予感はしていた。
犯人が原作通りに長門さんならやはりキョンに選択権を与えるはずだ。
涼宮さんはあんなことしないだろうし、何より古泉が「今の彼女は変革を望む傾向にはありません」的なことを言っていた。
朝比奈さんは基本的に無害。と、なればまったく知らない奴か朝倉さんぐらいしか残されていない。
それに、自意識過剰かもしれないが俺にはアテがあるからな。
「脱出プログラムを用意したのも……朝倉さん、だよね」
「そうよ。よく気づいたわね」
「くだらない単純な消去法さ」
あるいは原作通りに考えたが故の推理か。
俺がキョンと同じ立場なら――いいや、俺は俺だ。原作と同じようにはしない、させない。
無駄だと思いつつも俺は彼女に動機を訊ねる。
「聞いてもいいかな。どうしてこんな真似を?」
「……さあ?」
彼女は俺が野暮ったい質問をしていると感じたのか呆れた様子で、
「明智君は私に『裏切られた』って感じたかもしれないけど私からすればそれは勘違いだわ」
溜息を吐いてから。
「だって私があなたとした取引の内容は急進派として行動しないことと涼宮さんとその関係者に手を出さないことの二つよ? 私がこれからやろうとしているのは大規模な事象改変であって、あなたち有機生命体のいわゆる"個人"という単位では換算できないもの」
「詭弁もいいとこじゃあないか……! たとえ涼宮さんに害を与えるつもりがなくても、彼女の能力を悪用しようとしてるだろ、朝倉さん」
「悪用、ね。私の行動が理解できないのかしら。あなたにとっても他の人たちにとっても悪い話じゃないと思ったんだけどな」
「ならどうしてオレだけはそのままにしておいたんだ?」
涼宮さんから奪ったとかいう能力で世界を改変するんなら俺だけ残す必要がないはずだ。
眼前の彼女は嘘を騙るかのように。
「これでも私、明智君には感謝してるのよ」
朝倉さんは音も立てずにゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
対する俺はというと彼女の動きに対応するかのように後ろへ下がっていく。まるで追い詰められている気分だ。事実としてそうだし。
やがて足を止めた朝倉さんは。
「あなたのおかげでSOS団という勢力に入り込めた。多少の信頼も得てたから、こうして動きやすくなったってこと。利用するにはうってつけよね」
「朝倉さん。こんな馬鹿げたことやめるつもりはないのかい?」
「ないわ。私が決めたことよ、情報統合思念体にだって干渉してほしくないもの」
「残念だよ」
交渉は決裂か。
俺がいかに口達者だとしても彼女は意思を曲げるようには見えない。
「じゃあ腕づくで止めるしかないって感じになるけど、いいかな」
「私の邪魔をするの? あなたが?」
「そういうことになるよ」
ふーん、と数秒唸ってから朝倉さんはあっけらかんとしたトーンで。
「いいわよ、受けて立ちましょう。この際だからあなたも改変してあげる。普通の人間としてね」
朝倉さんは棒立ちで三百六十度余裕の態度だ。
ならば――両脚の筋肉、ごく一部分にオーラを集中させる。
「"硬"」
脚部を強化すると同時にナイフホルダーからベンズナイフを取り出し、一瞬で朝倉さんとの間合いを詰める。
そしてベンズナイフを持つ左手で彼女に切りかかる。生身では防御できまい。
奇襲だ。
ベンズナイフの神経毒が宇宙人相手にどこまで通用するかは怪しいがよしんば詰みまで持っていくためにも初手はこちらが切るべきなのだ。
速度、攻撃力ともに申し分のない一撃だった。が。
「――あら」
ガシッ
「くそ……」
「随分と思い切りがいいのね」
眉もひそめずに朝倉さんは右手を俺の攻撃よりも早く動かして、俺の手首をつかんで攻撃を封じた。
ショートレンジだ、左腕が封じられているとはいえ俺に勝算があるとすればこの距離しかない。
脚のオーラ顕在を一旦やめて次は右手に"硬"をかけて彼女の顔を目がけて拳を振る。
しかしこれは彼女が俺の左手首を解放して俺から見て右後方にぱっと下がることで躱されてしまう。
逃がすものか。
