――世の中わからないことだらけさ。
金曜日の話はこれで終わり。
紆余曲折の一週間を経て翌週に至るというわけだ。
と、言ってもこんな回想をさせられたのも古泉のせいだ。
惚けるような口調で野郎は。
「涼宮さんはαとβ、そのどちらの世界においても何事もなく帰宅していました。彼女が自宅に居た事自体は不思議ではありません」
「……だから俺もそうさ。午後八時頃家に戻されたよ。特別話しておきたいことは他にあるが、まずはこっちの質問に答えてくれ」
「なるほど、構いませんよ」
何を納得したんだか、古泉はそんな事を言った。
しかしながら午後八時ね……。
俺たちが閉鎖空間から戻ったのは午後六時前。
でもってα世界でヤスミンに呼び出しを受けたのは午後六時ジャストだったな?
時系列がよくわからんな。
結局この世界はどういう形で落ち着いたのか。
そこも古泉が語ってくれるさ。
キョンはいの一番に訊きたかったようで。
「長門。その……なんだ、任務とやらはどうなった?」
「一時中断された」
「中断と言うとだな……またお前がやらなきゃ駄目な時が来るのか?」
「来ない。わたしを通じての通信は非効率的だと判断された。わたしより優秀な端末が後任に当たってくれるはず」
「お前より優秀な奴が居るなんてな……」
俺も初耳だ。
その辺どうなの朝倉さん。
「私たちの業界も日進月歩よ。居ても不思議じゃないわね」
「個体差を生じさせる意味はあるのかな?」
「さあね。その方が情報統合思念体にとって制御しやすいのは確かだと思うけど」
「気に食わないね」
「ええ」
精々天狗になっているがいいさ。
俺がやるべき事はもう決まっている。
運命でも何でもない。
俺がそう心に決めたんだ。
一安心したキョンだったが、思い出したかのように。
「おい。そういや周防だが、谷口と付き合ってたのはあいつだったんだよな……?」
「今だから言うけど、実はオレ……前から知ってたんだよね」
「私もよ。この中で気づいてなかったのはキョン君ぐらいじゃないの?」
「彼女の行動範囲は不明ですが、『機関』の情報網にかからなかった訳ではありませんので」
「……」
「やれやれ……」
お前に同情ぐらいはしてやるさ。
長門さんは俺に弄ばれているシャミセンを見つめていた。
シャミもそろそろ女子の方がいいと思っているだろう。
彼女に手渡ししてあげた。やっぱり猫は有益な存在である。
ぺたぺたとシャミに触れながら長門さんは。
「周防九曜や天蓋領域を理解するのには時間がかかる」
そうかな。
天蓋領域の方はさておき、周防の方は単純だよ。
勿論俺が理解できるとは思っちゃいないさ。
だけどな、それをやってくれそうなバカが一人知り合いにいるんだ。
後はそいつに任せた方が対話とやらも捗ると思うけどな。
「それはそうとだな、まだ付き合っているのかあいつらは」
「特に何も聞いちゃいないからね」
悪くないとか言ってたし、昨日の今日で破局とはいってないんじゃないか?
『機関』も続報については何かしら掴んでそうだが知らぬが仏。
わざわざ自分から厄介事に巻き込まれるような物好きなんざ居ない。
……いや、この場に居る連中みんなそうだな。
「あの未来人はどうした」
「藤原さんでしたら何処かへ行かれましたよ。未来へお帰りになられたのか、そうでないのか……我々にもわかりかねます。恐らくですが、時が来れば再びいらっしゃるかと」
「勝手な奴だな」
「彼も彼で目的意識が高いお方のようですね。明智さんを通してなら幾らでも交渉の余地はあるかと」
何を交渉すると言うんだ。
しかも俺が藤原と話し合えるみたいな空気じゃないか。
「おや。違いましたか? 僕の見たところでは、彼はあなたをお気に入りになられたようでしたが」
「勘違いだって」
「いずれにせよ、当面の所の藤原さんは我々と敵対しそうにありませんよ」
いい傾向さ。
確実に世界はよくなってきている。
仮に、それが俺たちの勘違いだとしたら現実にすればいいのさ。
願望を実現するなんてのは、本来とても大変な事だ。
涼宮さんにそれが可能だとしたら、彼女はその能力に頼ってはいないんだ。
こっちが肖ろう、だなんてのが可笑しい考えなのさ。
――だってそうだろ?
