異世界人こと俺が【涼宮ハルヒ】の消失を。
あまりにも状況は唐突であったが、しかし一日は一日でしかなくお願いしたわけでもないのに確実に翌日が来る。
十二月十九日、木曜日。
既に述べてある通り今日から短縮授業となる。
本来ならば喜ばしいことなはずなのだが俺にとってはただでさえ限りある時間が削られているような気がして陰鬱な事態としか捉えることができそうにない。
まあ文句を言ったところで何かが好転するわけもないが。
とりあえずいくつか確かめたことがある、まずは俺にとってそこそこ重要になりそうな"念能力"が使えるか否かだが、これは問題なく行使できた。
使えなくなっててもこの世界にいる間に限ってなら問題はなさそうだけど、いざという時は使えた方がいいに決まっている。結構便利なんだぜ、"臆病者の隠れ家"。
そしてまだ見ぬSOS団の団員、古泉と朝比奈さんについてだが、古泉はやはりというかそもそも彼が在籍していたはずの一年九組がなくなっていた。
元一年九組の教室だった場所は美術部とか文科系クラブ活動の資材置き場と化しており、ドアの小窓から中の様子を窺うことはできたものの普段は鍵がかかっているようで中には入れなかった。
朝比奈さんはというと、
「ああ、二年の朝比奈みくるだろ、もちろん知ってるぜ」
休み時間中に谷口に聞いたところ無事に存在を確認できた。まだ会っていないが。
谷口はニヤニヤしながら訊ねてもいないことを説明する。
「なんせ我が北高が誇る絶世の美女だからな、知らん奴の方が珍しいくらいだろ」
随分と自慢げに言うが、別に朝比奈さんはお前の彼女でもなんでもないぞ。
「朝倉も十年に一人くらいの逸材だし、お前と同じ文芸部の長門有希も校内に隠れファンはそれなりにいる……けっ、キョンもお前も憎たらしい環境下にいやがる」
そこら辺も元の世界と変わらないらしい。
谷口は「だが」と前置きしてから。
「朝比奈みくるは別格だ」
「……どうして?」
そりゃあ涼宮さんに萌え要因として連れてこられるぐらい朝比奈さんには見どころが多いけど。
「甘い、甘いな明智くんよ。俺が考えるに朝比奈さんのスゴいところはまだまだ美に磨きがかかるってことだな。つまり未完成ってこった」
「なるほど」
「五年後が楽しみだぜ」
こいつは馬鹿だが女性を見る目だけはしっかりしている。
俺は未だ対面したことこそないものの、原作のキョン曰く朝比奈さん(大)は銀河系でもトップに美人だとかなんとか。あいつにそこまで言わせるってことは朝比奈さんの伸びしろは充分にあるに違いない。
けれども朝倉さんだって負けていないはずだ。
宇宙人がどう成長するのかは知らない――まず彼女は実年齢でいえば三歳だ――が、数年後の彼女が今よりずっともっと魅力的な存在になっていると俺は信じるね。
長門さんに関しては正直まったく想像がつかない、ともすれば特に外見上の変化がないまま二十代三十代となりそうな気もする。
「で、その朝比奈さんがどうしたって?」
「いやべつに。風の噂でその人のことを耳にして、北高女子に詳しいお前さんなら面白い話が聞けるかもと思ったのさ」
「へっ、この谷口様の眼に狂いはねえからな。あとは他校なら朝比奈さんレベルのを知ってるが……」
こいつは俺が朝比奈さんの話でなく単純に女子の話を聞きたいと勘違いしてそうだ。
「が?」
「あいつは超が付く電波オンナだからな、明智は知らねえほうが身のためだ」
もしやそれは。
「涼宮ハルヒのことかい?」
「ん、お前あいつを知ってんのかよ」
「同世代の元東中の女子でそれらしい話を聞いたことがあってね……」
「明智が物好きな野郎だってことは承知してるがな」
コホンと谷口は咳払いをしてから。
「やめとけ」
どこか懐かしい台詞を吐いた彼の顔からはニヤニヤした笑みが失せていた。
「なあ、マジに時間の無駄だぜ? あいつの武勇伝が聞きたいなら他の東中のヤツを当たってくれ」
こんな調子の一点張りだ。
いずれにせよ聞いてもいないのに涼宮さんの存在を確認できたのは収穫といえよう。原作通りに行けば彼女は古泉とセットで私立高にいるんだろうよ。
と、そんなこんなで授業が終了して今に至るわけなのだが俺は授業中終始悩んでいた。
俺が何を悩んでいたのか、それはつまるところどうするかということであり昨日と同じく俺がこの世界を元に戻しちまっていいのかということでもある。
期限は今日を含めて二日間だ。わざわざ原作みたいに明日やらずとも初日の段階で脱出プログラムに気づけたのだから今日実行でも問題はないはずだ。
「……はっ」
違うんだよな。問題はそこではない。
俺が悩んでいるのは俺が他人の思いを踏みにじっていいのか、だ。
この改変をもたらしたのが長門さんとは100パーセント言えないが、仮にそうだったとして俺が彼女の意思を否定してしまっていいのか?