更なる追撃として再びベンズナイフでの切りかかりを試みるものも彼女はいつの間にか右手に持っていたアーミーナイフで応戦、
「ぐあっ!」
「じゃ、お返しよ」
それどころか互いのエッジがかち合った隙に朝倉さんは俺の胴体に人間離れした速度で前蹴りを浴びせて後方に蹴り飛ばす。
ゴッ、という衝撃がやってきたかと思えば少し地面から足が浮いて、背中からアスファルトにダイブ。
この折にたまらずベンズナイフを落としてしまったのは不可抗力だろ。ああっ、なるべく早く立ち上がったがくそ、息が詰まる。せき込む。
「私の顔にそんなに傷を付けたかったのかしら? まったく、明智君は女の子の扱いがなってないわ」
俺が落としたベンズナイフを左手で拾い上げて興味深そうに眺めながらそんなことを言う朝倉さん。
何か言葉を返してやりたいが先ほどの蹴りによる衝撃と打ち身で全身が痛い。呼吸もままならないぐらいだ。頭から地面にぶつかってたらその時点でゲームオーバーなのは言うまでもないが、今彼女に攻められるだけで俺は五秒でノックアウトされちまう状況だぜ。
だのにどうして攻めてこない、万事休すもいいとこな俺を。
「ふふふ……不思議そうな顔をするのね、明智君」
「ごほっ、き、君の二刀流が早く見たいだけさ」
「口から生まれてきたんじゃないかってぐらいの減らず口ね」
「どういたしまして……」
打つ手が残っていないわけではない。
ロッカールームから別の武器になりそうなものを取り出せば一応の応戦が可能だ。が、隙だらけな状態になってしまうのは言うまでもない、武器を出すよりも先に朝倉さんに刺されるだろう。
あるいは"路を閉ざす者(スクリーム)"を放てば一撃で決着がつくかもしれないし俺には本当に本当の奥の手、"最後の切り札"だってある。
だが、俺は彼女を殺したいわけではなく止めたいだけなのだ、本当ならベンズナイフで切りかかるのだって妥協の末だったんだからさ。
朝倉さんは手詰まりになりかけている俺を弄ぶかのように。
「下手に攻めたら何をされるかわからないもの。それに私はあなたと長く楽しんでいたいのよ、すぐ終わらせちゃったらつまらないでしょう?」
「そいつはどーも」
ならばこちらも虚勢を張らせてもらおう。
俺は咳払いをしてから、
「ひとつ提案があるんだけど」
「何かしら。言うだけならタダよ」
「決着の条件を明確にしよう」
泣き言のように聞こえなくもないだろうが俺にとっては重要なことである。
「君はオレを殺してでも止めたいのかもしれないけど、オレは朝倉さんを殺そうなんて微塵も思っちゃあいない」
「……つまり?」
「喧嘩だよ」
地面に手をかざして再びロッカールームを現出させる。
「朝倉さんが相手にするのは取るに足らない一人の低俗な暴漢さ。力づくで言うことを聞かせようとする真正のクズ。それが、オレ」
そして黒い渦から出てきた"もの"のグリップを掴む。
「オレの勝利条件はどうにかして君を諦めさせることだ」
被さっていたレザーケースを道路に投げ捨てて俺が取り出したるのは全長にして六十センチを超える長さの武器。
それは俗にブッシュナイフと呼ばれている山刀であり、ナイフの中でも刃渡りはボウイナイフよりもでかい特大サイズに分類される。
元自衛官であり、そこそこの階級まで上り詰めたらしい俺の山好きだった祖父さんの遺品の一つだ。彼は手入れを怠ってなかったようでエッジにはサビや摩耗が一切見受けられない。
朝倉さんはそれを見て愉しげに笑うと、
「また面白そうなオモチャね。ほんと、あなたってば退屈させてくれないんだから」
「さあ、オレの勝利条件は言ったぞ。君はどうなんだ? オレをここからどかすっていってもやり方はいくらでもあるぜ」
「先に仕掛けてきたのは明智君じゃない」
「どうだったかな……忘れたよ」
少なくとも話し合いで解決しそうにないとは思うが。
「じゃあ私もあなたと同じでいいわよ」
漫画ならチャキっといった効果音でも聞こえてきそうな感じで二本のナイフを構えた朝倉さんがそう言う。
「たとえるなら暴漢相手に過剰防衛をはかる女子高校生ってところかしらね。あなたの腕が一、二本はなくなっちゃうかもしれないけど私が事象改変を終わらせればこの喧嘩だってなかったことになるわ」
