『テロリストと交渉してはならない』、国際条約で言われている事だそうだ。
絵に描いたような死にたがり連中相手に言葉は届かないらしい。
SOS団が文芸的活動を開始して二日、木曜日。
その放課後の現在、部室へ向かおうとした俺は渡り廊下で身柄を拘束。
要するに俺はキョンに脅迫されている。
「何が脅迫だ。これはれっきとした依頼だ」
「お前の気持ちはわかるけどね……オレがしてやれるのは既製品のサポートだけなんだよ」
「書けないから頼んでいるんだ」
「恋愛小説をか? オレだってそこだけを掘り下げたのなんか書かないよ。要素だけだ」
「俺はその要素で詰まっている」
「実体験でも書けばいいじゃあないか」
その瞬間キョンの空気が重苦しいものとなってしまった。
瘴気が噴出しそうだ、"深淵纏い"かよ。
「……イヤミか」
「そんな気はないよ。ほら、さっさと行くぞ」
「だがな、SOS団で適任なのはお前ぐらいしか居ないんだよ」
「なんでさ」
「俺にそれを言わせる気か?」
「オレにその気はない。そういう話ならお断りしますから」
「そこをどうにか。いや、明智先生、頼むぜ」
「どうもこうもないな……」
文字通り好きにすればいいというのに。
とりあえず話ぐらいは聞いてやるさ。
俺に書けと言っているわけではないんだろ?
「ありがてえ」
「で? そもそもどういう方向性にしたいんだお前は」
「そりゃあ恋愛小説だろ」
「にしても色々あるだろうさ。実体験がない以上はフィクションなのか? それでないなら誇張してもいいと思うが」
「例えばどんなのだ」
「お前さ、先月はバレンタインがあったわけで、それにお前が応じるかは別としてホワイトデーなんてよくわからない取り決めもちょっとしたらある」
「よせ。そんな話を書いてハルヒに読まれた日には俺は卒業するまで引きずられる」
今更ではなかろうか。
「それにお前は常々朝比奈さんがーとか言ってるだろ。誰と判らないようにそのパトスを叩き込め」
「……だが、話を書けと言われてそうですかと言えるわけではないからな」
「日頃妄想でもしてるんじゃあないのか?」
「俺を何だと思っている。朝比奈さんに対するそれは神聖なものだ」
「なら好きにしてくれ。お前が好きなものを書けばいいんだから。でないと涼宮さんに文句を言われるってわかってるんだろ?」
「そこが問題だからな」
「はい解決した」
「なら、明智ならどうする?」
突然キョンがやけに真剣な声で訊いてきた。
これがシリアスなシーンであれば緊張もするというものだ。
しかしながら話している内容は架空、しかも虚構の恋愛について。
何が楽しいんだ。
「詳しく」
「お前が恋愛小説を書くならどうするんだ、って話だ」
「参考にでもする気か」
「あわよくば貰い受けたい」
「それはどうかな。オレのそれはあてにならないからね。恋愛中心で話を書けってのは厳しいよ」
「ここ一年以上朝倉と楽しくやってたのは何だったんだ」
「今でこそ自信を持って言うよ。オレは彼女を愛している……だけど、オレが朝倉さんを助けたのは、そうじゃあないんだ。お前のためでも、彼女のためでもないのさ」
「………」
「詳しくは言わないけど、ただオレだけのためだったんだ。前に言ったように、付き合い始めたのもお互いが納得した"取引"の上だ。彼女には彼女の目的があって、オレにはそれすら無かった」
