放課後、いつも通りの文芸部室での事となる。
度々キョンに言われている事ではあるが、涼宮さんが何かを思いつく度に。
『俺は聞いていないぞ』
と文句を言い彼女はそれに対して。
『あんたには伝え忘れてたわね』
みたいに返すのがお決まりになっている。
ここまでがテンプレートなのである。
キョンに限らず俺だってそうだ。
いや、涼宮さん以外の団員の殆どが何をするかみたいな話なんてあらかじめめ聞いていないだろう。
自分の頭の中で思いついたらそれが実現されるものだとばかり考えているのだ。
最近ではそれなりな常識を俺たちに見せつけてはいるものの、本質はそう簡単にかわらない。
――変わりたい、と思う気持ちは自殺なのさ。
彼女がキョンの後ろの座席じゃなければ少しは変わったのだろうか。
俺の後ろの座席が朝倉さんである事で何があったわけではないが。
とにかく、この日もいつも通りに涼宮さんは遅い。遅すぎた。
トータルで言えば部室には六人だけが集まっている時間の方が長い気がする。
そろそろメイド以外に着替えさせられそうな時期に差し掛かっている朝比奈さん。
彼女はそう言えば、と思い出したかのように。
「鶴屋さん、親戚の方々にあたしたちが大うけだったって喜んでました」
「はあ。俺としては何とも言えなかったんですが……それなら良しとします」
「僕の知り合いの手品師に伝授していただいたスプーン曲げ。我ながら中々の出来栄えだったと思うのですが、いかかでしたか?」
「……」
俺たちにそれを訊ねられても困る。
お前さんよりも長門さんのリフティングの方が凄かったと思うね。
そう言えば、流石に花見の時は長門さんも私服だった。
やや夏を先取りしている感がある服装だったけど彼女らに気候はそこまで関係ないらしいからいいのか。
彼女のリフティングは俺たちが黙っていたら機械の如く何日も続けていただろう。
百二十を超えた頃に流石にもういいと朝倉さんがお達しを下した。
最後にボールを打ち上げると、頭でぽーんと弾いて彼女のかくし芸は終わった。
どちらかと言えば体育会系的な事ばかり披露していた気がする。
朝比奈さんの言葉通りに鶴屋家の方々にうけていたとしても、それは俺たちが芸人集団だと勘違いされているのだろう。
一発芸でもかくし芸でもなく、ただのお笑い芸ではないか。
キョンはお茶を飲みながら。
「面倒なもんだな……ん、明日も学校がある」
「去年だってそうだったろ」
「どうせなら全部休ませればいいものを」
四、五日休みがあれば祖父母の方にも充分顔を出せると言うものだろうに。
怠ける事しか考えていないのかこの男は。
キョンの日常に勉強が含まれていない事だけは確かなんだろうな。
「俺みたいな暇人にはありがたくもあるが、それでも休む時とそうじゃない時のメリハリは付けるべきだ」
「オレたちにそれを愚痴るのか?」
「特に明智や谷口みたいな祝日だろうと予定を埋められるような野郎相手には声を大にして言いたい」
「自己責任だろ」
「俺だけじゃなくて去年の自分自身にも明智は同じ事が言えるのか?」
それを言われたら去年の今頃など俺は朝倉さんとロクに会話していない。
目立つ事を承知でSOS団に入ったのも彼女から変に干渉されたくなかったからだ。
だのに何故朝倉さんまでついてきたんだ。
多少の無茶な要求はまだいいにせよ、簡単に追い詰められるとは甘かった。
学校内では俺に関与しない事を条件として含めるべきだったのだ。
でもそれじゃあ朝倉さんフラグが立たない事になってしまうではないか。
いや、俺は別に彼女にただ死んでほしくなかっただけで他意はなかったし。
……考えるだけ時間の無駄か。
「知るかよ。オレは都合の悪い事は忘れるようにしているんだ。今があるのは確かに過去の積み重ねだけど、それを切り崩していく必要はない」
「お前もお前で自分勝手な奴だな」
「自分の主張を他人に押し付けないだけオレは優しいと思うんだけど」
古泉と長門さんはアテにならないし、朝比奈さんをキョンにぶつけるのは可哀そうだ。
情けないがここは朝倉さんに助け船を出して頂きたい。
「そうね……私からすればどっちもどっちよ」
「マジすか朝倉センセー」
「マジよ。自分が良ければいいのはあなたもキョン君も同じじゃない」
「……おい、俺まで自己中心的者呼ばわりされる必要があるのか」
そうは言うがお前はもう少し日頃の感謝を表現するべきではなかろうか。
キョンは自分が持つ素直になれない素直さを受け入れてくれる人間を求めているらしい。
だから変な女の子が好みとか言われたりするんじゃあないか?
