第四十一話
おかげさまでこの時間である。
一月二日二十二時。
俺が朝倉さんを家まで送り、そこからお邪魔したのが十七時四十分ぐらいだ。
いや、実に四時間以上に及ぶ長旅。晩飯としておでん鍋をつつく場面もあったが、言うまでもなくお互いロクに口にできていない。
情報統合思念体との通信を本当に遮断し、この部屋を完全な朝倉さんの情報制御下として通常空間から隔離した。出来る範囲で徹底した。
とにかく、俺が"覚えて"いる範囲の説明はした。
具体的にどうこうは言っていないが。
「これが異世界人のルーツって訳さ。違う世界だと理解できるのも納得だろ?」
「……」
朝倉さんは無表情だ。
いいさ、俺は君を守れればそれでいい。生きる意味だ。
俺の近くにわざわざいなくても、どっかの超能力者みたいに陰ながら見守れば、それ――
「――でっ!?」
「……」
恐ろしい速度で飛びつかれた。
現在俺は朝倉さんに抱きしめられている体勢だ。正面から。
「あ、あの、何か……?」
「どうして」
「はい?」
「どうして私を助けたの……? その、お話だと私は死ぬ。そうなっていたんでしょ……」
注意して耳にしていなければ今すぐにでも消えてしまいそうな声だった。
まるで、彼女が光に溶けてしまうような錯覚を覚えた。原作の、あのシーンだ。
今となっては思い出したくもない。
「覚えてるかな、いつか朝倉さんに話した事」
「……何かしら」
「とある宇宙人の話。あれ、朝倉さんなんだよ」
「えっ……?」
「どうしてって聞かれたら難しいんだけどね、これだけは確かだよ」
どうやら自分でも意外な事に、俺は考えるより先に行動する一面もあるようだ。
いや、考えた末ではあるが。そこにあった理由は理由にすらならないチープなもんさ。
「オレは、君に生きてほしい。だから助けたんだ。オレの憧れの君に」
「ズルいわ」
何かに恐怖しているようでもあったし、俺に対し怒りを覚えているようでもあった。
「今、言うなんて。本当にズルい。だって――」
「…………」
「――私はあなたを好きになってしまったんだもの。ううん、"好き"を理解できるようになってしまった」
「ああ」
俺はこういう時の切り返しで、「オレもだ」なんて言うのが一番嫌いなんだ。
軽薄ほどほどしいから、こんな事を言っている奴は直ぐにでも止めた方が良い。
「オレは朝倉さんを、愛している」
そう、愛こそ独善の象徴。
俺にぴったりの、笑っちゃうくらいの、虚構でしかない。
……と、思っていた。
「馬鹿ね、それじゃ、私たちは愛し合っているのよ」
そういや朝倉さんは妥協をしない。
すると、もしかすると彼女も独善者なのかも知れなかった。
帰宅した俺は完全にやばい目で見られていた。両親に。
というかよく起きてたな二人とも。
「あ、あ、あんた」
「……」
「うん? 何かあったの?」
「お前、俺とちょっと話そうや……」
何をだ。
「この年で息子が送りオオカミになるなんて、どうしましょお父さん」
「うむ……思えばこいつの帰りが遅い時は何度かあったが」
おい。
もしかしなくても俺は盛大に勘違いされてないか。
俺は成人諸君を相手に話がしたいわけではない。
ダンテに言わせりゃ「ここから先はR指定」になってしまう。
「そんな訳あるかよ!」
「馬鹿野郎じゃあお前何でこんなに遅えんだ!」
「……うっ」
この二人相手には前世どころか宇宙人だけでも話すような事ではない。
カタギもいいとこだ。知らない方がいいに決まっている。
それに、俺は誰から生まれても俺なんだ。この二人は間違いなく俺の親だ。
「それは、その、……ボ、ボードゲームとか、そう、バックギャモンに熱が入ってね、はは」
「もっとマシな嘘をつきなさいよ」
「俺はとんでもない非行少年を育ててしまったのか……」
「いや、いやいや、今日は何もないって! 本当!」
「『今日は』だって?」
ぐっ。
あ、あえて"そこ"には触れないぜ。俺は。
俺だって……いや、何も言わない。その権利がある。
クリスマスとか聞かれても知らんぞ、闇に葬らせてもらおう。
