――翌日、日曜日。
順当に行けば今日が撮影最終日となる。
文化祭は約一週間後。ああ、充分すぎるさ。
俺が前世で放送局に居た時、映像作品を作った事があるのだが、編集させられた時の期間なんて二日とない。
経験から言わせてもらうと映像よりも音声編集が本当にキツい。
音をクリアにするための波長弄りは地獄だった。マウスの繊細な操作が要求される。
で、今日は再びエキストラの谷口と国木田と鶴屋さんにも来てもらっている。
クライマックスを撮るためにも雑兵は必要だからだ。
だが、駅前に集まった俺たちには現在、一つだけ致命的な問題が発生していた。
「おい明智。来てやったはいいがよ、肝心の監督とやらがいねえぞ」
そうだな谷口、おまけにキョンもだ。忘れてやるな。
キョンはさておき涼宮さんがいないと撮影ができない。カメラは彼女が持っている。
朝比奈さんは全く責任がないのに悲しんでいて、そんな彼女を鶴屋さんがよくわからずに「よしよし」と撫でている。
このまま黙っているのも嫌なのでとりあえず涼宮ハルヒ教信者である古泉に話を伺うとしよう。
「古泉、あの後どうなったんだ? まさか閉鎖空間で世界が云々だなんて言わないでくれよ」
「大丈夫ですよ。どうやら今回に関して言えば彼女はストレスを感じたのではなく、いじけてしまったようです」
「キョンが怒ったからか?」
「そうでしょうね。涼宮さんはきっと、何があっても彼だけは自分の味方だ。そう思ってたんでしょう。だからこそ、彼のあの態度は涼宮さんにとってショッキングだったのです」
「実に感動的だね。でも、その結果二人とも来ていないなんて笑えないんだけど」
「ええ。ですが大丈夫だと思いますよ。彼にはちょっとしたアドバイスをしてあげましたから」
古泉は涼宮さん信者である以上、根拠のない自信の精神も見習っているらしい。
しかしながら今回ばかりは根拠があったのだろう。何故かって?
そりゃあ。俺の目が確かならば、キョンと涼宮さんの二人が一緒に遅れてやってきたからだよ。
どうしようもないね、心なしか吹っ切れたようにも見える。
「雨降って地固まる、とやらですね」
「オレはその大雨が洪水にならない事を祈るよ」
キョンが引き連れてきたにゃんこ先生はとても眠そうだった。
結論から言うと、撮影自体は滞りなく完了し、お昼には終了となった。
打ち上げなんてのは文化祭が終わってからやるもんだ。今日はさっさと解散である。
だが、どうやらこのまま終わらせるには少々まずいらしい。
解散後、再びエキストラ三人と涼宮さんを除いたメンバーで駅前へ再集合を行った。
馴染みの喫茶店に入り、部室でやるよりはよっぽど会議らしい会議が始まる。
にゃんこ先生はキョンが既に家に置いてきている。
「撮影が終了したのはとても喜ばしい事なのですが、そうも言ってられません。僕たちは涼宮さんを見くびっていました」
「どういう意味だ?」
「今回の騒動、撮影を通してではあったものの涼宮さんの能力によって様々な現象が発生しました」
「シャミセンさんも大変そうでしたね」
朝比奈さんはどうやら喋る所を目撃したらしい。
残念だが俺は彼と話していない。その必要も無さそうだったからだ。
「文化祭が近づくに連れて校内でも妙な格好をした生徒が増えていました。まるで映画の登場人物のように」
「リハーサルにしては気が早かったからね」
「あれも涼宮ハルヒによるもの」
「ええ。涼宮さんは今までは"映画"、つまり創作物中の出来事として力を発揮させてきました。しかし現在、現実と創作の境界があやふやになりつつあるのですよ。シャミセンが喋ったのがいい例です」
「それが事実だったとして、どうすりゃいいってんだ」
「簡単ですよ。しっかり線引きしてあげればいいのです」
「つまり、夢オチって事かな」
「ええ。それでも構いません。とにかく彼女に自覚させる必要があるのですよ、これは嘘っぱちの内容だと」
本当に秘密結社なんかに出られた日にはたまったもんじゃない。
そして、原作でも最後の方でそんなやりとりがあったからな。
魔法の言葉作戦。それでいいだろう。
「その意見は理解したけど、脚本家として夢オチは邪道だ。いい方法を考えとくよ」
