異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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特典SS "Sunny Day"

 

 

なるほど。

これで一段落は出来るのだろう。

だけど僕の仕事はまだ終わっちゃあいない。

最後に一つだけ残っている。

最後まで、見届けなくてはならない。

彼に伝える為ではない。

僕自身の為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が高校三年生の時の話をしよう。

最後の夏休みなどとっくに終わっている。

11月の話になる。

 

――夢を見ていたのだろうか。

僕はその日、土曜日である2007年11月10日の朝、珍しくそんな事を思った。

いや、珍しいどころの騒ぎなどではない。

僕は夢というものを見た覚えだとか、残照感を味わった事などない。

つまりこの日が初めてである。夢を見たらしいと自覚出来たのは。

 

 

「何の事だか……」

 

僕は貴重な体験を出来た事実を忘れたくはない。

カーテンを開けると寝間着姿のまま机に座る。

思いついた事でも書こうとした。

しかしながら、何も思いつかなかったのだ。

これでは何も書きようがない。

あることないことを書く事は出来ても、片方だけと言うのは難しい。

何より意味がなくなる。感情がない、魂がない文字などただの記号でしかない。

記号なんかを載せるのは教科書だけで充分だ。

 

 

「勘違いだったようだ」

 

ともすればこの時期の卒業学年などは勉強に励むべきなのだろう。

僕はそんな事をするつもりなど無かった。

進学希望先で言えば私立ではなく国立。

日頃、必要最低限の事はやっているのだから休みの日に根を詰める必要はない。

そこの学生のレベルで言っても特別高いわけではない。

家からの都合でもって考えた時に一番楽だったからそこにしただけ。

大学に行って特別やりたい事なんてのはない。

だからこそ、休みの日は文化的に過ごすべきなのだ。

 

 

「……」

 

いつもなら、こんな世間話でもなくもっと奇天烈な事の一つでも思いつく。

一度置いたボールペンを再び持つ気にさえなれなかった。

何故だろうか。

理由はわかったさ。

わかってしまったさ。

 

 

「……いい天気じゃあないか。秋にしては自己主張が激しい陽射しだ」

 

なにより僕は窓からの光景を普通に受け入れていた。

何年ぶりだ……?

こんな風に、外の景色に心を落ち着かせる。

むしろこれも初めての事らしい。

そうだ、僕の世界に色はなかったんだ。

だけど今は何故か違う。

今日だけなのかもしれない。

白や黒で説明出来ない、色々が世界には存在していた。

柄にもなくセンチな事を考えていると。

 

 

「……もしもし」

 

今度は本当の意味で珍しいと形容できる人からの電話がかかってきた。

携帯のディスプレイを見た瞬間、己の睡眠不足を疑ったぐらいだ。

 

 

『よ。元気してるか?』

 

「それは僕の台詞だと思うが」

 

『質問に答えろって』

 

「依然、問題はナシ。さ」

 

『おっ。東方仗助の台詞だな』

 

誰だそいつは。

 

 

『ジョジョだろ。読んでないのか?』

 

「……あのハイセンスなイラストの漫画か。僕が漫画どころか小説さえまともに読まないのは知っているはずだ」

 

『ただの確認だ。お前は相変わらずの調子らしいな』

 

「それも僕の台詞だな。兄さん」

 

朝も早々に珍しく電話をかけてきたと思えばただの世間話か。

もっとも兄さんが今、日本に居るのかどうかも僕には怪しく思える。

真夜中にかけてこないだけありがたく思っておくよ。

 

 

「それで? 用がないなら僕は切るけど」

 

『いいから落ち着けって』

 

いつでも僕は冷静沈着をモットーとしているつもりだ。

 

 

『用って言うより、これはただのおせっかいになるんだけどな』

 

「……何さ」

 

『お前。明日が何の日かぐらいは覚えているんだよな?』

 

「……」

 

何でだろうな。

昨日までは忘れていたはずだ。

だけど、起きた瞬間途端に警戒していた。

気づかぬ内に思い出してしまっていたらしい。

11月11日。

 

 

「佐藤の誕生日か」

 