俺たちがどう思おうと、彼女は間違いなく俺たちを利害関係とは別の純粋な友情でもって考えている。
約一名ほどそれに当てはまらないような馬鹿が居るけど、そいつも決断は下したんだ。
後はただ実践してくれるだけだよ。
言っておくけど俺の方はとっくに完了したんだからな。
これじゃあどっちが"本鍵"だかわからなくなってしまう。
多分、選ばれる事に意味はないんだ。
「そういやお前さん。あの後、橘とはどうなったんだ?」
「どうもこうもありません。特筆すべき事など……和解ついでに一応連絡先を交換した程度ですよ」
「それの何処が"程度"で済むんだ」
そう言うキョンだって、連絡先は潤っている方に違いない。
俺の前世のそれと比べれば雲泥の差だぞ。
まず友人の枠が一名しか居ないからな。笑えん。
「暫くは無茶な行動を慎むでしょう。橘さんにも立場がありますからね」
「お前さんは彼女の事をよくわかってるような物の言い方じゃあないか」
「僕自身にも立場がありますので。ちょっとした共感じみたものです」
なんて超能力者の裏事情を話してくれると思っていたら妹さんが乱入してきた。
さっきまで一階で放置されていたから遊び相手が欲しいらしいけど。
「有希っこー! 涼子ちゃーん! あっそぼー!」
「二人とも頼むよ」
「……」
「わかったわ」
長門さんだけなら不安だが朝倉さんが居れば大丈夫だ。
「シャミも一緒にくるー?」
という事で無理矢理彼も連れて行かれた。
猫用の玩具が下にあるらしい。良かったな。
良くないのは俺たちの方で、結局癒しの欠片もないむさ苦しい空間だけが残されることに。
本当に苦しくなりそうで困るよ。換気しようぜ。
「世界の分裂も、あの閉鎖空間もハルヒの仕業だったんだろ。ならあいつは何なんだ?」
「その"あいつ"とは……渡橋ヤスミについてでしょうか」
「他に誰が居るんだ」
キョンは未だに気づいていないらしい。
かく言う俺とて、原作のおかげで思い出したのさ。
思い出せたと言うべきか。
「ヤスミンの正体は涼宮さんだよ。彼女の一部みたいな存在らしい」
「……はあ?」
「流石は明智さん。ご明察です」
「確かにそんな気がしないでもないがな。どういう事だ? お前らはどうやってそれを知った?」
「最初から最後までヒントだらけでしたよ」
単純なアナグラムさ。
わたはしで、『わたしは』
でもって泰水はヤスミではなくヤスミズ。
『スズミヤ』。
「わたしはスズミヤ、だと……?」
「いつも通りに無意識下での行動でしょう」
「はぁ……馬鹿馬鹿しい……。俺たちは一年経ってもハルヒに踊らされていたわけだ」
「そうかな」
いいや。
彼女が上だとか、俺たちが下だとか。
そんなのは単なるパフォーマンスだよ。
そうじゃなかったら昔の俺と変わらない。
他人に歩み寄らず、挙句の果てには本当に大切なものさえ見失った、俺。
全部世界のせいにしてたさ。
自分がちっぽけだと思い込んでいたさ。
だけど涼宮さんは変わっていた。
『――今は違うわ。あたしはあたし。どうせみんなちっぽけなんだから、それでいいじゃない』
変わってくれていたんだ。
俺たちが詰め寄ったんじゃない。
彼女の方からも歩み寄ってくれたんだ。
それが本当の友人だろ?
