大は小を兼ねるそうだが、俺はあまりその考えには賛同していない。
というのも世の中ふたを開けてみれば「無駄」だの「冗長」だのと言われてしまう。
結局のところは適材適所、どんなに素晴らしいものだとしても万能かどうかは怪しいといえる。大事なことは大きいか小さいかではなく丁度いいか、なのだ。
さて、そんな話は関係するかどうか微妙だが、事の発端が何だったかと考えても答えが出ないので考えるだけ無駄だろう。
時期的な話をすれば三年生の時の夏に、夏休み前の七月某土曜日にそれは起こった。
早起きに定評のある俺が起床して朝の六時台にすることといえば身体を動かすか本を読むかパソコンをいじるかの三択。
で、只今はパソコンをたちあげブックマークしているニュースサイトを巡回中。
この世界と俺のいた世界とで情勢に差があるか、どうにもチェックしないと落ちつかないのだ。まあ特にこれといって気になることはないのだけども。
そんないつも通りの朝を過ごしていると突然に机の上の携帯電話がヴーンとバイブレーションし始めた。
電話の着信、相手は朝倉さんだ。こんな時間にいったいどうしたというのだろう。
「はい、もしもし――」
『……ぅ、ぅぅ……ひっく……うぇぇ』
一瞬で寝ぼけが吹き飛んだ。
電話越しに聞こえるのは女の人がすすり泣く声、らしい。
『うぇええええええん……ぅぅぅっ』
それも朝倉さんの。
はたして俺は彼女がこんなふうに取り乱して泣いている光景を目にしたことがあったか――いや、ない――のでいまいち携帯から聞こえる声の深刻さが伝わらないのだがともかくこちらが冷静に対応するしかなかろう。
会話文の基本、ワッツアップだ。
「どうしたんだい?」
『あけちくん、わっわたし、わたし……ひっく……うぇぇぇええええん』
会話にならない、電話までかけるほどだから何かを伝えたいらしいがさっぱりだ。
いったいなんだってんだと困り果てていると少し間を置いてから電話の相手が代わった。
『……もしもし』
携帯越しにも無機質さが伝わるトーン、長門さんだ。バックには朝倉さんの泣き声がまだ聞こえている。
『こちらに来て欲しい』
「は、はぁ」
『早急に』
などと言われたものだから通話が終わるなり慌てて"異次元マンション"に飛び込んでいく。
そうしていつものように朝倉さんのいる505号室に到着すると、居間へ出た俺は数秒後あまりの出来事に思考停止するはめになってしまうのだ。
「ぅぅぅ……」
「……」
居間の窓際に立つ無言の長門さん、今日が休日でも制服姿だというのはもはや突っ込みどころでもなんでもない。
しかし泣き声はするものの肝心の朝倉さんの姿が見受けられないなと思っていると。
「ひっく……あけちくぅん、ここよぉ」
声の方を注意深く観察する。そこに確かに"彼女"はいた。
俺は恐る恐るテーブルまで近づいて行き。
「えっ、あ、朝倉さん……朝倉さん……?」
「そうよ……わたしがあちゃくらよぉ……」
なんてこったいフロイト先生、これならあなたも笑えないだろうさ。
当の朝倉さんに何が起こっていたのか。
あろうことか彼女はテディベアのぬいぐるみぐらいの大きさになってテーブルの上に体育座りしていた。
そうだ、俺の視界がバグってなければ今の朝倉さんは文字通り"小さくなっていた"ってことだ。まるでガリバートンネルをくぐってきたかのように。
どう見てもただごとではない、昨日はちゃんと1/1スケールで学校に行ってたはずだぞ、もちろん団活だっていつも通りにやったし。
考えがまとまらぬこちらに対し長門さんは淡々と、