『……おお。本当に覚えていたとはな』

 

「ただの偶然さ。で、兄さんは何が言いたいんだ?」

 

『べつに』

 

何だよ。

本当に切るからな。

土産話の一つでもすれば面白いかもしれないのに、僕について僕が話して何になるんだ。

まるで意味がわからん。

 

 

『そのうちわかるようになる。お前もな』

 

「いくら顔が見えていないからってフィーリングでゴリ押そうとしないでくれ」

 

『とにかくプレゼントの一つでも用意しているんだろ?』

 

「あるわけがない」

 

当たり前だ。

昨日まで忘れていたんだからな。

思い出さない方が気が楽だったろうに。

何やってんだかな、僕も。

 

 

『今日一日のリミット内で何とかしてやれよ。……でないと佐藤さんが可哀想だからな?』

 

とだけ言い残して兄さんは電話を切った。

好き勝手生きているような人には言われたくないね。

一番可哀想なのは母さんと父さんの同率一位だろ。

 

 

「……佐藤、ね…」

 

兄さんに変なことを吹き込まれたせいだろうか。

やけに意識してしまっている。

今日と言う今日こそはお邪魔してほしくないね。

他に彼女が行くような場所など幾らでもあるはずだ。

大体この年頃の女子とはお出かけをしたがるものではなかろうか。

その何が楽しいのか、僕にはわからんがね――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――僕はふと、中学二年生の2月14日の出来事を思い出した。

バレンタインデーだ。

正直言うと僕には無縁のイベントではあった。

だが、これも友人付き合いから来る責任感故なのだろうか。

佐藤詩織は小学生の頃から毎年僕に義理チョコを渡してくれていた。

中学一年の時は。

 

 

「慈悲深いわたしに感謝なさい」

 

と言われて自作したらしいチョコカップのケーキを頼みもしていないのに寄越した。

彼女の態度はさておき味は良かったさ。

ただ一つだけ言える事としては。

 

 

「僕なんかに渡しても意味はないぜ。君も気になる野郎の一人や二人は居るんじゃあないのか? 実験台にしようにも僕は特別アドバイスが出来るわけではない。買いかぶってくれるのは構わないが、僕を過大評価はしないでくれ」

 

「……はあ………」

 

呆れた顔で溜息を吐かれた。

はたして僕の『実験台』発言を本気に受け止めたのか、件の中学二年生の時。

 

 

「……喰らいなさい」

 

この時彼女が自作したのはシュークリームだった。

見事なまでの出来栄えで、これをどうやって作っているのかが気になる程だ。

何をどう喰らえばいいのか。喰らってくたばれと言わんばかりの気迫ではないか。

一口喰らいつけばそれまでだろう、と甘く考えていた僕の考えは文字通りに甘くなかった。

 

 

「ぶっ! …うぇ……な、何だこれは!?」

 

シュー"クリーム"と言うからにはクリームが入っているべきである。

いや、確かに見た目はクリームだ。

しかしながら一口クリーム部分が舌に来ただけで異常を検知した。

甘くない。塩辛い。

 

 

「あら? そうなの? やだ、間違えちゃったかなあ?」

 

「この、何言ってるんだ……」

 

砂糖と塩を間違えたとでも言いたいのか。

僕の味覚を殺しにかかってきているのか。

多分その両方だったのだろう。

この一件以来僕は"シュークリーム"というものを口にするのに多大な抵抗感を覚えるようになった。

ハッキリ言うと口にしていない。

 

 

 

――まったく、今年は何を寄越すんだか。

 

 

「えっ……?」

 

無意識の内の行動だったのだろうか。

気がつけば原稿用紙――学校から拝借している――の端に『佐藤詩織』とだけ書いていたようだ。

何だよ、妙な事を考えているのか僕は。

直ぐにボールペンを放り投げ、その紙をくしゃくしゃに丸めようとした所で、手が止まった。

出来なかった。

……いいさ、裏っ返しにしておけばいい。

どうせ最後には棄てるんだからな。

なんて事を考えていると、僕は朝食すら食べていないどころか着替えてすらいないのにも関わらず。

 

