十二月二十日。
脱出プログラムの最終期限日だ。
これは原作でもちらりと触れられていたことだが、そもそも何故タイムリミットなどを設けたのだろうか。
キョンが悩んだ末に消失の世界を選んでほしかったからか?
だとしたら今回、俺は何故タイムリミットを設けられたんだ?
考えど考えど未だ俺は決めあぐねている、元の世界に回帰するかどうか。
そして学校に着くもこの日の俺の後ろの席にいるはずの人は欠席していた。
風邪で休むと岡部先生のところに連絡は来ているそうだ。
「……ちっ」
もし朝倉さんの欠席が仮病なら俺のせいなのか。十中八九そうなんだろうな。心当たりがありすぎるぜ。
じゃあどうすればよかった、彼女の言う通りにすればよかったってのか。そんなわけあるか。彼女が好きなのは俺であって俺じゃない、でっちあげられた俺の幻影なのだ。俺がどうこうする資格なんてないんだよ。
いいやんなことは後で考えろ。現在進行形で俺が早急に考えなければならないのはもっと"大事なこと"だろ。
どっちを俺が選ぶにしても俺は背負い続けなければいけない。切り捨てた可能性を。
変わりたい気持ちってのは自殺と同じ、だとすれば俺は人殺しと同じになるんだぜ、億単位で。笑えるよな。
だが、昨日一昨日と悩んでも行動原理すら浮かばなかった俺が一時限目二時限目をふいにしても結論など出せるはずもなく、いよいよもってジャッジの時が見えてきた。
「おい大丈夫かよ? 朝倉がいねえぐらいで明智がそんなにまいってるたあな」
休み時間に机にへばりついている俺を見て谷口はこう言う。
彼に心配されるほど俺らしくない状態のようだ。自覚はない。
「てっきりお前なら授業を抜け出してでも朝倉んとこに行くと思ってたぜ」
「いや、俺がこうなってるのは別件でね……」
「だったらあれか、いよいよ朝倉に愛想をつかされたとかか」
「さあね……」
かもしれないな。
谷口は呆れた様子で、
「勘弁しろよな」
こっちのセリフだぜ。
けど、きっとここが限界だろう。
これ以上時間をかけては集めたいと思ったとしても"鍵"を、SOS団の団員を集められなくなるかもしれない。
光陽園学院だって午前で授業が終わるはずだ。涼宮さんの家ならまだしも、俺は古泉がどこに住んでいるかなんて知らない。
放課後まで二時間あるかどうか。今、ここで、俺は心を決めなくっちゃあならない。
どちらの世界を俺は選ぶのか。
「……なあ谷口」
「あん?」
俺は休み時間だろうとお構いなしで居眠りしているキョンの方向を見ながら考えをまとめていく。
「お前さん、【舌切り雀】って知ってるよな?」
「明智さんよ、いくら期末テストの点数でお前が圧倒的に俺に勝ってるとはいえ流石に俺のことを馬鹿にしすぎだ。そんぐらい俺でも知ってらぁ」
つまりいわゆる大きな箱と小さな箱の問題だ。
欲張りな婆さんは大きな箱を選んだあげく、破滅した。
あの話はアタリハズレがしっかりしていたからいい。
でも現実は童話みたいに甘くはない。仮に小さな箱を選ぼうが中身が素晴らしいものとは限らない、リスクがないだけだ。
なんなら本来の舌切り雀の爺さんは雀のところに行く道中に追い剥ぎみたいなことをされるなどして散々ひどい目にあっているのだから一つくらいは良いことがなけりゃ救われないってもんさ。
現実は全て損得で割り切れるほど甘くない、俺たちには感情があるから。理で割り切れないから。
「でもさ……もし小さい箱の方は何の変哲もない代物だったら欲しくはないだろ。だけど大きな箱の方は取り扱いを間違えば危険こそあるかもしれないけれど、今までにないようなスリルや興奮を覚えるようなものだったら?」
涼宮さんは普通すぎる世界に退屈していた。
キョンだって【憂鬱】の冒頭にそこそこのモノローグを綴る程度には日常を気怠いものとしか捉えていなかった。
俺はどうなんだ。今、大事なのは"俺"なんだから。
後頭部を片手で掻きながら谷口は神妙な面持ちで言う。
「悪ぃ。お前が何を言いたいかまで俺は理解できねえ」
「普通じゃあないってことはそんなにいけないことなのかな。だとしたら、オレは――」
「ちょっと落ち着け」
谷口が俺の左肩をがしっと手で掴む。
「さっきからお前が何をまごついてるかは知らんが、悩んでるのだけは確かみてえだ。どうせ朝倉がらみだろ」
コホン、と咳払いをして谷口は言葉を続ける。
「これは親父の受け売りになるが『迷った末に出した決断が悪くても、何もしないことよりは悪くないはずだ』ってな」
「耳が痛くなる言葉だね」
「明智、お前の悩みがここでぐだぐだしてて解決するようなもんなのか?」
「……」
「男なら当たって砕けろ。俺が骨は拾ってやる」
やれやれ、わかったよ。
なら最後の選択だ。
この際は他のみんながどうこうとか言うのはナシだ、俺だけに決定権があるんだからな。マジに、
俺はどうしたい?
