異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第三十二話・偽

 

 

 こんな状況下におかれたからというわけではないものの、何を隠そうこの俺は原作シリーズにおける【消失】という作品がそれほど好きではない。

 いや、むしろ嫌いな部類に属すると言っても過言ではないほどだ。

 消失が人気のある話なのは俺とて拝承しているけど、だのに好きになれない理由は二つある。

 まず一つ目。一人称視点の作品であるハルヒシリーズにおいてあそこまで絶望に打ちひしがれるような描写が続くのは前までの三作と違ってきついものがある。

 【退屈】でキョンがイライラしていることに対して読者が不満を覚えようがそれは客観的に見たからの話であり、まあ彼が怒る理由もわからなくない。筋が通っている。女子に手をあげようとしたのはさておき、人としてのありようはキョンの方が正しかったはず。

 俺が思うに消失の世界は終末観を通り越した退廃的な空気が漂っていて、それが苦しい初見の俺はページをめくるのが辛かったと記憶している、本の厚さはシリーズでトップクラスに薄いのに。

 二つ目としては単純明快。再登場した朝倉さんがあっさり再退場するから。

 要するにどちらも個人的な理由でしかないんだ。

 誰かに押し付けるわけでもないし、誰かに否定されるいわれもない、俺だけの問題。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはさておき。

 まずは取り急ぎで現状を分析せねばなるまい。この部室、否、世界の変化を。

 俺は横に座るキョンに何気なく訊ねてみることにした。

 

 

「キョン、お前の後ろの席の人のことなんだけどさ」

 

「ん?」

 

 普段のありようからはミリも想像できないがキョンは文芸部員らしく読書に勤しんでいる。

 比較的読みやすい児童文学書、ミヒャエル・エンデ氏の【モモ】だ。

 彼は視線を手に持つ本のページに向けたまま。

 

 

「大野木のことか」

 

「あ、うん……そうそう」

 

 確かに言われてみれば大野木さんの姿が見えなかったような気がしないでもない。

 ちなみに大野木さんとはもちろん俺たちと同じクラスである一年五組のクラスメートの女子生徒で茶道部に所属しているらしい。

 

 

「あいつなら普通に病欠だと思うが、それがどうした?」

 

「いや、なんで休んだのか気になっただけさ。国木田が風邪が流行ってるって言ってたしね」

 

 我ながら白々しく体裁を保つのがここまで辛いとは考えてなかった。

 だんだんと深みに嵌っていくかのように、残酷な現状を思い知らされる。

 朝倉さんも長門さんも涼宮さんのことを知らない。それどころか彼女らはきっと宇宙人なんかではなく、ただの女子高校生として北高にいる。そうに違いない。むしろそれが正しい姿のはずなのに、俺はどうしてこうも落ち着かないのだろうか。

 いいか俺、冷静に対処するんだ。

 

 

「よっ、と」

 

 席から立ち上がり本棚へと俺は向かう。本を物色しながらも俺は思考の手を止めない、止めてはならない。

 もし、暫定でしかないが、ここが【消失】の世界だとしていくつか考察しなければならないことがある。

 まず朝倉さんが文芸部の部員だということ、これは今俺が知り得ている範囲での原作にはない大きな相違点だ。

 とはいえそもそも俺の存在そのものが原作には登場していない異世界人なわけで、俺が彼女を消滅させないように働きかけた結果がこれなのかもしれない。朝倉さんはSOS団の団員として存在していたから改変後であるこの世界では文芸部員という位置づけなわけだ、一応筋は通っているのかな。

次に大事になってくるのはここが本当に"原作通り"の消失世界かどうか。

 いくら消失が好きじゃないといっても何度もシリーズ通して読み直していたし、消失に関しては映画化すらされたのだ、大筋なら未だに覚えている。

 俺が朝倉さんを助けようと思ったのだって原作の知識がなければそもそも朝倉さんが宇宙人だということすら知らずに彼女はカナダ行きだったろう。

 そうさ、俺は未来人ってわけではないが"先のことがわかる"ってのはそれだけで絶大なアドバンテージになる。もちろん上手に使えば、だが。

 いずれにせよここが本当に消失世界かどうかで俺の身の振り方も変わるというわけだ。

 で、それを確かめる方法だが、

 

