異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第九十七話

 

グラウンドの隅っこにある体育用具倉庫には鍵がかかっていなかった。

てっきり俺は職員室辺りまで乗り込む必要があると踏んでいたばかりに驚く。

だが、この宮野秀策はその状態を嘲笑うかのようにあるいはそれが当然だと言わんばかりに。

 

 

「どうしたのかね? 不思議な顔をしおって」

 

倉庫の中へ侵入する。

あっさりとラインカーおよび石灰補充のための袋を確保した。

とりあえず一安心だって?

そんなわけあるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレに何を描けって?」

 

アニメの笹の葉回は観たが地上絵の造形など覚えていない。

覚えていたとしても再現する事なんてほぼほぼ無理と言える。

涼宮ハルヒとジョン・スミスだからこそ出来た事だ。

異世界人認定されたりなんかしている事もある原作キョンだが、俺も彼と一緒だとは思えない。

もっと言うとそろそろやばい。

確実に、じわりじわりと死体の群れが押し寄せてくる。

ゾンビの恐ろしさってのは増えるところにあるんだろうな。

肝心の宮野秀策は。

 

 

「吸血鬼のマガイモノならば相対した過去があるが、屍生人との邂逅など初めてでな。私にも勝手がわからん」

 

「あんたの経歴はどうでもいいから題材を教えてくれ」

 

「……"ハチドリ"、と言われてキミにはピンと来ないかね?」

 

俺の今思いついたそれであってるかどうかはわからないけど。

地上絵でハチドリと言えばあれしかない。

誰もが一度は目にした事があるはずの超有名な地上絵。

"ナスカの地上絵"の一つだ。

 

 

「これまたどぎついオーダーじゃあないか。無理だ」

 

「何、キミが好きなように思い描けばよいのだ。ただし小さくては駄目だぞ。最低でも50メートルは縦横共に確保せねばならんからな」

 

「じゃあ適当に描くからな」

 

そうして俺は必死にラインカーを押して走る。

呼吸こそ整えられても体力が戻るわけではない。

アップアップになるのは直ぐだろうさ。

それでもどうにか身体にムチを入れて走らせる。

 

 

「早くしたまえ! 校門の突破も時間の問題だな!」

 

何を楽しそうに言っているのか。

申し訳程度の防火壁として校門は鉄製の門を閉じ、押された程度では開かないように鍵をかけた。

とは言え他にも侵入経路などある上に、門と言っても壁の役割までは果たしてくれない。

やがて迂回もするだろう。壊されることはないだろうが、追い詰められるのは時間の問題だった。

 

 

「はぁ、くぅ、……おらっ!」

 

何とか鳥の体裁を保とうとしている俺の地上絵作成は石灰を補充する必要なく完成した。

車輪が錆びついているポンコツラインカーを蹴飛ばす気力も湧かない。

で、これじゃ駄目なのかよ。

俺は自分の地上絵の全体像をグラウンドからは窺い知れないがハチドリよかアヒルみたいな出来だと思う。

涼宮さんほどではないがこんなものが描かれていたら騒ぎになるのは間違いない。

騒ぐような生者はこの場に俺ともう一人しか居ないが。

 

 

「待ちたまえ。今、始めよう」

 

宮野秀策はそんな事を言い出すと石階段の上でじっと地上絵を見つめ始めた。

すると、俺の足元の白線上を急に暗い光としか形容できないブラックライトが顕在し始める。

そしてそれは歩くような速度で絵に沿うような感じでグラウンドを這う。

もしかしなくても地上絵の白線全てを発光させる必要があるのか?

冗談じゃない。 

既にグラウンドに何体も侵入されている。

これからどんどん増えていくぞ。

 

 

「遊撃はキミに任せよう!」

 

「ふざけんじゃねえぞ!」

 

「私に同じ事を二度言わせるつもりかね!」

 

や、野郎。

確かにいつでも真剣だとか言ってたな。

なら今度会う事があれば覚えておけよ。

俺は少なくともこの恨みを忘れはしないからな。

姿勢をしっかり垂直にし、足を肩幅に。

すぅぅとゆっくり息を吐きながら腰の位置に置いていた両手の拳をゆっくりと上に持って行く。

腹筋に力を入れ、体内に残された微かな空気さえ排出するように力強く吐き出す。

 