 

「おっはろーん!」

 

そいつはノックもせずに僕の部屋のドアをぶち壊さんとする勢いで叩き開けた。

見た目だけで言えば地味オブ地味子なのにどうして行動力はあるのだろうか。

違うな、僕の部屋なんかに来る時点で行動力は皆無だろう。

佐藤詩織は寝間着姿で机に座る僕を見て。

 

 

「朝から他にする事はないの?」

 

「それを今まさにしようと考えていたところを僕は君に邪魔されたんだが」

 

「『勉強をしなさい』って親に言われた時にやる気が無くなるあれね」

 

「君の例えは僕には理解し難いらしい」

 

白黒灰色で格子柄のワンピースとメリヤス生地のグレーカラーミニコートを羽織っているそいつ。

髪型は後ろ髪を大きく一本に編み込んだ三つ編みで、本を読むのが下手なのか生まれつきなのか眼鏡をかけている。

"噂をすれば影がさす"とはまさにこの事で、僕の友人佐藤詩織は僕の許可なく部屋に一歩侵入していた。

そもそも母さんは何でこんな奴を家に上げるんだ。

 

 

「僕の方に関して言わせてもらうとだな。君の家に上り込むにしてもまず玄関から、だ」

 

「当り前じゃない。わたしだってそうしてるし、他に選択肢があるの?」

 

「要するに僕は君の部屋へ勝手にズカズカと立ち入ったりなんかはしていないだろう。つまりそういう事だ」

 

日本人なんだから僕の一言で察してくれるのがスタンダードなのだ。

こんな事を彼女に期待する時点で間違っているし、僕も期待しちゃいなかったさ。

彼女にとっては二軒隣の家に行って来るなんて事は自宅から出ている気分にさえならないのだろう。

いい迷惑だ……。

ん。"いい"迷惑なんて表現では僕がこの現状を良しとしているみたいではないか。

少なくとも善しとも好しとも考えちゃいないはずなんだが。

 

 

「それはそうとカイザー君さあ」

 

「……いい加減僕は"皇帝"だとかその辺の名称で呼ばれるのがうんざりしつつあるんだが」

 

「どう呼ぼうがわたしの勝手じゃなかった?」

 

「訂正だ。そして原因は間違いなく君のせいだ。せめて別の呼び方にしてくれないか」

 

「ふふ。わたしの勝ちね」

 

誰の何に勝ったと言うんだ。

自分との戦いがしたいのならシルベスタ・スタローン主演の【ロッキー】でも観ていろ。

僕はしっかり最後まで観た事なんてないが、トレーニングの光景はまさに自分との戦いでしかなかった。

卵ジョッキを一気飲みする気概など佐藤にはないだろうがな。

 

 

「じゃあユッキー。さっきあたしに電話かけなかった?」

 

「何故朝も早々に僕が君に電話する必要があるんだ」

 

"ユッキー"ね……単純すぎるあだ名だな。

それはさておき朝電だと?

僕が、君相手にか? 

何を言っているんだ。心当たりがまるでないね。

兄さんとは通話したが、それもあちらからかかって来ただけ。

僕の方から発信した覚えなどない。

そんな事はそこら辺に居るようなカップルでさえ中々しないだろうよ。

精々がメールでやり取りしているに違いない。

僕に言わせれば無駄でしかないけど。

といった僕の胸中などいざ知らずの佐藤はむむむと呟きながら。

 

 

「おっかしい。確実にユッキーの声だったのよ。それも、イラズラ電話だったんだから」

 

「言いがかりはよせ。適当な因縁をふっかけるな」

 

「間違い電話だとか言いながらわたしの名前は知ってたし、『他人の空似です』とか言っちゃってるし……」

 

「そういう事もあるだろ。さ、出て行け」

 

着替えたいしお腹も減っているからな。

何が楽しいんだろうな、佐藤の日常とやらは。

僕の他に友達なんか幾らでもいるはずだ。

女同士の遊び風景などついぞ僕にはわからないのだろうが、まるで休日に親睦を深める気配がないのはどうなんだ。

どうなんだと言えば彼女の進学先に関してもそうだ。

僕は佐藤詩織がどこへ行くのかを知らない。本人に訊いても教えてくれなかった。

ニート街道まっしぐらではないらしいが彼女こそ勉強している様子は見受けられない。

これで僕も彼女も校内から考えても上位の成績を収めているのだから程度が知れてしまう。

教師側に問題はないだろう。

生徒側が馬鹿なのが問題なのだ。

これでも中の上くらいの高校へ進学したつもりなんだがな……?