俺が思うに涼宮さんも佐々木さんも素直じゃないという一点において同じなのさ。
国木田だって言ってたはずだ、似たもの同士なのに好き合っている云々と。
涼宮さんと佐々木さんは得意分野が屁理屈なのか理屈なのか。
二人の女性にあるのはただそれだけの差なのだ。
結果としてキョンは屁理屈の方を選んだんだから多少の理不尽は受け入れるべきである。
――俺か?
朝倉さんは色々な要素が入り乱れているお方だから表現が難しいよ。
理屈とか屁理屈とかの問題ではなかろう。
そもそものスタートラインが感情が存在しないって所だぞ。
攻略も何も方法が無いでしょ。文句があるなら挑戦してみろ。
結果として俺は何もしないのが正解だったんだからね。
間違いなく男としては最悪の方針だったに違いない。
それでも、何度も言うように俺は妥協したくなかったんだ。
いくら俺が涼宮さんだったり他の勢力だったりに流される事に慣れていたとしても、だ。
「オレは自分を受け入れる努力をしている。一昔前はさておき、今はそうだ」
「ここのメンツによる俺の評価は今更どうでもいいが、俺は明智のせいで変なごたごたに巻き込まれるのだけは遠慮願いたいね」
「まるで前にやられた事があるみたいに言うんだな?」
「十二月の一件はお前にも責任の一端があるんだろ。気にするほどでもないが事実として言っておかねばならん」
執念深いのか何なのか。
俺はお前があの場に居たのが驚きではあったんだよ。
長門さんは居てくれた方がありがたかったし、朝比奈さん(大)は原作で登場していた。
古泉ら『機関』がアテになるかは別としてもキョンよりは物理的に時間稼ぎくらいは出来るだろう。
――"ジョン・スミス"。
あの場に居たキョンが出来る事は切り札を切る事だけだ。
最悪の場合、あいつにそれを使わせる気だったのだろうか。
まさか長門さんがそんな事を仕組むのか?
可能性としては朝比奈さん(大)の方がそれを考えていたんじゃないのか。
何故ならば、原作でキョンを七月七日に飛ばしたのは朝比奈さんだからだ。
朝比奈さんと朝比奈さん(大)では大分立場も異なっているだろう。
今の彼女なんか殆ど事件の蚊帳の外で、仮に巻き込まれたとしても自分が何を成すべきかを理解していない。
藤原と彼女の関係性を解釈したら、やはり未来は分岐して存在している事になるのか。
今日この時まででさえ、俺が別の事を思考しているパターンが存在していたのだ。
こうなると朝比奈さん(大)を素直に信用していいかが怪しくなってくる。
今俺たちと苦楽を共にしている朝比奈さんがそのまま成長したのがイコール彼女なのか?
……いずれ、わかる事なのだろう。
「わかったよ。オレはキョンに一方的な迷惑をかけない。その代わり、お互いに協力はしようよ。キョンとオレだけじゃあない。ここに居る、全員で」
俺の心が曇った時はぶん殴ってくれて構わない。
もしかすると、このメンバは決裂してしまうかもしれない。
未来人も情報統合思念体も『機関』も勢力間での利害関係でしか結びついていない。
古泉、お前さんは勘違いしている。
かつて俺に勢力の中心人物に居るのが三人だと言ったな?