どうして俺はこんなとこまで来ちまったのさ。
俺が最初に朝倉さん消滅ルートを回避したのが、原作に関わったのが原因なのか。
この世界で生きることは悪くない。それどころか客観的に考えて良い。
美人な彼女だっている、昨日までのことは忘れて俺は俺のペースで朝倉さんと向き合っていけばいい。
そうだろ。
『明智君。私のこと、好き?』
俺が本当にやりたいこと。
悩み続けて解決しないなら、まずは何か行動すべきなんじゃないのか。
『明智君! 私――』
そう、チャンスがあれば、か。
俺は二度目の高校生活を走馬灯のように思い出していく。
最初から最後まで、そこには何があった?
本当は何を望んだ?
なあチキン野郎。せめて自分にぐらい正直になろうぜ。
『ねえ。一つだけ、お願いしたいことがあるの』
きっかけなんてものが俺たちにあるかは怪しいが、少なくともあの時の彼女は急進派でも宇宙人でもなんでもない、ただの朝倉涼子そのものだった。
俺は、俺は、俺はあの時――
「ふふっ……ははっ」
オーライ、なんとなくだけど"わかって"きた。
マジに俺が始めたことが原因だっていうなら俺が終わらせなくっちゃあな。
がたっと椅子から立ち上がり谷口に一言。
「谷口」
「んだよ」
「お互い、頑張ろうぜ」
それから俺は彼にひとつ頼みごとをすると、鞄と一張羅を抱えて教室を走って出ていく。
馬鹿馬鹿しい。考えるのは自分より得意な奴に任せればいいだろ、古泉とか。
今の俺にとって一番大事なのは後悔しないことであって、俺が本心から決めたことなら基本的に俺は後悔なんかしないさ。
そして何より俺は思い出したんだ。すっかり忘れかけていたことを。
校舎の階段を駆け下りていく最中に教職員とすれ違うけど無視だ無視。彼らに邪魔されるよりも先に俺は止まらないんだから邪魔のしようもないのだ。
やがて生徒玄関を出るよりも先に三時限目開始のチャイムが聞こえた気がするが、それも俺は気にしなかった。
ところでみなさんは具現化系念能力者の修行についてご存じだろうか。
そう、クラピカが鎖を一日中いじくったり舐めたりしたとかいうアレだ。
俺も"臆病者の隠れ家"なるいわゆる四次元マンションを会得するにあたって相当マンションやら部屋やらについて勉強した、親父が建設関係の仕事ということもあり、図面関係の本なんかも借りて読んだ。
まあ何が言いたいかといえば、俺は自分の能力にそれなり自信がある。隠れ家の有効範囲はかなり広いし、その範囲内にある入口と出口は知覚可能だ。
過去に設置した入口と出口がなくなってたら気づくということさ、だからこそこの世界が改変されていたことに気づくのにやや遅れが生じたんだけれども。
タイムリミットは有限だが急ぎの用事にハイドアンドシークはうってつけでね。
通学路を外れてひと気のない路地に入り、
「よっと」
地面に"入り口"を作って隠れ家に入る。
次の瞬間の目の前の光景は自然世界ではなくだだっ広い何もない広い空間、壁も天井も白一色。
俺が入った部屋の"出口"は某分譲マンションの朝倉さんが住む部屋に設定してある。
どういう経緯かは知らないけどこの世界にも俺は設置したらしい、あるいは元の世界で設置したのが消えなかったのかだ。
とにもかくにもまずは全部話そう。信じてもらえなくてもいい、俺は俺自身のために行動する、独善者だから。
そして臆病者の隠れ家の一室のドアを開けて外界へと出る。
これは先出しの言い訳になるが、俺がこの場所に"出入り口"を用意したのは単純に朝倉さんがここに設置してくれと頼んだからだ。
この場所、とは何か。それは505号室内にある朝倉さんの自室兼寝室にあたる。
そんな場所の壁からいきなり俺が這い出てきたら驚かれるだろうが、ともすれば彼女は風邪で寝込んでいるかもしれないから大した騒ぎにはならないと考えたのだ。
実に甘すぎる想定だった。
「……えっ」
この声が俺と朝倉さんどちらのものだったかはわからない。