だからさ、佐藤詩織は俺にとってきっと、友人じゃなかった。
そっちはお前に任せた。
今日かどうかもわからないけど、結論を出してやれ。
俺。
「古泉」
「何でしょうか」
「オレからも訊かせてもらおうか」
古泉は肩を竦めて。
「いつかこうなる日が来ると、予想していましたよ。現物は流石にお持ちしていませんがね」
「……浅野は、何を残していったんだ?」
「僕にも不明ですよ。確認なんて恐ろしくて出来ません」
まさか。
「浅野が書いて封印したものとやらを読んだ人間に、何かあったのか……?」
「幸いなことに命に別状はありませんでした。今や既に回復していますよ」
「待て、お前らは何を話しているんだ」
決まっている。
俺の能力、最後の要素だとかについてだ。
"アナザーワン"に言われたんだよ。
『いっちゃんから話だけでも聞いておいてくれよ』
本当に話だけになりそうだが、構わないんだろ?
只事ではなかったらしい。
古泉は苦い表情をしながら。
「佐乃さんが姿を消してから、我々は彼について少しでも情報を得るために彼の自宅を当たりました」
「よく『機関』の連中を通したな。言っておくが俺の場合は門前払いだ」
「警察関係者ともちょっとした繋がりがありましてね」
ますますアウトローな集まりな気がしてきた。
それで、令状でも何でも出して部屋を漁ったのか。
両親もそうだが本人が一番かわいそうだな。
超能力者として覚醒するだけでもとんでもないと言うのに、異世界人に憑りつかれるなんて。
今後の彼の人生の幸福を祈る。
「彼の机の上に……鍵付きの黒い手帳が置かれていました。何か、重要な手掛かりになるかとも思われました」
「押収したってわけか」
「ご家族から同意は得ましたよ。手帳に付けられる鍵など対処は幾らでもしようがあります」
それがまさにパンドラだったんだな。
佐乃に与えられた切り札。
持ち運べなかったのには理由があるのか……。
――いや、そうか。
あいつは平行世界へ逃れていたと言っていたな。
それに加えて佐藤のそれは俺のとは別種だったらしい。
当然だよ。
彼女が"切って操る"能力の持ち主なら、自分でどうにか解決出来たはずだ。
加えてあいつらは精神体がこっちにやって来た存在。
物の持ち運びに制限か何かがあったのだろうか。
俺の推理など知らずに古泉は。
「発狂、錯乱、精神崩壊のその手前。僕がそれを拝見していなかったのは不幸中の幸いでしょうか。約五名の構成員が一時的に使い物にならなくなりましたよ」
「その手帳やらを読んだだけでか? 信じられんな」
「いや。あいつなら洗脳じみた事が出来るさ。実際にお見舞いされた俺が言うんだから間違いない」
「……明智」
大丈夫だって。
これも涼宮さんとヤスミンのおかげさ。
「僕の予想ですが、彼が使ったのは洗脳ではありません。それほどまでに万能なものでしたら、もっと他にやりようがあったはずです」
確かに涼宮さんにそのまま能力を使わせるとか出来たはずだな。
いくら自覚してないにせよ、洗脳ならば最低限意識レベルは支配される。
無意識の世界は俺にはわからないけど、逆らえるものでもないはずだ。
「恐らくそれは単純な技術ですよ。もっとも、魔人の域に達しているとしか言いようがありませんね。書いた文章を読んだ人間の感情を暴走させたわけです。"魔技"とでもお呼びしましょうか」
「昔のオレがそこまでヤバい人種だったとはね……」
何となく俺にも理解できた。
かつての俺のポリシー。
自分で体験したアクションとリアクション。
即ちリアリティこそが作品に命を吹き込む事が可能となる。
そして作品とは筆者の感情を読者に伝えるもの。
浅野は、自分の感情をぶつけたんだ。
俺が読んだのは"後悔"だった気がする。