「……お前が涼子ちゃんを大切にしてやろうと思うのなら、しっかり考えろよ。お前はまだガキだ」
「でも父さんも昔は――」
「何ぃ!? ありゃむしろこっちが被害者だ。酷いもんじゃないか、起きたら手足を縛られるだなんて、犯罪――」
ま、そこまで先の事を考えられるかもわからないんだ、俺は。
そしてお前ら、過去に何があったんだよ。
気にはなったが無視して部屋に引っこむ事にした。寝よう。
そして翌日の三日、今日に至る訳である。
ここは何処かって聞きたそうだが、いつも通り、朝から505に居る。
去年で俺はすっかり毒されてしまっていた。
「そう言えば明智君」
「はい」
「あなたの名前って、その世界でも明智黎だったの?」
最早、朝倉さんは普通に俺を受け入れていた。
これは頭が上がらないどころの騒ぎではない。
比類なきまでに彼女は天使であった。
「……これも秘密だぜ」
俺は一言だけ、自己紹介でもするかのように言った。
「普通の名前ね」
「あのね、姓じゃなくて名の方が問題なんだ。そいつをちょいと弄るとな……」
紙に書いて説明する。
書くと同時にさっさと焼却したくなったね。
忌々しい、ああ、忌々しいよ。
「――で、ついたあだ名が"皇帝"だ」
「そ、そう………かっこいいわ」
嘘だ、半笑いじゃないか。
「まだあるんだよ! そのまま通してオレの名を言ってみろ!!」
「――――って。………ぷっ、あはははっ」
「だから昨日、言わなかったんだよ」
「い、いいじゃない。これを思いついた人の顔が見たいわ」
「絶対見れないから安心した方が良い」
「じゃあせめて皇帝って呼んでも」
「うわあ、よせ! 確かに破天荒な性格ではあるが、これでもオレは常識人だと思ってるんだ、自分を」
「似合ってるわよ」
「朝倉さんはオレに綺麗だ、とか褒めてほしいのか? なら全力で褒めるけどオレは他人にどう形容されても気にしないんだ」
「でも北高では魔王扱いされてるじゃない」
主にSOS団のせいみたいなものである。
「それとこれとは別じゃあないか」
「魔王より皇帝の方が立派よ、それで売り出しましょ」
「オレは何も販売しないよ」
「文化祭が楽しみね」
だとすれば俺は皇帝にも関わらず、朝倉さんより立場は下である。
どこかデジャヴを覚えたよ。やれやれ。
早速、いや唐突ではあるのだが俺はまた山にでも籠ろうと思っていた。
言うまでもなくこれから先はどうなるか全くわからない。
物語なんか最早アテにしてないし、朝倉さんにも説明しなかった。
そして俺も彼女にその事は伝えてある。
だからこそ、もっと心身ともに研鑽する必要があった。
後悔なんてしないためにも。
「って訳なんだけど」
「……」
朝倉さんは渋い顔をしている。
お昼は昨日大量に残ってしまったおでんを食べながらの事だ。
「あのね、こ――」
「"こ"って何だ! オレの名前は"あけち"で下は"れい"だ! "こ"はどこにも入ってないよ!」
「あ、そう、明智君」
「……何か言いたいことがあるようじゃないか」
「私たちは世間一般にどういう関係にあるでしょう?」
どうしたんだろう急に。
そして朝倉さんはどこの世間に対して話をしているんだ。
「うーん。まあ、SOS団団員じゃなければ、半年も前から付き合ってるよ」
そいつを自覚してから一ヶ月も経っていないが。
「そうよ、そうなのよ」
「うん、そうだね」
「その彼氏が、明智君が、二人きりの休みが出来て『山籠もりに行く』だなんてあり得るの?」
「……オレの爺さんは登山家だったよ」
「どうでもいいわ! あなたね、女の子をデートに誘う方が大事でしょ!?」
お、俺だってそうしたいかどうかで言われれば是非ともだ。
しかしながら今が仮初の平和なのは確かなんだ。
いつか"決着"をつけて、本当の平和が訪れたらいくらでも相手するよ、デレデレしようよ。
「これも朝倉さんのためだし、何よりオレのためなんだ」
「はぁ!?」
まさかこんな般若じみた顔を彼女がするとは思わなかった。
汗が止まらない、周防、いや、それ以上だ。
「だいたいね、山だったら学校の裏山があったじゃない! 先月だってそうよ、わざわざ遠出して」