そんな少数なわけあるか。増えていくに決まってるだろ。
朝倉さんが四人目だが高々四人で俺たちは満足しないからな。
組織、損得、保身、しがらみ。
どうして部活にまでそんなもんを持ち込むんだ。
曲がりなりにも俺たちは高校生なんだよ。
「同盟関係ってヤツさ。かく言うオレの主君は朝倉さんだけど」
「情けないわね。明智の名に恥じないように下剋上とか成り上がろうとかってのは無いのかしら?」
「やった結果として物凄く嫌な気分になってしまいましたからね……ええ……」
「さっさと水に流しなさい」
やらないで後悔するよりやってから後悔した方がいい理論は万能ツールじゃないのさ。
何だかんだ対等な関係にはなれたけど俺の根底にあったのは君への憧れだ。
多少のこう、負い目は感じてしまうさ。
気にしないでくれるのはありがたいんだけどね。
「とにかく、みんなはどうだ? これから先も"してやられる"事は多かれ少なかれあるだろうさ。だのにわざわざ敵を増やすリスクを冒す必要があるのか。今までは暗黙の了解になっていたけど、ここいらで一旦宣言しておくべきだと思ってね」
俺が言うのもどうかと思うけど。
別に誰が言い出しても俺の考えは変わらないさ。
言葉に意味はない。だが、約束なら別だ。
約束は前提からして一人じゃ出来ないようになっているんだ。
――詩織。君のおかげだ。
独り善がりじゃ駄目なのさ。
部室のみんなを見渡してみると。
「いいでしょう。僕もそろそろ頃合いだとは感じていましたが、先だって佐々木さんの取り巻きや異世界人が引き起こした騒動の後処理に追われていたところ失念していましたよ。申し訳ありませんでした」
これでいつもの仮面のような笑みを浮かべていたらマジに帰ってもらいたかった。
俺だって少しばかりは人を見る目に自信があるんだ。
心底から古泉は、俺たちに向けてメッセージを伝えようとしてくれている。
年相応の無邪気な笑みでもって。
「紛れもなく我々『機関』は涼宮さんのための組織だ。以前お話しした通り、それだけなんですよ。自ら戦いを仕掛けるためでも、脅威に立ち向かうためでもありません。そのような事など僕は望んでおりませんよ。当然、涼宮さんもね」
「お前、前に一度だけ裏切るとか言ってくれたな。結局古泉は誰の味方なんだ? ハルヒの味方なら必要ないと思うぜ。あいつだっていつまでも子供じゃないんだ。俺も、お前も、言い出しっぺの明智だってそうだ」
「……今は涼宮さんの味方を続けさせてもらいます。ですが、独り立ちしなければならないのが涼宮さんの方ではなく我々なのだと言う事は理解しています。そういった意味で"一度だけ"と僕は言ったのですよ。後の事は何一つ考えてません」
誰かを信じるのは難しいが、お前さんの覚悟だけは信じさせてもらうさ。
するとおどおどした様子で朝比奈さんが。
「えぇっと……その……あたしは本当に駄目な人間なんです。命令された事の意味もわからず、それが終了しても自分が正しかったのかどうかがわからないんです……みんなみたいに敵さんをやっつけたりだとか、そういうの全然出来ないんです」
「朝比奈さん……」
いつもならキョンは過保護な奴だと思うが、今回に関しては例外だ。
今にもこの時代から消えてしまいかねないような儚さが彼女にはあった。
だけど、俺は知っている。
「あたしに出来る事と言えば、みんなを応援する事だけ……。だからあたしは、みんなの仲が悪くなるのは……嫌……です……」
こういった時に便利なのさ。
気の利いた言葉って奴は。
ここは俺に任せてくれよ、キョン。
「大丈夫ですよ。オレもキョンも、朝比奈さんのお茶が楽しみなんですよ。他のみんなも朝比奈さんが嫌いだと思えませんね」
「はっ。当然だろ」
「……」
「個人的ではありますが、僕は朝比奈さんを傷つけたくはありません。他の皆さんもそうです。僕の身勝手でそうはなってほしくないものだ」
「私は明智君に合わせてコーヒーを飲んでいるけど、あなたの淹れるお茶の方が好きよ」
そうだったのか。
何だか申し訳ない気分だ。
