への門だ。

本来ならば制御不能なはずのその力。

行きたい場所なんて選べやしない。

だけど、彼はそこへ行けると確信していた。

当たり前だろ。だって、僕が力を貸しているんだからさ。

ヤスミンは「お願いします」と再び一礼をして。

 

 

「朝倉先輩と、明智先輩自身を救ってきてください」

 

「最初のオーダーはロハでいいさ。必ず決まっているからね。でも、オレ自身って事はさ……その佐乃だとか、もう一人のオレだとかを助けろって事だよね?」

 

「はい」

 

「じゃあ、行かなくっちゃあな。ここにまた戻って来るために」

 

そうして彼は床下に設置した"入口"へ入ると、文芸部室から姿を消した。

世界が融合されるよりも先にβ世界へと跳んだのさ。

神が言っていたかは知らないけど、全てを救うそのために。

ともすればキョンは。

 

 

「……はっ。俺はこれからどうなるって?」

 

「もう忘れちゃったんですか? あたしにも解りませんよ」

 

物覚えが悪いキョンに対して、どこか拗ねた表情をするヤスミン。

もしかするとその光景は何度も見たことあるものだったかもしれない。

最近でも機会はあった。

キョンに勉強を教える涼宮ハルヒが、彼の出来の悪さを怒っている。

どこか楽しそうに。

 

 

「投げやりな事を言わないでくれ。長門も古泉もお前については特別言及していなかった。朝比奈さんなんか、お前を何の裏もない人間だと思っているんだ」

 

「そうですね。反省はしていますけど、後悔はしないのがあたしなんです」

 

「お前の主義はどうでもいい。明智だって最終的にはお前を信用したに違いない」

 

その時彼から出た言葉は偶然にも"信用"の二文字であった。

交流の浅い、未来へ絆を紡いでいく人間が相手ならばやはり"信頼"であるべきだ。

渡橋泰水が何を語ったところで彼女の実績はないはずである。

過去には何も無いはずである。

だけどそれは違う。

"アナザーワン"は僕の方ではないさ、むしろ、彼女にこそ相応しい称号だ。

大体僕のどこがアナザーワンだって言うんだ。

しっかりとした名前を付けてほしかったよ……まったく。

 

 

「俺はまだだぜ。まだ、話を聞かされただけにしか過ぎない。それに俺についてはまだ話してしない」

 

「そうですね。あたしだって本当は先輩ともたくさんお喋りしたかったんですよ」

 

「何を話すって?」

 

時間が無い、とでも言わんばかりにヤスミンはがっかりとした表情をする。

ここで申し訳程度に彼と明智黎の"差"が出ている。

取るに足らない差だったけど、ヤスミンにとっては大きな差だった。

この年頃の女の子ってのは基本的にお喋りが大好きなのさ。

特に、それが意中の相手なら。

 

――キョンは確かに魅力的な人物であった。

明智黎のとの差は正義感の強さだけではない。

人間として完成しているのは間違いなくキョンの方である。

いいや、"人間として"ではない。

"大人として"と言った方が正しかったかな?

明智黎のように、何かを否定するなんて事は彼はしない。

どれだけ文句を言おうが、"否定"のポーズをとろうが、まず彼は最初に受け入れる。

それから判断する。

必要、不要、正義、悪意。

絶対的な二元論に支配された唯一の人間。

自分の出した結論に迷いはあっても妥協することはない。

何故ならば、彼の妥協こそが涼宮ハルヒにとっての願いだからだ。

……主人公って人種は揃いも揃って、これだけは確かなのさ。

自分が惚れた相手に対してだけは絶対に妥協しない。

明智黎がかつて朝倉涼子に対する結論を出さなかったのは、妥協ではない。

それと同じように、キョンも妥協で涼宮ハルヒに結論を出すつもりはない。

 

 

「あのな――」

 

と、彼が痺れを切らそうとしたその時。

まさにその時部室の扉がノックされた。

ヤスミンは笑顔で。

 

 

「……うん」

 

とても満足そうにその結果を受け入れていた。

そして、キョンが来訪者に返答する間もなく扉は開かれた。

 

 

「……な……!?」

 

扉から現れたその人物に彼が驚いたのも無理はない。

明智黎が"スペアキー"として彼の影であるという事は、逆もしかり。

彼が明智黎と同じ体験をするのは、因果故の結果であった。

 

 

「お前は……」

 

「…何……!?」

 

"ドッペルゲンガー"などではない。

αとβ、その両方は分裂させられたものだ。

こんな仕業をする人物は世界にただ一人しか存在しない。

涼宮ハルヒの、分裂。

 

 

「何だ、これは」

 

ドア付近に立つ方のキョンの後ろからそう言ったのは、未来人。

未来人の横には超能力者も立っていた。

器である佐々木を利用する、利害関係のためだけに集まった。

彼らまではαとβに分裂させられなかった。

学校という箱庭に主人公の二人が閉じ込められたのも涼宮ハルヒの仕業。

運命の時が来るのを、ただ、待つ他なかったのだ。

未来人は彼を押しのけて部室へ足を入れる。

超能力者もそれに続く。

 

 

「どういうことだ。お前たちは、お前は誰だ……?」

 

二人のキョンと渡橋泰水。

この結果を未来人は知らなかった。

当然の結果。涼宮ハルヒは未来なんてお構いなし。

彼女のせいで彼女を監視する破目になってしまうなど、最初から決まっていたわけではない。

佐々木を取り巻く連中は、決して涼宮ハルヒに勝てなかったわけではない。

最初から全力で行くべきだったのだ。

未来人には禁則を禁則とせずに動けるだけの実力は備えていた。

いつの時代も人が負ける原因は、人でしかない。

 

 

「うそ、どういうこと……?」

 

利用されたのは佐々木だけではない。

橘京子とて、利用された悲劇のヒロインなのだ。

それを救う人物が居るのか。

誰も保証してくれない。

少なくともこの部室の中の人間には、それが出来ない。

渡橋泰水、ヤスミは、人間ではなく神かもしれなかった。

二人のキョンの間に立つ彼女は、本当に嬉しそうに。

 

 

「信じてました、先輩」

 

「お前……」

 

「お前は、誰なんだ……」

 

鏡の中の世界が存在するかはわからない。

僕には関係ない。

光の軸に支配される次元があるのかどうかなどは、僕でも観測できない。

しかし、この場に居た二人のキョンを見ているとそれもわからなくなる。

鏡の世界はあるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

僕に否定する権利はなかった。

明智黎でさえ知らない力の使い方を僕は知っている。

だけど、最後の1、2割が欠けていた。

いままで明智黎が起こしていたのは奇跡だったのさ。

 

 

「あたしはわたはし、わたしは――」

 

――ここに居る。

四年前の七月七日。

明智黎がこの世界に呼ばれた、その日から。

もう少しさ、ヒーローの到着ってのは。

 

 

「ヤスミ」

 

アナグラムなんて彼に解けるはずがなかったのさ。

初歩的な推理だよ、ワトソン君。

……だろ?

涼宮ハルヒさん。

 

 

 


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