「お互い、殺す気はナシって体でいいのかな」
「でも不慮の事故があった時は恨みっこなしよ?」
「オーライ。それじゃあ――」
俺も負けじと左手で掴んでいるブッシュナイフのエッジを彼女に向けて宣言する。
「仕切り直しだ」
朝も暗い時間から学校の前で喧嘩にしては物騒すぎるバトルを繰り広げている俺たちだが幸か不幸か今のところ第三者の介入はなさそうだ。
ともすれば俺はグウランドへ移動することを提案できたのだが、あえてしなかった。
確かに攻撃を回避しやすいかどうかでいえば障害物のない、広々とした学校のグラウンドの方がいいかもしれない。
だがそれ以上に不利な点が多いと考える。何故ならば俺の相手である朝倉さんの方が間違いなく機動力が上で、しかも彼女の攻撃方法は何も接近戦に限らない。原作でやってみせたように槍みたいなものをバシバシ飛ばされたらマズい。
要するに広くない場所での戦闘ならば彼女の攻撃の方向が絞られると踏んだわけである。
「ふっ」
ブゥン、と風を切りながら前腕を目がけて山刀を横薙ぎする。
しかし朝倉さんは刹那の見切りで身体を後ろにずらしてギリギリの回避をし、反撃としてこちらの懐に潜り込もうとする。
俺はそれに対して足技で応戦。こんな感じのやり取りがもう何分経過しただろうか。
素人でもわかりそうなことだけど俺が振るっているブッシュナイフは白兵戦にはどうにか使えるものの映画で見るようなナイフファイティングには圧倒的に向かない。
そりゃあこの刃渡りだもの。相手に圧力こそ与えられそうなものだがナイフにしてはいかんせん重い。
ブッシュナイフというだけあって本来の用途は低木を刈るために使うので、小回りの利いた振り方をするというよりも勢いと重さに任せて叩きつける道具なのだ。
つまり破壊力はある、しかし、
「当たらなければどうってことはなさそうだな……」
「ええ、どうもこうもないわね」
彼女を切るよりも雲を切る方がよっぽど楽なんじゃないかって思えてくる。ブンブン振っても本体には当たらない。
ここまで戦えているのは単純にインファイトにおけるリーチの差であって俺は速さどころか筋力でさえ彼女に劣っていかねない。こう見えてそれなりに鍛えてるつもりなんだけど、自信なくしちゃうな。
それでも別のナイフ――ベンズナイフじゃなくて普通のサバイバルナイフ――を出して戦うよりもブッシュナイフで有利な距離感を保てるように誤魔化した方が勝ち目があるはずだね。
俺が兄貴にシステマを叩きこまれたのだって彼曰く「お前は攻めが絶望的に下手だ」と言われた背景に起因している。
おかげさまで防御に関する技量は上がったがそれ以上に朝倉さんとまともに打ち合ったら太刀打ちできないと想定される。丁々発止なんて夢のまた夢さ。
そうして更に数分の攻防が続いた後、流石に厳しくなってきた。
朝倉さんの左手から放たれる一線を間一髪で避け切る。
「ぐっ」
危ない。
もともと俺が用意したものとはいえベンズナイフは掠ることたえ許さない武器だ。彼女は左手にそれを持ち、いつものアーミーナイフは右手で逆手に持っている。
ついさっきは右手で俺の攻撃を受けてから左手のベンズナイフを突いてきた。細い木の枝を一撃で切断しうる攻撃を片手で耐えたんだぜ? 腕がしびれるとかいった様子もなく見事に、だ、受け止めたんだ朝倉さんは。
しかも俺の体力だってそろそろ限界が近い。正直あと一分ももてば上出来なぐらいさ。
再び距離を開けて対峙する朝倉さんはそんな俺のコンディションなど看破しており、
「もう終わりかしら? だいぶお疲れみたいね。なかなか楽しませてくれたけど、あなたの方が諦めた方がいいんじゃない?」
あっちだって俺と同じぐらい、いや俺よりも動いているはずなのに汗ひとつ流さずケロリとしてこれだ。
対する俺、無様に肩で息をし始めている。
「ハァハァ……っ。何故、だ」
「うん?」
「何故君はオレにナイフ以外での攻撃を……してこないんだ」
無意味だ。
相手の疲弊をただただ待つ、こんないたぶるような戦術は非効率的だ。