「で、でも文字通りの修行をしに行くんだ。あんな所を見られたらまずい」
と俺が言うや否や、まるで家畜でも見るかのような情けない目で。
「……私に頼れば、空間の遮断ぐらいできるわよ」
「あっ」
そう言えばだが、俺の彼女は宇宙人だった。
で、十三時過ぎの真昼間に、俺と朝倉さんは裏山に居ると言う訳だ。
正直言えば修行向きではないのだが、それでも一応山は山だ。
よくわからないが外界から隔離したらしい朝倉さんは。
「……何するの?」
「先ずは射撃訓練」
と言って俺はポケットから取り出す。
「それは?」
「カートリッジさ」
「ガムのケースじゃない」
そうとも言う。
俺はキョンの妹から貰った空のプラスチック製ガムケースにベアリングを入れていた。
上をプッシュすれば弾が取り出せるという訳だ。持ち運びも困らない。
「的が欲しいんだけど」
「はいはい……」
何かを唱えると辺りには火の玉みたいなものが浮遊し始めた。ざっと十匹以上もいる。
いわゆるオーブって奴だろうか。試しに一発撃ってみる。
すると、ひょいっと躱された。
「こいつ……」
もっと力を込めてやろうじゃないか。
そしてこの戦いは俺が用意した弾丸三十発が切れるまで続けられた。
まだロッカールームに予備は置いてあるがあくまで実戦に近い形での運用が知りたかった。
途中斜め撃ちや移動撃ちも試したが、二十分以上の訓練の末に得られた成果は四匹だけだった。
だがわかった事がある。
「残弾が少なくなると弾が出にくくなる」
「そうね、狙うどころじゃなくなるわ」
誰でも経験があるだろう?
中身の見えないケースに入ったタブレットが取れない。あの状態だ。
ポケットから一々取り出すよりはマシだが、何か対策を考えておく必要がある。
後これは贅沢だが、カートリッジの取り回しだ。手のひらに乗せた斜め撃ちをする時に邪魔になる。
「地道にやってけばいいさ」
「でも、よくこれであの人型ターミナルを倒せたわね」
周防の事だ。
「初撃は不意打ちだったし、後はけん制程度にしか使ってない」
「じゃあどうやったの?」
そういや説明してなかったな。
とりあえず雪崩を出された所から解説することに。
「……ふーん」
「ま、とりあえず見てくれ」
俺はそう言って左手にあれを出す。
「あら、確かに青いわね」
「どっかのアホはこれを"マスターキー"だと呼んでたけど、それじゃわかりにくい」
「名前でも考えたの?」
「そうだね、こいつにオレは振り回されてる。そんな気がする。だから、"ブレイド"。これからはそう呼ぶよ」
出来損ないの刀と、振り回すの語源をかけたネーミングだ。
そもそも万能鍵って感じじゃなかったからね。
「相変わらずのセンスね。で、その透明化っていうのはどうやるの?」
だから俺のあだ名に関しては自称ではないのだ。
そしてこれも何故こうなったのか俺には不明。
「わからないよ。気づいたら色が変わって消えてたんだから」
「特殊条件下でしか発動しないのかしら」
「多分。一応今も消えろって念じてるけど、どうにもこうにも反応ないよ」
「……」
朝倉さんは何か考え始めたらしい。
確かにあの技を体得できれば何かに使える可能性も出てくるが、使いたくない。
無駄な事に時間をかけてほしくないので。
「強いて言えば『死んでたまるか』って思ったぐらいなんだけど……」
「……それよ」
「それがどうしたって?」
と、俺が彼女に近づこうとした瞬間。
何かに身体を突然吹っ飛ばされる。腹部に強烈なインパクト。
数メートル後退した後、俺は後ろの木に身体を打ち付ける。
前にもこんな事あったような気がするぞ。というか。
「――がっ、な、何だ!?」
「安心して、峰打ちよ」
「は、どういう」
どうやら朝倉さんが犯人らしい、急にどうしたって――。
――パチン
と彼女が指を鳴らしたその瞬間。
「じゃあ、明智君のかっこいいところを見せてね」
やけにいい笑顔で、いい声で、そんな事を言ったかと思えば。
「……冗談だろ」
無数のナイフが四方八方から俺の方へと飛来してきた。