「わたしの手に余る事態。だからあなたを呼んだ」
その視線はどこか困惑の色が混じっているようにも見受けられた。
なるほどこれは長門さんでも対応に困るというもの、だが俺とてどうにもできない。まさか朝早くに呼び出された原因がメルモちゃんよろしく小人化した俺の彼女だとは。
だいたいこういうのはハンタではなくジョジョの領分だろうに。
とりあえずは本人に話を聞いてみることにしよう。
「朝倉さん、なんでそんなにちいさくなったか心当たりはあるかい?」
「あるわけないわぁ……」
それもそうだわな。原因がわかってれば取り乱してもいないだろうし。
続けて長門さんの方を窺ってみるもゆっくりと首を横に振られた。ジーザス。
ううむ、これが宇宙人式ドッキリなら間違いなく大成功だ、だからネタバラシするのは今のうちにしてくれよ。
というか朝倉さんが普段着ている寝巻きまでいっしょに小さくなっているぞ、どうなってるんだ。
犯人は不明、と前置きしてから長門さんは。
「朝倉涼子の身体構成情報になんらかの障害が発生したと思われる」
「エラーやバグの類じゃあないのか?」
「わからない、外的要因による可能性も否定できない。すなわち攻撃」
攻撃だと。
「……そんな」
たまらず俺の脳裏にフラッシュバックするとある一枚画、今となっては思い出したくもない映像。
『いつかまた、私みたいな急進派が来るかもしれないわ、それまで涼宮さんとお幸せに。じゃあね――』
清々しささえ感じさせるほどに爽やかな笑顔の朝倉さん。
だが敗北者である彼女の身体は下半身からじわじわと砂のような粒子と化し風に溶けていく。
アニメで見た時はそこまで嫌じゃなかったけど、あの創作物が現実のものになっていいわけがない。
「あ、朝倉さんは大丈夫なのか……!」
慌てて思わず長門さんに詰め寄ってしまうも彼女はいつものように落ち着き払った様子で。
「この現象は朝倉涼子の身体情報が書き換わっただけ。他に実害はない」
「じ、じゃあ」
「特に問題はない」
えっ。だそうですよ朝倉さん。
再び彼女の方を窺ってみるも。
「し、知ってるわよぉ……それくらい……」
だったらどうして泣いているのやら。
「だって、だってぇ」
「ん?」
朝倉さんはすぅぅっと息を大きく吸い込んでから吐き出すように、
「こんな姿じゃわたしお嫁に行けないわ!」
なんともまあ、聞いたこっちが泣きたくなるような理由を明かしてくれた。俺はただ朝倉さんがいてくれさえすればいいというのに。
とりあえずぐずっている朝倉さんの頭を撫でて落ち着かせよう。うん、小さくなっても綺麗でサラサラないい髪だ。
で、長門さんの分析するところによると、
「あまりにも稚拙な犯行、合理的な攻撃手法とは考えにくい」
しかも朝倉さん相手に。攻撃だとすれば十中八九不意打ちだろう、だのに危害は加えないとはこれ如何に。
と、いうか。
「長門さんの情報操作でどうにかできないのかな?」
元々朝倉さんはバックアップ、長門さんとは姉妹関係的なものだと思うのだけど。
「技術的に困難。朝倉涼子のパーソナルデータを直接参照する権限はわたしに与えられていない、そして現在は本人でさえフィールドの操作権が剥奪、すなわちロックされている。それもとても強固に」
ふむふむ。だから困っている、と。
原作のように長門さんが朝倉さんを崩壊因子でもって攻撃するにあたって情報統合思念体に許可をとっていた、つまり勝手な真似はできないと。
バックアップとはいえ自由に朝倉さんをどうこうできたら長門さんも余計な手傷を負わなかっただろうしね。まあ当然といえば当然か。
