最早邪魔する存在などこの場に居なかった。
浅野による奇策と奇襲。
俺一人ならば間違いなく死んでいた。
みんなが居たから勝てた相手だ。
いや、重要なのは勝ち負けなんかじゃあないんだ。
お前は俺なんだから。
俺は佐乃の方へ近づき。
「気持ちはわかるさ。君は怖いんだろ?」
「……何がだ」
「オレを信用していない。二度、あいつを失うのが怖いのさ。君の後方に居る彼女を失うのが」
「当り前だ! 佐藤の方はお前も計算に入れていたようだが、僕の方は最初から涼宮ハルヒ一本頼みのつもりだったさ。何でもアリなんだからな……」
それがこのザマか。
勘違いしているのは間違いない。
涼宮さんは他人のために願いを聞き入れるような、願望機ではない。
最低でもお友達から始めた方が良いさ。
「もっとも、彼女を裏切った君には無理だろうけど」
「……僕は僕の行動に悔いはない」
「だろうね。オレはそういうヤツだった」
「殺せ。あわよくば今の彼女と同じ世界へ立てる」
その瞬間の佐藤の表情は、とてもじゃないが俺は直視出来なかった。
俺にとっては佐乃の発言も理解出来る。
理解出来てしまえるからこそ、彼女の今にも泣きだしそうな表情が苦しい。
嬉しいのか、そうじゃあないのか。
俺には他人の心根など知り得ない。
人の感情を切る事も、操る事も出来ない。
だがな。
「やり直すチャンスは与えてやるよ」
「……同じ事の繰り返しになる。佐藤は理解してなかったようだが、僕は感づいていたさ。お前の能力は未来を封鎖する能力ではない、未来を見えなくするだけの能力だ。ビデオテープの編集でしかない。僕の後悔の人生……その過程は切り裂かれ、廃棄されてしまう」
誰もが言葉を発せられなかった。
佐々木さんの取り巻き異端者三人があっちで何をしているかは知らない。
こっちの話なんか届かない、聞こえてこないさ。
朝倉さんもキョンも長門さんも古泉も、未来を知り得ない。
俺だって原作を知っている異世界人二人組だってここから先の内容は知らない。
そんな中、一人だけが静かに口を開いた。
「わたしが言うべきことかどうかは微妙ですけど……」
と、朝比奈さん(大)は申し訳なさそうな顔で前置きした。
そして佐乃後ろから俺と朝倉さんが立つ方へ回り込み、彼の顔を見ながら。
「あなたも知っての通り、わたしは未来人です」
「……高慢ちきな連中のお説教か? 説得力はないな」
「手厳しいですね。……無理もありませんよね。『過去をやり直したい』というのは誰でも思う事です。どれだけ技術が進歩しようと、人間は強くなれません。わたしたちの精神まで進化するのはとても難しい事なんです」
「ありふれた言葉だな。僕でも考え付くような内容だぜ」
「あなたが怖いのは過去じゃない。未来が怖い、そうですよね……?」
俺も同感だった。
しかし、それだけじゃあない事も同時に理解している。
佐乃は間抜けを見るような表情で。
「違うね。僕は死ぬのも同じ絶望を味わうのも怖いんじゃあない。それよりも恐ろしいのは……自分を失う事の方が怖いんだ。僕は彼女を失った後悔まで含めて僕だ。お前たちに敗北したこの苦しみすら僕は糧として生きたい。僕はまだ、どこにも立っていないんだ! だから! このままやり直したい!」
こいつは少し前までの俺と同じだ。
何も得なければ、何も失わずに済む。
結局は保留しているに過ぎない。
佐藤への結論を。
理想論を語るのはいいが、お前はやり直した所で何かが変わると思っているのか?
「……変えるのは、君なんだぞ。浅野」
「フン。僕を失えば、僕はそれすら叶わなくなるさ」
「いいや。望み通りになるかは保証できないが、君が欲しがっていたものはくれてやるよ」
完全な個人として復活したいんだろ?
俺の全てをくれてやる事は出来ないけど、浅野としての一部を返す事は出来る。
やっぱりお前には善の心が必要なんだ。
今のお前は独善者でも何でもない。
何一つとして否定しようとは動かないんだからな。
家でテレビの野球中継を観ていて、文句を言うオッサンと同レベルなんだよ。
だからこそ。
「オレはオレ自身を切る。オレが切り、操るのは異世界人"三人"の精神と未来だ」
そうすれば何の手土産も無い状態よりはマシだろう。
それに、自分を失うのが怖いだと?