こんなことさえも彼女は愉しんでいるというのか。どうかしている。
朝倉さんはくだらない質問と受け取ったのか、
「時間稼ぎのつもり?」
「いいや……どーせやるならひと思いにやってくれ。オレだって手を抜かれた相手には倒れたく、ない」
「そう。でも安心なさい、私はべつに手を抜いているわけじゃないのよ」
朝倉さんは「あれを見たらわかるわ」と言いながら俺の斜め後ろの方を指さす。
ミスディレクションか。
「ふふ、べつに隙だらけになったあなたを刺すつもりはないから」
このまま打ち合っても勝ち目はないのだから負け方など今更気にするまでもないのか。
言われるがまま彼女に背中を向けて斜め上の方、未だ陽が出ていない空を眺めてみると、
「おいおいおい、冗談きっついぜ」
当然だろと突っ込まれたら反論できないが俺は驚愕した。
まさしく驚天動地。遠くの空に浮かぶどす黒い雲が自然界ではありえないような挙動を描き、拡散している。ともすれば黒雲は地上にも降り立っているらしく竜巻のような柱が住宅街の方向から何本も見える。月も星もすっかりそれに埋め尽くされてしまったのか天からは一切光が見えない。だのに黒雲が視認できたのはそれらが夜のとばりとは一線を画している漆黒そのものだったからだ。
「残念だけど既に事象改変は始まってるのよ」
「いつからだ」
「私がここに来た時には……べつに明智君を騙してはいないわ、言ってなかっただけだから。それにまだ間に合うもの。と、いっても止められるのは私しかいないけど」
だまし討ちにでもあった歯がゆさをありありと感じる。
最後のタイムリミットがすぐそこまにで迫っているのだ。
「地球規模じゃない、全宇宙に近い次元での改変が今まさに行われている。涼宮さんの能力に加えて私が保有してた攻勢因子を殆どつぎ込んで、ようやく制御ができたの。要するにあなたに労力を割く余裕はないってわけ」
なるほど、よくわかんないけど満更不利ってわけでもないらしい。
俺はてっきり彼女が俺をいたぶるために格闘だけであしらっているのかと思っていたが最大の理由は別にあったというわけか。
朝倉さんの方に向き直ると彼女はカチャカチャとナイフどうしを弄んでいる。彼女はタイムアップが狙いだったのだ、最初から。
「明智君にはまだ奥の手があるんでしょう。早くしないとゲームオーバーよ」
「いくらなんでも卑怯すぎやしないか」
「だから言っておいたじゃない、残念だけどって」
ジーザス。
絶体絶命もいいとこだ。
「ああ……本当に…………残念だ」
先ほど放り投げておいたブッシュナイフのレザーケースを拾いに行きナイフをケースに入れる。
どうやら彼女の方から攻めるつもりは毛頭ないらしく、黙って見ているようだ。
俺は懐かし話に花を咲かせるかのように、
「朝倉さん、こいつはオレの死んだ祖父さんが大切にしてたもんでね。オレにとっても思い入れのあるものだからあまり壊されたくはないんだ」
「何? 投了宣言かしら?」
いいや違うね。それには及ばない。
コトリと俺の足元に優しくブッシュナイフを置くと、またロッカールームを現出させる。
だが、これが最後だ。
「やっぱり奥の手があったみたいね」
「否定はしないさ」
「でも時間が足りるかしら。あと五分とないでしょうね」
「まだオレは立っていられるんだ、他に説明はいるか?」
「時には諦めも肝心なのにな」
そんな結論がとっくに出ている会話をしている間に俺が出したのは、ブッシュナイフに比べると恐ろしく小さなもので、しかしナイフとしてはこれぐらいが標準的だというもの。そう、ナイフの一つだ。グリップは左手で掴んでいる。
ナイフが収まっていたシースを外してエッジを露出させながら俺はオーラを右手に集中させる。
「明智君、そろそろ本気で来なさい。次で終わらせてあげるから」
まったくもって余計なお世話だと言いたいね。
俺がこれに踏み切れたのは君がベラベラ余計な情報を喋ってくれたからなんだぜ。
極限まで右手にだけオーラを集中させ右手で握り拳を作って右腕を水平に伸ばす。
そして、右手でサムズアップを作り、親指を下向きにさせて一言。
「――"解約(リリース)"」