 

「……ん」

 

やはりあった。

 本棚のハードカバーどものページをめくっては本を仕舞ってを繰り返すこと数分の後、小さい長方形の紙切れがその中の一冊に挟まっていた。

 花が描かれた栞、そこに躍る文字、プログラム起動条件、"鍵"を揃えよ、リミットは二日後。そう、まさしく原作でもこんな感じの文面がこれと同じような栞に書かれていたはずだ。

 胸が詰まる思いでいっぱいだ。こんなものを見せつけられたのだから限りなくこの世界は涼宮さんが消失した改変後のそれだと言える。

 だがこれはある意味でチャンスとも言える。

 

 

『あなたを脅かすものはわたしが排除する、そのためにわたしはここにいるのだから』

 

 先にも述べた通り消失の話の最期の方にて朝倉さんは再び世界からいなくなってしまう。

 この状況をどう分析するかはさておき、原作通りに進めばどうなるか察しがつかない俺ではない。俺が助けたはずの朝倉涼子は、まだ完全には助かってないということなのだ。

 そんな結末、認めてやるかよ。

 

 

――だからやるしかない。俺が。 

 

 俺は誰にも見られないうちにさっと栞を内ポケットに入れてパイプ椅子へと戻る。

 

 

「遅かったな、ずいぶんと熱心に本を選んでいたみたいだが」

 

 そう言うキョンはきっと適当に本を選ぶタイプの人間なのだろう。

 俺もどちらかといえば直感的に「これがいい」と思ったものを手に取る主義だけど、こういうケースもあるのさ。

 

 

「まあね」

 

 適当な相槌を返してから本を読み進めていくことにする。

 しかしながら俺はこのハードカバーを何回か読んだことがある。SF大作の第一巻【ハイぺリオン】。

 どんな話かって? 読めばわかるよ。

 男子の向かいに座る女子二人は、まるでこの文芸部こそが正しい姿だといわんばかりに自然体。

 長門さんにいたっては読書ではなく携帯ゲームをしているあたり、あぁ、この長門さんはとても感情のない宇宙人には思えないわけだ。

 いつになく落ち着いたゆったりとした時間が流れているな、と思えばそれは当然で、いつもなら今頃涼宮さんが、

 

 

「はいはい、みんなちゅーもく! 今日は――」

 

って大きな声で思いついたことを楽しそうに発表する頃合いだからね。一部の人にとっては楽しくもなんともないんだろうけど。

 何はともあれ今はまだ俺がどうこうするような時間ではない。

 本でも読んで、のんびりしてようじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして部活が始まって一時間程度が経過した時だった。

 

 

「……あら、もうこんな時間なの」

 

 時計を確認した朝倉さんがそんなことを言う。

 まだ午後四時半を回ったばかりだけど。

 

 

「ちょっと用事があるから今日はもう帰るわ」

 

はあ、んじゃさようなら。

 気のない挨拶をする俺に対し彼女は。

 

 

「あら? あなたも来てくれるのよね?」

 

 何のことだかさっぱりだ、説明してくれないか。

 

 

「はいはい、いいからさっさとお願いしますよ」

 

 と、俺は本を片付ける隙ら与えられずに朝倉さんに連行されてしまった。

 ハイぺリオンは机の上に置きっぱなしというわけだ。キョンが俺のかわりにしまってくれるとはいえ、俺は一度取り出したものはきちんと戻したい性質なのだ、誰だってそうするように。

 朝倉さんの口ぶりや、長門さんもキョンも特に反応しなかったあたりこのようなことは日常茶飯事なのだろうか。

 それにしても朝倉さんはずんずか進んでいるがいったいどこへ向かってるというのかね。

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 しかも鼻歌まじりでやたらテンションが高く見受けられる。

 真紅のコートとマフラー、という取り合わせは昨日まで俺が見ていたものと同一だが、間違いなく彼女そのものは別人だ。きっとあの時のキョンも今の俺と同じようなことを思ったに違いない。