現状では朝倉さんの縮小化の他に影響はないらしい。とはいえこのまま放っておくと最終的に何があるかもわからないので早く解決したいところだ。
てっきり騒動として何かあるとすれば涼宮さん絡みだと思っていただけにこういうのは本当に思いがけないな。
誰の攻撃にせよ涼宮さんに頼めば改変で一発だろうが、
「どうしたものかな」
あいにくとそうもいかないのが辛いところだ。
いくらこちらの事情を知ってもらっているとはいえ涼宮さんの能力が世界にとって劇物であることには変わりない。
なんでも彼女は"触れ得ざる者"として各組織間で協定を結んで刺激しないようにしてるのだとか。要するに涼宮さんに頼るのは最終手段だ。
じゃあ俺の力でどうにかできないかといえばこれまた微妙なラインで、これは確信に近いものをもって言えるが朝倉さんが受けた攻撃だけを"切って"排除するなんて器用な芸当はできそうにない、残念だが。
とはいえ早急に解決したいところだ。このままだと朝倉さんは学校に行くことさえままならないのだから。
でもなんというか非常事態に不謹慎だけどちっこいサイズの朝倉さんも、
「うぅぅぅ……」
か、かわいい。とても。
俺の普段あるか怪しい保護欲をこれでもかと刺激されてしまう。
こういうぬいぐるみがあったら絶対に欲しい、抱いて寝る、ぜひとも『機関』あたりで製品化してくれないだろうか。
プチ朝倉さんの頭を撫で続けとりあえず落ち着かせることに成功した俺は一旦帰宅し、時間を改めて分譲マンションへ来ることにした。
というのも俺の両親は異次元マンションが俺の部屋と朝倉さんの部屋で直通していることを知らない――親父や母さんにこのことを言ったら何をどういじられるか、考えただけで気がめいる――ので、外靴も履かずに何時間もいなくなったままなのはマズいからだ。
家に戻った俺は朝食もとらずに母さんへ出かけてくる旨を伝えるとすぐさま再び分譲マンションへと向かった。
今度はきっちりエントランスから訪問、テンキーを操作しオートロックを解除、エントランスからエレベータに乗り込み5Fをプッシュ、五階に到着するなり505号室へ駆けドアホンを押した。
――ガチャリ。
「……」
言うまでもなくドアを開けてくれたのは長門さんだ、あのサイズの朝倉さんでは行動さえままならないのは想像に難くない。
玄関から居間へと上がり込むとソファのクッションの上でふくれっ面をしている朝倉さんが目に入った。
泣き止んだプチ朝倉さんは怒り心頭といった様子でぴょんとソファに立って、
「間違いなくあのデコ助ワカメが一枚噛んでるはずよ」
なるほど、確かに喜緑さんならこんな悪戯もやりかねない。
彼女が騒動の原因となっている前例が何度かあるだけに疑われるのは当然の帰結だね。
しかしながらそうと100%決まったわけでもなかろう。
「現在ルート権限を持っているのは喜緑江美里。解決には彼女の協力を得るのが効率的」
と長門さんが補足。
まあどうにも今回は宇宙人絡みっぽいし朝倉さんの異常を伝えるという意味でも喜緑さんに話を通す必要はありそうだ。
で、あの人はどこにいるんだろう。休日に某駅前喫茶店でウェイトレスのバイトをしているのは変わらずだが俺は喜緑さんの連絡先を知らない。
俺はプチ朝倉さんを窺うが反応はかんばしいものではない。
「私もよ、基本的にこっちから喜緑江美里に連絡することなんてないもの。それに今はインタフェース間の連絡網なんて破綻しちゃってるわ」
そうなのか?