 

「カー………ガ、ガ…」

 

そして息を大きく、自分が吸える限界まで一呼吸の内に吸い込む。

すぉぉぉおおと空気が歯にあたるような呼吸音。

持ち上げた両手は交差しており顔の高さまで上げている。

最後に吸い込みを終えると同時に、全身に力を籠め、一気に息を吐き出しながら両手を下していく。

 

 

――コォォーーーッ

 

呼吸を無理矢理整えた。

極真空手の"伊吹"なる呼吸法である。

とりあえずあがいてみようじゃないの。

近づいて来る夏らしいラフな格好をした男ゾンビを蹴り飛ばす。

多対一でシステマを活用出来るほど俺は達人ではない。

そもそもが防御の技術なのだ。

こういう場合はがむしゃらに攻めた方が効果的で、これがベストだった。

 

 

「はあっ、しっ!」

 

手当たり次第に獲物に接近していき、なるべく一撃で刈り取るように心がける。

頭、もしくはどてっ腹を吹き飛ばす。

返り血なんかは今更気にしない事にした。

あっちに戻ってから考えればいいんだよそんな事は。

 

 

 

――やれるもんならやってみろ。

俺は最初から目の前の存在どもを人間として判断してはいない。

倫理、道徳、背徳、邪魔する要素は一切なかった。

今度こそ俺は機械と化していた。

殴る、蹴る、の攻撃は戦闘技術が伴った行為などではなく、ただの暴力。

機械の行動は自らの状態など関係ない。

意思が存在しない。

披露する事はあれど、実行する限りにおいて疲労は意識しない。

今か今かと、その時が来るまでインファイトを断続的に行っていく。

しかし、俺が始末する速度よりも連中がやってくる速度の方が消化の割合的に早いらしい。

この街の住人全員が生ける屍と化したと言うのか。

次第に一撃必殺の精度さえ落ちていく。

気が付いた時には俺の背後にも居たらしい。

どうやら、仕留め損なった奴が俺に復讐しに来たんだろう。

残念とも思わない。

ただ、ここまで――。

 

 

「今すぐ伏せたまえ!」

 

そんな宮野秀策の叫び声に、どうにか反応する事が出来た俺はしゃがみ込む。

すると何かが俺の頭上を通過したらしい。

俺を囲もうとしていたゾンビは右方向へと吹き飛ばされていった。

その様子を確認した疲労困憊の俺は後ろの詐欺師に向かって。

 

 

「はぁ……はっ……な、が……万全じゃあ……ないだ……」

 

「ふむ。キミの言いたいことは察しがつくぞ。私の秘力についてであろう。元々後衛向きの能力なのを度外視しても、この世界において私は本来の実力を発揮できない。今のとて時間稼ぎ程度の威力しか持たん」

 

「……で……後…なに、すんだ」

 

「ついて来たまえ」

 

そう言った宮野秀策はグラウンドの地上絵まで先導していく。

やがてブラックライトをまたぎ、絵の中にまで入ると。

 

 

「ちょうどこの場が鳥の胴体部分にあたるのだが……まあ、見ておれ」

 

すると彼はその場にしゃがみ込んで、地面に右手を付けた。

彼の右手からもブラックライトが発生しているらしく、異様な光景だ。

ともすれば俺がロッカールームから何かを取り出す時の動作と似ている。

そして。

 

 

「――輝く御名の下、地を這う穢れし魂に裁きの光を雨と降らせん、安息に眠りたまえ……」

 

なんて中二病チックな事を呟いたかと思えば、勢いよく右腕を地面から離す。

まるで何かを引き抜いたかのように腕は水平に構え、手には確かに何かが握られていた。

波打つように歪曲した、刃幅が10センチほどありそうなサーベル。

どう見ても"刃物"と認定できる代物だ。

宮野秀策は立ち上がり、そのサーベルを物珍しく眺めながら。

 

 

「随分とお待たせしてしまったな」

 

「……何だ、それ。……変な形をしているだけの、サーベルじゃあないか。刃渡りだって40センチあるのか?」

 

「有象無象のためだけに私は難儀していたわけではないぞ」

 