思い出せない、思い出したくもない次元の技術。
「血の精神。魂。あいつはそれを操ったのさ」
「涼宮さんが現れたのも納得出来ます。明智さん、『人知れず一人で死んでしまいたい』なんて強く思った事はありませんか?」
「……昔のオレならあっただろうね」
「つまり、そういう事ですよ。彼は自分が知っている感情しか書けなかったのです。負の感情を」
能力を使うだとか、協力するだなんて正の感情を持っているわけがない。
俺がそう思うんだからそれで合ってるのさ。
他の誰でもない、俺自身の話だから。してやられたな。
キョンは目頭を右手で押さえながら。
「何でもアリみたいなもんじゃないか。もしあいつに正の感情があったら……」
「僕は想像したくもありませんね」
ですが、と古泉は言葉を繋いだ。
「彼のその技をもってすれば、他人を幸せにする事だって出来たはずなのです。名作を書きげる事など容易いでしょう」
「浅野にそんな思いやりの心があったのなら……やっぱりオレたちは負けてたさ」
「非常に残念で仕方ありませんね。明智さんはどうでしょうか?」
「今のオレにはそんな芸当無理だよ。全てを捨てて、自分の感情さえ捨てて、ようやく辿り着ける境地。まさに怪物(フリークス)」
"魔技"か……。
ダークなイメージだけど"皇帝"らしくはないさ。
この話はここまでといった様子で古泉は。
「さて、お互い他に何か話すべき事はありませんか?」
愚問だな。
まだ、あるだろ。
――そしてようやく今日。
月曜日に至るわけであった。
α世界の俺が感じていた違和感はとっくに消えている。
心からこの平和を俺は喜べる。
今ぐらいは、いいだろ。
これから先に大仕事が待っているんだからさ。
全部ひっくり返すための。
「ひっくり返されないための、なんだけどね」
「何の話かしら?」
「ボードゲームの話さ」
もし俺が盤上の駒だとしたら、欠陥品だ。
掴もうとしたプレイヤーの手を傷つけかねない。
はねっ返りもいいとこだろ。
「みんな、変わってくれた……」
涼宮さんは、世界に多少折り合いをつけてくれた。
朝比奈さん(大)は、少し考えを改めてくれるらしい。
古泉一樹は、どこか自分に自信を持てるようになったようだ。俺にはそう見えた。
長門さんは、まだまだ勉強中だけどほぼほぼ人間だった。
藤原は、原作みたいに酷い目に遭わなかった。
あいつが原因の一端と言えばそれまでだけど、彼を否定する権利は彼だけが持っている。
俺でも、涼宮さんでもそれはやっちゃあいけないんだ。
「他人の覚悟を踏みにじるからには、ずっともっと強い覚悟が必要なのさ」
「明智君にはそれがあるの?」
「ない。だから、みんな仲良くするのが一番だろ」
「素敵よ」
「よしてくれ。オレが一番知ってるから」
調子に乗るなと言わんばかりに小突かれた。
仕方ないでしょ。
やっぱりこれも春のせいなのさ。
『人間のことが知りたかった……』
周防九曜は、彼女なりの正義を探している。
きっと見つかるさ。
あるいはもう見つけているのにも関わらず、気付いていないのかもしれない。
「幸せの"青い"鳥さ」
橘京子は、……うん、古泉と仲良く出来るようになったらしいから、それで。
――と、こんな話になる。
事後報告はまだ続くけど他のみんなについてはこんな感じ。
だから次は近況について話していこう。
忘れちゃいけない人だって要るのさ。
「オレは、変わらない」
他人からどう呼ばれようと俺自身がそう思っているんだ。
そういう事だからそれでいいのさ。
敢えて挙げるとすれば変わったのは一つだけ。
"臆病者"から、"正直者"になれた。
自分の心に嘘をつかなくなったんだよ。
この一つで、もう俺は、充分だ。