原作の【消失】は主人公だからこそ許されたんじゃあないのか?
だったらホントになんで俺だよ、俺に丸投げしやがるんだよ。
俺がキョンに、
「元の世界に戻りたくないか?」
と質問したとしてもあいつは「何の話だ明智」としか言わんぜ。
何より原作でキョンは涼宮さんがいなかったからあんなに苦しそうにしていたのであって、ここでは彼女のことを知らないだろうし、なんなら長門さんといい感じなのかもしれない。
俺が、俺だけが本当にのけ者。異世界人ってのはこうも辛いものなのか。
全ては認識の問題でしかなく朝倉さんやキョン、他のみんなにとっては昨日よりも前の過去が存在する。造られた記憶だとしても。
俺一人が我慢すればみんなハッピーなんじゃないのか。
あの忌々しい情報統合思念体とかいう偉そうなヤツもいない、古泉だって神人との戦いなんていう危険な使命を背負わずに済む、普通じゃないってことを思い煩う必要はないんだ。
ただ、べつに今日脱出プログラムの"鍵"を集める必要だってなかろう。
明日やろうは馬鹿野郎、そうさ、結論を保留し続けてきた俺だからこそこんな選択を迫られているということにこの期に及んで気づいていなかったのだ。
短縮授業の兼ね合いから昼には放課後となり部活動のない生徒はすぐさま帰宅。谷口や国木田は帰宅部なのでもちろんそれに含まれる。
そして今日は時間いっぱいまで部活を行った。本を読んでくつろぐだけだったけど、そんなもんさ。
でもって忘れちゃいけないのは俺の昼食にあたる朝倉さんのお弁当。この世界でも本制度は健在なようで、朝倉さんの料理の腕は世界が変わろうが衰えないのだということを感じた。
「どう? 美味しい?」
「うん。もちろん」
「ふふっ、どういたしまして」
ただ、何か違うと感じたのは何故だろう。プラシーボ効果か? まあ気にしないけど。
電気ストーブすらない部室はお世辞にも暖かいとは言えず、外界との違いは多少の気温差と風がないことぐらいだ。しかしながら電気ストーブの効果など程度が知れているし、それ以前に団活中の俺があれに手を当てるなどして暖を取ったことなどまずないので大した差でもない。冬の北高校舎内の気温にも慣れつつあるということだ。
解散の合図としていつもだったら長門さんがバタムと本を閉じるのが常だがこちらではそれもない。決められた時間に従うだけ。
どうやら彼女はそれなりに本が好きではあるものの、趣味としてはゲームの方が好きらしく朝倉さんは呆れた様子。
「長門さん、まだですか? もう帰る時間ですよ?」
「待って……セーブポイントまでもうちょっとだから」
「もう、歩きながらやればいいじゃない」
「……危険」
俺も朝倉さんもキョンも帰る準備を終えていたのに長門さんだけ椅子にしがみつくように携帯ゲーム機で遊んでいた。
歩き携帯ゲームは危険極まりないのは事実だけど、それ以前にそんなもの先生に見つかったら没収だから、長門さん。
ううん、なんだか文芸部としてはいかがなものか。でもSOS団の方がヤバいことしまくりだったなあってね。
ようやっと部室から全員出てドアを施錠し鍵を返して外に出るころには昨日みたいな夜空が支配する世界だ。
校門を出てしばらく歩いていると朝倉さんが、
「ねえ、よかったらなんだけどみんな私の家に上がってかない? ちょっとゴハンを作りすぎちゃったから食べてってほしいのよ」
昨日と同じような提案をしてきた。
丸一日かけても悩みが解決しない俺は、このまま帰って寝て起きても明日が辛いだけだと思いこの日は朝倉さんの家に行くことにした。もちろん「みんな」なのでキョンと長門さんも一緒だが。
朝倉さんのご飯が喰えるんだ、二度も断る馬鹿がどこにいよう――なんてのは建前にしか過ぎず、本音は一秒でもいいから忘れたかったのだ。時間を稼ぎたかった。
だのに普段はすっとろく感じる分譲マンションのエレベータは今日に限ってやけにスムーズに五階へ俺たちを運び、ほどなくして朝倉さんが住んでいる505号室に到着した。
