仮に運命が存在するとして、それはどういうものなのだろうか。
俺の考えとしてのそれはシナリオだとか既定事項だとかではない。
ずっともっと単純な話で要するに逆らえない何かだ。
どうもこうもない。
受け入れるだけしかないのだから。
例を挙げよう。
日本人として生まれたからにはほぼ全てと言える子どもが素晴らしい水準の生活を送る事が可能だ。
何も蛇口を捻れば水が出るのを当たり前だと思うな、と良環境について有り触れた説教をしたいわけではない。
単純に先天性の問題だ。
義務教育なんてまさに運命じみている。
一定期間ごく普通に小中学生として生きていく事を強いられるのだ。
誰もそれに逆らおうとはしない。
だが、稀有な存在ではあるものの逆らう奴が居ないわけではない。
生まれついての正義も生まれついての邪悪も本質は同じだ。
命令されてもいないのにも関わらず勝手に運命に立ち向かおうとする。
そのベクトルの差だけでしかない。
反対側に立てば正も悪も反対になってしまう。
だから正義の反対は別の正義なのさ。
――そもそもの話。
何故俺が情報統合思念体を倒さねばならないのかというとやはり涼宮ハルヒが関係していた。
新始動したSOS団の第一回目の活動である脱走したシャミセンの確保に始まり色々あった二年生だ。
激動と形容されるに恥じぬ出来事ばかりだったよ。
夏期冬期合宿、修学旅行、普段の部室でも相談事という体の事件解決の依頼が定期的にやって来た。
ああ、生徒会をどうにか屈服させようと涼宮さんが躍起になった事もあったっけ。
だけどそれは、別の話なんだ。
残念ながらまたの機会にさせて頂けないだろうか。
俺がこれからする話……あえて避けてきた一年生時の七夕の話だ。
七月というともう夏としか言いようのない暑さと湿気により不快指数がうなぎ上りになる季節だ。
俺なんか草野球大会に出た六月の段階で苦しさを味わっていたのだから当然七月も同様である。
放課後の部室に居てもそれは変わるはずがなく、なのにクールな様子の古泉が腹立たしかった。
チェス・プロブレムなんぞに興じている俺の右斜め前のトッポイ野郎に向かって。
「お前さんは暑さを感じない秘策でもあるのか?」
俺の左隣の席をわが物顔で占領している朝倉さんよりも古泉の方が宇宙人に思える。
ともすればこいつはテオドラントとオードトワレを間違えてふっかけてるんじゃなかろうか。
それくらい爽やか青少年を演じていた。
古泉も何やら考えた様子を見せたが結局は。
「気の持ちようですよ。ただ座っていて暑さを感じたとしてもそれを不快に思わなければよいだけですから」
「お前さんが汗をかくのかさえ俺には怪しく思えてきたんだけど」
いくら朝比奈さんが淹れたお茶が美味しいとはいえ古泉みたいにぐびぐび飲もうとはしない。
飲まずにはいられないというのか?
窓辺で読書している長門さんが涼しそうなのは構わんさ。
というかSOS団で暑さ云々を騒いでいるのは俺とキョンぐらいかもしれない。
申し訳程度に部室の隅っこには扇風機が稼働しているが効果はお察しだ。
調達したのは他の備品同様に涼宮さんらしいが、流石の彼女もクーラーは用意出来ないのだろうか。
「僕だって運動すれば汗をかきますよ。普段はいたって普通の男子高校生ですので」
「お前さんで普通なら全国の男子高校生に謝るべきじゃあないかな」
「以前申し上げた通り、僕の役割は替えが利くものなのですよ。生きていれば偶然の一つや二つはあります」
「ふっ。偶然ね」
だとしたら朝倉さんの行動は偶然のものだと信じたい。
そして涼宮さんの行動は偶然で片付けてしまうには無茶なものばかりだ。
免罪符にしたいのならもう少しマシなのを用意するんだな。
すると、ドアがノックされた後にキョンが入って来た。
夏仕様メイド服姿の朝比奈さんは笑顔で。
「こんにちはぁ、キョンくん」
「朝比奈さん、こんにちは。……全員揃っているみたいだな」
涼宮さんは居ないけどね。
もっとも彼女が重役出勤しない方が珍しいのはこの二ヶ月の期間で充分理解出来た。
俺が思うにキョンは涼宮さんの奇行にこそ文句を言うが涼宮さんそのものに対してはそこまで苦言を呈さない。
何か言ったとしても小馬鹿にしているような感じだ。
よって俺は彼を小馬鹿にするとしよう。
「キョン……大丈夫か?」
「どうした急に」
「いや、これは余計な心配だが、そろそろ考査が近いだろ」
「……こんな所に来てまで言われるとは思わなかったんだが」
「それだけ期待されているって事さ」
「勝手にしてろ」
ぶっきらぼうにそう言うと古泉の横に怠そうな表情で座る。