難儀したのはこっちの方だ。

いいから、それで何をするのか説明してくれ。

まさか俺が空間を切って終わりとは行かないだろう。

 

 

「説明しよう。これはかの高名な"聖(サン)・ジョルジュ"がドラゴン退治の際に振るったとされる聖剣……ということになっている。真実なのかかどうかは知らんが」

 

「セント・ジョージはただの殉教者じゃあないか。ドラゴン退治だって創作だ」

 

「キミがそれを確かめたのかね? 自らの五感、いや第六感を総動員させてみたと言えるのだろうか」

 

「その刃物よりも、あんたのどこが真剣なのかが疑わしいね」

 

"アスカロン"だか何だか知らないが精々が巨大ナイフ程度の役割しか果たせそうにない。

たかが武器一つのためだけに俺は死ぬ気で働かされたのか?

やってられない。

 

 

「なに、そう言うでない。やっとキミの能力の出番なのだからな。このような状況であれば周囲の目など気にする必要もなかろう。安心して振るいたまえ」

 

「オレについて何をどこまで、とは今更気にしないが……連中を切ったところでキリがない」

 

「ギリギリ不正解だ。キミには確かに切ってもらう必要があるのだが、それは奴らでも、この空間でもない」

 

「……何だよ…?」

 

「本当は自分が一番わかっておろう」

 

徹頭徹尾あんたは無茶しか言わないのか。

一、二分もしないうちにまた囲まれてしまう。

早く教えろ。

 

 

「自分を切れ」

 

……何。

 

 

「どういう事だ、説明しろ」

 

「実の所我々は実体を伴っていない。精神体だけが時空の狭間に取り残されている状態でな。この世界とのパスを切れば戻れるのだよ」

 

またその手のパターンか。

他人に憑依しておいてほいほい出て行けるもんなのか?

その辺どうなんだよ、昨今の業界事情は。

周囲を見渡すと四方八方から押し寄せて来ている。

宮野秀策は俺に押し付けるようにサーベルを突き出すと。

 

 

「間に合わなくなっても知らんぞ」

 

「オレを切れだって? あんたはどうするつもりだ」

 

「案ずるでないぞ。別に、アレらを倒してしまってもかまわんのだろう?」

 

残念だがそれは死亡フラグだ。

俺に何一つまともな情報を与えずに退場するつもりなのか。

信用も信頼も出来そうにないが、さっきは彼に窮地を救われた。

見殺しにはしたくない。

俺の様子に首を振りながら。

 

 

「……まだまだ弟子は弟子と言う事か。私を失望させないでくれ」

 

得体の知れないゴツい刃物で切腹だと?

俺は明智であって織田じゃないんだ。

馬鹿馬鹿しい、ああ馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい。

もういい。

どの道ここで奴らに食われて死ぬなら先に死んでやる。

宮野秀策からサーベルをぶん取り、左手で逆手に持つ。

 

 

「先に地獄で待ってるからな……」

 

「また会おうではないか」

 

「ちくしょう」

 

そして俺は勇ましく叫びながらサーベルを自分の胸に突き立てる。

瞬間、鋭い痛みをゆっくり味わう羽目になり意識も次第に薄れていく。

何とか自分の胸をちらりと見る事が出来たが、血は流れていない。

嘘だろ。

 

 

「我々の能力は肉体ではなく精神に宿るのだ。そのプロセスは常に精神に起因し、キミの能力である"真相を――」

 

まるで自分が風化していくような感覚。

下半身からそれはやって来る。

ふっ。

そうだな。

原作の朝倉さんもきっと、似たような感覚だったんだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肩を掴まれているのか。

とにかく身体が揺さぶられている。

 

 

「――おい、君、大丈夫か!?」

 

しゃがれた男性の声。

聴き覚えはない。

徐々に意識を覚醒させ、瞼を開ける。

すると、俺の右側には。

 

 

「う、うわぁっ!?」

 

見覚えのあるジャージのじいさん。

キャップを被り首にはタオルをかけている。

俺が始末したはずの人だ……生きていたのか?

