さて、皆さんは"名探偵のパラドックス"と言うものをご存じだろうか?
それは、名探偵を名探偵たらしめているのはひとえに事件のおかげという理論だ。
つまり事件が無ければそもそも名探偵として成立しない、そこに謎はないのだから。
殺人事件を解決するには殺人が無ければ解決できない。よって名探偵の前では人が死ぬ。
これは実在する探偵業に対してではなく、創作物の中での"名探偵"に対する逆説的思考だ。
原作でも古泉なんかがそれっぽい事を言っていたような……。
「一般的に名探偵とされる人々は、普通に生活していれば常識で考えて事件になんか巻き込まれないでしょう」
「そりゃあね」
「ハルヒは自分から渦を作り出すぞ」
「彼女は例外ですよ」
うまく躱しやがって。
「しかしミステリ物に代表される名探偵たちは事件に巻き込まれます。何故でしょうか?」
「そうしないと話にならないからだろう」
「正解です」
「メタも何もないね」
「それが名探偵なのです」
「おい、ハルヒにそれを期待するな」
「名探偵には事件を呼ぶ超自然的能力があるのです。そう考えるのが自然ですよ」
「謎の入れ食いって訳だね」
「知るか」
同情するよ。
……要は名探偵に限らず一般的に主人公とされる存在はトラブルメーカーなのだ。
その点で言えばキョンと言うよりは涼宮さんが主人公なんだろうさ。題名からしてそうだし。
生憎だが俺は波風を立てるような柄ではない。どっかの殺人鬼じゃないが今や草のような平穏が俺の望みだ。
"無為式"だとか、"なるようにならない最悪(イフナッシングイズバッド)"だとか、少なくとも俺はそんなんじゃない。
何せあの話の主人公じゃない以上はトラブルが来ることはまず無い。
と、思っていた。
笑えない事に。
悪魔の一週間が去り、冬休み期間中月曜のSOS団ミーティング。
……実際にはただ集まるだけで普段の延長線上ですらないが。
しかしどうにも集まりが悪い気がする。前の金曜日も全員集合にはやや時間がかかった。
そりゃお昼時だからだろう。何なら十四時からでもいいぐらいだ、どうせやる事は限られている。
そして今日の先客はキョンと長門さんだけである。
「お前が居るなんて珍しいじゃないか」
「……ん、お前ら二人か」
どうにもキョンは呆けていた。
俺と朝倉さんを見ても何も変化はない。
「どうしたよ、朝比奈さんのお茶でも恋しいのか?」
「……いや、確かに朝比奈さんは関係するが」
「随分と歯切れが悪いのね」
こいつはいつもな気がするよ。
「そうだな。ちょっと聞いてくれ……」
こうしてキョンの話が始まった。
先週金曜日にキョンが部室に来た時は朝比奈さんだけだったらしい。
で、何と日曜日に出かけませんかと誘われたのだと言う。節操なしかよ。
しかしどうやらお楽しみの最中に朝比奈さんの様子が豹変。
やがて横断歩道に連れてかれると、そこで子供が車に轢かれそうになったらしい。
「その少年はどうやら未来にとって大事な人らしい」
「……」
「大事? 涼宮さんよりか?」
「さあな。詳しくは俺にもわからんが、朝比奈さんの口ぶりではそいつがいたから朝比奈さんたち未来人が居るとか」
もしかしなくても重要人物だった。
そんな奴居ただろうか? 覚えてない。
しかもキョンの主観ではそのくだりはデート気分らしかった。
別にそんな細かい話は俺も気にしていなかったのだろう。当然だ。
「それがどうしたの?」
「いや、どうやらその車ってのがきな臭い」
「よせよ。オレは平和主義者だ」
「と俺に言われてもな。勢力ってのは目に見えない所で色々動いてるんだろ?」
古泉が言うにはそうらしい。
それにあのグラサン髑髏もそうだ。
いや、あいつは間違いなく何かを考えている。
これもその一環なのだろうか?