しかしながら彼も一応の心配はしているらしく英語のテキストを鞄から取り出して、置いて、開いた。
それから十数分は経過したが一向に作業している様子は見られない。
こいつの方向性が決定的なものとなった瞬間である。
怠けている上に朝比奈さんを見つめ始めた馬鹿野郎に対して何か言おうと思ったその時。
「はいはい! ごっめんねぇ、遅くってさぁ!」
謝る気概が見受けられないくらいの声と笑顔でもって涼宮さんがようやく到着した。
俺と朝倉さんが部室に入ってから三十分以上は確実に経過しているが気にしない。
気にするだけ何かが改善される訳がないからである。
だが、今回ばかりは一応遅れた理由なるものが存在していた。
彼女の方にはそれはそれは立派な竹が担がれている。
笹の葉だって当然付いている。
――七月七日。
この日は確かに七夕だった。
キョンはこれから過去に飛ばされてなんやかんやしなければいけないのだろうが、どうせ俺には関係ない。
関係ないのだからこれまた気にしない事にする。
やがて、七夕と言うぐらいだからごく自然の成り行きで願い事を短冊に書けと命令された。
しかも二十五年後と十六年後に叶うためにと来たもんだ。
ベガとアルタイル云々やら特殊相対性理論云々を言ったところで叶う保証がない。
常識を外れた結果として涼宮さんの常識は地球外の常識だとしか思えないね。
ただ、古泉は涼宮さんの肩を持つような発言をした。
「常識外れに見られるかもしてませんが、そうとも限りませんよ」
彼が言うには本当に頭の中がお花畑ならば世界の方も常識を保ててはいないはずらしい。
逆説的な捻くれた考え方だし、何より涼宮ハルヒ=神的図式をそのまま述べているだけではないか。
『機関』の連中がどういう規模かは知らないが基本方針は涼宮さんのためなんだとか。
団長を名乗るだけあって我こそは頂点也と考えはするだろうが、それこそお前たちにヨイショされる必要があるのおか。
常識外れなのはこっちもなんだよ。
そうさ、俺はこの時はまだ事態を真剣に考えてはいなかった。
偽UMAとの戦いはこの後なわけで俺の意識はぬるま湯に浸かっていた状態。
朝倉さんの事なんて何とも思っていなかったんだ。
「……常識、ね」
そして全員が短冊を掻き終わった。
俺の短冊は十六年後が『幸せな生活』で二十五年後が『社長になる』だ。
何の社長になるのかさえ書いていないが、夢ってのは漠然としているぐらいが丁度いいんだよ。
朝倉さんは『成功しますように』と『笑って過ごせますように』のどちらが先でも変わらなさそうな内容だ。
正体はさておき彼女はいい意味でクラスの人気者である。
「朝倉さん、それ充分達成出来ているんじゃあないのか?」
「まだまだよ」
と言うかその内容が本音とはとても思えない。
いかにも優等生がいい人ぶって書きましたオーラが感じられる。
まあ文句を言おうが何を言おうがしょせん戯言でしかない。
くくりつけられた短冊どもも可愛いもんだ。
涼宮さんは憂鬱な表情で。
「後十六年先かあ……」
見通しが甘かったとしか言いようがない。
この時の涼宮さんの願いは原作通り十六年後に『世界があたしを中心に回るようにせよ』だ。
もしかしなくても、これは世界征服だろ?
そうさ。歪んだ願いだ。
何が言いたいかは渡橋ヤスミが教えてくれた。
翌年四月。
α世界、午後六時に呼び出された文芸部室。
そこでヤスミがキョンと俺に語った内容はまさに驚天動地であった。
「明智先輩がこの世界にやって来たのは間違いなく涼宮先輩のおかげです」
「そりゃこいつは異世界人だからな」
「でも、本来とは違う形で呼ばれてしまったんです。浅野さんだけが来る予定だった」
どういう事だろうか。
あるべき流れが存在していたのか?
だとすれば、それは原作の話なんじゃあないのか。
ヤスミは申し訳なさそうな表情で。
「先輩たちもよく御存じだと思いますが、涼宮ハルヒには願望を実現する能力があります」
「おかげ様で面倒に巻き込まれちまっているがな」
「問題はその能力ではなくて、願望なんです」
「確かにハルヒは破天荒な事しか望まないがそれを問題視するのは今更だ」
「本当にそう言えるんですか?」
俺には何となくだが察しがついてしまった。
能力は間違いなく彼女の願望を叶えるに違いない。
そこではなく、願望の方に問題がある。
つまり。
「涼宮先輩の願いは歪んでいます。だから今まで先輩たちは色んな事件に巻き込まれてきたんです」
「お前は……何をどこまで知っている……」
「……あたしが話せるのは事実だけですから」
歪んでいるだって?