壁の出入り口から半身ほど出ると、部屋にいた朝倉さんと目が合ってしまう。
あろうことか彼女は着替え中で、ちょうど寝巻きを脱いで下着姿になろうとしているように見受けられる。上のボタンを外しているし。
「……」
「……」
無言で見つめ合う着替え中の女子高校生と壁に埋まっている野郎、ハタから見ればシュール極まりない光景かもしれないだろうが俺は完全にテンパってしまっていた。
突入してノータイムでこの状況は予想できないだろ。どういう確率ならこうなるんだよ。
考えろ、考えるんだ明智黎。脳をフルに稼働して冷静かつ被害を最小限にしろ。
でもほんの少し俺のタイミングが遅ければ朝倉さんの下着姿あわよくばその下も拝めたのかも、なんて賢しい考えは捨てろ。
口を半開きにしかけた俺がとりあえず何か声を出そうとするよりも先に、
「きゃぁぁぁぁああっ!!」
と悲鳴を上げながら朝倉さんがベッドの枕を掴んで俺の顔面目がけて投げつける。
この状態、回避不能。俺は哀れにも無事顔で受け止めることに。むむ。
とはいえ朝倉さんのパニックゲージはこんなことで下がろうはずもなく目覚まし時計やら小物類やらを投げ続けられている。痛いって。
ううむ埒があかないではないか。とりあえず俺は手で投擲物を防ぎながら壁から出て全身を部屋の中に入れる。これでまともな身動きがとれるように。
しかしながら余計に朝倉さんは狂乱してしまう。
「ち、近づかないで! 悪霊退散!」
俺は幽霊か何かだと思われちまってるのか。
じりじり後ろに下がる彼女に対しどうにか自分が害のない存在であることをアピールせねば。
「朝倉さん、オレは悪霊なんかじゃあない。明智黎本人だ」
「うそ、だったら悪魔か何かよ! いくら寝ぼけてたとしても壁から人間が出てくるなんて幻覚は見ないわ」
ごもっともだ。
昨日とはまた違う理由で泣きそうなぐらい朝倉さんは心乱れているのだろう。こればかりは俺のせいか。
俺が分譲マンションの505号室にこのような形で来たのは時間短縮の意味もあるが、それ以上に正面からインターホンを押したところで彼女が俺を部屋に上がらせてくれるとは思えなかったからだ。
なんか冷静に考えて馬鹿じゃねえのかな俺と思いつつ。
「まずは落ち着いて話をしよう。朝倉さんは着替え中だったんだろ?」
「あっ」
指摘され、かーっと顔が赤くなる朝倉さん。
「居間で待ってる、着替え終わったら来てくれ。君に謝りたいことがたくさんあるんだ」
言ってからそそくさと寝室を出ることに。
そして俺は一人で昨日と同じ居間の椅子に腰掛ける。
テーブルに頬杖をついて、ため息。
俺はこれから彼女に内情を説明して、北高文芸部の部室まで来てもらうつもりだ。
当たり前だが脱出プログラムに必要な"鍵"に朝倉さんが含まれている保障などない、ともすれば時間の無駄に終わるかもしれない。まだ授業時間中とはいえ先に涼宮さんや古泉といった他校の制度にアプローチするべきだろう、なんなら昨日の内から。
原作通りに捉えればむしろ朝倉さんが要てもしょうがない。彼女は鍵じゃないのかもしれない。
俺が彼女が必要だと考えた根拠はこの世界がアニメやラノベ通りの世界とは違う、"生きた"世界だと信じているからに他ならないのだ。
つまり、俺にとってSOS団の団員は団長含む七人なのさ。
だからこそ俺は朝倉さんに知ってもらう必要があると考えている。彼女を説得できなければ俺は大人しくこの世界で普通の人間として生きようじゃないか、異世界人卒業だ。
「……」
待つこと数分、部屋着に着替え終えたらしき朝倉さんが居間に。
彼女は恐る恐る。
「あなた、明智君なの?」
「うん」
確かにまごうことなき明智さ。
まずは一言。
「ごめん」
謝罪の意を述べる俺。
「昨日のこと、悪かった」
「ううん、もういいわ。気にしないでちょうだい。私もどうかしてたから、お互い忘れましょ」
朝倉さんにこんなことを言わせるなど、情けない。内々忸怩たる思いばかりだ。