「だが、今は違うんだろ」
こういう台詞をごく自然に吐ける。
本当に大した奴だよお前は。
だから、そのお前がしっかりと、血の精神で書いた話なら涼宮さんも納得するさ。
「好きは好きさ。立派な恋愛をしてるとは思う。でも、まだまだ勉強中なんだオレも」
「話にするほどではないのか」
「むしろ話にする方がどうかしてるよ。仮に朝倉さんへの思いを綴りながら書いたとして、オレはいつ筆を休めればいいのかわからないからね」
「……そうか。ま、一つの体験談としては聞かせてもらったぜ」
ようやくキョンは動く気になったらしい。
この時期はまだ多少は寒い。とくに今日は風があった。
「オーライ。仕事の時間だよ」
「これのどこが世界を盛り上げるんだろうな」
「大いに盛り上がるさ、だって――」
それは『ペンは剣よりも強し』、だからさ。
そして部室に行くが、そこには編集長の姿は無い。
彼女は現在機関誌の作成にあたり各方面を出回っている。校内を奔走している。
真っ先にターゲットとなったのは谷口と国木田で、谷口はエッセイ、国木田はコラムらしい。
俺も小説なんかじゃなくて、その手の専門知識が光る話ならいくらでも書いてあげるんだが。
そこは編集長の決定だ、下っ端の、平の俺は既に後輩である朝倉さんに抜かれている。
社会とはかくも競争なのだ、とくにIT業界に関して言えば年功序列などなかった。
次に機関誌の協力を頼まれたのは鶴屋さん。
「ハルにゃんさぁー、これって何書けばいいのかなっ?」
「何でもいいわよ。とにかく、鶴屋さんが面白いと思ったものを書いて頂戴」
「ふーん。へぇーっ。とりあえず適当にやってみるさっ」
はたして彼女は何を書いてくれるのだろうか。
朝倉さんと同じくらいに気になった。
これに加えコンピ研にはPCゲームのレビュー依頼――彼らがそれを書くと言ったらしい、乗り気で――した。
挙句の果てには漫研にまで行きイラストすら描いてもらう約束を取り付けたらしい。
……なあ、彼女は本当に雑誌でも作るつもりなのか? 内容濃すぎだろう。
俺は過去の文芸部機関誌を読んだ事はないが、はたしてここまでやっていたのだろうか。
――さて、実のところ俺はもう既にだいたいの内容が完成していた。
自分でチェックして、これを果たして涼宮さんがどう評価してくれるのかという段階だ。
変化球なら何でもいいんだろうさ。俺なんかより彼女はキョンの作品の方が気になるさ。
しかし、キョンは未だノートパソコンを睨んでいるが、捗ってはいないらしい。
「まったく、何で俺が恋愛小説なんぞを書かなきゃいけないのかね」
「おや、疑問ですか?」
「理由があるのか、古泉」
「ただの仮説ですが、しかしあなたにも原因は推測できるはずですよ」
「……これもハルヒだってか」
「くじを用意したのは彼女ですよ。そう考えるのが自然でしょう」
「俺相手に無理難題だ」
「本当にそうですか? 中学時代、いいえ、文章として成り立っていれば、世代は不問でしょう」
「それだと体験談になるぞ。俺はろくな恋愛体験などないが」
「大なり小なりで構いませんよ。ですよね、明智さん」
そこで俺に会話を振るのはどうなんだろう。
この状況を第三者が見ればどうにも男子が不真面目だと思われてしまうぞ?