彼は俺の様子を見て。

 

 

「落ち着かんか。どれ、この指が何本に見える?」

 

「……二本、です」

 

「わしは何歳に見えるかの?」

 

「……六十歳かどうかですかね」

 

「かっか! まだまだ頑張るもんじゃのう。わしは今年で七十四じゃ」

 

それは驚きだ。

筋骨隆々ではないものの、ひょろひょろでもない。

顔のシミこそ年齢を感じさせるがシワだらけではなかった。

ボケているとしたら俺ではなく彼のほうだろうが、その心配もないらしい。

視線をぐるりと周囲に向けるとどうやらバス停だった。

倒れた周防を俺が運んだあの場所だ。

今度は俺が待合席に寝かしつけられる羽目になったってわけか。

 

 

「ど真ん中で倒れている君を発見した時はたまげたぞい。慌ててここまで運んだが、直ぐに起きてくれて一安心じゃの」

 

「じいさん一人でオレを?」

 

「昔から、鍛えておるからの」

 

顔こそ似ても似つかなかったが俺の死んだ祖父さんを思い出した。

ま、何はともあれ戻って来たわけだ。

どう見てもこのじいさんはゾンビ面をしていないし、気温もさっきよりは暑くない。

まさに五月といった穏やかな空気が流れているのだろう。

よっと、木製の待合席から立ち上がる。

その様子に驚いて。

 

 

「平気かの? 棄権して病院に行った方がいいと思うのじゃが」

 

「ご心配なく。連休で遊び疲れてただけみたいです。ゆっくり歩いて行きますから……どうぞお先に行ってください。ストレッチでもして、少し落ち着く事にします」

 

「そうか。じゃあわしは行くが……本当に大丈夫か?」

 

「もしもの時はまた誰かのお世話になりますよ」

 

「遠慮だけでなく無理もせんようにな」

 

そう言うと彼は立ち上がり、バス停に一人取り残された。

さて、屈伸から始めるか……。

 

 

 

――その後、汗を額に浮かべながらのろのろ峠を上っていく朝比奈さんと合流した。

バス停はマラソンのルートから外れているのでじいさんにとってもタイムロスだったろう。

とはいえ健康目的でやっているに違いない。

キョンも朝比奈さんにべったりついていないあたりは人間が出来ている。

自分との戦いに慣れ合いなんて不要だ。

俺が近くに居る事に気付いた朝比奈さんは。

 

 

「あれ? こっちは行きの車線ですよ、明智くん」

 

「正直なところ今日は体調がそこまで優れてなかったんで、小休止を何度も入れていたんですよ」

 

「へえ……あたしが言うのもなんですけど無理はしないで下さいね」

 

「善処します」

 

その後、やや駆け足の俺に対し散歩の朝比奈さんは次第に距離が空いていき折り返し地点に付く頃には彼女の姿は見受けられなかった。

対向車線に走路を変更して折り返す。朝比奈さんとすれ違ったのはそれから三分後の出来事になる。

どうにかこうにか俺がゴール地点に辿り着いた頃には一時間も三十分が見えようかというタイム。

朝比奈さんはラストスパートで全力疾走したおかげだろうか。

ビリではあったものの参列者一同から拍手喝采を一身に受けていた。

必死になるという事は平和的な場に限り素晴らしい事なのだとしみじみ思うね。

そして、有意義かどうかも怪しかった俺のマラソンは終了した。

 

 

「あなたはどこで美味しい道草を食っていたのかしら?」

 

表彰式とは名ばかりの拍手のかけあいが終了し、俺たちはファミレスに直行する事となった。

時刻は現在十二時四十六分。

お腹がペコちゃんな時間帯である。

 

 

「後で話すさ……」

 

「何かあったの?」

 

「オレにもよくわかんないよ」

 

前方は涼宮さんをはじめとする五人が練り歩いている。

大会を終えたばかりだと言うのにも関わらず、涼宮さんの後ろ姿は熱意が感じられた。

まるで、このまま終わってなるものかと言わんばかりにね。

 

 

「それに、言ったはずさ。オレの分まで走ってくれって」

 

「ええ」

 

彼女はいつになく満足そうな笑みを浮かべている。

賞状やら商品――SOS団ご用達の商店街で使える金券――は郵送されるらしい。

二日三日もすれば届くだろうさ。

何を隠そう、今回優勝したのは朝倉さんだったのだから。

 

 


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