残念だが確かに記憶までそのまま戻せる道理はない。
過去の君たちは脳に未来の体験なんか刻まれちゃあいないんだからな。
だけど、魂は違う。精神は違う。
人間の可能性を信じれない奴が自分を信じれるかよ。
佐乃は「フッ」と嘲笑しながら。
「ありえないな。その根拠はどこにあるんだ? あると言うのなら、僕にそれを信じさせてみろよ。出来なければそれは綺麗事以下の戯言だ」
この男は本当に生きる希望を失いつつある。
涼宮ハルヒだけが心の支えだったのか。
ならば、他にいくらでもやりようはあったというのに。
お前が信用しなかったのは自分もそうだが、助けたいはずの佐藤もそうなんだ。
異世界に来てまですれ違いしやがって。
「根拠はないさ。だけど、そっちの方が面白いだろ」
……俺に力を貸してくれ。
言葉を信じさせるな、言葉の持つ意味を信じさせるんだ。
自分の進む道は、自分で決めろ。
"補助輪"ってのはいつか外さなきゃいけないんだ。
お前にとってはそれが今日なんだぜ。
浅野。
「あのさ、君。オレはここ数日でかなり痛い目にあってたんだ。君は知らないだろうけど、色んな奴らが世界には居る。そいつらがオレの知らない話や情報なんかを常に押し付けてくる。迷惑だよね、でも、世界は自分を中心に動いていると言ってもいいんだ。みんな、自分を特別な存在だと心のどこかで信じたい、実際にそのように行動する人だっていた。君が知らないだけで、世界は確実に色を帯びていた。世界は面白い方向に進んでいるんだよ。オレと君が住んでいたあの世界だってそうさ」
痛い目の原因の大部分は佐藤と佐乃。
とくにお前のせいで朝倉さんを手にかける寸前まで俺は落ちぶれてしまった。
悔やんでも悔やみきれない。
だから後悔はしないさ。
今、あるいはこれから先の未来まで、朝倉さんが俺と居てくれるのなら。
――未だ意識を失っている涼宮ハルヒ。
自分は自分であって自分でしかないのだから他人と比べるな、なんてトートロジーで誤魔化すつもりはない。
ないが、決定的な解答は既に持ち合わせている。俺は持ってる。
だってそうだろ? テレビの中で憧れたヒーローに成りたいと考えた事はないのか?
お前はそんなに簡単な話さえ忘れてしまったのか。
『――だから自己中心的なのよ……浅野君は…』
誰かは言った。涼宮ハルヒは"可能性"だと。
誰かが言った。涼宮さんは"時空の歪み"らしい。
誰が定義した。あの少女は"神"なのだ、と。
だけどな、俺と朝倉さんにとっちゃそんな話はまるで関係ない。
そこに着くまでの径路は別々だった。
だけどな、俺と朝倉さんは奇しくも同じ結論に至っているんだよ。
『――私の独断専行を駆り立てるものがあったとしたら、それはきっと"憧れ"よ』
お前もそうだったんだろ?
俺がそうだったんだ。
こっちこそが世界を捨てたと勘違いしていたんだからな。
アニメ的で特撮的で漫画的物語。幻想の世界とやらに。
「オレはどうしようもなく憧れていたのさ」
本、ブラウン管、スクリーン……ああ、ゆくゆくはPCのディスプレイでも、なんてね。
とにかく俺は涼宮ハルヒに、彼女に、彼女の住む彼女の"世界"に憧れていた。
佐藤詩織を失った苦しみを叩きつけられた俺は我を忘れる事しかできなかったさ。
だけど涼宮さんは、俺自身を忘れさせてくれなかった。
世界が分裂したのは彼女が助かるためでもあるけど、みんなのためでもあった。
俺が助かるためだったんだ。
「だから、君が本当に涼宮さんに見捨てられたと言うのならオレが拾ってやる。君が君を忘れるのなら、オレが君を救ったという十字架を一生背負ってやる。詩織のためじゃあない。オレのためにそうさせろ。オレに、オレを、救わせろ!」
言いたいことは全部言った。
こんな世の中で何処に行けばいいのか、嘆く人だって居るだろうよ。
俺の場合はその必要が無いんだ。悩む必要がないんだ。
『今度こそはどこにも行かない』
そう約束したんだから。
ねえ、朝倉さん。
やがて、そいつの顔からはふっと覇気が消え。
「……好きにしろ。お前がそうしなければ僕がそうするだけなんだからな」
どうでもいいかのようにそう言った。
そんな彼の言葉に対して欠伸でもしそうな顔の朝倉さんは。
「昔の明智君は『助けて下さい』もまともに言えない人種だったの?」
「捻くれ者だったのさ。世界の中心で、愛さえ叫べないぐらいには」
"納得"は全てにおいて優先する。
それさえ出来たならきっと、人の心はどんな未来でも乗り越えられる。
恐怖を克服してみせる。自分の決断こそが最優先だ。
右に倣うだけの連中が後悔するのは勝手だ。
でもそれは納得した上でそうしたのか?