女子はみんなディスプレイと格闘しているのだから。これが社会進出の精神か。
「オレもそう言ったんだがこいつの引き出しをオレは知らないからね。キョン次第だ」
「なるほど。実際のところはどうなんですか?」
「どうもこうもねえ。ハルヒは遠慮がないからこうなっただけだ。お前は何でもかんでもあいつのせいにすればいいのか」
「そういう訳ではありません。あくまで仮説と言いましたので」
「……はっ」
「それはそうと。これは小耳に挟んだ話んなのですが、あなたには中学時代に仲良くしてた女子がいたそうで」
「ふざけるな。あいつとはそんな関係じゃ――
――その態度で僕の前に立つ。僕に、何か言いたいことがあるようだな」
ちょうど教室を後にしようと思っていたところだった。
名前も把握していないクラスメートの女子生徒が僕を呼び止める。
その表情は決して明るいものではなかった。若干の、怒気を感ぜられた。
「言いたいことがある? オマエさ、ふざけてんの?」
「僕はいつでも僕のままだ。妥協するとしたら他人ではなく僕相手だ、勘違いしないでくれ」
「何をわけのわからないことを言ってんのよ」
「僕に同じことを二度言わせないでくれ。無駄だ。だが敢えて言ってやるよ、何が言いたい」
そういうとそいつはやがて溜め込んでいたフラストレーションを爆発させるかのように。
叫び声や罵声こそ上げないが、確かな敵意でもって僕に。
「オマエがそんな態度してるから、 が傷つくのよ」
「……ああ、君は彼女と親しかった……かな…? でも僕には関係ない世界だよ」
「本当に風邪で休んだと思ってんの?」
「本当も何も、事実として今日来ていないんだ。こんなしみったれた高校に来たくないのも無理はないがな」
「 がそんな不真面目な娘なわけないじゃない」
「それは君が決める事なのか? そして僕でもない。彼女がどうしたいか決めただけだ。その結果として今日休んだのだから、それ以上の理由はない」
どうして女ってのはこうも理論が破綻しているんだ。
僕がどう正論を並べようと、関係のない話題に転換しだす。
粗探しをしたいらしい。そのうちに自分を正当化していくんだ。
僕はその例外に出会えた試しは今のところない。
何故ならば僕と会話する奴は例外なく僕に対して不満を抱くからだ。
なんだかんだで、彼女もそうさ。
「これは余計なお世話かもしれないが三年のこの時期、君も君の将来のために勉強した方がいいんじゃあないのか。あいつと仲良くするのは君の勝手だが、他人の心配をする余裕が君にあるのか?」
「そりゃ、アタシよりオマエの方が総合的に頭がいいだけよ」
「頭の出来ってのは、努力すればほんの少しは差が縮まるんだぜ。君にセンスが無かったとしても、高校卒業のレベルなんて遙か昔から決まっているラインだ」
「何」
「これも事実だ。つまりテストの点数を上げる事自体は簡単だろう。そこに意義を見出すかは人それぞれで、僕に言わせりゃその意義を見い出せない奴が努力するんだ」
「やらなきゃ点数はついてこないでしょ」
「努力は自分のためにならない。僕が仮に教科書を読み漁っていたとしたら、それは目的のためにやっているんだ。テストや、成績、あいつは頭がいいだとかそんな話はどうでもいい、事実として僕より点数が上の奴は居るんだからな」
「ならなんのためにオマエはそんな……他人を、 を傷つけるような、馬鹿にするような言い方をしてるのよ」
やはり破綻しているじゃあないか。
そしてそれは愚問だ。解り切っていると思っていたよ。
少なくとも二年間同じクラスだった奴の言う事がそれとは。
「決まっている。面白い話を書くため、そしてそれを読んでもらうのが僕の幸せだ! どう評価されようが構わない。何も知らない奴に何が書ける!? 僕は創作のためにどんな事でも調べている、僕のためじゃあない」
「オマエ……やっぱり、どうかしてる」
「変人、皇帝、好きに呼べばいい。僕には関係ない。ただの記号だ。そして引退した部活に顔を出す気もない。僕はさっさと帰りたいんだ、話はもういいだろ」