 きっと世界で"朝倉さん"のことを知っているのは俺だけだ。

 だからどうしたってわけじゃないけど――

 

 

「ほら、明智君! ぼさっとしてないで早くして!」

 

 急こう配でお馴染みの坂道を下り終えるころには随分と距離があいてたようで、少し離れた先の朝倉さんに大声で呼ばれてしまう。

 やれやれ、考えるのは家に帰ってからにするさ。にしても今の彼女のセリフは涼宮さんみたいだったな。

 不謹慎ながらこの世界が新鮮に思えるのはキョンと俺との差なのかもしれないな、余裕の差か。

 "消失"したのが朝倉さんなら、とか考えたくもないぜ。まったく。

 俺は今、駆け足で彼女に追い付いていくのも悪くないと思っているんだから。

 で、そんなこんな二人してやってきたのがどこかといえば、そこは市内某所に位置するスーパーだった。

 

 

「ふぅ……間に合ったみたい」

 

 ケータイで時間を確認する朝倉さん。

 時刻は午後五時前だ。

 

 

「じゃあ、カゴは頼んだわね」

 

 入り口付近に来るなり朝倉さんにそう言われたので俺は思うところもなしに横に積まれているレジカゴを一つ手に取る。

 なるほど、もしかしなくても買い出しに付き合わされているわけだが、それもこの時間帯を考えるに特売だろう。

 店内を突き進む朝倉さんに従う俺、はたから見たらよくわからない高校生二人組じゃなかろうか。周囲から奇異の視線を向けられているのは確かで、本音としては苦行以外の何物でもない。

 朝倉さんは野菜やら肉類やら卵やらといった食材を吟味して次々カゴへと入れていく。なんというか、その、すごく不思議な光景に思える。

 原作通りに行けばこの普通の女子高校生な朝倉さんも朝倉さん(宇宙人)と同様に一人暮らしだから買い出し自体は当然の行為に当たるわけだけど、振り返ってみると俺は彼女がスーパーで買い物をしているところなど見たことがなかったし、なんなら作ってもらっているお弁当の食材の出どころなど皆目見当もつかぬ。

 そう、今更すぎるが俺は朝倉涼子という存在についてロクに知らないのだ。

 俺の知る彼女とはいったいなんなのだろう、少なくとも原作通りの単なるやられ役でないことだけは言える。

 だけど、それでも俺は決定的な回答を見つけ出せずにいる、はぐらかし続けている。まさに臆病者じゃないか。

 

 

「……ははっ」

 

 乾いた笑いの原因は両手にぶら下げているレジ袋の重みなのか、そうでないかは俺が決めることだ。

 スーパーで一通り買い物を終えると他に行くあてもなく当然の如く家路。それなりの量となった商品どもは俺が持つかわりに俺の学校鞄は朝倉さんに持ってもらっている状態。

 気が付けばもう太陽は落ちていて、否が応でも冬なんだということを実感させられる時間帯に。

 すっかり暗くなった道をのろのろと歩いていると朝倉さんが、

 

 

「明智君、いつも付き合わせちゃって悪いわね」

 

不意に感謝の言葉を俺にくれた。

 この設定の俺は彼女にこう言われるほど立派なヤツだ、ということなのか。

 

 

「あなたのおかげで力仕事には困ってないし……何より退屈しないから」

 

 そう言う朝倉さんはどこか寂しげに感じられる。

 若干地雷な話かも、と内心思いつつ、俺は好奇心の方が上回り彼女に尋ねることに。

 

 

「やっぱり一人暮らしは大変?」

 

「流石にもう慣れたわ。嫌になる時がないって言ったらウソになっちゃうけど」

 

 しんみりした空気を活かせるほど俺はやり手ではない。

 これは後から知った話になるが、元々朝倉さんの両親は転勤族だったそうだが朝倉さんが中学卒業のタイミングで父親の海外配属が決まったという。

 お金は不自由しないくらいに振り込んでくれているらしいが、人肌恋しくなるのも当然だ。

 もっともその相手として俺が相応しいのかと聞かれればぐうの音も出ないのだが。

 