「あなたのおかげでね」
きっと俺が情報統合思念体というシステムをめちゃくちゃにしてしまった去年の一件について言ってるのだろうが皮肉ではなく褒め言葉として受け取っておくとしよう。「馬鹿」って罵られるよりは気持ちがいい。
そして長門さんも朝倉さん同様に特に喜緑さんに連絡を取る手段は持っていないそうな。
曲がりなりにも喜緑さんは花も恥じらう女子高校生なのだから携帯電話ぐらいはあるはずだが電話番号もアドレスもこちらに知れ渡っていないのだから文明の利器泣かせもいいとこだろう。
「本当は私が自分でどうにかしなきゃいけないのだけどこの姿じゃ満足に動けそうにないわ」
俺は目の前の朝倉さん(ミニ)がバトルを繰り広げる光景を想像する。
エイヤッと掛け声をあげて朝倉さんが標的の身体によじ登ろうと脚に飛びつき必死で噛みつき攻撃を試みる、といったところか。なんとも微笑ましい光景だけど勝ち目があるわけない。
「だから長門さん、わたしの代わりにあの女を捕まえてきてくれないかしら。どうせ今日も喫茶店よ」
捕まえるって、それからどうするつもりなのだろう。
「ふふ……拷問に決まってるじゃない」
楽しそうに言ってからボフッボフッと横のクッションにパンチを浴びせる朝倉さん、心なしかいつも以上に活き活きしていないかい。
で、もし万が一のことがあれば長門さん一人では危ないかもしれない。
「オレも行くよ」
「いい」
もしかしなくても足手まとい認定されちゃってますかね? 俺氏って。
「自分の身は自分で守れるさ」
「そうじゃない」
長門さんは朝倉さんを一瞥して、
「あなたは彼女を頼む」
静かに、そして確かに俺に依頼する。
とはいえ朝倉さんのみならず長門さんも心配なのには変わりない。これで長門さんがプチ化してしまったら――それはそれで見たい気もするが――まさしくミイラ取りがミイラになるってものではなかろうか。
「シグネチャの解析およびそれに対する脆弱性の排除は完了。私に朝倉涼子と同じ攻撃方法は通用しない」
だが何があるかわからないことには変わりない。
「とにかく危険な真似はよしてくれ」
「すぐに戻る」
そう言い残すと長門さんは足早に部屋を後にした。
よしんば喜緑さんが原因でないにしても地球に滞在している宇宙人の中で一番立場が上なのは彼女だ。その情報網でもって何かしらの手がかりは得られるに違いない。
やがて怒りがおさまったのかプチ朝倉さんは浮かない顔をして。
「ということで明智君、申し訳ないけど……」
「べつにいいって普段迷惑かけているのはオレだし」
言ってて情けなくも思えるが如何せん事実なのでしょうがない。
かわいいプチ朝倉さんを写メりたい衝動を抑えながら俺はとりあえずキッチンを借りて朝ごはんを作ることにした。
そういやクマのぬいぐるみが喋る映画があったっけ、とか何とか思っているうちにささっと完成。
ミルク、トーストした食パン、ベーコンスクランブルエッグ、サラダ。
当たり前だが俺の家事スキルなど朝倉さんには到底及ばない――むしろ女子でも勝てる人の方が少なかろう――のである。よって以上だ。
「まったく困ったものだわ」
クッションの上でもちゃもちゃとパンにかじりつくプチ朝倉さん。
なんでか知らないけど昔飼ってたハムスターを思い出してしまう、今の彼女が小動物みたいだからだろうか。
そんなスケールダウンした朝倉さんはいつぞや見た青髪の幼女の面影と重なって見える。幻想だけど。
まあ今更言うまでもないが俺は朝倉さんが好きだ。ああ、大好きだとも。じゃなきゃ俺のやってきたことはなんだっていうんだ。
しかしこんな俺にも『彼女が生きてるだけで俺は満足だ』とか痩せた考えをしていた頃があったのだから内心忸怩たる思いでいっぱいいっぱいだ。結局のところ俺は徹頭徹尾独善者なのだから、自分の好きなようにやるのが自分らしさなんだよ。
これが純然たる愛という感情かどうかというのは未だに疑問符が残るけど、それでも紆余曲折の末にこうして落ち着けたのだから彼女が困った時は俺がどうにかしなければならないだろうさ。
とはいえ、こと日常生活においてやらなければならないことに迫られているわけでもない俺たちは基本的に時間を持て余しがちでなわけで、
「暇ね」
「うん」
朝食を終え食器を片付けると朝倉さんをひざの上に乗せ、ソファーに座りぼーっとしながら長門さんの帰りを待つこと数十分。何もすることがない。
