俺の"臆病者の隠れ家"
それには戦闘で活用できない原因となる致命的な欠点が二つあった。
一つ、敵地での直接戦闘には使えない。
基本的にこの能力を戦闘で使うような場合は奇襲ありきだ。
まして、初めて行くような場所では入口出口を設置しなければ攪乱にさえ使えない。
確かに設置をしなかったとしても一時的に身を隠したり、戦線離脱には使える。
だが周防と対峙した住宅街の一角のように初見の場所で、しかも正面堂々の戦闘には何ら役立たないのである。
入退室をするだけで隙が生じてしまう。それを敵が黙って観ているわけがない。
もう一つ、それは設置の条件だ。
床や壁……と言えば漠然としていて具体的にはわからないだろう。
要するにこの能力は三次元上に固定されたフラットな"面"にしか入口と出口を設置できない。
外は猛吹雪の雪山だ。周囲には何もないし、足場は雪に覆われている。設置は不可能。
つまり、今回も役に立ちそうになかった。
この洋館に入る前、俺は既に扉近くの壁に別の"入口"を設置していた。
原則不可能な部屋と部屋への移動。それを、マスターキーを使うことで俺は外に出たのだ。
因みに今俺の服装はボードウェアではない。普段着るジャケットに手袋、下は普通のズボン。
内側に上下で保温性の高いウェアを着用しているので多少マシではあるが吹雪の中を行くには無茶な格好である。
しかし、運動性を考えればこっちの方が良いのだから仕方ない。
洋館の扉の前に立ち、叫ぶ。俺の眼の前にそいつはいたのだ。
冷酷、残忍、狂気、人型イントルーダーの。
「周防九曜!!」
「――――」
まるで全然寒そうな感じではなく、イントルーダーは制服姿で吹雪の中を立っている。
どうやら彼女は俺とイーブンな条件ではないらしい。つくづくアウェーである。
「――明智黎。……ここで始めようかしら?」
「その前に、ちょっと話そう。どうせ君と語り合うなんて機会は滅多にないんだからさ」
「――」
周防の眼差しは、勝手にしろと言わんばかりのものだ。
俺は何故かこの段階になってようやく冷静になることが出来た。
それは恐怖、怒り、悲しみ、といった戦闘に余計な感情を一切排し、結果的に俺にある疑問を残す。
「周防九曜。君は何がしたいんだ?」
「それはわたしの目的。……についてかしら」
「広域帯宇宙存在、天蓋領域の代理人。その役割は情報統合思念体との対話。それはいい。中河氏の能力消去を妨害したのは、彼にその任務の手伝いをしてほしいから……筋が通っている」
「……それがどうしたの」
「だが、今回はどうなんだ? 君に何の意味がある? この状況下こそ、中河氏を利用する最大のチャンスのはずだ」
「――」
「君がオレに接触するメリットもない。あの時姿を現したのも、"わざと"でしょ」
「さあ……意味がわからないわね…」
「君の任務は情報統合思念体との対話、だがジェイの依頼はオレへの接触。そう、ここもまだ解る。オレを通して朝倉さんに通じる事も出来る。だが」
そう、周防九曜。
彼女には腑に落ちない点が一つだけある。
「君は、何故谷口と付き合っているんだ?」
「――――!」
周防の目が大きく見開かれる。
でも、もう谷口をフったのかもしれないけど。
……そこは敢えて言わないし聞かないでおこう。
「最初から君は気づいていたんだ、谷口はただの一般人、部外者もいいとこだって」
「……違うわ」
「違うだって? そんなわけないだろ。ジェイと通じている君が、天蓋領域の代理人が谷口について誤解するはずなんてない。"誰か"と間違えるわけがないんだ」
「――」
残された可能性としては谷口もかつての俺と同じようなイレギュラーだという説。
だが、それは限りなくゼロに近い。そんな動きは今の所無いのだから。
「君はきっと、この前の中河氏の時は何も思わなかったけど今回ばかりは違う。君は"悩んでいる"んじゃないのかな?」
「――あなた、本当におしゃべりが過ぎるわ」
その言葉には明確な敵意があった。
しかし、こっちのペースにはならないだろう。
そうかい、谷口はどうなったんだろうな。ま、さっさと俺も解決したいんだ。
……年越しそばが数少ない楽しみの一つでね、いつも安物のエビかき揚げを乗せている。
