異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第八十四話

 

 

外界から隔離された精神世界。

佐々木さんと涼宮さんの閉鎖空間。

二つの精神世界は今も尚衝突し続けている。

決してそれらは溶け合う事はない。

互いの全てを受け入れる事など不可能だ。

まして、恋敵同士。

スペアキーの俺が女の敵だって言うんなら、本鍵のキョンだってそうなのさ。

だから俺も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

容姿は異なるもう一人の俺に話しかける。

落ち着いてお茶でも飲もうや。

 

 

「何の用事かな? こっちは話がつきそうなんだけど」

 

「決まっているさ。全員に退場して頂く」

 

「おいおい、オレは彼女に協力するんだぜ。君にとってもそれが望みなんじゃあないのか?」

 

「お前の記憶が不完全ではないように、僕の記憶も同じだ。お前から返してもらおう」

 

何言ってるんだ。

 

 

「ふっ。どうやって?」

 

「死後の世界があるかは知らないが、お前の精神だけを再び分裂させる方法など幾らでもある。完全な個人として僕は舞い戻りたいのさ」

 

……やれやれとしか言えないな。

殺気立ちやがって。

椅子から立ち上がり、佐乃の方へ身体を向ける。

 

 

「それで? どこでするよ。言っておくが君の技はもう通用しない。読まなきゃいいんだろ」

 

それの原理は不明だ。

能力なのか何なのかすらわからないが、彼の書いた文章には洗脳のような効果があった。

あるいは催眠か? とにかく、β世界の俺は感情をコントロールする事が出来なかった。

彼が書いた手帳。

もしくは、俺が書いたとも言える過去への贖罪。

迂闊にそんなものを読んでしまった俺も俺だが。

 

 

「別にどこでもいい。よく見える位置ならな」

 

とだけ言って彼は移動を開始した。

さっきから言動が滅茶苦茶だ。

俺は充分な間隔を空けてそれに従う。

何も言わなかったが佐藤もついて来た。

 

 

 

 

――そして時間にして数十秒程度移動しただけで、佐乃は歩みを止めてしまった。

ゆっくりと彼はこちらを向く。

 

 

「……ここでいいのか? グラウンドには遠いけど」

 

二年生が利用する校舎の外回り。

ちょうど、部室棟がここから見られる位置だ。

やけに彼は余裕そうに。

 

 

「広いかどうかは関係ない。何故なら僕の攻撃は、既に完了している」

 

「……何だって…?」

 

「あれがお前に見えるか」

 

そう言って佐乃が後ろを向いて指差したのは斜め上の方。

ここから少しだけ離れた場所にある部室棟の、最上部。

屋上に。

 

 

「野郎……!」

 

俺の目に飛び込んで来た光景。

それを理解した刹那の内に俺は"ブレイド"を具現化した。

佐乃は俺が何かするよりも早く――。

 

 

「――明智黎! 一歩でもその場から動いてみろ! お前がどうにかするよりも早く涼宮ハルヒは死ぬ事になるぞ……?」

 

「ん、だと……」

 

「僕が命令を下せば直ぐに彼女は屋上から飛び降り自殺と行くだろう」

 

屋上から下を見下ろす制服姿の涼宮さん。

何故彼女があそこに居るのか、なんて事は気にしちゃいられない。

彼女こそ一歩でもその先へ進めば地上へその身体が叩き付けられる事だろう。

地面は石畳。

三階建ての屋上から落ちてただで済むわけが無い。

彼女は受け身さえ取れないんだ。

脚から落ちてくれればいいだろうよ。

ともすれば前傾姿勢。

前につんのめっているかのような状態。

うつ伏せ、いや、頭から落ちようものなら最悪死ぬ。

口の中が苦い感覚がした。

反吐が出る。

 

 

「これも君の指示か? 佐藤」

 

「……私は聴いていない。浅野君、どういうつもり」

 

佐藤の表情は困惑したものだった。

これが演技にせよそうでないにせよ、確かな事実として涼宮さんは危険な状況である。

間違っても彼女に意識があればこんな場所に来てまで飛び降りをしようとはならないはずだ。

実行犯は佐乃で間違いない。

俺もやられたんだからな。

当の本人は壊れたように笑った後。

 

