――夏。
青い空にほどよく照りつける太陽。
そう、夏と言えば。
「海よ!」
海岸線をびしっと指差す水着姿の涼宮さん。
彼女の言うとおり間違いなく俺たちの目の前には海があった。
どうして海に来ているか。決まっている、そこに海があるからさ。
と、真面目に話すなら原作通りの流れで『機関』プロデュースの孤島合宿にやって来た俺たちは、長い船旅を終えるや否や無人島の天然ビーチへと向かったわけだ。
当然、男子も女子も水着に着替えているのであるが。
「言うことなしだ」
砂浜に新川さんから借り受けたゴザを敷き、その近くにビーチパラソルを突き刺してゴザの上に座る。
女子の水着姿はえも言われぬ趣がある。目の保養にしてはこれ以上ないほどだ。
が、俺が注目するのはただ一人、朝倉涼子その人だけ――実際には他の人の水着姿も堪能したけど言わぬが華――である。
前々からグラマラスな体型だとは思っていたけども、いざ脱がれるとここまで凄いとはね。
「これでこそ海の合宿ってもんだ」
涼宮さんに水をかけられまくっている朝比奈さんを見ながらキョンがぼけーっとした顔でそう言った。
同感だね。俺は前もって朝倉さんがどんな水着を着てくるかは聞いていなかったが、グッジョブの一言につきる。
その朝倉さんの水着のデザインはというと、リーフ柄がプリントされたブルーのビキニ、そして花柄のパレオ。
いい、実にいい。だからこそ俺は痛感してしまう。
「何考えているんだかね」
彼女の意図が未だにわからない。朝倉さんは何を考え、何を思っているのだろう。
有り体に言えば俺は朝倉涼子をまるで知らない。だってそうだろ、本や画面を通して見た彼女は驚くほど容易く出番を失ったのだから。
原作の長門さんみたいに人間であろうとしてくれるのか、それすらも俺にはわからない。
ひょんなことから彼女と俺は付き合うことになったわけだがいつまで続くのやら。
「やれやれ、長門はこんなとこでも読書をやめないのか……」
「楽しみ方は人それぞれでしょう。せっかくの機会ですから、どうせならリフレッシュしたいものです」
スイカ柄のビーチボールに息を吹き込み終え、ホワイトニングがかった歯を見せつけながらにこやかに語る古泉。
そしてキョンの言葉通りに長門さんはパラソルの陰で読書している、俺が貸した度の入ったレンズのサングラスをかけながら。
しかし長門さんはべつに視力が悪いわけではないんだよな。原作の流れ通りにいかなかったから未だに彼女は眼鏡っ子なままだけど。
「こらキョン! 早くこっちに来なさい! 古泉くんと明智君もよ!」
既に海に足を入れている涼宮さんが右手をぶんぶん振り回しながら大声でこちらに呼びかけた。
言うまでもなくこの海水浴場にはSOS団サマーツアー御一行様以外に人はいない。
よっていくらでも騒ぎ放題なわけだ。その元気があればだけど。
「長門も行くか?」
「……」
「だよな」
そんなキョンと長門さんのやりとりを尻目に俺は朝倉さんの横に並んで準備体操をすることにした。
決して近くで彼女のナイスバディを見ようと思ったからではない。いや、少しは思ったか。
「水泳なんて初めてだわ」
屈伸運動をしながら朝倉さんがそう言った。ひょっとすると彼女に中学生活はなかったのだろうか。
原作で長門さんが言ってたように三年前から彼女があのマンションに住んでいたのは間違いない。
そこでずっと涼宮さんを観察するだけの日々を送っていたんだろう。などと少しやりきれない思いを感じていると。
「だから明智君が私に教えてくれる? 泳ぎ方を」
「まさか。朝倉さんの方が上手いと思うけど」
長門さんのチートぶりをこれでもかというほどに原作で見せつけられた俺としては、たかが水泳如きで朝倉さんが悪戦苦闘するとは夢にも思えない。
加えると俺の泳ぎのスキルは凡人レベルであり、スイミングスクールに通っていた経歴もない。
強いて言えば昔、兄貴に訓練と称して着衣水泳をみっちりさせられた苦い過去があるぐらいだ。
すると朝倉さんは呆れた様子で。
「そりゃあ泳ぎ方は知ってるわよ。でも、何事も実践ありきって言うじゃない。だからしっかりリードしてちょうだい」
いささか釈然としないが、俺としても断る理由は特にないので大人しく引き受けることとする。
準備体操を終えた俺は朝倉さんを引き連れ海へと入った、はいいがどうすればいいのだろうか。
もちろん俺には水泳インストラクターの経験などない。
「じゃあ私の泳ぎを見てて。それで駄目なとこがあったら指導してほしいな」
と言われたはいいものの、俺の仕事などあろうはずもないことは彼女が泳ぎ始める前からわかりきっていたことだ。