俺は彼女が死ぬまで、無理やり自分を納得させていたに過ぎない。
「結局は妥協だったんだ」
「……」
「でもね、今は違うんだよ。流される事を良しとしていたオレがこう思えるようになったんだ。善悪だとか表裏だとか関係ない。君にだって、そう思えるはずさ」
「僕はお前の言葉など信用しない。……だが、ここは何でもアリな世界だ。涼宮ハルヒに免じて信頼してやる」
すると佐藤もこっちへようやく近づいて来た。
何とも言えない。
少なくとも俺にはそう見えたし、俺自身がそんな気分だ。
彼女は。
「今までの事は謝らないといけない。浅野君には……明智君には迷惑をかけてしまったわ」
「気にしなくていい。オレは気にしないから」
「そう……。心残りは少ない方がいいの。さっそくお願い」
「あー、うん」
わかったよ。
でも、俺がそんな事出来るわけないだろ。
最後はやっぱりお願いする。
今度こそ再び交代だ。
「アナザーワン」
――はいはい。
「人使いが荒いってのは、この事だよね」
分かり切ってた事だけどさ。
とにかく、さっさとしようか。
僕の左手に具現化されたそれは、まさにペンの形状をしていた。
青い色だ。
「まるで"クーゲルシュライバー"ってね」
「おや、ボールペンですか」
「いっちゃんはドイツ語得意なの?」
「一般教養レベルですよ」
仮にも僕は宇宙人候補だった存在。
古泉一樹が制服に忍ばせていた万年筆型の盗聴器には気づいていたさ。
必要と判断したから、不要にしなかっただけだよ。
さて、みんなに言っておかなくっちゃあならない事が一つだけある。
正確には明智黎に、だけど。
「ボクの能力は欠けている。最後の要素が無い。無くてもこれは実行出来るけど……」
君たちが持っているんだろう?
十中八九、佐乃秋……浅野さんの方だろうけど。
ともすれば彼は。
「ああ。封印させてもらったよ。明智黎に渡したくなかったから"書いて"置いてきた」
「それは何処に、かな?」
「部屋に決まっているだろ。……この世界の、佐乃の家にだ。もっとも僕が部屋に戻った時には無かったが」
「なるほど……」
そんな事をするのは。
「いっちゃん」
「……こうなる事は予想していました。後程事情は説明いたしますよ。申し訳ありませんが、今すぐにここへ取り寄せることは難しいですね」
「どうして?」
「"あれ"は僕一人で管理しています。そうせざるを得なかったからとしか言いようがありませんね。長話になりますが、詳しくお話ししましょうか?」
いや、かまわないよ。
そんな事だろうなとはこっちも予想してたさ。
佐藤が『機関』について言及していた、去年十二月の段階でね。
別れは早い方がいい。
その分、出会いも早くなるから。
「先に君の精神だけを佐乃から切り離す……いいや、切り拓く」
「手術にしては、持つ物を間違えてないか? ドクター」
「先生は先生だけど、ボクがしたいのはペンを握る方さ」
「そいつは傑作だ――」
僕が佐乃秋の身体の前で本来の形になった"ブレイド"を振るうと彼の意識は失われた。
みんなには視えないだろうが、僕には視える。
当然、佐藤詩織にも。
彼女は僕の行動、その様子を見て。
「あなたが居たから浅野君はあんな能力を使えるようになったのね」
「彼の担当は切断。操作は専らボクの仕事だよ」
「最後の要素、何かは気づいているんでしょう?」
「ボクがいくら知識として持ってようと彼が自覚してくれないからね。それに、浅野さんから受け継いでこそ意味がある」
さっきのは本当の偶然。
今やその能力の十割を発揮する事は出来ない。
だからこそ僕がその穴を埋める必要がある。
身体から精神を切り離すのは本来であれば不可能。
憑依精神体である異世界人相手であるからこそ、不純物として世界からカット出来る。
だけど過去と未来を切り離すのは可能だ。
でも、それには一つだけ問題があるんだよ。
「どこの世界へ行けばいいのか? ……世界は無数に存在する。君たち二人だけに行かせちゃったら迷子になってしまうよ」