 

「ハッ。どうもこうもあるんだよ。取引ってのはいかに自分を優位に置くかが成功の鍵さ」

 

「涼宮さんを殺して君に意味があるのかよ。それに、彼女が死んでからそのまま世界が終わる可能性だってある」

 

彼女が神かもしれない以上、その可能性だって存在する。

だからこそアンタッチャブルだった。

だからこそ『機関』が目を光らせていた。

郷に入りては郷に従え、だ。

異世界人にはお構いなしだと言うつもりなのか。

 

 

「僕が殺すんじゃあない、お前が殺すのさ。お前が僕の要求を呑まなければ涼宮ハルヒが死ぬ」

 

「それじゃあ話は解決しないだろ。過去をやり直す事なんて出来なくなるぞ」

 

「何。僕はお前を始末して、浅野としての精神を返してもらえればそれでいい。お前はこの世界にしか存在しないが、願望を実現する能力を持つ涼宮ハルヒは他の世界にも存在する。後は彼女に当たれば解決なんだよ。……最高だ」

 

「ああ、最高に最低だ……」

 

――どうする?

眼の前のこの野郎をブン殴って、それで涼宮さんが助かるのか?

いや、そもそも誰が彼女を助けるんだ?

文芸部室のみんなは、この状況を知らないのか?

……知らないんだろうな。

キョンだって古泉だって朝比奈さんだって、佐々木さん側の異端者三人組だって。

朝倉さんだって知らないんだ。

 

 

「……じゃあ、誰が"助かる"んだよ」

 

俺はお前達を救おうとしてたんだぜ。

俺が救われるんじゃあない。

この世界で俺は生きていくと決めたんだ。

 

――詩織。

君と二人生きられるならあの世界だって悪くない。

今の俺はそう思えるほどだ。

本当に成長したんだ、成長できたんだ。この世界で。

俺の隣に立つのは君じゃあない。

俺は朝倉さんの隣に居る事を決めたんだ。

そこの馬鹿野郎と二人で幸せになりやがれ。

 

 

「ふっ。オレもそろそろ年貢の納め時か? いいや、違うね」

 

今日じゃあない。

朝倉さんが未来から来てくれた。

その未来を俺は信じたい。

涼宮さんも、俺も助かる。

生きて帰る。

二人とも、みんなで。

俺を呼んだ君を還すんだ。

閉鎖空間の外の世界へ。

 

 

「当然だが、涼宮ハルヒにはただ飛び降りてもらうだけでは済ませない」

 

佐乃はそう言うと左手を上向きにしてこちらに突き出す。

次の瞬間には、その手から数センチ浮く形で真紅の光球が顕在された。

古泉と同じ超能力者。

この場で十全でないのは、佐々木さんの閉鎖空間の影響か。

 

 

「原作の内容を覚えているか? 涼宮ハルヒは原作でも似たような状況に遭った。しかし、落下する彼女を神人が助けた。だから僕は彼女の打ち所に関係なく死んでもらう方法を選ぶという訳だ」

 

「その球を涼宮さんにぶつけるつもりかよ」

 

「古泉一樹に代表される超能力者がどうやって神人を狩っているか……このエネルギーは熱をともなわない。だが、何故か物体を灼く事が出来る。神人の身体も焼き切ってバラバラにするのさ。本来の威力の十分の一以下ではあるが、女一人殺すのはわけない」

 

だろうな。

俺が何かしようものなら涼宮さんに投げつける気が満々だ。

あれが命中するよりも速く俺は彼女に近づく事など出来ない。

わざわざ致命傷となる箇所に命中させなくても、屋上の、彼女の足元にさえ当たればそれでいい。

バランスを崩し、そのまま落ちていく二段構え。

是非とも神人に来てもらいたいね。

今すぐに。

佐藤は悲しそうな表情で。

 

 

「……そんな」

 

「同じ事、だろう。君は交渉材料として涼宮ハルヒを押さえておくようにと言った。好き勝手されないように、と。僕はそれに従ったまでさ」

 

詭弁もいいとこじゃないか。

間違ってもそんな意味で言ったとは思えない。

むしろ佐藤は原作通りにならないように、そう言ったんだ。

やがてどこか彼女は吹っ切れた様子になった。

彼女の中で、俺より佐乃の方が優先順位が高いのは当然。

俺は浅野の理性のような存在で、彼の優しさが佐藤に伝わった事は無かった。

その快感、愉悦、それらはこれから獲得していくのだ。

聞こえだけはいいから困る。

浅野が歪めた愛に他ならない。

 

 

「わかったわ。あなたがそれを望むのなら」

 

「ありがとう。……さあ、後はお前だけだ」

 

なあ古泉。

お前は、『機関』はこの空間に涼宮さんが居る事に気づいていないのか?