「ふーっ、やっぱここのマンションはあったけえな」
キョンの言う通り分譲マンションの空調設備は値段相応に機能しており、コート類はすぐさまお役御免だ。
「しばらくくつろいでて」
赤コートを脱いだ朝倉さんはそう言うと足早にキッチンへ消えていく。
料理が出るまでの間、手持無沙汰な俺たちはテーブルについて待っていることにした。
椅子はちょうど四つあり、必然的に男子と女子で別れて座る形である。
「朝倉が隣の方がいいんじゃないのか?」
ここぞとばかりに煽るキョン。
自覚症状がないくせに他人に強気なのはどこの世界のキョンも一緒かね。
「ならキョンは長門さんと隣になるけど?」
「そうだな」
と、キョンは長門さんの方を見る。
長門さんは電気ショックでも受けたかのように身体をびくっと震わせる。なんて露骨なリアクション。
「え、えっ」
「長門、できれば明智に気を使ってやりたいとこなんだが、俺の隣は嫌か?」
「そ、その…………い」
「嫌だよな。スマン、忘れてくれ」
おい。
「というわけだ明智。悪かったな、俺が隣でよ」
俺はこいつを殴っても許されるんじゃなかろうか、神様仏様涼宮様なら赦してくれるに違いない。
長門さんはどう見ても残念そうな顔してるし、こいつは引き伸ばしラブコメの主人公か。まあキョンが"主人公"であるのは確かなんだけどさ。
「しっかし、どうせなら今週で学期が終わればいいのにな。月曜火曜だけ行く意味がわからん、聞いたとこじゃ俺と同じ中学だったヤツが通ってる高校は今週で終わりだそうだ」
と、世間話をするキョンは斜に構えた性格こそ変わらないものの歳相応の高校生そのもの。
俺が見てきた"主人公"のように大人ぶろうとして陰湿になっているキョンとは違う、これが憑き物の落ちた彼なんだろう。
これは誰かが言っていたが「思い込む」ということは実に恐ろしい。
俺は俺が見てきた世界が全てだと考えていたのだ、異世界人のくせに。
で、待つこと十分近く。
「はいお待たせ」
居間に戻られた朝倉さんが鍋つかみ越しに持つ大きな鍋。
何より嗅覚を刺激するこの匂い、間違いなくおでんだ。
おでんの鍋はテーブルの中央にドンと置かれ、次いで人数分の冷えたお茶と白米がやってきてようやく晩御飯だ。ちなみに母さんには俺の分の晩御飯が必要ない旨を伝えてある。
「熱いからゆっくり食べてちょうだいね」
俺も彼女のおでんを食べるのは初めてだがやはりウマい。噂に名高いだけある。
出汁から朝倉さんが作ったらしく、今までコンビニで食べてきたものとはランクが違う。言いすぎか?
「……おかわり」
長門さんのフードファイターぶりは宇宙人だからではなかったのか、既に二杯は茶碗を空にしている。
朝倉さんも慣れているように「はいはい」と苦笑しながら飯をよそって長門さんに茶碗を返却。
なんだかんだ俺もキョンもバクバク食べており、暑さを感じつつも大きな鍋を空にするのにそう時間はかからなかった。
はぁ、一息つけるようになった頃には午後七時も半を回っていた。
家に着くころには八時を過ぎるだろうな。別に急ぎで帰る必要はないから歩いて帰るけど。
「んじゃ、そろそろおいとまさせてもらうか」
キョンはそう言って椅子から立ち上がる。
俺もそれに従おうとするが、
「あ、明智君はちょっと待って」
「はい?」
朝倉さんに引き留められた。
なんすかね。
「ちょっと二人きりでお話がしたいから」
こちとら話すような内容はないが、あちらがあるのだからとりあえず従おう。
朝倉さんは制服から部屋着に着替えるそうなので俺だけが再びコートを羽織ったキョンと長門さんを廊下で見送るべく二人をエレベータまで追うことに。
が、何やら生暖かい視線を感じる。二人から。
キョンは俺の肩をトンと拳で打って。
「その……なんだ、うまくやれよ」
「やらないよ」
長門さんもこいつと同意見なのか?