今年はちょっと豪華だろう。何せ『機関』や鶴屋さんが提供してくれるのだ。
そんな考えはさておき、周防に一つだけお願いしてみる。
「最後に聞きたいんだけど、このまま帰ってくれないかな。ここからみんな出してくれれば充分だ……そういう決着も、まあ、悪くないと思う」
「交渉には応じないわ、……明智黎」
わかってたさ。
ただ、義務みたいなもんだよ。自分を正当化するための。
君がそう言うならさっさと始めた方がいい。お互いやりづらくなる前に。
「場所を変えよう。ここじゃあれだ、こんな見事な建物壊したくない」
「――――」
周防は無言で先行していく。
俺たち二人は洋館を後にした。
きっともう、ここには帰らないだろう。
どれくらい歩いたかは知らないが、洋館の影も形もない場所へ出た。
おそらくSOS団が遭難中に通過したどこかだろう。
俺と周防は移動中無言だった、まさか俺は不意打ちするはずもなく、彼女もしなかった。
こんなことする割には礼儀正しい奴だ。好感が持てるね、嘘だけど。
やはり、こいつも結局は"大きい何か"に利用されているだけにすぎないのだ。
そうして俺たちは再び対峙した。
正直なところ、今回も相変わらずに周防の威圧感は凄まじい。
俺の眼の前に居るのは底知れぬ恐怖。人は、未知なるものに恐怖するらしい。
だが、もう俺は逃げ出すわけにはいかない。今度こそ彼女にフられちまう。
周防の相手は不本意だが、今やれるのは俺しかいないのだ。
今度は、"半歩"、前へと踏み出す。
俺の様子を見た周防はわざとらしく。
「今回は大丈夫なのかしら……?」
「……君がオレを追い詰めたんだ。オレは昔からそうでね、追い詰められて力を発揮するタイプじゃなくて、追い詰められなきゃ力を発揮できないタイプなんだ。もっとオレを追い詰めろ」
「ただの戯言ね……」
そう言う割に周防は何故か饒舌だった。
イントルーダーの感性もなかなかに謎である。
確かなのはこいつもただのアンドロイドではない、憎たらしいが、俺に言わせりゃ人間だ。
きっと、あの急進派、偽者の宇宙人もそうだった。
「今回……わたしの任務は明智黎の調査…」
調査だって?
天蓋領域がそんな指令を出すとは思えない。
つまり、これはやっぱりあのアホが関係しているらしい。
……本当にこの世界に今、あいつは居ないのか?
だとしたら、あいつは恐ろしいまでの計画を練っていると言える。
平行世界移動、"カイザー・ソゼ"、そして3年前に消えた"急進派"。
これらの符号が意味するものは――。
「――まさか、とっくにご存じなんだろ? これ以上オレについて何を調査すると言うんだ、みんなを巻き込んでまで」
「あなたの潜在性。……場合によっては抹殺も許可されている」
「どういう場合だって?」
「わたしの裁量」
「……どっちにしろ、君を避けては通れないって訳かな」
「――」
沈黙は肯定か。
左手袋を外し、腕を水平に伸ばし、遠くの周防へ向けて親指を立てる。
その動作を見て周防は警戒した……。が、俺が今するのは攻撃じゃあない。
ただの確認だ。
「平行、約5倍……、17メートル前後ってとこか」
概算であるが、ちょっとした距離算出法だ。
戦闘ではこんな小技も使えればそれなりに役に立つ。
そしてここが異空間だからだろうか。吹雪の中にも関わらず、お互いの声はよく通る。
周防は得意げに。
「――あなたはこの状況でわたしに接近する事さえできない」
「それは驚きだ。てっきり、君から仕掛けてくると思ってたからね」
「"取るに足らない"と言ったはず。……仮に、接近してもそれは変わらない………」
残念だが事実だった。この距離を詰めるのには一苦労しそうだ。
俺が最大限に身体強化をしたところで足場が足場だ、通常の何倍もの時間がかかる。
普段は17メートルを移動するのに2秒とかからないが、今回ばかりはそうもいかない。
そして、俺のスピードにも周防は何故か平気で対応してくるのだ。
彼女は余裕の表情で。
「『どこからでもかかってきなさい』と、言うのかしら……わたしとあなたは兎と亀。のろのろと、向かってきなさい」
これが噂に名高い周防スマイルか。
確かこれに谷口が惚れた……んだっけ?