涼宮さんが、その願いが、歪んでいる。
俺は閉じていた口を開けて。
「渡橋さん。……その事実とオレの立場が、どう関係するのかな」
「涼宮ハルヒが能力を発現したその瞬間から彼女の精神は荒廃していました。当然ですよね。世界を何度も壊そうとした」
「結論から言ってくれ」
「事故、です」
事故。
手違いで迷惑をかけたとかさっき言ってた気がするけど、まさか不可抗力とか言うのか。
それでも俺を異世界人として召喚する事は決まっていたはずだ。
俺の精神が歪んでいるのは残念な事に元来そういう性質だからでね。
「色々なものを歪めてしまいました。その中の大きな一つが、情報統合思念体です」
「何……?」
「一番熱心に彼女を監視していました。自律進化を求めて。だけど涼宮ハルヒの生命にはやがて終わりが訪れる」
それでジリ貧のままチャンスを無駄にしたくないから急進派なんて存在が出てくるわけだ。
これ自体は過激的でこそあれど歪んではいない……。
キョンはすっかり黙ってしまっている。
俺だって何の事かはさっぱりだ。
情報統合思念体が気に食わないのは確かだが。
「その内に、七月七日が訪れたんです」
次元の壁を越えて俺と言う精神を引きずり込んだわけだ。
これも願いだ。
「ですがこの時既に情報統合思念体は歪まされていました。涼宮ハルヒの観察だけではなく、自らの手で自律進化の可能性も模索し始めました」
「いい事じゃあないか。迷惑がかからなければそれでいい」
「無限の可能性への追求。"アナザーワン"は、その足掛かりとなるはずでした」
「アナザーワン……? 何でそれを君が」
喜緑さんぐらいしか知らないはずだ。
ヤスミはうっかりといった表情で。
「そう言えば、こっちの明智先輩は自分の能力について知ってませんでしたね。まあ気にしないで下さい」
その後の彼女の説明を要約しよう。
つまりアナザーワンと呼ばれる個体に求められたのはまさしく自律進化の実現。
涼宮ハルヒのエネルギーは次元の壁を越えてしまうほどに強力だ。
情報フレアと言えばショボそうだが、目に見えないビッグバンと同じようなもんらしい。
正真正銘の世界の始まり。
願望を実現する能力そのものを研究する事に意義はそこまでない。
人類が神の次元に到達したという事がとても有意義だった。
――人間を超越した、超越者。
そのプロセスさえ解き明かし我が物と出来たならば情報統合思念体は真の頂点となれる。
いくら長い時間を過ごそうと情報統合思念体も無敵ではない。
原作【涼宮ハルヒの消失】がそれを証明している。
涼宮さんの能力を利用した長門さんにあっさりと消されてしまった。
だからこそ一つずつ涼宮ハルヒに近づく必要があった。
自律進化さえすれば、涼宮ハルヒの能力よりも上に行けるはずだ。
ただの生存本能さ。
アナザーワンは次元の壁を超えるのが作られた目的。
そのためのエネルギーや方程式も涼宮ハルヒの観察から学んでいたのだろう。
「それは叶いませんでした。何故ならば他ならない涼宮ハルヒが邪魔したからです。無意識の内にアナザーワンと明智先輩を引き合わせて」
本当は別の意思が存在するのかもしれない。
俺には涼宮さんの能力に関する真相は不明だ。
だけど、彼女のせいで明智黎に変な同居人が二人もやってきて三人で一人にさせられた。
情報統合思念体からは、自律進化の実現というノウハウが全て消失した。
そしてそれは決して戻る事がない。
情報統合思念体とは巨大なデータベース。
データベースは単純に記録しか出来ないからだ。
不可能ではないが自律進化をするのは困難。
ヤスミは俺に一礼して。
「明智先輩。情報統合思念体さんを、救ってあげて下さい」
おい、おいおいおいおいおい。
やっつけろとか消してしまえなら喜んで引き受けるさ。
救うって何だよ。
自律進化の手助けは俺に出来ないぞ。
出来るのはこれ以上苦しまずに済むように始末するだけなのさ。
もう何も言えないといった様子のキョンは。
「何だかよくわからんが、何故明智がお前にそんな事を任されるんだ」
「先輩たちは今までずっとそうしてきてくれたじゃないですか。涼宮ハルヒの願望の歪みを正す。それがSOS団の使命の一つなんです」
ちくしょう。
"スペアキー"だとかもっともらしい事は何だったんだよ。
涼宮さんが望んだ末に、歪む。
穢れた願望器だなんて有り触れたパターンだ。
そしてその尻拭いをするのが俺たちの役割なのか?
なあ、それって"抑止力"だとかそういう話なんじゃないのか。
――古泉は言っていた。
涼宮さんがいくら望んだところで世界は普通の物理法則を保っていると。
それは彼女が本当は不思議などこの世にないと常識を理解しているからだと言っていた。
本当は違ったんだ。
俺たちが世界が歪む前にそれを修正していたんだ。
去年の閉鎖空間から、今日まで。
「……やっとわかったよ」
朝倉さんは涼宮ハルヒに殺される運命だった。
急進派の暴走? それってつまり情報統合思念体の一部だ。
涼宮さんに歪まされた情報統合思念体は朝倉さんまでも歪ませた。
結果として、必要とされた長門さんだけが残る。
朝倉涼子は涼宮ハルヒにとって不要。
宇宙人は一人で充分。
涼宮ハルヒは歪んでいる。
――以上。
必要な条件は全て出揃ったよ。
だから、二年生の話をこれからしたい。
最初で最後の俺の活躍。
その日は当然七月七日だった。