「わかりました。お願いしましょう」
「ついでだからオレからも『機関』にお願いが一つあるんだけど」
「何でしょう?」
そんなやり取りは昨日までの話だ、月曜からは編集作業が待ち受けていた。
……この作業は一切の妥協があってはいけない。デスマーチ万歳だよ。
そして、俺の経験上から言うと最低でも二人は居るべきである。
音については言っちゃうとフィーリングの部分があるからね、一人でずっとやっていると上手くいかないのだ。
と、言う訳でビデオカメラをパソコンに繋げて引っ張ってきた映像や音を編集している。
俺とキョンの二人でだ。
俺が忌々しい"ミクルビーム"の映像編集をしていると不意にキョンが。
「なあ明智よ。お前はハルヒの能力を……いや、ハルヒをどう思っているんだ?」
突然だな。何がいいたいんだお前は。
後半部分だけ聞けば「お前あいつに気があるのか?」とも受け取れるじゃあないか。
とりあえず作業の手を止める。
「言い忘れたが、"どうもこうもない"って台詞は無しで頼む」
「はぁ……。それに答える前に、何でそんな事オレに聞こうと思ったわけ?」
質問を質問で返すのは会話のドッジボールに繋がりかねないのでよした方がいい。
しかし男子高校生にはそんなマナーなぞ存在していない。
「ああ。いや、他の連中はハルヒに対して色んな見方をしているらしい。古泉はハルヒが神とか言うし、朝比奈さんが言うにはあいつは世界の仕組みを変えてるんじゃなくて不思議を見つけるのに長けてるだけらしい。長門にいたっては専門用語が多くて主張がよくわからん」
「……で、自分もわからないからオレに聞いたって話か」
「そんなところだ」
「さてな。造物主、奇跡の発掘人、自律進化、そのどれも正しいかもしれないし、間違ってるかもしれない」
「おい。俺はしっかりとした説明が欲しいんだよ」
「お前に"それ"が必要なのか? オレなんかよりよっぽど涼宮さんを詳しく調べてる人間でさえ本質が掴めていないんだ。オレにわかるわけないでしょ」
「だが明智は異世界人なんだろ? どういう経緯かは知らんがハルヒに呼ばれた。あいつら三人とは違った視点なんじゃないのか」
「そうだね……。でもオレの意見は多分キョンと"同じ"さ。涼宮ハルヒは"それ以上でもそれ以下でもない"。ちょっと心が不完全なだけの、夢見る少女だ」
「そうかい。だが得体の知れない何かがハルヒにあるのは事実なんだろうさ」
「ふっ。前に言ったと思うけど人間には未知の領域がまだまだある。涼宮さんに限らないよ」
「お前は"それ"を知ってるって言うのか」
「オレのも一端だけだ。アカシックレコードでも読破しない限りは無理だと思うね」
「やれやれ……真相は闇の中か」
キョンは怠そうに空を仰ぐ。
このまま俺が黙っていると天井のシミでも数え出しそうだ。
編集作業に集中したいので俺なりの答えを伝える事にする。
「……神じゃあないよ」
「ん、お前は古泉の意見に反対なのか?」
「いや、涼宮さんは神に等しいだけであって神そのものではないと思う。それに、神が居ないとも言ってない」
「俺みたいな普通の人間にはその差がわからん。要約しろ」
「キョン。オレはお前さんが読書をしないのは悪いことだと言ってるのさ」
「まさか本の中に答えがあるってか」
「さあ。だけどヒントをくれるのは確かだ。ニーチェを知っているか?」
「名前ぐらいはな。"神殺し"だとかどうとか」
「それだけ知ってれば充分だ。十九世紀は神に変わり人間が時代を作った。信仰の話じゃない、精神的主柱が神から人間になったのさ」
「歴史の話をしたいなら俺は無視するぜ」
「慌てるなって。だけど、人間が精神的主柱になったと言っても全員がそう考える訳じゃあないだろ? それに、精神そのものが破綻している人だって居る」
「つまり?」
「人間は不完全だ、精神的主柱とは言えない。そう考えたのがニーチェさ」
「それとハルヒがどう関係するんだ」
「ニーチェがそう言ったのはいいけど、それじゃあ神も駄目、ヒトも駄目、心の支えが無くなるだろ? そこで考えられたのが、完全なる人間。すなわち"超人"だよ。涼宮さんは、どちらかと言えば超人さ」