 

「まあ、オレのことは特に気にしなくていいよ。それで朝倉さんの心が晴れるならどんどんパシってもらっても」

 

 今日のはやや強引だった気がするが、平素より俺が彼女の荷物持ちを担当しているのならあんなものだろう。

 朝倉さんは俺の気休めに苦笑しつつ。

 

 

「ありがと」

 

 ま、しょせん俺にできることなんてのは普通の人間と大差ない。そこから先はオマケ要素でしかないから。

 

 

「私ね、日本に残っててよかったと思ってるわ。あなたと会えたから」

 

 俺にくれてやるには高すぎる言葉だよ。

 真剣にそんなことを言われては俺も恥ずかしくなってしまう。

 だが彼女は俺が今日まで行動を共にしていた朝倉涼子ではない。

 

 

――いいのか?

 

 何が、ってすっとぼけるようなことかよ。

 キョンまで改変されちまったこの世界を元に戻す決定権は俺だけが持っているはず。ここまでは問題ない。

 となれば俺がもし原作通りにならぬよう、つまり改変を元に戻すように動かなかったら。

 

 

「はは、どういたしまして、なのかな」

 

 返す言葉がぎこちないのは自分に対する恥ずかしさ故だ。

 愛想笑いにすらなっていない作り物の仮面を顔に張り付ける、俺の方がよっぽど"らしくない"。

 だいたい何故俺なんだよ、どうしてだ。俺にこんな選択を押し付けるのは長門さんか?

 いくらエラーやバグとはいっても無茶苦茶すぎる。

 

 

「そういえば明智君、さっき部室で大野木さんのことを気にしてたみたいだけど」

 

 内心あっぷあっぷ寸前の俺に向かって朝倉さんはずずっとにじり寄り。

 

 

「まさか浮気じゃないでしょうね?」

 

 ぞくり、背筋が凍りつく。

 思わずやってもいないのに「はい、そうです。すみませんでした」と土下座したくなるほど怖い威圧感だ。マジにブルってしまう。

 俺は冬で吐く息も白いはずにも関わらず暑さを覚えながら弁明する。

 

 

「いやいや、単なる興味本位だよ! ほんとほんと」

 

「ふうん……?」

 

「そ、そう、国木田が最近風邪が流行ってるって言ってたからさ、気になったんだ」

 

 小学生でも上手に誤魔化せるんじゃなかろうか。じり貧ここに極まれり。

 朝倉さんの鋭い目に睨まれるのは拷問じみているがここで視線を逸らせば負けなのだ、折れてくれるのを耐えるしかない。

 それから十数秒にわたり往来でのにらめっこは続いたが、

 

 

「……ふふっ」

 

不気味にも朝倉さんは笑い出す。

 たまらず俺は身構えるものの彼女は手をはたはたさせながら。

 

 

「冗談よ」

 

 はぁ、心臓に悪すぎる。

 

 

「そこまでびくびくしなくてもいいじゃない、逆に怪しいって思われちゃうわよ?」

 

「まさか。神に誓っていいけどオレはやましいことなんかしちゃあいない」

 

「わかってるわ、そんな度胸があなたにないことぐらいね」

 

 まったく調子が狂うな。

 初日にしてこうも振り回されているとは、恐れ入るぜ。

 

 

「さ、早く帰りましょ」

 

 結局帰り道も朝倉さんがどんどん進んでしまっている。

 Holy cow、先が思いやられるとはまさにこのことじゃないか。

 しかしながらこの時点での俺は気が付かなかった、否、放念していた。  

 元の世界の朝倉さんにも散々好き勝手させられ、俺がそれを受け入れていたということに。

 要するにあの曖昧な関係に慣れきってしまっていたんだ。

 今回の話は良し悪しが問題ではないということなのさ。

 

 

「よかったら私の家に上がってかない? 夕食食べてっていいわよ」

 

「いんや、今日のとこは荷物運びだけにしとこうかな」

 

「そう。残念」

 

 ただ一つ言えるのは、これもまた、悪くない。 

 

 


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