浅瀬で立ちんぼな俺など最初からいなかったかのようにスイスイとクロールしていく朝倉さん。
ちなみに彼女は今、後ろ髪をまとめてポニーテールにしている。俺もポニテ萌えに目覚めるかもしれないな。
せっかく海に入っているのだから俺も泳ぐこととする。自由に遊泳するなど久方ぶりだ。
ただ今、海水浴日和とはまさにこのことだと言わんばかりのいい天気なのだが、これが明日には嵐が来ると思うと少々残念。
そんなことを考えながら暫く適当に泳いでいると、朝倉さんがやってきて。
「もう、ちゃんとこっちを見てなさいよ」
「だけどオレはトーシロだぜ。効率的な身体の動かし方なんてわかんないし」
「頼りないわねえ。そんなんじゃ私を守れっこないわよ?」
過去の己の発言に若干の後悔の念を覚えつつ、俺は陸戦仕様なのだと自分に言い聞かせた。
そもそもが泳がざるを得ない事態などはまず起こらないのだ。だが。
「オーケイ。ならあそこの岩場まで競争だ。泳ぎ方を教えてあげるよ」
腐っても男として生まれたからには意地がある。ナメられていい思いはしない。
かくして俺氏バーサス朝倉さんによるシングル一本水泳対決が始まることとなった。
目的地である岩場までは概算にして百メートル。なかなかの距離だ。
「でも勝者には何か特典があるのかしら。例えば負けた方は勝った方の言う事を聞く、とか」
そういうのは涼宮さんが好きそうなタイプの特典ではないか。俺はあまり興味がない。
ただシンプルに俺はこのお方を打ち負かしたいだけで、勝利してわからせる、それだけが満足感だ。
「朝倉さんはオレに何か命令したいのかい?」
「さあ。勝ってから考えることにするわ」
「やってみなよ」
「もちろん」
舌戦もそこそこに、並んで準備を始める。スタートの合図は単純なスリーカウント方式、誰に頼むでもなく俺たち二人で言うことに。
位置について、三、二、一、スタート。相手のことなど気にする余裕もなく、俺はすぐさまストリームラインを作って泳ぎ始めた。
ここがプールのように壁を蹴って開始する場所であればスピードを落としにくい潜水から入るのがセオリーなのだが、ここは海水浴場の真ん中。
従ってクロール対決になるのは明らかであった。恐らく朝倉さんも四泳法のうちクロールを選択したことだろう。
素人とはいえ今日初めて泳ぐような相手には負けたくない。負けたくないのだが。
「ふふっ、私の勝ちね」
ご覧の有様だ。圧敗。朝倉さんはニコニコ笑顔で海に浸かっている。
「なんでだよ……」
フォーム、キックともに申し分なく出来、それなりにスピードを出せたはずだ。
だのに終わってみれば十メートル以上は差をつけられていたではないか。
人間の仕業とは思えない。
「インチキだ! 何かしたに決まってる」
「往生際が悪いわ。男らしく負けを認めなさいよ」
相手が悪かったとはまさにこのことだ。
ナメていたのはこっちの方だった。
「それで? オレに何を要求するつもりなんだい」
浜辺に戻りつつ朝倉さんに訊ねる。
いささか釈然としないがしょうがない。
「うーん。本当は明智君に聞きたいことがあるんだけど」
目を細めてそう言う彼女。べつに答えられる範囲のことなら構わないし、命をよこせとか言われるよりはよっぽど平和的でありがたいのだが。
「気が向いたらにしておくわ」
いったいいつ朝倉さんの気が向くというのだろうか。
今何か言われるよりもかえって不安なのは明らかだ。
後々に降りかかりかねない何かに若干の恐怖を感じつつ引き続きビーチパラソルを日陰にゴザでくつろいでいると、ずんずかと涼宮さんがこちらにやってきて。
「ねえ、ビーチバレーしましょ」
ビーチバレーね、身体を動かすにはもってこいの遊びだろう。
となればチーム分けをしなければならない。どうしたものか。
「あたしは古泉くんと組むから、明智くんは涼子と組めば二対二よ。どう?」
どうもこうも、朝倉さんが了承するなら俺は構わんさ。
しかし古泉とペアになる辺り、ガチな気がしてならないぞ。
「キョンは『足手まといになりそうだからパス』ですって」
少々腹立たしそうに言う涼宮さん。キョンはきっとこんなとこに来てまで身体を動かすのは面倒だと思ったに違いない。
かくして俺は水泳対決の次はビーチバレー対決をすることとなったのである。
ラインは長門さんが木の棒で砂浜に引いてくれた。仮に消えたとしても左程問題はないだろう、遊びだし。
残念ながらネットはない。いや、『機関』のことだから用意してるのだろうが。
そしてボールはスイカ柄のビーチボールだ。ボールを片手でポンポンさせながら涼宮さんは。
「やるからには手加減無しで来なさい。真剣勝負よ」
