第四十三 点 五話
一月中の朝倉さんが憂鬱だった。
ともすれば、それは恐らく俺に引きずられての事だろう。
何だかんだ言っても、先入観と言うものは他人のみならず自分自身にもあるらしい。
その結果、今の俺があるわけだが解らない事を考えた所で時間の無駄にしかならない。
冷静に考えればこの世界の明智の記憶も多少俺には混ざっているのだ。
そこを考えれば俺が年相応の精神の不安定さを持っているのも納得できる。
健全な身体に健全な精神が宿るのだ。生憎と171cmから伸びる気がしない俺の身長ではあるが、要は概念論さ。
そしてどこか憂鬱だった俺だからこそ、こんな話もしたくなったのだ。
「ーーもし」
「ん?」
「もしオレが、全部をぶち壊そうと思って、この世界をぶち壊そうと思って、パワーバランスを無視して世界の全てを敵に回したとする」
何故こう考えたんだろうな。
普通、こういうのは禁書目録よろしくヒロインが言うような台詞だと言うのに。
「その時……朝倉さんはどうする?」
「……そうね」
だが、俺はやはり馬鹿だった。
「『どうもこうもない』。敢えて言えば、死ぬ時は明智君と一緒に死ぬわ」
「そっ、か」
きっと俺たちは。いや、SOS団のみんなは精神的にどこか欠落している。
キョンだけだ、キョンだけが、普通。いや、完璧な人間なんだ。普遍性こそが、あいつの武器だ。
だからこそ俺みたいな"成り損ない"は諦めちまうんだろう。逃げちまうんだろうさ。
きっと、ジェイがそうだ。
……でも、俺は違う。今は違う。
「オレに異世界人以外の役割が仮にあったとして、それはどれだけ大事な事なんだろう」
「さあね。涼宮ハルヒの願望が全てだと思うけど」
「それをどこまで信用していいのかは、マジもんの神様しかわからないさ」
「あなたに言わせれば『死んだ』んじゃなかったの?」
「そうだよ。だから誰にもわからないのさ。……いや」
これは逃げになってしまう。
何故ならその事に気付いてる奴は、少なくとも二人居る。
"超能力者"の古泉一樹と、"代行者"のジェイ。
果たしてジェイとは何者なんだろうか。
いや、それより俺は何者なんだろう。
俺は周防の言葉を思い出す。
「"予備"……か」
それがもし俺の役割ならば、何の予備だと言うんだ?
かつて長門有希のバックアップだった朝倉さんと、お似合いとでも言いたいのか?
余計なお世話だ。
「明智君は、この世界をどう考えてるの?」
「そうだね。……一つだけ確かなのは、もうオレの知っている物語ではない。"世界"だ」
「それはあなたが変えた、という意味かしら?」
「わからないさ。ただ、運命って考えは嫌いなんだ」
運命を変えるだとかって話がそもそも俺からすればちゃんちゃらおかしい。
明日『死ぬ』とわかっているなんて事は破綻しているし、二元論の世界において絶対は存在しない。
あるのは優越だけだ。
「だからこそ、俺は優越を考えて生きたい」
「ふふっ。勝ち馬に乗るって訳ね」
「違う」
有利だから勝てるんじゃない。
だったら逆転なんて話は出てこないさ。
それこそ、絶対じゃあないか。
「どんな世界であれ、俺が信じた方につく。それがオレの正義だ。勝つために、冷静に優越を考えてそれをひっくり返す事を考える」
要は簡単な話さ。
「オレが勝つことが、オレにとっての正義さ」
「だから涼宮さんと戦わないのね?」
「"勝たない"んじゃあない。彼女には"勝てない"のさ。ま、方法はあるけど、今はそれが必要ない」
そう、朝倉さんでさえ知らない絶対の切り札。全てを壊せる。
実はお前だけじゃないんだぜ。
「オレも、持ってる」
出来れば使う日は永遠に来ないでほしい。
最後の、最期の奥の手だ。
ともすればたまの野郎二人――正確には長門さんも居た――の部室にてこんな話もした。
「明智さんは、"フェルミのパラドックス"というものをご存じでしょうか?」
「どうやら馬鹿な話をしたいらしいね」
当然、知ってるさ。
この世界においては何一つ信用ならない。嘘もいいとこの駄目理論だ。
「いえ、ですが面白いじゃありませんか」
「古泉よ、お前さんはフェルミを馬鹿にしてるのか?」
「しかしながら世間一般的にはこうなっています。宇宙人は存在しない、と」
「宇宙人の定義をそこの長門さんに適用させるかどうかは怪しいけどね」
「涼宮さんが呼び寄せた以上は、宇宙人という解釈でよろしいでしょう」
「……そう」