外に出ようにもこの状態の彼女が他人に見られたらどうなるよ、一大事だ、カラムー町だって大騒ぎ。
単に俺が人形愛好家と判断されるだけならまだしも朝倉さんが不思議生物認定される可能性の方が高かろうて。
「明智君。何か面白いものでも見せてちょうだい」
一昔前はこんなことを毎日のように言われていた気がする。もっとも今は朝倉さんもふざけて言ったようで、現にこんなことを最後に耳にしたのはかれこれ一年以上は前のはずだ。
最近はもっぱら外出で暇を潰していたな、避暑兼受験勉強という体裁で図書館に行くなどしているが傍からはいちゃついているように見えるかもしれない。
俺としても多少の人目は気にしたいところだが最早今更感が強い、これまで散々学校でべたべたしてきたという歴史があるだけに。
閑話休題。
とにかく二人で暇な時間をすごしていると不意に朝倉さんが。
「そうよ、あなたも私と同じ大きさになればちょうどいいじゃない!」
ちょっと待ってくれ、どうしたらそんな発想になるんだい。
「だってこのサイズの差は流石にきついもの、色々と」
同感だけど俺としてはやはり元通りになってくれるのが一番だと思う。
そうね、と頷いてから朝倉さんは。
「本当は今すぐにでも元の姿に戻れるかもしれない方法があるわ」
「……なんだって?」
このタイミングでそんな重要なことを話すとはどういうつもりなんだろうか。
で、その方法とは何ぞや。
「簡単よ。私が自分の情報結合を解除してから長門さんに再構成してもらうの」
「つまり……」
「一回私はこの世からきれいさっぱり消えることになるわね」
俺は後悔に近い感情を覚えた。
もっといえばそれは自殺ではないか、聞かなかった方がよかったかもしれない。
我ながら馬鹿馬鹿しい質問だと思うが俺はなるべく落ち着いた調子で、
「それで朝倉さんは無事でいられるのか?」
「さあ? 試したことなんてないもの」
そんなことを聞いて安心できるほど俺はメンタルが強くない。
いつだったか読んだ原作の中で古泉がこんなことを言っていた。
『現在の僕たちはオリジナルではなく異世界にコピーされた存在かもしれません』
意識はそのままに自分は別の存在に変わっていたとしたら。
あるいはその逆、外見はそのままに中身が別人と化したらどうだろうか。
俺には想像もつかない話だがどちらも元の存在と同一とは言えない気がする。
「ええ、そうね。私もそう思うわ」
自分で作ったデータもそれをコピーしたデータも大した差はないのかもしれない、事実として中身の情報には違いはないわけだ。
だが真に大切なことはそんなことではない。
「でも私は長門さんにお願いしたわ、こんなのは嫌だから元に戻してって。でも長門さんったら『嫌だ』って言ったのよ」
俺は長門さんが何故拒否したのか、なんとなくだがわかる。
つまり彼女は朝倉さんの"心"を消したくなかったのだ。否、消してしまうかもしれないという可能性があるぐらいならやらない方がマシだと長門さんは考えた。
魂が宿る、なんて考えは古臭い上に胡散臭いが、まあ心ならまだ説得力があるだろ? どこぞの不幸体質主人公も一巻のラストで口にしてたし、大事なのはどう在るかであってそこから先はおまけみたいなもんさ。
「それに再構築してもらっても変わらないかもしれないし」
だね。下手なリスクは負うもんじゃないさ。
「ねえ明智君。あなたがいた世界のお話に登場する私と長門さんは敵同士だったんでしょ?」
「うん」
「もし私がキョンくんを襲っていたら……長門さんは私を殺してでも止めていたってわけね」
「そうなるね」
「今はどうなのかしら」
「朝倉さんはそんなことをするつもりなのか?」
結論の出ている問答ほど無意味なものもない。
だけど楽しいんだ。
「さあ。でもその時は長門さんより先にあなたが止めてほしいな」
「善処するよ」
確約しないのは俺に自信がないからではない、今の長門さんなら武力でねじ伏せる以外の方法でどうにかして朝倉さんを止めてみせるはずだからだ。
ともすればSOS団なんてものは友情ごっこなのかもしれない、だが俺はそんなものとっくの昔のことだと信じている。
何より俺が出る幕なんてもんはあっちゃいけないのさ。異世界人が出る幕などという外道なものは。
さて、その後のことを少しばかり語ろう。
朝倉さんといっしょに部屋の掃除をしているとお昼前には長門さんは帰って来た、ウェイトレス姿の喜緑さんを引き連れてだ。