もっと美味しいコーヒーを用意する、なんて話は後でいい。
殆ど答えは出てるじゃないか。
「誰も朝比奈さんに戦場に立てとは言わないはずです。もしそう命令されたら教えて下さい。オレが時間の壁でも何でも超えて、上の連中を説教しに行きますよ」
「明智くん……みんな……ぐすんっ」
女性の泣き顔に見とれるのは不謹慎だけど、こういう時ばかりは許してくれ。
悪い涙じゃないのさ。
――後は君だけだ。
さっさと済ませようよ。
涼宮さんが来る前にね。
「長門さん」
俺の呼びかけと共に彼女が読んでいたハードカバーは閉じられた。
それ、良い本だよ。
何度読んでも本当に笑えるからね。
【比類なきジーヴス】は。
別に彼女がこちらを向いたところで眼鏡がギラリと光るわけでもない。
無表情でも、何も変化はなくても、目に見えないもんなんだ。
理解ってのはね。
「わたしは与えられた任務を遂行するだけ」
ああ。
「消耗品。天蓋領域との交信も代役が後を引き継いだ。ここに居る端末がわたしてある必要性は左程高くない」
わかっているさ。
「仮にわたしが情報統合思念体に必要とされなくなる時が来るのであれば」
みなまで言うな。
ここに居る連中はお人よしなんだ。
俺なんか偽善すら独善の内に含んでいるんだよ。
善行の定義すら無茶苦茶だ。
それを導いてくれたのが涼宮さんなのさ。
「……その時はわたしを必要としてくれる存在を探すだけ。他の任務を与えられるまで待機する」
だから任務じゃないよ。
キョン、ばしっと言えよ。
「俺の決意表明はどうなったんだ」
「最初から要らないって」
「どいつもこいつも……盛り上がってるくせによ……」
お前だってそうだろ。盛り上がってるのさ。
普段笑わないくせに笑顔だからね。
俺だってきっとそうなんだろう。
うっすらとしているが、朝倉さんだってそうだ。
吸い込んだ息を全部吐き出すかのようにキョンは。
「長門。お前は俺たちにとってはな、今までずっと必要とされ続けてたんだよ。要らないだとか要るだとか、それを決めれるのはハルヒでもない。お前だけだ」
「……」
「もういいだろ。自分から爆弾持ち込むような奴は明智ぐらいだ」
最後の最後で俺を悪者扱いしないでくれよ。
それも、悪くないけどさ。
こうして終わってくれれば本当に良かった。
朝倉さんといつも通り昼休みは甘い時間を過ごしたし、団長不在で団員は結束力を強固なものとした。
俺は別に目立ちたかったわけじゃないけど、なんだか俺のおかげオーラを出す事が出来た。
逆襲のシャアの時のブライト艦長になった気分だよ。
だからこそ、本物の指導者いや暴君には敵わない事を思い知らされるのだ。
「――お待たせ!」
そろそろドアの立てつけに影響が出ても可笑しくないのではないだろうか。
ことあるごとに涼宮さんの手で部室の扉は痛めつけられている。
彼女は随分とお待たせした事など意に介さず。
「さ、始めるわよ」
と言い出して早速ホワイトボードを引っ張り出し。
「みんな注目! これから新年度第三回のミーティングを始めます!」
「……」
「ゴールデンウィーク、充分休んだわよね?」
また何か思いついたのだろうか。
キョンは聴き洩らしてなるものかと険しい表情をしている。
彼ほどではないが俺だって多少は身構える。
これからみなさんに殺し合いをしろとか言われたくないぞ。
だいたいゴールデンウィークは前半が終了したばかりだ。
休みはまだ残っている。
そんな事も気にせず、ズバズバ水性ペンで書きこんだその文字。
ホワイトボードが本当に白いのかも俺はわからなくなった。
「市民マラソンに出るわよ!」
「マラソンだと」
「そ。連休と言えばマラソンじゃない」
そんな話聞いたことが無い。
確かにテレビでうっとおしく中継はされているけど。
こちらの有無を言わさず彼女は宣言した。
ああ、やる気なんだよ。
「天下のSOS団、その団員が怠けて生活するなんて……団長のあたしが許さないんだから!」
こうして始まってしまうのだ。
俺が遭遇した出来事の中でもトップクラスに死を覚悟した事件。
"デッドマンズカーブ"の話がね。