でも、悪いが、俺は浮気なんかするつもりはない。
星の廻りによってはどうなってたか知らないけど。
ifは後悔を生む。
なら、考えない方がいいのだ。そうだろ。
そして17メートルなら、"届く"。
少しばかり練習不足だが、山でそれなりに訓練は出来た。
再び左手を前に向け水平に伸ばし、俺は言い放つ――。
「――防いでみろ、周防九曜」
その瞬間、彼女の上半身が勢いよくのけ反った。
あわや転倒スレスレだったが、起き上がる。
……外傷はなし。一瞬で防御してみせるなんて恐ろしい反応速度じゃないか。
周防は驚いた声で。
「明智黎――何をした―――」
「眼が悪いんなら、ひと眠りして疲れを取った方が良い。"兎さん"」
「―――危険性を確認」
どうやら、ようやく臨戦態勢らしい。
今この瞬間にも俺は周防との力量差を感じている、が、もう二度と彼女に精神では負けたくなかった。
俺は、再び彼女に腕を向け、放つ。
障壁が展開され、再び防がれてしまう。
「……危険性が一段階上昇。攻撃を解析、12ミリの球体発射を確認。時速159.1キロを計測」
「まるでスーパーコンピュータじゃないか」
もうタネが割れるとはね……。
更にお見舞いする、が、阻まれ続ける。
限りがあるから無駄撃ちは出来ないし、この寒さで俺の指にも限界はある。
一旦ポケットに左手を突っ込む。この間に少し接近できたが2メートル詰めれたかどうかだ。
しかし次の瞬間、明らかに周防から発せられる威圧感が巨大なものになった。
あれが"ターミネートモード"だろうか、取るに足らない俺一人相手に熱烈な歓迎である。
最早俺の心の支えは朝倉さんだけだ。だが、"それ"は周防、お前には無いんだぜ。
「――」
無言で周防が右手を振るったかと思えば、次の瞬間には積もった雪が勢いよく吹き飛んでいく。
衝撃波、いや、真空波って奴だ。横っ飛びで回避するが、これはきつい。
直撃しても即死は無いだろうが、かなりのダメージになる。
「ちょっとは手加減してくれないかな」
周防は足元の雪などまるで存在しないかの如く右へ横移動。
変化球を仕掛けるつもりのようだ、素早く動けるあちらが有利。
そしてどうやら早くもこの技の欠点に気付かれたらしい。
やれやれ――。
――さて、ここで一旦俺が周防に仕掛けた攻撃について説明したい。
握り拳を作り、親指の溝に物体を乗せ、正面の相手に放つ。
いわゆる"羅漢銭"。……ではなく、ただの指弾だ。一発500円は高いからね。
今回使用したのは12ミリメートルスチール製ボールベアリング。
単純な遠距離攻撃ではあるが、オーラで強化した手から放たれる一撃は銃弾のそれと大差ない。
初速だけなら160キロ近くを叩き出せる。
だが、これにも弱点がある。
しかも多い。
その一、言うまでもなく残弾数だ。
デットウェイトにならない程度かつ十分に取り出して扱える量。
左右のポケットに10発の計20発がいいところだ。
現在3発撃ったのでベアリングは残り17発。
その二、射程距離。
届くだけなら遠くへ飛ばせるが、実践レベルの威力射程は20メートルがギリギリ。
正直なところ拳銃を撃つ方がよっぽどマシな気がしてくる射程だ。
でも普通手に入るもんじゃないし、俺は殺しがしたい訳ではなかった。
……とにかく、仕方ない。
その三、直線的な攻撃しか出来ない。
「何を当たり前な」と思うかも知れないが、銃が動きながら撃てるのに対し、この技はそうもいかない。
俺が達人レベルまで指弾を極めれば別なのだ。動いている相手に、俺も動きながら当てるのは現状では厳しかった。
そういう意味で"直線的な攻撃"と形容させてもらう。