「それで行くと、フェルミのパラドックスの正反対になるよ」
「ええ、宇宙人は存在するが、存在しないとされている。これも矛盾ですよ」
「……」
「屁理屈じゃあないか」
不毛な話なのは間違いない。
「あなたが接触した、周防九曜と名乗る方を含めて宇宙人は確かに存在します」
「その名前は聞きたくないけど聞こうか」
「さて、ここで一つ疑問が残りますね」
お前の頭の中が疑問だよ俺は。
「何故、宇宙人は秘匿されているのでしょうか?」
「……さあ、その方が都合がいいからじゃないの」
「我々にとってはそうです。では、周防九曜にとってはどうでしょうか?」
「わからないよ」
「事実として、どの勢力の宇宙人も自らをパブリックなものとはしません」
「お前たち『機関』が妨害してるんじゃないの?」
「それもありますが、ごくわずかなケースです。彼女たちは、ひょっとすると変わりつつあるのかもしれません。自分の意志で決めているのですよ」
「良い事じゃあないか。でもそれって何が原因だろうね」
「では、それについて、僕の持論でよければ話しましょう」
「……」
「聞いてやんよ」
古泉は自分で淹れた美味しくもなさそうなお茶を自分で飲んでいる。
俺は自動販売機で買った安定のコーヒーだ。すぐに無くなったが。
そのお茶を一口すすると。
「言うまでもなく現状のパワーバランスは拮抗しています。その中心人物は三人」
「三人……?」
「ええ、涼宮さんと、彼と、……あなたですよ」
ちょっと待て。
何故俺がそこで出てくる。
「あなたには、何かを変える力がある」
「……」
「どういうことだよ」
「まずは事実から検証していきましょう」
意外にもこいつはしっかり考えているらしい。
「その一。あなたは春にパワーバランスを無視して独断専行を行おうとした、朝倉涼子を止めた」
「いつまでオレはそれを言われればいいんだろう」
「しかも考えうる最高の形で、ですよ。結果的にこちらの戦力、いや、あなたの戦力は倍以上になりました」
「オレはそんな事を彼女に望まない」
「わかっていますよ。そして最終的にはまさか、朝倉さんを人間と呼べる域に到達させました」
「安心しろ、自覚は無い」
「最近の彼女は僕から見ても、まさに感情豊かといった感じです。プログラムにしては理を無視した行動、発言もあるでしょう。これらは人間にしかできません」
「……」
「で、オレだってか」
「あなたしか居ませんよ。いえ、あなたしか考えられません。何故ならば朝倉涼子の興味対象は、既に涼宮さんからあなたに代わっていた」
それは"いい傾向"なんだろうか。
わからないが。
「オレは勝っていた。と?」
「見事です」
「まるで最初から女ありきみたいな考えじゃあないか。オレはむしろ遠ざけてたんだけどね」
「そうは言ってません。つまりかつての朝倉さんがただの端末だとしたら、あなたが命を吹き込んだのです。変えたのですよ」
「ははっ。オレは神かよ」
「どうでしょうね」
「……」
ふう、やけにみんな集まりが悪いじゃないか。
この会話はまだまだ続きそうだった。
「その二。これで僕の持論は確定的となりました」
「何の事だよ」
「八月の"巻き戻し"現象です。コンピュータに詳しいあなた風に言えば、ロールバック現象と言いましょうか」
「へえ、ロールバックが専門用語って事も知ってるんだね」
「クラスメートにIT業界に興味がある方が居ましてね。コンピュータ研究部には所属してないようですが」
そいつは専門書でも漁ってるんだろうな。
俺もそうだったよ。
本屋に行くと言えば小説や漫画なんかより、真っ先にそっちを探しに行ったもんだ。
「長門さんや朝比奈さんの発言を総合的に判断すれば、こう結論付けれます」
「……」
「あの現象は涼宮さんの願望。ならば、それを止めれる人物は居ません」
「キョンが居るじゃないか」
「その彼が居た上で、ああなったのです。彼女が満足するまでは無理でしょう。つまり、あの現象はループする予定だった」
古泉、情報戦ならお前が多分最強だよ。
最早お前のそれは、"超能力"と呼んでいい領域に突入している。
「それを止めたのは、いや、止めようと動いたのはあなたです」
「は、オレぇ……?」
「はい」
「……」
「いやいや、みんなが協力してくれたおかげだよ」
「ですから僕と、朝比奈さんと、長門さんたち。各勢力の代表を動かしたのが、あなたなのです」
そんな危険な行動を俺はとってたと言うのか?