とにかく、佐藤が僕に見られないような場所――何も大袈裟な話ではなく普通に自分の部屋――で猛勉強をしているのか。

もしそうでなければそろそろ僕は彼女の両親と相談した方がいいのかもしれない。

 

――何を?

考えるよりも先に私服に着替え終えた僕は、パンの一切れでも頂戴するべく一階へ降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日も無意味に一日が消化されてしまった。

いいや、その元凶は佐藤に他ならない。

僕は一人で机に向かっているだけでも時間を忘れられると言うのに彼女がそれを邪魔する。

げに恐ろしきは人間の慣れであり、僕もイラッとこそすれど彼女に手を出そうとなどはしない。

平素から俺が擦れた考えをしているのはわかっているが、仮にも佐藤詩織は女性だ。

男性が女性に暴力を振るうなど、ゲスのすることだ。

僕はクズかもしれないが、他の要素を自分に付加させようといった右肩下がりの向上心など持ち合わせていない。

やがて、秋の夕日が訪れたのだった。

 

 

「そろそろ帰ったらどうだ」

 

結局今に至るまで僕も彼女も明日の事などは一切言及していない。

と言うか毎年何をかしている訳ではない。

違うな、今まで特別僕が彼女の誕生日など祝ってやった例などないではないか。

兄さんは何を考えて覚えていなくてもいい事を覚えてまで僕に連絡を寄越したんだ。

そんな余裕があるのならこっちに帰って来いよ。

 

 

「う、うん……」

 

何故か彼女はしおらしかった。

腰かけていた僕のベッドから立ち上がり。

 

 

「じゃあ、また明日ね」

 

ありふれた普通の一言であった。

また明日に彼女が来る必要なんてどこにもない。

だと言うのに僕はその台詞を聞き慣れていた。

そして彼女の表情も見慣れていたからこそ僕はどうにかしちまったんだろうな。

 

 

「待て」

 

「……何――」

 

本当に僕はどうにかなっちまっていたのさ。

ドアに手をかけて、こちらを窺った一瞬の表情。

佐藤は切なさや悲しさを顔に描いたかのような表情をしていた。

僕は彼女のそんな表情"二度と"見たくはなかったんだ。

初めて見たはずなんだけどな。

気が付いたら机から立ち上がり、一瞬の内に彼女の左手――右手はドアに手をかけている――を掴み、彼女の身体を引き寄せ、ついには抱きしめてしまっていた。

身長差故に彼女の頭が僕の胸に来るような形となった。

 

――ああ、ちくしょう。

何やってんだ僕は。

一瞬の内にどうにか正気に戻る事が出来た。

ぱっと拘束を解放したのだが、離れない。

 

 

「……お前」

 

「……」

 

佐藤の方が今度は抱き付いてきているのだ。

これは不幸中の幸いなのか、彼女の胸囲は特別発達していない。

辛うじてCあるのかどうかである。

だからこそ変な感触に関してはどうにかそこまで意識せずに済んだ。

 

 

「……どういう、つもりなの」

 

額を僕に押し付けながら彼女は言葉を発した。

さて、何と僕は切り返せばいいのだろうか。

きっとコンビニ強盗なんかであえなく御用となった犯人の気持ちと僕は同じだ。

『つい、魔がさしてやってしまいました』などという計画性将来性その他一切を排除している馬鹿丸出しの発言。

衝動が僕を盲目にしていたのだ。

とにかく考えるのをやめていたらしい。

矛盾している。考えるのは脳であり、感情の発達もそこに由来している。

衝動とは意識的ないし無意識的な精神の爆発に起因する刺激であり、感情が必要とされるはずだ。

現実として数十秒前の僕はそうだったのだ。

"心"なんて曖昧なもの、存在しないのさ。

虚構でしかない。

その位置にあるのはただの臓器。心臓。

あるわけないだろ。

 