「……ねえ。アタシに一つだけ教えてよ」
「何だ」
そろそろ僕のイライラも限界なんだ。
くだらない質問なら今後二度とこいつの話は聞かない。
手を出さないだけ僕は優しい方だ。
冷静に物事を考えられない奴の筆は、落ち着かないからな。
「オマエは、 の事をどう思ってるの……?」
どう、か。
そう聞かれたら簡単じゃあないか。
やっぱり愚問で、最初から無意味な会話だったんだ。
この理不尽な感情も創作に役立てばいいんだがな。
「君は彼女の友人なのに知らないのか? 僕も、ただの友人だ」
十一月の風は、やけに僕の身に染みた――
――誰だ。
「おい、どうした明智」
「――ん?」
「何か"我ここに在らず"って感じで、暫く停止していたが」
ふと気づけばすっかり陽が没しかけている。
何やら意識を失っていたらしい。昏倒か? 怖いぞ。
ディスプレイに突っ伏してはいなかったようだが。
そして外は、きっと一月ならばもう既に夜の手前の空模様だろう。
右手の時計を見ると十七時近くだ。
そろそろ"マジックアワー"がお目にかかれる。
とりあえず心配そうなキョンに応じる。
「……いや、何でもない」
「そうか。お前もスランプかと思ってな」
「は。人の心配をする余裕があるのか」
「ないから言ってるのさ」
キョンとそんなやりとりをしているとようやく涼宮さんが部室に現れた。
二日前まで"編集長"と書かれていた腕章は、既に"鬼編集長"にアップグレードしている。
確かにSOS団以外で機関誌の内容作成を依頼された連中からすれば鬼以外の何者でもない。
「どうよ。みんな捗ってる? 最低でも一回は今週中に提出してもらうわよ。それが無理なら休日返上だから」
「………」
「明日には私も下地が出来るかしら」
長門さんの進捗は未だ不明だ。
しかしながらこの部室内で一番タイピングをしていたのは彼女だ。
逐一涼宮さんに提出していたみたいだし、きっと一番乗りだろう。
朝倉さんに関しては進捗どころか内容さえ予測不可能。
"ピカレスク"とはだいたいからして機関誌向きかどうかで言えば、味にはなる。
だがジャンルとしては騎士道精神とか王道とかではない。悪の話なのだ。
そんなのが彼女に的中するとは、涼宮さんは本当に恐ろしいと思う。
何なら俺の指定ジャンルはハードボイルドなんだから。これも無茶だろ。
妥協しない、だなんて考えは俺にまだまだ出来そうはない。
でもその必要はまるでないんだ。俺は最近ようやく気付けた。
俺の弱さを朝倉さんが強さで補い、彼女の強さを俺の弱さで裏打ちさせる。
お互いに無いものを俺たちは持っている、二人で居ればきっと負けない。
それが涼宮さん相手でも、きっと、立ち向かっていけるさ。
……やらないけど。
朝比奈さんはちょうどいい童話が思いつかないらしい。
「うぅん。これで行けるといいなあ……」
「どうやら僕は休日出勤になりそうですよ」
「と言うか、残りのリミット的に休日出勤は当然じゃないのか」
仮に明日で全部ゴーサインが出ても駆け足の作業だ。
俺たちだけではない、他の部や人間にアウトソーシングもしているのだ。
製本完了まで一筋縄とはいかないのである。
「おいキョン、よく気づいたな。でもお前がそれを提案したら今週中に提出できない事が前提になっている気がするよ」
「一日二日で何か書けってのが無理だ。長いスパンがよかったね」
「それはあの会長殿に言ってあげなよ」
「何言ってるの? キョン。一週間もあれば充分じゃない。この間のゲーム対決だってそうよ。一週間あれば何でも出来るのよ! ラクショーのパーペキだわ」
「おめでたいなお前は」
そう言ってやるなよ。
俺だってそうだけど、彼女は楽しくて仕方がないのさ。
なんだかんだ言っても涼宮さんは孤独が嫌だったんだ。
入学当時の涼宮さん、その他人を突き放す態度にはきっと意味がある。
俺の勝手な見解だけど、彼女は上っ面だけの付き合いが嫌だったんだ。
そんなつまらない連中を腐るほど見てきた。その結果、彼女が腐りかけた。
お前はそれを救ったんだよ、キョン。
……お前が"鍵"なんだ。