本当かよ。嘘だろ。

 

 

「どの道お前は今までのお前として存在出来なくなる。死ぬよりは生きている方がいいだろう? お前が従えば、涼宮ハルヒも死なずに済む」

 

誰も死なせてやるかよ。

当然、お前もだ。

 

 

「それに、人質は他にも居るという事を忘れるなよ。その気になれば一人ずつ消していく事だって可能だ。僕の作品を読めば、僕と同じ感情を共有出来る。傑作だ!」

 

今の涼宮さんの立場が朝倉さんだったら?

いいや、もし俺の立場が佐乃だとしたら?

俺は好きな人のためにきっと、ここまでするかもしれない。

俺はここまで歪んでしまうかもしれない。

少なくとも今は違う。

まだ、間に合う。

 

 

「さっさと返事を聞かせろ、明智黎!」

 

焦りたいのはこっちの方だ。

それにな。

 

 

「明智黎"さん"だ! オレの方が年上なんだよ、礼儀知らずが」

 

「ハッ。その返事……僕は"ノー"と受け取るぞ」

 

当たり前だ。

いつだって俺はそうして来た。

昔からそうして来た。

ありのままを受け入れ続けて、世界を大いに盛り上げられるか。

 

 

「やってみろ! 覚悟をオレに見せてみろよ! "皇帝"の、成り損ないが!」

 

俺がそう言った次の瞬間には、勢いよく光球は遠くの涼宮さん目がけて放たれた。

見るまでもない。一瞬のうちに彼女へ命中してしまうだろう。

偉そうに口を開いていたのは俺の方もさ。

だけど、人間をなめるな。

奇跡、なめんじゃないよ。

俺がキョンの不幸をおっ被るのなら、俺が彼女を助けられない道理が無いだろ?

一度だけ力を貸してくれないか。

誰でもいい。

決着は俺がつける。

今日だけだ。

 

 

『――もう。今日だけですよっ? そして、わたしともっ……今日で、お別れです』

 

そう、か。

来てくれたのか。

 

 

 

――視界がやけにスローモーションだった。

本来であればとっくに命中しているはずの光球は空中に未だ漂っている。

しかしゆっくりと、確実に、涼宮さんへと近づいている。

この現象は二度目、だな。

前回は【HUNTER×HUNTER】の世界からあの人が来てくれた。

今回は君か。

異世界人ばかり来てくれるね。

 

 

『涼宮先輩なりのSOSなんですよ。同時に、明智先輩のためでもあります』

 

天がちょっぴりだけ許してくれた、ほんの偶然って奴かな。

それにしても、今日でお別れだって?

 

 

『はいっ。わたしも、帰る必要があるんです。わたしの元へ』

 

ああ……君は彼女と一つになるんだな。

完全な、俺の友人。

いいや違う。

俺が好きだった女性の"佐藤詩織"として、だ。

 

 

『もう一人のわたしの方もそれを望んでますから』

 

わかってるさ。

異世界人は異世界で幸せになれない。

なっちゃいけないんだ。

夢から覚めなきゃいけないのは、俺の方さ。

 

 

『いいえ。先輩が……あなたが助けなきゃいけないのは、あの、ハルヒなのよ?』

 

ふっ。

そっちの方がキャラとして懐かしいよ。

君が居なくなってから初めてまともに【涼宮ハルヒの憂鬱】を読むようになるとは思わなかったけど。

後悔、したさ。

 

 

『いいのよ。わたしはもう一度あなたに会えれば、それでいい』

 

馬鹿言うなって。

君を救うかどうかなんて、それは僕が決める。

今度はきっと、君と誕生日を一緒に過ごせる。

約束しよう。

 

 

『相変わらず、自己中心的なんだから』

 

悪いか。

僕は悪いと思ってなかったんだぜ。

だからこれから、その勘違い野郎を「あっ」と驚かせてやりたい。

その為の力が必要なんだ。

 

 

『わたしがあそこまであなたを行かせる。あんなノロいボールが当たるよりも先に到着させてあげる』

 

頼んでおいて驚きだけど、君にそんな力なんてあったのか?