他の連中からしたらどれほど恐ろしいだろうな。
そしてそこには"鍵"のキョンだって居る。でも。
「それだけで解決できるなら、オレは必要ない気がするけど」
「そうなのですよ。ですが逆説的に考えれば、あなたが必要でした。つまり、あなたがきっかけで、涼宮さんを変えたのです。またしてもあなたが勝ったのですよ」
「……」
「絶対なんてないさ」
「ですが、これであなたが彼と同じ次元で重要人物だと言う事がわかりました。一人じゃないにせよ、世界を変えたのです」
「つまり?」
「断言しましょう、あなたの代わりは居ません。そしてそれが、次の話に繋がります」
まだあるのか……。
ううっ、朝倉さんだけでもいいから来てくれ。
今日はどうやら他の女子と色々お話していた。他の連中は知らない。
ガールズトークなんか興味ないぜ。……だが、創作活動の上では必要かもしれない。
「これが最後。あなたはとうとう異世界人として、我々に姿を見せました」
「……」
「先月の話か」
「はい。僕も連絡があった時は驚きました。TFEI端末や、コネクションのある未来人からのです」
「オレが消えた、ね」
「あり得ないと思いました。涼宮さんが呼んだあなたが、こうもあっさり退場するなんて」
「過大評価だよ」
「いえ、あなたの事は他の勢力とて気にかけています。その中であの事件です、パワーバランスが狂いかねませんでした」
「どうしてだよ。オレはただの個人だぜ」
「少なくとも朝倉涼子はそうは行かないでしょう。どんな手段を用いてでも、この世界に対して復讐を仕掛けるはずです」
「まさか」
「だからこそ敵も常に最良手を選択したのですよ。朝倉さんを行動不能にする。まさに神の一手でした」
おいおい、あの攻撃にはそんな裏があったのかよ。
それが事実ならばこういう情報はありがたいね。古泉様様だ。
「どっちにしても状況は最悪だと思うけど」
「そうです、我々は敗北寸前でした。しかし」
「……明智黎が、帰還した」
「こちらが一番驚きましたよ。我々はあなたが既に死んだものだと思ってましたから」
「オレだって謎だね。生きてたのが本当に」
「つまり、あなたの勝ちであり、三本の矢なのです」
意味がわからない。
急にどうしたんだろうか。お前の苗字は毛利じゃない。
「この事件を総合的に判断したのですよ。ジェイと言う人物が"あなた"を助け、そして"基本世界"という発言」
「そろそろ結論を頼むよ」
「先ほど既に申し上げました。あなたの代わりは居ません。それも、"世界"と呼べる単位で」
「平行世界の否定じゃあないのか?」
「いえ、違いますよ。あなただけが特異点なのですから。それがあなたが異世界人と呼ばれる所以ですよ」
「自称ではあったんだけどね」
「ですが、これで正真正銘となりました」
嬉しくは無いんだけど。
でも、それならあいつの発言も納得できる。
能力や役割を持つ俺が居れば、わざわざ俺に接触する理由は無い。
俺ならいいんだからな。
「あの世界のオレは、ただの一般人らしい」
「恐らく他に存在する世界の明智黎が、全てそうでしょう」
「……それ本気か?」
「九割ほどであれば、真実だと思いますよ」
悔しいが、納得できるし、説明が全てつく。
何故【涼宮ハルヒの憂鬱】において、明智黎なる人物が登場しないのか。
それは、もしかしたら明智黎は存在するのかも知れない。
あの原作、アニメの世界はその中の一つ。
明智黎が登場しない平行世界。
この世界がもしジェイのいう"基本世界"ならばそれが正しい。
異世界人は確かにここに居るのだから。
そして原作通りに進む世界。
運命は、因果は、存在するのだろうか?
じゃあ俺は、俺は一体何なんだ?
「明智さんがSOS団に所属している事自体は不思議じゃありません。涼宮さんの心根は誰にもわかりませんから」
「だが、その世界のオレは異世界人じゃあない」
「以上三つを以て、あなたには『何かを変える力がある』と、言ったのですよ」
「……」
「やれやれだよ」
――何故なんだろうな。
何故、俺はそうなんだろうな?
「古泉、お前にはわかるか?」
その答えは、YESじゃない。
宇宙人は、今も秘匿されている。