「ハルヒがそんなたいそうな奴にしては、どうにも子供じみてる気がするぜ」
「超人ってのは文字通り人間と次元が違うのさ。涼宮さんの才能の豊富さ、秘められた何か、これらは人間の次元ではない。人格者かどうかとは別だ」
「次元ねえ。だとすると、あいつから見える世界と俺たちから見える世界には差があるんだろうか」
「それはわからない。でも、猿と人間だって次元が違うでしょ? オレたちが猿を嗤えば、涼宮さんはオレたちを嗤うのさ。それが次元の差だよ」
「……なるほど。普段の様子からすると、あいつにとって普通の人間社会が退屈なのは納得だぜ」
「でもこれだけは勘違いしないでくれよ。超人が特別だって言いたいんじゃあない。誰でも進化さえできれば超人になれる、それが本質らしい」
超人は人間の目標、人間とは克服されなければならない。
彼が言うには人間の偉大さ、素晴らしさは、不完全さそのものにあるらしい。
心に信念さえあれば人間に不可能はない、人間は成長する――
――か。
俺には足りない要素だ。
キョンはいまいち進化と言われてもピンとこないらしく。
「これ以上どうにかなるってか」
「それもオレにはわからない。ニーチェの考えに基づいた意見だからね。オレが言える確かな事は、涼宮さんの音楽センスはいいって事だよ。マリリン・マンソン、いい趣味してるよね」
「そう言えばこの前あいつ歌ってたな」
99年に全英チャート23位に輝いたあの曲である。
俺はマリリン・マンソン自体に思い入れはないけど、あの曲はいいと思う。
何より歌詞がいいからね。
「しかしハルヒも、もうちょっと大人しくしてくれればありがたいんだがな」
「それはお前が頑張りなよ。オレなんかナイフが飛んで来るんだ」
「はいはい、昼にいつもいちゃいちゃしてるお前に言われたかねえよ」
「……作業に戻ろう」
「引き分けにしてやっていいぜ」
「賛成だ――
「――って話があったんだけど、元急進派の朝倉さんから見て、涼宮さんはどうなのかな」
編集作業も一段落し、いよいよ完成間近となった日の下校中。
俺は朝倉さんの意見を伺う事にした。当然だがナイフのくだりは割愛している。
「それ、私にするなんて……デリカシーのない質問ね」
「もっと褒めてくれてもいい」
「はぁ。……前にも言った通りよ。忘れてないわよね?」
当然さ。
もう半年は前になるのか。
あの時の朝倉さんの発言にはとても驚かされた。
憧れ、そして嫉妬。彼女はそれが感情と呼べる動機だとは自覚していなかったようだが。
「それだけよ。私はもう涼宮さんへの関心を捨てつつあるもの」
「聞きたくないけど敢えて聞くよ。今は誰に関心があるのかな」
「ふふ。明智君、あなたよ」
――そうだな、キョン。
人を見た目だけで全て判断してちゃ、たまったもんじゃあないよな。
……とりあえず文化祭に向けて、今の内から用意しておきたい事が他にある。
その事だけに集中しよう。朝倉さんにも手伝ってもらうが。
笑顔とは本来、攻撃的なものらしい。
そしてこれは余談だ。
SOS団が放送室に乗り込んで以降、校内放送で文化祭を採り上げたりし始めた。
コマーシャルビデオも再び流したのだが、模型店はやはり繁盛したようだ。
倫理的にあれな一種の洗脳とは言え、話題作りにはなっただろう。
これを機に商店街に並ぶ他の店も時代の荒波に立ち向かっていてほしい。
SOS団自主製作の映画作品だが、プロジェクターの都合上視聴覚室で上映されることになった。
そこは映画研究部がもともと使う予定で、涼宮さんのゴリ押しによってどうにか通す事に成功。
映研との二本立てである。
しかし俺は配られた文化祭パンフレットを見て腹が立った、SOS団の映画作品の名前がどこにもないからだ。
この事実を涼宮さんに伝えた俺と、涼宮さんに引っ張られたキョンの三人が文化祭実行委員に殴り込む。
暴論に次ぐ暴論の末になんとパンフレットを修正させ、再配布させたのだがその内容は割愛させていただこう。
涼宮ハルヒに喧嘩を売ったのが間違いなのだから。
そんなこんなで残された数日もあっという間に経過し、いよいよ文化祭当日となる。