異世界人だからって君まで不思議パワーの持ち主だとはね。

 

 

『違う。わたしはあなたの足りない部分を埋めるだけ。100%中の100%よ』

 

何だよその台詞。

冨樫大先生の作品が元ネタだけど、そっちはハンタじゃあないだろ。

僕は某B級妖怪か。

あそこまでムキムキなるのか?

嫌なんだけど。

 

 

『もう!』

 

ごめんごめん。

つい、本当に懐かしくなったんだ。

これだけは許してくれよ。

 

 

『ううん。わたしはあなたを許す必要さえない。ただの不注意で起きた事故だった。たまたまわたしだっただけで、よくある事。あなたを恨んだりなんかしてないのよ』

 

君をもう死なせやしない。

僕はこの世界で護るものが出来た。

だから過去を清算する。

俺が。

 

 

『本当にあなたに会えて良かった。ありがとう、異世界人さん』

 

俺の方こそ感謝するよ。

そしてそろそろ行かなくちゃ。

……だけど。

 

 

『どうしたのよ』

 

俺が因果を断ち切れたとして、未来の記憶をそのまま残す事なんて出来ない。

未来を切るんだからね。

記憶も同時に切ってしまう。

浅野の後悔も、君の想いも、結局は無駄になってしまう。

君が死なないにしろ彼が君と一緒に居てくれるとは限らない。

情けない話だけどね。

 

 

『馬鹿ね』

 

何だよ。

朝倉さんにも言われてるんだけど。

まさか君に言われるなんてね。

 

 

『記憶がなくても、覚えてるのよ』

 

……ふっ。

"心に"、ってか。

それは確かに名シーンだけどさ、一巻発売当時から読んでたのか?

 

 

『あなたは知らないでしょうけどね、メチァクチャ売れてたのよ。わたしもチェックしてたに決まってるじゃない』

 

そうかよ。

ま、君に【とある】を読まされてても可笑しくなかった訳だ。

それじゃあ後は俺の役割だ。

 

 

『佐倉詩織にも宜しくしてね。この一週間の出来事は改竄されている。彼女の記憶も』

 

アフターケアも任せなよ。

俺に出来る事をするだけだ。

出来ない事は協力する。

一人より、二人だ。

彼女だって心に覚えているさ。

 

 

『うん。またね』

 

さようなら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――距離、時間。

涼宮さんと俺の障害になる要素、全てを切った。

ほんの一瞬だけだ。

次の瞬間には元に戻るが、障害が取り除かれた事による作用。

その結果として、俺は屋上に飛ばされた。

今俺が立っているのは涼宮さんのすぐ後ろ。

彼女の下方向からは死の宣告とも言える物体が迫って来ている。

勢いからして、引き寄せる余裕なんてない。

次は俺の覚悟を見せてやるさ。

あわよくば、原作通りになりやがれ。

 

 

「ふっ!」

 

思い切り屋上地面を蹴る。

身体強化と、申し訳程度の高さしかない屋上の柵が功を奏した。

涼宮さんに向かってダイブする。

ブレイドなんか持っている余裕さえないから手放した。

脚部限定だが強化には十分な瞬発力を得られる。

目標方向は光球を回避するための右斜め。

 

 

「交代だ、アナザーワン!」

 

結果として回避には成功するが、落下してしまう。

涼宮さんを抱き寄せ――許せ、キョン――俺の半身にこの場の解決を依頼する。

しかし、次の瞬間。

ゆっくりと落ちていく逆さ景色の中、確かに俺はこう聴こえた。

 

 

――やだよ……。君が解決するんだろ?

 

前言撤回だ。

死の覚悟が必要らしい。

 

 


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