「フフ、それも悪くないわよ」
「ボクが責任を持って案内するよ。浅野さんの精神と一緒にね」
じゃあ行ってくるよ。
彼には迷惑をかけるかもしれないけど、何、必ず戻ってくるさ。
僕が本当に必要となるその時には――。
――気がついたら、全てが終わっていた。
そうとしか言いようが無かった。
いつもながらに感覚的な話になっちゃうけど、直ぐに理解したよ。
眼の前には横たわる天パ野郎。
そして何より佐藤の姿が何処にもない。
佐藤詩織として、きっと、戻ったのさ……。
「……全ては終わった」
「まったく。色々あったな、この一週間は」
「いいえ、まだ終わりではありませんよ」
俺とキョンがしみじみと語るその内容を否定したのは古泉だった。
笑顔ではあるものの、いつものように仮面を被ったかのような笑みだ。
これ以上俺に何をしろって言うのかな。
「やり残したことがあるのは明智さんではありません」
「……何だ、その眼は。ひょっとして俺に何かしろと言いたいのか」
「話が早いですね」
と言って古泉はスタスタと歩き出す。
眠り姫こと涼宮さんと、周防たちが居る方へ。
思わずみんなで彼の後を追うけど、佐乃君はあのままでいいのか?
「この空間から出た時には回収させますので」
彼の人生がこれからどうなってしまうのか。
その辺も含めた長々とした後日談はそれこそ後程させていただこう。
こちらが勢揃いで集まった事に対して藤原は。
「ようやく済んだのか。無駄な時間がかかってしまったな」
「藤原さん!」
「……橘京子、僕を無理にイラつかせない方がいい。せっかく君たち過去人に合わせてやっているんだ」
「せっかくついでにあたしたちは同じところへ集まると決めたんですよ。これからは力を合わせていきましょうよ」
「ふん。僕に協力しろと言いたいのか? 過去の現地民と共闘するほど僕は落ちぶれたつもりはない……だが」
藤原は鬱陶しそうに俺の方を見た。
言いたいことがあるならハッキリ言えって。
「お前に免じて、一度ぐらいは妥協してやる。明智黎」
「……ふっ。素直じゃあないな」
「あんたたちの世話にはならないさ」
それきり彼は黙ってしまった。
周防も橘京子も、やるべき事は終わったかのように。
だけど古泉が言うには違うんだろ?
キョンに何をさせようって。
「とても簡単な話ですよ」
古泉は笑顔だった。
だけど、その笑顔は笑顔に見えない。
いつもの仮面とも、彼本来の純粋なものとも違う。
無表情としか例えようのない。
人間が出来るとは思えないような表情だった。
古泉は、キョンの方を向きながら彼に語りかける。
「あなたには選択して頂く必要があります」
「俺に何を選べって?」
「決まっています。涼宮さんと佐々木さん、そのどちらを選ぶか……。今、ここで、選んでください」
最後の仕事ってのはやっぱりそれか。
勝ち逃げなんて許してはくれないらしい。
まるで意味がわからないと言わんばかりにキョンは。
「何故俺がそんな事をしなければならん。くだらない神様談義に付き合うつもりはないぜ」
「あなたから見たこの特殊閉鎖空間のせいです。ご覧の通りですよ。今も尚、お二人の精神はせめぎ合っていらっしゃる」
「お前や橘、超能力者のおかげで入って来れたんだ。そのまま出ちまえばいいだろ」
「閉鎖空間を放置した際の末路について、僕は既にお話ししましたよ」
どうもこうもないな。
俺にはわかっちまったよ。
違うな、この場に居る全員はとっくに理解している。
キョンだってわからないフリをしているだけなのさ。
心の奥底では、気づいている。
男の仕事の八割が決断なんだぜ、俺もお前に話しただろ?
まるで、選ばなければここから出られないとでも言わんばかりに古泉は。
「さあ、どうぞ。あなたが涼宮さんの方を選ぶのであれば一言だけお願いします。『ここは俺に任せて先に行け』……彼女は自分が起こすから、邪魔者はとっとと消えてしまえ。と」
余計なお世話だろ。
……な?