本来ビーチボールバレーとビーチバレーは全くの別物だが、涼宮さんはお構いなしのようだ。
当然の如くサーブ権は向こうから。相手コートに立つ古泉が義理のように球速ゆるゆるなアンダーハンドのサービスをくれた。
「はいっ」
それをすぐさま朝倉さんがオーバーハンドで上げた。
一般にビーチバレーはアンダー推奨な規定となっているがこの場では問題ナシ。
ネットがない以上は高かろうが相手に返せればどうでもいいってことだね。
そして俺が落ちてくるボールに合わせて左手を叩きつけた。我ながら完璧なスパイクだった。
ボールは右側のエンドラインギリギリに勢いよく突き刺さらんと飛んでいく。
「せい!」
だが滑り込むように古泉が片手で上に上げた。野郎。
そのボールを涼宮さんが朝倉さんと同じ要領で上げ、すぐさま復帰した古泉がお返しと言わんばかりの一発を返してきた。
俺が放ったのと大差ないスパイクだが、返球はできなかった。ちくしょう。
「かじった程度ではありますが、中学時代はバレーボールをやっていました。といってもビーチボールは今回が初めてですが」
などとにこやかに言いやがる古泉。
どうやらこの中で一番弱いのは俺みたいだ。
「朝倉さん、援護を頼む」
「りょーかい」
それからビーチバレー対決は陽が傾きかけるまで続いた。
終わったころには浜辺のサイドラインはボロボロ、原型を留めていない。
得点のカウントをしていなかったが、タイで丸く納めることとなった。
やりきった表情の涼宮さんは。
「……うん、いい汗かいた。あたしをここまで追い詰めるなんて、流石ね。それじゃそろそろ引き上げましょ。美味しい晩御飯が待ってるわ」
と言ってキョンの妹と砂のお城を作って遊んでいる朝比奈さんのところへ駆けて行った。
二時間近くは動いていたというのにまだあんな体力があるのかと感心していると。
「いやあ、驚かされましたね」
どう見ても驚いているようには見えないスマイルで古泉が寄って来た。
彼の片手には空気を抜かれてしぼんだボールがある。
「同点で涼宮さんが切り上げてくれたこともそうですが、あなたと朝倉さんとの連携には脱帽いたしました」
「わざわざ点数カウントしてたのかよ」
「途中からは明らかに人間離れしたプレーが見られましたからね。僕が粘れたのはバレーにおいて一日の長があったおかげです」
こちらの実感はまったくないのだが。
朝倉さんと涼宮さんが凄かった記憶しかない。
キュアサニーも真っ青な殺人技の応酬であった。
古泉はこともなげに。
「彼女も満足してくれたことでしょう。この調子でお願いしますよ」
「アイ、アイ、サー」
「では僕は片づけがありますので」
手を振ってゴザとビーチパラソルの回収に向かう彼。
そういや明日からは寸劇が始まるわけだ。どうしたもんかね。
「どうもこうもない、か」
しかし人間離れといえばやはり朝倉さんとの水泳対決だ。
対戦するまでもなく実力差はハッキリしていたようだったのか。
例えるなら自由形の金メダリスト相手に競泳水着さえ着たことないコンピュータ研究部かなにかが挑戦するようなもの。
思えば思うほど自分がみじめすぎる。
「……」
などと苦しんでいるといつの間にか長門さんが目の前にぽつんと立っていた。
俺も早いとこ引き上げて着替えたいのだが、何か言いたげな様子だ。
「オレに何か用かな?」
「これ」
ああ、そういやサングラスを彼女には貸していたっけ。
すっと差し出されたそれを俺は受け取る。
長門さんはまばたき一つせずに。
「ありがとう」
「いいや、大したことじゃあないさ」
俺はそう言って、長門さんとすれ違うように先に行こうとした。
すると後ろから。
「……朝倉涼子はインチキのような行為をしていた」
「なんだって?」
思わず振り返る。
長門さんは淡々と。
「水の抵抗をコントロールしていた。とても単純」
言うまでもなく水中での運動は陸上のそれよりも抵抗が大きい。
これは水の粘性と密度が関係するのだが、詳しい話は割愛させていただく。
するとなんだ。最初から勝負が成立してないじゃないか。
「彼女の任務はあなたの観察。いいデータが取れたはず」
「なるほどね……」
まんまとしてやられたってわけだ。少なくとも水中では彼女に勝てない。
とはいえ、仮に俺が全身にオーラを顕在できたところで泳ぎには影響しないだろうが。
あるいは朝倉さんは秘めた俺の何かを考慮してはいるけど、俺が人間レベルなのは間違いないわけで。
「やれやれって感じだね」
さて、次に何か彼女と競う時は不正がないようにとしっかり念押ししなければならないな。
朝倉さんの水着姿が見られたってだけでチャラにしようと思うぐらいに俺は呑気だった。