「オレだってわからないさ。何か知ってるのは朝比奈さんぐらいでしょ」
「長門、お前はどうなんだ?」
「どの勢力のインターフェースも動いたという情報はない」
「当然ね。殺すならもっと楽にやれるもの」
物騒なのはどうやらその未来人らしき勢力だけではなかった。
いや、子供一人相手に宇宙人が出る事自体がオーバーキルだ。
周防九曜なんかを見た日にはそれだけで死ぬぞ。
ターミネートモードだけは未だに思い出したくない。髪が逆立っていた。
「でも、オレたちには関係ないんじゃないの。涼宮さんや未来人は別だけどさ」
「……だといいがな」
「そうね」
「……」
やがて数分後、涼宮さんを皮切りに残りの団員が集結した。
涼宮さんは日曜日のキョンと朝比奈さんのショッピング風景を目撃したらしく、現在尋問中だ。
それが拷問にならない事だけを祈るぜ。
いや、そうなったら愉快だよ。歌になりそう。
さて、話は一旦変わるが、俺が予てから散々と言われ続けていた事がある。
それは"馬鹿"の方ではなく、"甲斐性"云々である。いい迷惑だよ。
しかしながら俺はこの日に修行をする気になれなかった。
いや、土曜日曜も模擬戦と言う体の虐待をやられてたんだ。
おかげさまでかなり鍛えられ、ナイフを受ける回数が一日十回を下回ったがもう無理。
昨日一日休んだ程度でどうにかなるわけがない。超回復など都市伝説もいいとこだ。
で。
「もうっ、遅いわよ!」
九時待ち合わせで八時三十分に某駅前へ着いた俺がこう言われている。
いや、朝倉さん。『遅い』って……何時からそこに居たんだ。
そもそも論としてわざわざ待ち合わせをする必要があったのだろうか?
「デートの鉄板じゃない」
違いない。
だが九時にやってるような店なんかまずないと思う。
少なくとも一時間は手持無沙汰じゃないのかな。
そしてまだ九時ですらない。
「そうね、じゃ散歩しましょ」
「朝倉さんイエッサー」
言うまでもなくまだまだ寒い一月頭。
俺の一張羅ではなんだか頼りない、少なくとも見た目では寒い。
そして散歩というか散策を朝からしていてはSOS団的活動となんら変わらない。
その旨を伝えたところ。
「……」
「急に黙ったけど……?」
「いや、もう何も言えないって奴よ。あなたから誘っといて、この反応だなんて……道理で私が半年かけて攻略できないわけだわ」
彼女の中での俺の難易度はどのくらいなのだろうか。
これも絶対言う事は無いだろうけど、間違いなく先に好きになったのは俺の方だ。
だから永遠に俺は勝てない。朝倉涼子にだけは。
「さいですか」
「ええ」
ここで反抗した所で明日からがつらくなるだけだ。
そろそろ朝倉さんも本気でかかって来てもおかしくない。
だが明日には8割以上の状態には持ち直せるだろう。今までが1~2割のメーターだったのだ。
能力云々より人間の限界を超える方が先な気がしてならないよ。
ふへへっ合法的にボディタッチしてやる。やらないけど。
でも。
「ふはははっ」
「何よ、急に気味の悪い声を出して」
外が公共の場である以上自重するが、とうとう本格的なデートなのだ。
思えばいつぞやのそれは本当にただのウォーキングだった。終始健康的な会話だった。
だが、今日ではない。
「嬉しくてたまらないのさ」
「……」
「この平和が一時的なものだとしても」
「……ねえ」
何だろうか。
「本当に、これから"何か"が起きるのかしら?」
「オレにもわからないよ」
「でも明智君はそう思っているのよね?」
「……嫌な予感ほどよく当たる。これは人間の常だから覚えておくといいよ」
特に俺の場合は幸運という補正がゼロに近い。
いつも悪運だけで生き延びているような気がする。
運否天賦の勝負では思えば勝った試しがない。
くじ引きで当たることがなければ、どんなに高確率であれど外れを引く。
俺のコインには表がない。だからギャンブルだけはしない、するのはハッタリだけだ。
再び呆れた朝倉さんは。
「でもあなたは自分の能力すらよくわかってないじゃない」
「そうかもね」
思い出すのはあの透明化。
実体の一切を世界から消し、俺と言う残留思念だけがそこに残る。
ふと見ると朝倉さんはどこか悲しそうな顔をしていた。
「私、怖いわ」
「……何がかな?」
「やっぱりあなたが、どこかへ消えてしまうような気がするの」
あの能力についてか?