喜緑さんは俺に抱っこされながら窓ふきをしていたプチ朝倉さんを見て特に驚いた様子もなく一言。
「おじゃまします」
どう見てもアルバイト中だった恰好だけど単にここに来るだけならもうちょっと早く来られたのではなかろうか。
「シフト的に最低でも11時まではわたしが入ってなきゃ駄目だったんです」
遅れてすみません、と頭を下げて丁寧に謝罪する喜緑さん。
されてるこちらが申し訳なく思えるほど一見すれば彼女は単なる人畜無害な麗しき女子高生。
もっともそんな風に今も考えているのはキョンぐらいだろう、そしてもちろん朝倉さんにとってこんな謝罪はネズミのくそほどの意味もなく、
「こっちは一大事なのよ。あなた仮にもインターフェースアドミニストレータなんだからこちらの応答には素早く対応してほしいんだけど」
小さな体躯もなんのその、マジに噛みつかんとする勢いで喜緑さんの前に躍り出た。
対する喜緑さんはいつも通りのひょうひょうとした様子だ。
「朝倉さんの言い分はごもっともです、ですが権利ばかり主張するのは感心しませんね」
「……ふん、長門さんから話は聞いてるのよね? さっさと私を元の状態に戻して頂戴。あなたなら出来るはずよ」
了承しました、と一言添えてから一拍。喜緑さんはうにゃうにゃと口元を高速で動かし宇宙言語を詠唱。
すると昼間でも眼を覆いたくなるような強烈な閃光が迸り、光が収まると朝倉さんはいつも通りの朝倉涼子になられていた。
少女変身モノのネタとして元の姿に戻れば全裸、ということが往々にしてあるのは今更言うまでもないことだがそこは宇宙人クオリティ、ぬかりない、しっかり朝倉さんは私服姿だ。
まったく、はぁ、とため息をつくよりも早く――瞬間。否、刹那――フルスケール朝倉さんが俺に飛びついてきた。
「一日ぶりの私はどうかしら?」
やっぱりデフォルトが一番って感じかな、どんな格好でも素材がいいから悪くはないんだけどね。
「ふふっ、よくわかってるじゃない」
まあね。なんだかんだ年単位の付き合いだし。
「長門さん、あの二人って部室でもあんな感じなんですか?」
「……」
喜緑さんの質問は全員にスルーされた、答える必要がないからだ。
そんなことより朝倉さんがちいさくなってしまった原因の方が大事ではなかろうか。
俺がその旨を述べると喜緑さんはあっけらかんとした様子で、
「わかりません」
と一言。
喜緑さんでもわからない、どういうことなのか。
「何者かによる攻撃なのかもしれませんしはたまた未知のマルファンクションかもしれません。いずれにせよ要調査というわけですね」
だったら早いとこ原因を特定していただきたい。事あるごとに朝倉さんがプチ化してしまっては日常生活さえままならないだろうし、もし学校でそんなことになったらマズいぞ。
まあかくなる上は涼宮さんに頼るさ。嫌々だけどね。
その時はご一報ください、こちらでも何かわかれば連絡しますので、と言い残し喜緑さんは部屋を後に。で、この日について他に語ることはもうない。ようやくいつもの休日が戻ってきたのだ。
そしてこの朝倉さんプチ化現象からひと月近くが経過。
夏休み真っ只中の今日に至るわけであるが、
「……ふぁああ」
俺はというと夏休みらしく怠惰な時間を自室で過ごしている。
何故か、理由は俺が現在抱きかかえている物体に起因するのだ。
プチ朝倉さんをモチーフにしたデフォルメぬいぐるみ、名付けて"あちゃくらさん"。いつまでもモフモフしていたくなりそうな愛くるしいこの人形は完全オーダーメイド、『機関』が手掛けた世界に一つしかない逸品。
最近では寝るときはもっぱらあちゃくらさんと一緒さ。
おかげさまで二度寝はしない主義かつ早起きな俺でも布団滞在時間が日に日に増しているのだからその効果は筆舌に尽くしがたい。今ではすっかりベッドの中では手放せないね。
そしてあちゃくらさんの存在は俺と発注を依頼した古泉、そして制作したごく少数の方々にしか知られていない。というのも使用し終わったらその都度"ロッカールーム"にしまっているからだ。
高校生にもなってぬいぐるなんて女々しい野郎としか思われないだろうしね。
むふふふふ、それにしてもあちゃくらさんはかわいいなあ。癒される。心のオアシスだ。
さて、まだ八時前だけど早めの昼寝でもしようか。
カーテンをしゃっと閉め切りベッドの中へイン、おやすみなさい。
「ふーん……そういうことだったのね」
へ?