そして今回雪山と言う特殊条件下に限り発生する問題。それは"寒さ"。
……おいおい"寒さ"まして"雪"を馬鹿にする事なんか絶対に許されない。
フランス皇帝ナポレオンさえ冬将軍のせいでロシアに勝てなかったのだ。
指弾の特性上、まさか手袋をしたまま撃てる訳がない。素手を強いられる。
悴んでまともに指を動かせなくなった時がこの技の打ち止めとなってしまう。
周防は移動しながら攻撃を仕掛けようとする。
俺の眼の前に居なければ、狙うまでに時間がかかると判断したのだろう。
だが。
「想定内もいいとこだ」
弱点とは往々にして利用、あるいは克服されるためにある。
それをしないのはただの怠慢だ。惰性以下でしかない。
右手も手袋を外して、ベアリングを掌に乗せて逆手にする。
そして左中指を弾き右斜め方向に居る周防へ向け発射。
威力、精度ともに落ちるが、けん制には充分だ。
「――プロテクト」
しっかりそれを防御した周防は。
「……危険性は維持」
「そいつはどうも」
すると急に立ち止まり、何やらぶつぶつ呟いたかと思えば指先をこちらに向け。
「――標的、明智黎の鎮圧化を目的とした空間爆発の許可を申請」
って、爆発だと、何言ってやがる!
潜在性も何もあったもんじゃない。殺す気満々じゃないか。
とっさに"マスターキー"を具現化し、最大速度でその場から移動する。
ベアリング指弾を狙う余裕はない、空間攻撃には座標を指定させないのがセオリーだ。
「……承認を確認。シーケンスを実行」
「は……?」
「――――」
……実行?
その言葉が聞こえてから十数秒は経過した。
だが爆発なんてどこにも起こってないぞ、と思ったその時だった。
突然周防は愉快な声で。
「――"防いで"みなさい、明智黎」
俺たちが居たのは、何度もしつこいようだが平坦な雪道。
斜面なんかまるでないのに、左方向からそれは勢いよく流れ込んで来た。
雪の大波。
「……こりゃマジかよ」
――人生初の、雪崩だ。
"距離算出法"
やり方さえわかれば今すぐ誰にでもできる簡単な技。
標的を基準に視覚情報から自分と標的との距離の概算を割り出す。
【ダイヤモンドは砕けない】で吉良が使用したものとは原理が異なる。
吉良が使用したのは三角関数の応用、相似を利用したもの。
必要な情報は。
・自分の腕の長さ
・自分の人指し指の長さ
・標的の高さ(身長)
・標的が自分の指と比較してどう見えるか(視覚情報)
の4つ。
例として腕74cm、指10cm、標的170cm、標的が指の1つ分に見えたとする。
この時 170:10x(視覚情報はx倍となる) = 未知数:74 となる。
これを解くと、 = 1258cm となり間隔が約12メートルだとわかる。
標的が指の1/2ならばこの距離は倍になり、標的が指の2倍なら距離は半分となる。
欠点は標的の高さを知っている必要がある事と、長さがわかりにくい時がある事。
それに対し明智が使用したのは形態学の応用、目の間隔と腕の長さの比率を利用。
必要な情報は。
・相手の横幅
・平行移動した倍数(視覚情報)
の2つだけ。
標的に向けて腕を伸ばし、指を立てる。
この時片目で見た後に、別の目に視界を切り替える。
そして標的の横幅を基準に、指がどれだけ移動したかを計算する。
例として、周防の肩幅を女子の平均である35cmと仮定。
明智は視覚情報から移動した指の距離が周防5人分と判断した。
この時 35cm × 5(視覚情報の倍数) × 10 (腕の長さは目の間隔の約10倍)
となり、 = 1750cm つまり約17メートルだとわかった。
どちらの算出法も良し悪しだが、結局は概算。
ただしこれを使う事で距離感覚を養う事が出来る。