いや、きっと俺そのものについてだろう。
確かに俺は俺の明日がわからない。どうやってここに居るかも知らないからだ。
涼宮ハルヒの考えが全てなのだろうか? 遊びたいという願いが。
「縁起でもないじゃないか。大丈夫だ、オレはどこにも行かない。"ここ"で死ぬさ」
「あなたは異世界について話してくれた、でも――」
「……どうやらどこかへ置いてきたらしい。まあ、それは必要ないさ、多分」
「明智君がそれでいいならいいわ。私はね」
寒空とは言え、せっかくのデートなんだ。
何もわざわざ悲しい気分になる必要なんかないじゃないか。
今日行く気はないけど水族館は好きだ。ムーディなのがいい。
気休めだけど俺は提案しよう。
「それなら、約束だ。確かにこういうのは口だけじゃあなくて型にはまった方がいいと思うよ」
そう言って俺は左手を差し出す。
グーの形から小指一本だけを立てる。
「指切り。知ってるかな?」
「ええ、やったことはないけど」
「じゃ」
嘘ついたらナイフが何本飛ぶかわからない。
それに俺もまさか破る気なんかないさ。
俺は本当の事は言わないけど、朝倉さん相手に"それ"はもうない。
やっと……俺は彼女と向き合えた。これ以上裏切る必要はないんだ。
「そういう事だから、そういう事でいいのさ」
「ふふっ。不思議ね。おまじないなんて科学的根拠は何もないのに、ちょっと安心したわ」
「そりゃあ呪いだからさ」
だからきっと、俺はこれからも大丈夫だ。
そして俺と朝倉さんはあてもなく歩く。
とりあえずショッピングモールにでも向かおう、大した規模じゃないけど。
それでもここから徒歩で行けば良い時間は潰せる。
実はノープランもいいとこだよ。観たい映画は無かった。
でも、これでいいのさ。俺は。
結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならない。
言うなれば、それを出来ない人間が、自己満足の為に筆やペンを握り芸術を発展させてきたんだ。
空を飛びたいと思ったから鳥にもなったし、楽に移動したいと考えたからワープなんてふざけた概念を生み出したんだ。
でもそれはごく一部の人間の生き方でしかない。みんながみんな、ニーチェに賛同できないのと同じだ。
凡人たる我々は、生き続ければそれでいい。人は最終的、究極的に、死ぬために生きている。
だが、今日ではない。
今日は寒いから、朝倉さんの手を握るのさ。
これでいい、これがいい。
――そしてふとした瞬間。
通りすがりの男とすれ違った瞬間だ、微かにこう聞こえた。
「――それもいいが、僕の邪魔をしてくれるなよ。異世界屋」
鋭い、明確な、俺に向けられた敵意だった。
それはまるで目的のためなら何かを犠牲に出来る覚悟。
そう、古泉と、ジェイと、俺と同類。
捨てる勇気。いや、ただの悪意。
……振り返るが後ろには誰も居ない。
宣戦布告、って奴らしい。
「予定変更、今日はあそこにしよう」
「あら、どこかしら?」
「いつか言ってたじゃないか。アウトレットモール。興味あるんだよね?」
「場所を知ってるの?」
「ぬかりないさ、駅まで戻ろう」
まあ、でもそれは、「お前次第」って話になる。
君もそう思うだろ?