どこからともなく声が聞こえたと思えば、次の瞬間にはぬっと伸びた手が俺がもっていたあちゃくらさん人形を奪い取る。
「最近やけにうちに来るのが遅いと思ってたけど、まさか明智君が惰眠を貪ってるなんて」
その犯人が誰かってのは言うまでもない本物の朝倉さんだ。
気が付けば俺の寝るベッドの横に立っていた、いつの間に。
「不可視遮音フィールドを展開していたのよ。あなたのお母様は息子がダメ人間になりつつあるって心配してたから、私が様子を見に来たってわけ」
さ、左様でございますか。
正直まだ驚きを隠せないこちらに対し朝倉さんはずいっとしかめっ面を近づけ。
「そんなことより明智君?」
「は、はい」
「何か私に言うことがあるんじゃないの?」
なんだろう、昨日お昼に食べた朝倉さん手作りオムライスの感想が足りなかったのかな。
――ペシッ
そんな俺の申し開きに対する返答はデコピンだった、痛い。
「はぁ、まったく」
ため息をつく朝倉さんを恐る恐る見るとまったく目が笑っていなかった。
ハイライトが消えていないだけマシな気もするが、どうなんだかな。
「こんなまがい物のぬいぐるみに私が負けるなんて……悲しくなっちゃうわ」
うっ、まずい。
この顔の朝倉さんは本当に悲しんでいる時の顔だ。怒っている時はむしろ笑顔だからな、なんて分析している場合ではない、流石に目が覚めたぜ。これは心を改めねばならない。
俺はベッドから出てきちんと朝倉さんに向き直り一言、
「ごめん、オレが悪かった」
頭を下げて謝罪だ。これがダメなら他に手段がない、投了まである。
そして静寂。
暫く無言の刻が続く。
この間俺はずっと頭を下げっぱなしだったのは言うまでもない。
そんな苦しい時にも終わりは訪れるわけで、
「うん、わかればいいのよ」
顔を上げると朝倉さんはにこやかにほほ笑んでいる。
いやいや、ほんと頭が上がらないって感じだ。
「ははは、すぐに着替えるよ」
俺は起きてからずっと寝間着姿のままだ。
朝倉さんも俺の意図を汲んできびすを返し部屋から出ていこうとする、
「待ってくれ」
が、彼女の手にはあちゃくらさんが掴まれたままだ。
朝倉さんはこちらに振り返り、
「なにかしら?」
「……それ、返してほしいんだけど」
ここで俺が余計なことを言わなければ結果は変わっていたかもしれない、結果論だが。
すっと朝倉さんはありゃくらさんの胴体を掴んで持つ右手をこちらに突きつけ、
「だーめ」
ぎゅっと握りしめられたあちゃくらさんは光の速さで全身が粒子化し、この世から完全に消え去ってしまったではないか。
そ、そんな、う、あ。
思わず床に崩れ落ちた俺の頭を右手で撫でながら朝倉さんは、
「だって、あなたには必要ないでしょ。ね?」
目が眩みそうなとてもいい笑顔を見せてくれた。