彼女はちょっと恥ずかしそうに。
「や、優しくしてあげてね」
もういいよ二人とも。
早く帰ってくれよ、俺だって早く帰りたい。全部明日の俺に投げるから。
「おー怖い怖い。お邪魔虫はとっとと退散させてもらうぜ」
「また明日、明智くん」
こんな調子で二人はエレベータに呑まれていった。
「……やれやれだ」
ため息を吐いてから俺505号室へ舞い戻ることに。
しかしながら何を話されるんだ俺は。
ひょっとするとこのタイミングで朝倉さんは。
「実は私、宇宙人なの」
とか言い出すのかもしれん。
だったら良かったんだけどね。
「それで? 話って?」
「まあ座ってちょうだい」
タートルネックに着替えていた朝倉さんは再度俺をテーブルにつくように促す。
わざわざ場を設けてまで二人きりで話など、後ろめたいことがないのになんだか落ち着かない。
硬い表情の俺に対し朝倉さんはにこやかに切り出した。
「ねえ、覚えてる?」
はて何のことだろうか。
「……私があなたに告白してから、もう半年は過ぎた」
ふうん。
この世界の俺はえらいラッキーボーイだったようだ。彼女から告白されるなど。
「『これってドッキリじゃあないのかな』ってあなたは言ったわね。でも最終的にはOKをくれた」
「そりゃあそうさ。断る方が馬鹿だ」
「ふふっ、そういうものなのかしら?」
少なくとも俺は人生で誰かに告白されたことなんてないけど。
「この半年ばかりで色々あったわ。夏休みはほとんど遊び通して、あっという間に体育祭学校祭、もう冬休みよ」
何が言いたいんだろう。
こちらの様子に気づいた朝倉さんは表情を切り替えて、
「明智君。私のこと、好き?」
馴れ合いなどではない、真剣そのもので俺に訊ねてくる。
「うん、好きだよ」
我ながら驚くほど自然に口から返事を紡げた。
俺は嘘をついている。好きだと思ってこう言えたわけではない、誤魔化すためだ。
「だったらどうして!?」
バン、とテーブルに両手を叩きつけて朝倉さんは前のめりの体制になる。
向かい合って座る俺を威嚇しているようにも思える。
「私たち、キスだってまだなのよ。こうして何度もあなたを私の家に呼んでも、明智君は私に手を出したことは一度もなかったわ!」
おいおいよしてくれ。
俺の責任じゃない。
この甲斐性なしな設定が悪いだけだろ、なんで俺が責められなきゃならないんだ。
感極まった朝倉さんは肩を震わせ、
「明智君、本当に私のことが好きなら今すぐ押し倒して……私、不安なの」
目には涙を滲ませながら、
「お願い……」
懇願する。
そんな、どうしろってんだよ本当に。
俺は椅子から立ち上がって、彼女を直視できないまま。
「ごめん」
「っ……!」
「ちょっと今、そういう気分じゃあないんだ、オレ」
椅子にかけた一張羅と、床に置いていた鞄を取って後ろを向く。
「もう遅いから今日は帰るよ」
「……」
「じゃあ」
また明日、と言えぬまま逃げるように俺は505号室から立ち去る。
エレベーターを待つ時間がもどかしく感じられ、遠回りにも関わらず非常階段から一階へと降りていく。
何故自分が悩んでいるのか、その答えもわからぬままに俺は悩み続けている。
分譲マンションから離れ、夜風に当たりながら歩いて家路をなぞる俺。
「朝倉さん……」
わけもなく呟く。俺だって臨界点は近い。
なぁ、俺にこの世界を見せて、何の意味があるんだ?