彼女は苦笑混じりに「そのうち私の方から襲うかも」と言う。
そう、これは逃げなのだ。ただし逃げたのは俺じゃないが。
「ただ……これはさっきの朝倉さんの質問に対してだけど、正確に言うとオレは君が知っている明智黎じゃあない。そして君もオレが知っている朝倉さんじゃあないのさ」
「どういうことなのかしら」
「ただの事実だよ」
とにもかくにも、だ。
俺は朝倉さんに対して座るように促す。
それから、
「信じてもらえないかもしれないけど」
と前置きしてから本題に。
簡潔にではあるがほとんどを俺は話した。
自分が念能力という超常的なチカラを行使できること、この世界は二日ほど前に誰かが創り変えた本来あるべき姿ではないこと、キョンと長門さん含め俺たちは元々純粋な文芸部としてではなくSOS団という北高生徒会非公認のクラブ活動をしていたこと、諸々。
こんな荒唐無稽な話を聞かされる側にもなってみると鬱憤が相当に溜まりそうなものだが彼女は真摯に耳を傾けてくれた。
俺を信じてくれているから、というよりは壁から湧き出るなどという人間離れした芸当を目の当たりにしたことに由来する奇妙さ興味深さによるのだろう。少なくとも俺が常人ならざる者ということは理解してもらえたはずだ。
そんなこんなで三十分以上に及ぶ俺の話を聞き終えた朝倉さんは一言。
「とてもじゃないけど信じられないわね」
だろうね。
俺だってそう信じたい。
「それに、明智君の説明にはおかしな点があるわ」
「何かな」
「世界が変えられたって言うのにずいぶんと冷静な対応じゃないかしら?」
ふむ。
「本当に脱出プログラムなんてものがある保障はないはずよ、部室の本に挟まってた単なるイタズラ書きにすぎないかもしれないでしょう」
「まさか」
「私があなたの立場だったら何よりも先にパニックになると思うの」
「……続けて」
「だって、涼宮ハルヒっていうクラスメートが突然いなくなってて、続けてきたはずのクラブ活動の痕跡すらなくなってるのよ。それで"世界が変えられた"って発想に普通はなれないでしょう」
あまりにも正直に語りすぎたらしい。
そう、俺は大きなものに頼って行動してきたからだ。
「まるで何が起こるか、あなたは先に知ってたような口ぶりだったわ」
ぐうの音も出ない。
事実なのだ。それすら。
「オレは異世界人だから」
「世界が変えられたというのなら、明智君は異世界人かもしれないわね」
「違う」
もっと先のことだ。
「オレの本当の名前は明智黎じゃあないんだ」
「偽名ってこと?」
「それも違う」
俺には別の世界で生きた自分の記憶すなわち前世の記憶がある。
「浅野定幸……浅瀬のアサに野原のノ、定のサダと幸せのユキ、それがオレの普通の人間としての名前さ」
そこから更に俺は語った。
前世のこと、涼宮ハルヒシリーズという作品のこと、今のこの状況はそれの四巻の話に相当すること。
「まあ、オレが主人公の代わりとしてこんな役割をこなさなくっちゃあいけないなんてのは夢にも思わなかったけど」
「明智君。あなた正気じゃないわ」
「だったら聞くけど、朝倉さん」
君は自分の両親に会ったことがあるかい?
俺の質問の意図がわからぬ彼女は素っ頓狂な顔をしている。
「何言ってるのよ、父さんも母さんも家族なんだから"会う"って話はおかしいわ」
「ちゃんと顔は思い出せるの?」
「当たり前じゃない」
「ここ最近会ったことは?」
「二人とも日本にいないから会いたくても会えるわけないの。私が中学を卒業するタイミングで父さんの海外転勤が決まったから」
「じゃあ、中学校の時は?」
「三人で暮らしてたわ」
「どこで、どういうふうに?」
流石に朝倉さんも答えたのか、けっこう嫌そうな表情を浮かべて。
「いい加減にして。わけのわからないことばかり言われても私には心当たりがないんだから」
わかったよ。
俺は心底申し訳ないと思いつつ咳払いをしてから。
「それじゃあ最後にもう一つだけ聞かせてくれ――」
これで駄目ならマジに諦めるかも。