――この時、もし他に発すべき台詞が僕にあったのだとしたら。

是非ともタイムマシンでこの瞬間に戻って当時の僕に教えてほしい。

そう思ってしまうぐらいに情けない己の語彙力の無さ。

これではまともな話など書けるわけがない。

否定ばかりじゃないか。

いつだって僕はそうだった。

この世界の方が僕を否定しにかかって来ているとさえ思えた。

 

 

『――僕は僕だ。他人がどうあろうが知ったこっちゃない』

 

『わたしもそうだ、って言うの!?』

 

今年の春先の光景がフラッシュバックした。

僕はこの時に戻れたとしても、きっと同じ事を彼女に言うのだろう。

だが、僕は彼女そのものさえ否定してしまうのだろうか。

投げやりに一言。

 

 

「どうもこうもないさ」

 

ない、確かになかったが、それとは別にある。

"つもり"がなかっただけなんだからな。

 

 

「理由なんてない。ただ……君のそんな顔が見たくなかっただけなんだ」

 

「……何よ」

 

「いや。違う。訂正させてくれ。今の発言は忘れてしまっていい」

 

「何なのよ」

 

わかった。

どうやら僕はある種の精神病を発病してしまっているらしい。

そうじゃないと今日一日の僕の異変に説明がつかない。

どこか世界に対して肯定的であったり、創作活動に集中できなかったり。

その原因は言うまでもなく彼女だ。

だが、単に邪魔をされたからではない。

僕の部屋で見る必要がないアニメの観賞であったり、唐突に話しかけてきたり。

そういうことじゃあないんだ。

ああ、わかったんだよ。

折角だからそのまま言ってやる。

 

 

「どうもこうもないまでに、僕は君に心を乱されているらしい」

 

「……意味わかんない」

 

「実は、さっきからずっとそうなんだ。前に君は僕に訊ねたじゃあないか」

 

僕がいつも何を考えているのか、と。

わざわざグーパンチまで飛ばしやがって。

さっきわかったんだ。

 

 

「僕は、君のことばかり考えていたらしい」

 

「……嘘」

 

「嘘じゃあない。おかげで今日は何も書けなかった。君の顔だとか、声だとか、仕草だとか、そんな事ばかり思い浮かぶんだからな」

 

「だから、何だって言うのよ」

 

心を乱されるからには、それに立ち向かう必要がある。

心を決めなければならない。

残酷な二元論に支配されたこの取るに足らない世界。

僕の視界からは色さえ消え失せていた。

だが、今日ではない。

今日は違ったんだ。

決めるのは君でも世界でもない。

僕が決めるんだ。

 

 

「……詩織。僕は君が好きらしい」

 

「……らしい」

 

「訂正。僕は君が好きだ。それもどうやら昨日今日の話ではなく、ずっと好きだった」

 

「……」

 

「君を傍で愛しく感じたいと思ったからこそ衝動的な奇行を起こしてしまい今に至る訳だ」

 

それだけだ。

僕が言えることなんて他にないさ。

今まで何かを選ぼうだとか、そんな事は考えちゃいなかったんだからな。

もう充分さ。

ここが限界。

どうぞ僕の事を嫌いになるといい。

男と女が友人として付き合っていくなど到底不可能なのさ。

僕も満足しただろ? それじゃあな。

 

 

「遅いよ」

 

情けない事に何が遅かったのかはわからなかった。

だが、これだけは僕にもわかった。

どうやら彼女は、僕の事を嫌いではないらしい。

 

 

 

――それだけは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったあ。大丈夫そうですね」

 

確かに僕も同感だよ。

あの二人はもう大丈夫さ。

死ぬのだって明日じゃあない。

ずっともっと後の事だ。

 

 

「何でわかるんですか?」

 

『どこの世界の住民も、誰も見た事のないものがある』

 

それは優しさであり、甘さでもある。

もし眼に見えるのなら誰もが口々にそれを「欲しい!」と声を大にして叫ぶはずだ。

だから世界から隠してしまったのさ。

悪戯好きのふざけた神様(プログラマ)が。

そうは簡単に手に入らないようにね。

 

 

『何故ならそっちの方が楽しいじゃあないか』

 

「あたしを責めているのなら謝ります」

 

『違うさ。ボクが悪くないのと同じく、君もハルにゃんも悪くない』

 

だけど、いつかは見つけられてしまう。

本来の持ち主に貸していたものを返すかの如く。

長い長い遠廻りを帳消しにするかの如く。

運命だとかじゃないんだ。

もっとも素晴らしい"奇跡"なのさ。

 

 

『そういうふうに、できている』

 

「……そう言ってくれてありがとう」

 

『何言ってるんだ』

 

僕が一番気になっているのはね。

 

 

『どうして君までついて来たんだ』

 

「てへっ」

 

『ボク一人で充分な仕事だったよ』

 

「いいじゃないですか。あたしの責任なんだから」

 

責任を感じているのならもう少し申し訳なさそうにしてくれないかな?

浅野さんの家の外。

もう少しで世界は暗闇に包まれる。

だが、暗黒の時代ではない。

人類には光がある。

たった一晩、夜の繰り返しぐらいはなんて事ない。

 

 

『とか何とかいったモノローグでボクは誤魔化されないよ』

 

「もう。深く考えないで下さいよ。明智先輩にそっくりですね」

 

『君は浅く考えすぎじゃあないのか? 涼宮ハルヒを置いて、能力である君だけが来たのか』

 

「それも大丈夫ですよ。あたしはほんの一部だけですから」

 

そこまでしてこっちの世界を見たかったのか。

悪いけど僕は他人がいい雰囲気なのを見るのが好きでも何でもない。

感情がないはずの僕にしては可笑しな話。

それも明智黎から学んだ。

 

 

「朝倉先輩が居るじゃないですか」

 

『彼女は彼のものさ。それに、ボクはやがて必要とされなくなる。消える運命なんだ……君と同じようにね』

 

「意地悪」

 

『ワルで結構。ボクはボクの味方だ』

 

「明智先輩のパクリですよ? それ」

 

正確には浅野さんの方だけどね。

とにかく。

 

 

『一緒に帰ろう。ボクらにはまだ、やるべき事が残っている』

 

「……はい」

 

さっさと戻ってあげたい気持ちもあるんだけどね?

いやはや、なかなか難しいんだよそれも。

行きはよいよいでも帰りが面倒。

 

 

『標識でもあればいいのにね。虱潰しにあたるしかないよ』

 

「あたしは楽しみかな。だって、色んなものを見て回れる、またとない良い機会じゃないですか!」

 

『声が大きいって』

 

それに。

 

 

『ボクと一緒で楽しいのか?』

 

君が好きなのは彼なんじゃないの。

もとは涼宮ハルヒなんだからさ。

 

 

「……はぁ」

 

溜息をつかれてしまった。

お前は何にもわかってないと言いたげな顔をしている。

僕もそんな表情は明智黎を通して見続けて来た。

だけど、今その表情が僕に対して向けられるのは何でだろうか?

北高の制服姿、ふんわりしたショートヘアの左側には"スマイリーフェイス"の髪留め。

けれど彼女は笑顔どころか悩ましい顔で。

 

 

「どうしてあたしがあなたについて来たと思ってるんですか……まったく……」

 

とか何とかぶつぶつ呟いている。

やっぱり僕には人間を完璧に理解するのは難しいらしい。

この帰り道で少しは何かが掴めればいいんだけどね。

 

 

「本当にそうなってくれるといいですね」

 

はいはい。

それじゃ、行かなくっちゃあな。

ここにもう用は無いんだから。

 

 

『ヤスミ』

 

「はいっ!」

 

――ほら、君には笑顔が一番似合っている。

 

 

 

 

 

 

『異世界人こと僕氏の驚天動地』

 

――おわり。

 

 


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